気持ちは顔に出る
商業祭はあっという間に終わってしまった。
悠斗は人がまばらになった公園を眺めながら、ほっと溜息をつく。
突然、呼び込み役に抜擢され、自分に務まるのかと心配だったが、意外に多数のお客さんが悠斗の呼び込みに足を止めてくれた。
やはり、甘いものが大好きな女性客が多く、若い子から中年、お歳よりまで様々な人々にケーキを配った。
(この街にはあんなにたくさんの人がいるんだなあ……)
悠斗は、今日話しかけた人々の顔を思い出す。普段接する機会のない若者や、お歳よりに、どうケーキを勧めればいいのかさっぱりわからなかったが、食べてもらえると、あっさりと会話が弾んだりもした。美味しいと言ってもらえると悠斗も嬉しくなり、原材料のイチゴの事、甘すぎないソースの事、クッキーに使っている紅茶の事、ドルチェのその他のお勧めの商品など、知って欲しいことはいっぱいあった。
特に男性のお客にもっと来てほしかった。悠斗のように甘さ控えめのスイーツを欲している男性はいるはずだ。ケーキは柔らかいので、お年寄りにも喜ばれるはずだ。
そんな事を考えながら必死で呼び込みしていると、いつの間にか終わりの時間が来ていた。
準備していた新作のタルトとクッキーは完売。その他の商品も、ほぼ品切れ状態。
速水さんと副店長の鈴木さんは結果に大満足だった。
今は撤収作業中で、スタッフが車に荷物を積み込んでいる。
悠斗も手伝おうとしたのだが、「いいのいいの、休んでて!」と鈴木さんに肩を叩かれ、コーヒーを持たされたので、近くのベンチに腰掛けた。
他のお店のテントも、既に取り払われ、片づけがすすんでいる。
「お祭りのあとって、なんだか寂しいんですよね」
気が付けば速水さんが来ていた。
手にドルチェのアップルパイを二つ持っている。
「はい、これ。今日のアルバイト代です」
そう言って速水さんは悪戯っぽく笑った。
悠斗は当然、喜んで受け取る。
「力仕事で来ていただいたのに、ずっと呼び込みさせてすみません。でも、水池さんすごかったですね。お客さんほとんど立ち止まってくれましたよね」
「そんなことありません。最初は声をかけられなくて、ほぼ棒立ちでしたし……」
悠斗は申し訳なくて、下を向いてしまう。
最初は本当に役立たずで、フレームの細い眼鏡と、着慣れないエプロンに戸惑いながら、テントの前を通り過ぎていくお客さんを眺めるばかりだった。少し離れた場所で、速水さんが続々とお客さんに試食を勧めているのを見ながら、焦ってはいたが、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
その時に、鈴木さんから猫背を指摘され、胸を張るように言われた。
胸を張るとお客さんの顔が良く見える。破れかぶれに、目があった人から声をかけ、試食のケーキの乗った小皿を差し出してみると多くの人が立ち止まってくれた。ああ、接客ってこうやるんだなあ……そう言えば、速水さんもドルチェでいつもお客さんと目が合うようにしているよなあ……と思い至り、それから先は、速水さんの仕草を思い出しながら呼び込みを続けた。
「……速水さんのやり方を真似てみたんです。おかげでうまくいきました」
速水さんは悠斗の言葉を聞くと、嬉しそうに微笑み、悠斗の隣に腰かける。
そして、満足そうなため息をついた。
「もう、本当に今日は楽しかったです。あんなにたくさん美味しいって言ってもらって、幸せでした……」
速水さんは満足そうにそう言った。
「やっぱり、イートイン席作りたいなあ……できれば、僕がケーキを作って、給仕までやりたいです。お客さんの一番良い顔を間近で見られる」
「…………」
悠斗は思わず、自分がそのお客になっている様子を想像した。
ドルチェのクリーム色の壁に囲まれた一席で、コックコートを着た速水さんがケーキと紅茶を手にやって来て「召し上がれ」と微笑んでくれる。
「……胸が一杯で、食べられない……」
「え?お腹いっぱいでした?」
妄想の呟きが漏れ出ていたのに気づいて、悠斗は慌ててアップルパイの包装紙をとる。四角いアップルパイには、甘く煮込んだりんごとバニラビーンズの入ったカスタードクリームが入っている。
このアップルパイはかなり甘めに作ってあるのだが、何故か悠斗は好きだった。
「いただきます」
「召し上がれ」
一瞬、さっきの妄想がリフレインする。
ゆっくりと沈もうとしている夕陽の光が辺りを柔らかく照らし、少し冷たい風が吹いた。
こんな時間に速水さんと一緒に過ごすのは初めての事だ。しかも屋外で、手にはドルチェのパイを持っている。
(ありがとう、商業祭……)
悠斗は幸せを噛みしめながら、パイを口に運ぶ。
しっとりとしたパイ生地と、甘いクリーム、溶けかけそうな甘いりんごが口の中でジワリと広がる。
その甘さが、疲れた体に染み渡っていくようだった。
その時、カメラのシャッター音が聞こえてきた。
いつの間にか閉じていた目を開けると、速水さんがスマホを悠斗に向けていた。
「……写真撮りました?」
速水さんは返事の代わりに、きらきらとした目で悠斗を見返してきた。
「水池さん、やっぱり、すっごく素敵な顔で食べるんですね!思わず撮っちゃいました」
そう言いながら、速水さんは更にスマホをタップして、写真を撮り続ける。
「ちょ、ちょっと!」
「もっと食べてください!幸せな顔をください!私、これ、待ち受けにします!」
「馬鹿言わないでください!恥ずかしい!」
「恥ずかしがることないですよ!この写真キッチン内に飾っておきたい気分です。ドルチェの社内理念って書いて。お客様にこんな笑顔を作るのがわが社の目的だーって」
速水さんは笑いながら、嬉しそうにスマホを見ている。悠斗からは見えないが、そこに自分の顔が表示されていると思うと、恥ずかしくてたまらない。
スマホをいかにして奪い取り、写真を消去するかを考えていると、速水さんがそれに気づいたらしく、スマホを胸に抱え込んだ。
「取り上げちゃ駄目ですよ。これ、私の宝ものなんですから」
速水さんは、今まで見た中で最高の笑顔を浮かべてそう言った。
悠斗はそれを見て、一瞬全てを忘れた。
スマホに入っている写真の事も、手に持っているアップルパイの事も、この公園には他にも人がいることも忘れてしまった。
ただただ、速水さんの「宝物」という言葉が頭の中を駆け巡り、体温が一気に上昇した。
「っ……」
顔が真っ赤になるのを抑えきれなかった。
悠斗の表情の変化に気付いた速水さんの顔に、驚きが走る。
そして、微かに、ほんの少しだけ、いぶかしそうに眉根が寄った。
恥ずかしいだけが理由ではない事に、気づかれたとわかった。
悠斗は一瞬にして、頭に昇った血が下がるのを感じた。
そして、立ち上がり、「帰ります、お疲れさまでした」と口にすると、荷物を掴んで駆けだした。逃げるようにして家に帰った。