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代償ケーキ  作者: 美佑氏シイバ
第一章
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本当に欲しいものはケーキじゃない

 最後のラーメンでずしんと重くなった胃を抱え、家に帰り着いた時、時計は21時を回っていた。

 お腹が重く、ビールで程よく酔っているために、スーツを脱ぐのさえ億劫だった。しかし、買ってきた食材だけは冷蔵庫に入れなくてはと気力を振り絞る。

 冷蔵庫の前に座り込み、冷蔵庫に入れるものと入れないものを分けていると、小さなクッキーの入った袋が出てきた。

 帰り際、速水さんがお土産ですと言ってくれたものだ。

 「……好きだなあ……」

 思わずぽつりと声が出てしまった。

 もう、誤魔化しきれない。

 酔ってはいるが、冷静な頭で悠斗はそう思った。

 悠斗は速水さんの事を好きになった。

 同性に恋をするのは初めての事だ。

 二カ月前のあの夜、ドルチェの煌めくような電灯の中で目があった瞬間、何かが心に生まれたことだけはわかっていた。

 最初は、なんて魅力的な笑顔を浮かべる人だろうという、感動に近いものだった。

 仕事のストレスでささくれ立っていた気持ちが落ち着き、また明日も頑張ろうと思った。もうひと踏ん張りして、無茶な注文を出すお客と、じっくりと話し合えたのも、速水さんのお陰だと思っている。

 ケーキが美しく、美味しく、食べるのが止められないと思ったのも確かだが、そこまで愛おしいと思ってしまうのは、そのケーキが全て速水さんの手作りだからだ。  

 彼の手作りだと思うと、なにがなんでも欲しくなった。

 丸く、小さく絞られた生クリーム、濃淡のある赤いベリーの飾り、まるで計算されつくしてあるかのように振りかけられた抹茶のパウダー……

 このすべてを速水さんが施したと思うと、ついつい、うっとりと眺めてしまう。

 速水さんが、あの大きく、繊細な手でどんなふうにこのケーキ達を着飾らせていくのかと想像し、ケーキ達が羨ましいとさえ思った。

 出来上がるその瞬間まで、速水さんはケーキ達を熱心に見つめているだろう。

 スポンジは良く焼けているか、クリームの味はどうか、果物は悪くなっていないか、お客さんがケーキを見て、美味しそうと呟いてくれるか……

 速水さんのあの優しい目が、真剣な光を帯びるところを想像し、その目で見つめられる瞬間を想像し、悠斗は身を震わせた。

 ドルチェに通い始めてしばらくして、自分のそんな気持ちには気づいていた。しかし、それを恋だと認めるには、今日までの時間がかかった。

 これまで同性に恋をした事など無い。異性に対しても、恋と呼べる気持ちを感じたことが無かった。

 自分はそういう人間なのだろうと、どこか冷静に見つめていた。これからも、恋をすることは無く、結婚もしないんじゃないだろうか、と考えていた。

 だから、速水さんの事が気になるのは、ただ単に、ケーキが異様においしいからだと思う事にしていた。それ以上にどんな理由がある?

 ずっとそう思い込もうとしていた。

 でも実際は違うのだ。

 速水さんが好きだから、ケーキまで好きになった。

 速水さんの手作りだからこそ、あれだけ綺麗に見えていたんだろう。

 今夜、一緒に食事をして、彼と話をして、気持ちもお腹も驚くほど満たされた。

 ケーキを食べるだけでは得られなかった満足だ。あれ以上の満足感があるなんて、思いもしなかった。

 (来週の月曜日も、また、会えるだろうか?)

 速水さんの休日は、ドルチェの休日なので、わかりやすい。

 速水さんは大抵外食だと言っていた。

 商店街の店で食べるのならば、もしかしたら、鉢合わせることができるかもしれない。

 「……これじゃあ、まるで、ストーカーだ……」

 ぽつりと呟いた自分の声で、自分がいかに気持ち悪い行動をとろうとしているかを自覚する。

 しかし、おそらくやめられない。

 ドルチェ通いの次は、商店街通いになるだろう。

 (だめだ……こんなことして、なんになる?)

 彼と恋人同士になるなんて、無理に決まっている。告白すらできないのだから。

 第一、速水さんがゲイかどうかもわからない。自分がゲイなのかもよくわかっていないのだ。

 それでは、友人に?

 一瞬、天啓かと心が浮き立ったが、自分が速水さんに抱く気持ちが、、友人の枠内で収まるものだろうかと自問する。

 お客と店主という間柄でいた方が悠斗にとっては楽なのではないだろうか?

 速水さんはビジネスとして悠斗を出迎えてくれ、悠斗はケーキの並んだショーケースを隔てて彼を見る。

 そして、彼に触れられない代わりに、彼の作ったケーキを食べるのだ。

 (そうだ……その方が良い。下手に近づきすぎて、何かしでかしたら、ドルチェにも行けなくなる……)

 悠斗はそう考え、手に持っていたクッキーの袋をそっと撫でた。


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