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代償ケーキ  作者: 美佑氏シイバ
第一章
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その言葉で満たされる

 速水さんはよく食べ、よく飲んだ。

 追加で注文したエビチリも、麻婆豆腐も美味しそうに食べ終え、宣言通りラーメンでしめるようだ。

 しかも、速水さんは食べ物を人と分け合うのが好きなようで、エビチリも麻婆豆腐も悠斗のために小皿にとって勧めてくれた。

 そして、それを食べる悠斗を見て、嬉しそうにニコニコするのだ。

 多々良の御主人が、それを見て「また悪い癖が出てる」と苦笑する。

 「速水さん、人が食べる様子を見るのが好きみたいで、今日みたいにカウンターに座ると、すぐ隣の人におすそ分けしようとするんだよ。その人が食べる様子見て、すっごいニコニコしているの。最初来た時は隣が女性だったから、恋人同士かしら?って思っちゃったくらいよ」

 女将さんがそう言って笑う。  

 その時の女性はこのお店の常連さんで、速水さんの様子にかなり戸惑っていたらしい。速水さんが帰った後に、「アレって新手のナンパだと思う?」と女将さんに相談までしていた。ちなみに、女性は満更でもなさそうな様子だったという。

 その後、速水さんのそれが、性別年齢問わず行われる事だとわかり、女性は少し残念そうだったそうだ。

 お客によっては不審がる人もいるだろう。しかし、速水さんはそれがやめられないと言う。

 「人が美味しそうに食べている顔ってすごく良いじゃないですか。私、大好きなんです。特に、甘いものを食べている時の顔」

 速水さんはビールで少しばかり赤くなった顔で、ニコニコと笑いながらそう言った。

 「それが好きで、パティシエになったんですよ。私の作ったケーキ食べて笑顔になったところが見たくて。仕事にする前は家族とか友人とかに作って、目の前で食べてくれるのが見れて満足していたんですけど、仕事にするとなかなかお客さんの顔が見れないんですよねー。それだけが残念で……」

 速水さんはビールを飲みながらそう話してくれた。

 速水さんとしては、イートインのできるスペースのある店を出したかったようだ。しかし、予算や土地の関係で、すぐにはできないとわかり、お金をためるために別の場所で働くか、それとも、今のお店で頑張ってお金をためて、二号店を出すかと迷ったそうだ。

 結果、いきなり大きな店を構える程の挑戦はできず、店舗経営を勉強するためにも、今のお店を出すことにしたらしい。

 「ご主人が羨ましいですよ。この水池さんなんて、うちに週三日も通ってくれる常連さんなんですよ。なのに、私は水池さんがケーキを食べているところを見れないんですもん……」

 速水さんはそう言いながら、私のコップにビールを注ぐ。

 「だから、今日は嬉しかったんです。水池さんと一緒にご飯に来れて。初めて水池さんが美味しそうに食べているところを見れて、私はすごく幸せです」

速水さんは本当に幸せそうにニコニコしながら悠斗を見ていた。

 速水さんの話を聞いて、女将さんとご主人は笑っていたが、悠斗は上手く笑えなかった。

 胸が一杯で、言葉が詰まり、表情が作れなくなってしまった。

 甘いものが苦手と言う割に、週に三日も現れては二つ以上のケーキを買っていく30過ぎの男の事を速水さんはどう思っているのかと、気にはなっていたのだ。

 速水さんの店はとても可愛らしく、上品な佇まいだ。明らかに女性向けであり、男一人で来店するには勇気のいる店だ。ストレスのあまり店の外装をほとんど見ずに入店した悠斗は、その次の日、出勤時間に改めてドルチェの店の見て、「オレはこんな店に一人で入って行ったのか……」と、自分の行動の大胆さに驚いたものだ。

 最近は「スイーツ男子」という言葉もあり、男が甘いものを食べる事を、ことさら意識する必要もないとわかってはいるのだが、それでも、ドルチェのような女性向けの店にはしり込みしてしまう。

 そんな店の常連になるような男、しかも、お土産や彼女の為だけでなく、自分のためにケーキを買っていく独身男とは、ある意味、勇者だ。悠斗の中ではかなりレベルの高い行動だ。

 以前、一人暮らしの悠斗の家にやって来た姉が、ドルチェのケーキの箱を見つけてしまい、一時、悠斗に女の恋人ができたと勘違いしたことがあった。

 しかし、実は悠斗が食べるために買ったことがわかると、「なにそれ、つまんなーい。ってかあんた、甘いもの嫌いじゃなかったっけ?」とぶーぶー文句を言い始め、最終的に「悠斗がその顔であんな可愛いケーキ屋さんに行くとか想像できない。しかも、一人で行くんでしょう?あははは!」と笑われた。

 姉の言う通り、悠斗は速水さんのような人当たりの良い人間ではない。ドルチェに行くときも、ケーキの造形にほれぼれしているところを悟られたくなくて、無表情を取り繕っている。30を過ぎた男が、「きれーい」とか「可愛い!」とか言う女子高生みたいな真似はできないと思ってしまうし、そんな事を悠斗がやり始めたら、周りは不審者を見る目になるだろう。速水さんのような誰をも引き付ける笑顔の一つでも浮かべられればいいのだろうが……

 そんな事を心の隅で気にしていたため、速水さんの言葉が異様に嬉しかった。

 悠斗の事を普通のお客として見てくれているうえに、食べる姿を見たいとまで思ってくれていた。

 悠斗は嬉しくて仕方がなかった。

 速水さんとスーパーで会ってから、彼の手作りのケーキが食べたいという欲求が頭の片隅にあったのだが、今はもう無くなってしまった。

 速水さんのこの言葉だけで十分だ。

 心は満たされ、落ち着いた。

 そんな気持ちのせいか、次第に顔がにやけてしまいそうになり、悠斗は誤魔化すために速水さんに続いて、ラーメンを注文した。

 「二人ともよく食べるわねえ」

 女将さんが笑いながら言ったように、悠斗と速水さんは成人男性にしても、驚くほどの量を食べてしまった。

 ダイエット中だったと思い出したのは、店を出て、速水さんの家から食材を回収し、家路につく途中の事だった。


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