02話 寝ちゃったもんはしょうがない
「随分寒いと思ったら・・・降ってたのか、雪」
寒空もそろそろ暗くなり始める時分である。
細雪が降る中、熱々の缶コーヒーを啜りながら久しぶりに見る雪に溜息をついていると、右ケツのポケットが振動し始めた。
無意識に息が漏れる。
コーヒーで暖められた吐息が外気にさらされ、白い輪郭で縁取られていった。
「休憩中にかけてくるなよなぁ・・・」
仕事を一段落させ、オフィスの乾燥した空気と得も言われぬ荒廃感から逃れるために屋外へ逃げ出して数分。
すぐにお呼びがかかるなんて、向こうも相当差し迫った状況らしい。
「げ、あいつかよ」
着信画面を見ると、そこには全く使えない俺の上司の名前がある。
可能ならば今すぐこいつを着信拒否にし、タクシーで直帰したいところだが・・・生粋のチキンである俺にそんなことが出来る訳もなく、普通に電話に出て普通に追加残業を命じられたのであった。
気は進まないが知らない人のために一応紹介しておくと、俺の上司は部下に仕事を押し付けることに快感を覚えるタイプの変態である。自分の残業をこっそり部下に回し、自らはちゃっかり定時退社。そのくせ有休もバッチリ消化するときたもんで、部下からの評判は最悪。おまけにハゲである。
上司ガチャに失敗した典型例だと思う。
そんな奴でも上司は上司なので、命じられた仕事は最低限こなさなければならないのだ。
これが社畜の本懐である。つらいよね。
そんなこんなで裏口からオフィスに戻ってきた訳だが。
・・・あれ、ハゲどこ行った?
「お、ぐっさん!仕事終わったんじゃなかったんですか?」
「あぁ、あのハゲ・・・じゃなくて須賀さんに残業頼まれてな。本人はいないようだけど」
「あの人さっき退社しましたよ?忘年会に早乗りしたいとかで」
あの野郎・・・
ちなみにぐっさんとは俺の本名「山口」をモジったあだ名のようで、自分から言った覚えは全く無いのだが勝手に職場中に波及していき、いつの間にか先輩後輩関係なくぐっさんぐっさんと呼ばれるようになった。
それなりに気に入っているのでそのまま呼ばせている。愛嬌あっていいしね。
閑話休題。
これがハゲのやり口である。いかにこいつがクズであるか分かってもらえただろうか。
理不尽だ。俺とてもう我慢の限界である。
この残業を終えれば俺も忘年会へ招集されるのだが、その場で酒の力を借りて直訴しよう。うん、それしかない。
そう固く決意し、デスクでの格闘を再開した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ぐっさん先輩、しっかりしてくださいよ~!」
そこには呂律も回らないほどベロベロに酔っぱらい、情けなく後輩に介抱される山口の姿があった。
数時間前息巻いていた威勢は感じられず、もう起きているのか寝ているのかも定かではない・・・いや、やはり寝ているようである。
忘年会が予想よりはるかに楽しかったようで、調子に乗って飲み過ぎた結果がこれだ。
目的だった直訴は出来ないどころか、上司達におだてられるままに「任せてくださいよぉ!どんどん仕事しちゃいますからぁ!あっはっは!」といった風に気持ちよく酔ってしまったのだ。
忘年会がお開きになり、自分で二足歩行できないほどにフラフラな山口は後輩によって速やかに自宅へと運ばれていった。タクシーの中で吐きそうになるのを何とかこらえながら、無事に自宅へ到着する。
「うっ・・・ふぅ・・・」
「大丈夫っすか?」
「・・・なんとか。強いていえば少し吐き気がするくらいだよ」
アパートに着く頃には自分で歩ける位には回復していたものの、頭痛がひどく激しい眠気も襲ってきていた。
アパート前で後輩に別れを告げた後、自宅の二階部屋へ向かってゆっくりと階段を上っていく。
畜生、今回は失敗か・・・まぁ、酒の席なんていくらでもあるし、チャンスならまだあるさ。ポジティブにいこうぜ。
それよりもやけに今日は睡眠欲がすさまじいな・・・早く床に就こう。
そう思い、自宅の玄関に手を触れた瞬間————
落ちた。
俺は膝から崩れ落ち、視界が落ちていった。ついでに意識も飛んだ。
そう、俺は————その異様な眠気に耐えられず、なんと自宅の玄関前で就寝してしまったのである。
不思議と倒れたことによる痛みはなかった。
その代わりに、言葉では表せない満足感が俺を包んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、早朝の外気温はマイナス10度を記録していた。
当然、酔っぱらった状態で一晩そんな極寒の中にいれば、急激に体温を奪われていく訳だ。
そうして俺————山口直紀は、自らの愛する睡眠を堪能しながら————
凍死した。