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代償ケーキ  作者: 美佑氏シイバ
第一章
3/17

声すら甘く

 3kg。

 体重計に乗ってから、この数字が頭の中を駆け巡っている。

 脂肪が3kgついたという事は、どういうことか?

 悠斗は帰りがけに寄ったスーパーマーケットの肉売り場のコーナーで、鳥のモモ肉を見ながら思った。目の前には、グラム150円ほどの鳥のモモ肉1kgのパックが平台に積まれていた。

 (これが三つ分……)

 鳥のモモ肉と脂肪を同じとは見なせないが、それほど差は無いように思う。

 (……この塊が、三つ分……オレの腹に三つ分……顎周りや尻や足にも分散して……)

 具体的な肉の塊を見ると、それがどれだけ体を重くするかを実感した。手に持ってみると、余計にずっしりと感じる。

 昔から、太りすぎることは無く、痩せすぎることも無く、標準体型を保っていた。それもこれも、甘いものがそれほど好きではなかったおかげだろう。

 (やっぱり駄目だ。今週こそ減らさないと!せめて、店に通うのは週に一回こっきりに!)

 悠斗はそう心に誓い、鳥の胸肉のパックを手に取り、籠に入れた。

 糖分摂りすぎを反省し、できるだけ三食はヘルシーなものを食べるようにしている。野菜や魚多めで、米も減らす。むしろ取らない。最近流行りの糖質制限ダイエットを取り入れ、ケーキで糖分を取るのだから、せめて米や小麦の糖質は取らないようにしたい。

 幸い、今日はドルチェがお休みの日だ。毎週月曜日は定休日。なので、悠斗はケーキを買いに行けない日に商店街に買い物に来た。今日、できるだけ食料その他をまとめ買いしておいて、買い物に出ないようにする。他の日は商店街を避けて帰るようにすれば、週一という決まりは守れるはずだ。

 ダイエットは我慢だけじゃあ貫き通せない。いくら我慢しようと自分に言い聞かせたところで、ドルチェのあの灯りを見ただけで、そんな意思はあっという間に溶けてなくなってしまうのだから。

 買わない、食べない仕組みというものを作らないと。悠斗の腹回りと腰回りは、そろそろまずい段階に入っているのだ。ベルトの穴を一個ずらした時は、さすがに危機感のレベルが上がった。

 悠斗は心の中で自分の行動に頷きながら、籠を手にレジへと向かった。

 その時、聞き覚えのある声が悠斗の名前を呼んだ。

 「あれ?水池さんじゃありませんか?」

 その声を聞いた途端、甘くて滑らかな生クリームを口に含んだ気がした。酸味のあるゼリーの匂いを嗅ぎ、ビターなチョコケーキのもったりとした舌触りを思い出した。

 フラッシュバックってこういうふうに起きるんだろうなあ……なんてことを思いつつ、振り返るとそこにドルチェの店長である速水さんがいた。手に食材の入った籠を持ち、柔らかな笑顔を浮かべている。

 「こんばんは、お買い物ですか?」

 ドルチェの店外であっても、天使の微笑が浮かんでいた。

 それを見て、自分の心がふんわりと温かくなるのがわかる。

 「はい……」

 「お店以外でお会いするのは初めてですね。なんだが新鮮です」

 「僕もです。私服は初めて拝見しました」

 いつもはコックコートと白い帽子の速水さんだが、今日はジーンズにVネックの白いセーター、そして灰色のコート姿だった。すらりとした長身に良く似合っている。普段は帽子で隠れている髪の毛が無造作に広がっているのも、新鮮な理由の一つだろう。

 速水さんは興味深そうに悠斗の籠の中を見た。

 「水池さん、ちゃんと自炊されるんですねえ。偉いなあ……」

 「あ、まあ、自炊と言ってもこういうもの頼りですけど……」

 悠斗は籠に入れていた、『玉ねぎを切って入れるだけ!絶品エビチリ』と書かれたパックを示す。味付けは任せられるし、自分で野菜を多めに入れれば健康的……な気もする。独身にも家族持ちにも、台所を切り盛りする人間にとっては大助かりの商品だ。

 「いやいや、十分ですよ。私なんか仕事以外はご飯を炊くのも面倒になっちゃって、外食ばっかりで」

 速水さんはそう言って、あはははと笑った。

 速水さんの籠の中身は食パンとバター、それに牛乳と果物がいくつか入っていた。

 「ちょっと意外ですね。速水さんみたいな料理の道の人はきっちり自炊していると思っていました」

 「良く言われます。作る時は作るんですけどね……この商店街には美味しいお店が三つもありますのでついつい……」

 「ああ、三間屋食堂とかですか?」

 「ええ、多々良中華飯店さんも、桐嶋の蕎麦屋さんも美味しいので、ついつい」

 三軒ともこの商店街の老舗の店だ。

 安く、ボリュームもあり、美味しいという話をよく聞いていた。

 悠斗は主に昼飯の時に出前をお願いすることが主だったので、店にはあまり顔を出したことがない。

 (ふむ……)

 悠斗は自分の籠の中身を見て、買おうと思っていた糖質50パーセントカットのパスタの乾麺を棚に戻した。

 速水さんの目がその動きを追い、不思議そうな顔で口を開いた。

 「戻すんですか?」

 「……ええ、速水さんの話を聞いて、急に中華麺が食べたくなりまして」

 悠斗は表情を隠すように、眼鏡のブリッジを意味も無く押し上げる。

 「多々良さんの餡かけ中華麺は絶品ですからね」

 「わかります!」

 速水さんがずいっと身を乗り出してきた。

 「美味しいですよね、餡かけ!大きな豚肉の塊が入っていて、すごくボリュームもありますし!私、アレが一番好きなんです」

 「同感です」

 悠斗はできるだけ無表情を装いながら頷いた。

 そうでもしないと、きっと変な顔になっていただろう。

 速水さんの笑顔が眩しすぎた。

 多々良店の餡かけ中華麺の美味しさを語る速水さんは、お店での彼とは違い、どこか隙がある。皺ひとつないコックコートを纏って接客する顔に比べると、どこもかしこも緩んでいる。これが、彼のプライベートの顔なのだろう。

 ドルチェに行かずに彼に会えたことだけでも幸運なのに、普段見ることのない彼を見ることまでできた。

 (……く……僕には月曜日にも逃げ場所が無いのか……)

 内心でそんな事を思いながらも、気持ちは次の言葉を探していた。

 悠斗がやりたいことはすでに口にした。後は速水さんをどうやってその気にさせるかだ。いや、その気には既になっているだろうから、あとは速水さんの今日の予定次第だ。

 腕時計を見ると、19時30分を過ぎたところだった。

 「……速水さん、今日のご予定は?」

 悠斗は、意を決してそう聞いてみた。速水さんはいそいそと財布を取りだしていた。

 「予定?そんなの決まっています。水池さんと多々良さんのお店に行って餡かけ中華麺と餃子とビールを飲みます」

 速水さんはそう言って、「さ、あそこのレジが空きましたよ!行きましょう!」と、悠斗の肩を叩いた。


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