ドルチェ社員 美冬の計略
今日は完売間違いないだろう。
鈴木美冬は、テントへの客入りを見て、そう確信した。
美冬はドルチェのもう一人の社員で、速水とは製菓学校での同期だった。
速水は卒業後、イタリアへ渡ったが、美冬は日本のとある店舗に就職し、パティシエとして修業を積んだ。
美冬の実家が製菓店で、美冬は修行を終えたら実家の店を継ごうかと思っていた。
しかし、実家のある町は人口の流出が激しく、お客も少なく、店として維持するのが難しくなっていた。両親は自分たちの代で店を畳むつもりでいたようで、美冬の考えを知った時は驚いていた。喜んでもくれたのだが、美冬が戻ってくることには反対した。ちゃんとお客が入り、生活ができる場所で暮らして欲しいと言われ、美冬はどうするかを考え始めた。
修行をさせてもらっている店からは、ずっといてくれても構わないと言われていた。
そんな時、速水から、店を出すので手伝ってくれないかと誘われた。
これが、独身の男女の話だったら、結婚の申し込みにも聞こえるのだろうが、残念なことに、美冬は既に結婚している。それも、学生結婚で、旦那もまた、速水と同期なのだ。
今は、とあるホテルでパティシエとして働いている。
ドルチェの店舗予定地候補として、美冬の住む街の隣街も挙がっていたので、そこに建てるなら働くと返事したところ、速水からすぐに、そこに決めたという返信を貰った。
それからというもの、速水と二人三脚で店を切り盛りしている。
「これ美味しい!お母さん!これ、お父さんに買って帰ろう!」
子供の嬉しそうな声が聞こえ、そちらを見ると、速水の傍に母と子らしき二人連れがいて、試食の皿を手にしていた。子供は満面の笑みで口の周りについたケーキの粉を舐めている。
お客さんのそんな顔を見ると、心がじわっと温かくなる。速水など、今にも女の子にケーキを山盛りサービスしそうなほどデレデレとその子を見ていた。目の前で「美味しい!」と言われるのが三度の飯より好きという速水は、今日のこの催しを誰よりも楽しみにしていたのだ。何せ、試作品を目の前で食べてもらえるのだから。
今回、試食品として出しているタルトもクッキーも美冬と速水が年末年始から考えていたものだ。予算や現在のキッチンの状況、売り場のスペース、お客さんの反応などを元に、散々悩んで決めた。
新商品を考えるのはやはり、緊張する。その商品に新しい道具や包装具などが必要になった時は尚の事だ。
お金をかけた分、売れてもらわないと店が赤字になってしまう。
今回の新商品は、やはり春らしいイチゴを使った事と、速水が考えた盛り付けが女性受けし(ドルチェでは大抵のケーキは女性受けするようにつくってはあるが)ほどほどの売り上げを出している。クッキーの方も可愛らしいラッピングが功を奏して、お土産などに選ばれている。
もちろん、味も保証付きだ。しかし、最初に買うお客さんはどうしたって、見た目から入ってしまう。こちらが試食を勧めても、見た目が悪けりゃ、食べてももらえない。
「すみません、イチゴのタルトを三つください」
先ほどの母親が子供の手をつないでやって来た。美冬はにっこりと微笑み、手早くタルトを箱に詰める。
今日は少し肌寒いが、日差しは暖かい。山ほど用意した保冷剤を入れ、母親に渡す。
子供は嬉しそうにピョンピョン跳ねながら、ケーキの箱を見ている。
「この箱、可愛いー」
淡いクリーム色の箱に、ブランジュールのブランドロゴが入っている箱を見て、子供がふんわりと微笑む。ブランジュールの箱は持ち手と両端が雲のように丸くカットされていて、見た目がすごく柔らかいのだ。
特別なカットを必要とするため、普通なら値の張る箱だが、この街の製紙工場(文房具工場だったか?小さい町の小さな工場なので、色々作っているのだ)に依頼したおかげで、そこそこ安く作ってもらっている。工場経営の社長さんが良い人で、この街で事業を起こす会社には、かなり協力的な人なのだ。
今日は、その工場から応援に来てくれた人までいる。
速水から少し離れた場所で呼び込みをしている水池さんは今、女子高生らしき女の子たちに試食を勧めていた。
最初は動きが固く、口調もつっけんどんだったが、美冬と速水の教育の賜物で、ようやくお客の足を止められるようになった。
水池さんはドルチェの常連客でもあり、美冬達スタッフとも面識があった。軽く猫背でいつも下を向いている水池さんの印象はあまり良いものではなかった。何時の時代の眼鏡だ?と言いたくなるような太いフレームの黒縁眼鏡で表情が読み取れなかったのもその理由の一つだろう。
しかし、美冬は彼の面立ちがそこそこ整っていることに気付いていた。背も高いので、背をぴんと張り、眼鏡を他のものに変えれば女性客を呼び込める人材だと踏んだ。
その予想は的中した。
速水も眼鏡を愛用しており、水池と度数がほぼ一緒だったため、水池の眼鏡を取り上げて速水のそれを渡した。背をぴんと張るように頼み、もし、丸くなりかけたらわかるように背中にテープを貼ってみた。
水池さんは真面目な性格らしく、お客を呼び込む自信はなさそうだったが、せめて言われたことはやろうと、背をまっすぐにして店舗テントの前に立ってくれた。
そのおかげで、速水の甘くて人当たりの良いマスクと、水池の少し冷たげで、クールなマスクが並び、女性客の視線を集めることができたのだ。
ドルチェのテントの傍を通り過ぎる女性客は、二人を見て「お!」と足を止め、まるでケーキを選ぶかの如く迷い、自分のお好みの試食係の方へと足を向ける。しかも、イケメンは甘い甘いケーキを手に待ち構えている。
(最高の呼び込みだわ)
美冬は二人の招き猫に満足し、頷いた。
速水がお客さんの笑顔見たさに、やたらと試食ばかり勧めたり、水池さんが口下手のためお客に残念なイケメンだとばれかけたりと
、改善点は見られるものの、今日の客入りは予想数を微かに上回っている。
(微かでいいのよ。やたらと多くなると逆に困るもの。この人数でまわせて、できるだけ沢山のお客さんにケーキを食べてもらわなきゃ)
スタッフがほどほどに忙しく働いているのを見ながら、美冬は再度頷く。
この分だと、速水が広場ゾーンへ出張する時間は無いかもしれない。
美冬は満足げに鼻息を漏らした。