一ノ瀨さんは化かされたい
あれ……夏が……終わりかけて……いるよ……
今日も新しい一日が始まる。
初めての大学生活は夏休みに突入した。
大学生になって初めての夏休みだ。
例年通りなら部屋に籠り積みゲーを崩したり、ステマ本棚にギチギチに詰まった漫画を読み耽ったり、アニメの実況をしたり、毎夏恒例イリヤ〇空を読書会(参加者雪菜ちゃんのみ!)を開催したり、雪菜ちゃん観察日記を付けようとして逆に雪菜ちゃんを観察する一ノ瀬辰巳観察日記を自由研究の課題にされたり……そんな感じの夏休みだった。
だが今年は違う。今年の夏は色々とやる事が多い。だって辰巳はもう大学生だもん。
まず起きる時間が違う。
「おはよ辰巳君! 今日も頑張ってね!」
イカちゃん目覚まし時計(触手が針になってるヤツ)よりも早くエリザが起こしてくれる。
時刻は朝の5時。
夏休みなのに……朝の5時に……!
今までの夏休みの過ごし方からしてぶっちゃけありえなーい起床時間だ。中学高校と夏休みは夜更かしして次の日は昼頃まで寝るパティーンが確立されてたからな。
で、5時に起きて何をするかというと……ジャージに着替えて近所の公園に向かうのだ。
美咲ちゃんとのジョギングである。
てっきり夏休みになったし、美咲ちゃんとのジョギングも暗黙の了解的にお休みになったと思っていたのだが……夏休み初日の大雨の日、当然ジョギングは中止だと思って朝はゴロゴロして、昼過ぎに近所の公園にフラッと向かったら公園によくある穴だらけの遊具の中で体育座りをしてる美咲ちゃんがいて
『……あ、やっと来た。 も、もー寝坊とかダメだよ? さ、今日も頑張ろうね! えへへっ!』
といつも通りの笑顔で迎えてくれたので、あこれ夏休みも続行するヤツかと観念してしまった。
夏休みくらいは怠惰プールでプカプカしてたかったんだが、しょうがない。
あの美咲ちゃんの捨てられた子犬みたいな眼を見てしまったら『あ、自分夏休みはオフなんで』みたいな冷たいことは言えない。
つーわけで夏休みも早朝ジョギング続行……っ!
というわけで朝早くに起きる。
講義があった時に同じように着替え、顔を洗い、エリザに送られる。
ダイエットが成功するまでと思っていたジョギングはまだまだ継続することになりそうだ。
今まで、夏休み中は基本的に昼過ぎに起きていた生活から随分な変わりようだ。
もうあの頃の俺はいないんだな。
何だか悲しい。大人になるって悲しい事なのね。
■■■
「ばいばーい辰巳ーっ! また明日ーっ!」
ジョギングを終えてヘロヘロな俺と対照的に元気爆発頑張るガールな美咲ちゃんに見送られ、家に戻る。
ちなみに美咲ちゃんは学校に戻って部活の早朝練習に励むらしい。体力お化けかな?
ジョギングだけで死にかけてる俺からは考えられない話だ。何やら今年の夏休みは部活で恐山……の近くにあるアッソレ山に登るらしく、バリバリ体力作りに勤しんでるらしい。若人には頑張って青春に勤しんで欲しい。多分きっと俺にとってしょうもないと思ってしまうものでも、青春真っただ中のJKにとってはきっと価値のあるものなのだ。ただ一言言わせてもらうなら……美咲ちゃんの腹筋は薄っすら割れる程度に留めてほしい。縦線くらいならいいけど、ガチのシックスパックになっちゃうと……それはそれで新しい性癖を開拓しないたといけないのでこっちは大変なんすよ。性癖畑を開墾するにしたって、最初に栄養剤撒いたり促進剤撒いたり……色々準備とかがあるんですよ(ルンファク脳)。ん? 性癖促進剤の詳細? ……腹筋バキバキに割れつつどこか幼さを残したロシア美人兵士の画像とか? 同志ちっちゃいのとかおっきいのの画像とかで促進促進。
「あ、辰巳君。占いだよ。わたしの今日の運勢はどうかなー?」
朝食時、我が家では朝の情報番組を流している。
食事をしながら最新ニュースや最近のJKやらJCに流行ってるブーム情報を得られるのは朝の情報番組が一番適している。
ネットのまとめ速報の方が即応性があっていいという意見もあるだろうが、インタビュー込みで情報を流してくれる朝の情報番組はこれはこれでいいものだ。チーズダッカルビとかタピオカが流行ってるとか、実際にその状況を楽しんでる映像を見ないと実感できないからな。JCJKの趣味嗜好を把握する事=モテロード爆走だからね。チーズダッカルビやらタピオカのブームにぬるぬる便乗して俺はモテ王になるんだ。なってみせる!
情報番組の終わりには大体星座占いがある。エリザはこの手の占いが大好きなのだ。星座のランキングとかラッキーアイテムとかに物凄い食いつく。
「あ、わたし3位だ! えへへ、3位だって……ラッキーカラーは、青だ! 今日は青い服着よーっと」
たかがテレビの情報番組の情報源すら危うい不確かな情報に一喜一憂するエリザ。そんなエリザを見る度に俺は心が温かくなるのだ。
ウフフ、エリザってば可愛い。こんなどこの誰が占ってるかも分からん情報でここまで喜ぶなんて……人生楽しそう。そもそもこういうテレビの占いって何を元に占ってるんだろ。顧問占い師みたいなんがいるのか? それとも過去何千回と行われた占いデータをもとに算するリベリオン的占い術でも引用しているのか……謎は尽きない。それはそれとして俺が思うに凝り性なエリザの事だから目に見える服以外の例えば下着辺りも青で揃える気がする。気がするからなんだっつー話だが……でも気になる。後で何やかんや頑張って確認してみよう。
そういった仄暗い愉悦を胸に秘め、卵焼きに箸を伸ばす――
「次辰巳君だよ。あっ!」
「え、なに!? 何位!?」
『占いとか……ハハハ』みたいな興味ないフリでマウントをとっていたものの、やっぱり……気になるぅ! どこぞの占いが占ってるのかそもそも占い自体してるのかすら知らないけど……気になるー! 自分の今日の運勢気になるー! 人は誰しも運命の奴隷なんですよ。運命からは逃れられないんすよ。
『――座のあなた。ざんねーん。今日は12位ですぅ』
何が『すぅ』だ。媚びた口調しやがって、煽ってんのか? あぁん?
しかし俺の今日の運勢は最下位か。
ま、たかが情報番組の占如き――
「うーん。よし。今日は塩で結界作って布団の中に籠ろーっと」
だって12位だし。12もある星座の中で一番最下位とか終わってるじゃん。
今日はもう捨て日としてただ寝て過ごすわ。牧場物語ゲームのRTAみたいにベッドから起きた瞬間に寝るわ。今日という日はただの調整日だし。どうせ夏休みなんていくらでもあるし、1日くらい無駄にしてもいいだろ。長い長い夏休み、寝て過ごす日があってもいいさ。……ん、なんだろ。今の発言で上位世界の住人から凄まじいクレームを受けてる気がする……。1日1日をもって大切にしろ? ……はぁ。
「あ、もー辰巳君。お布団に入っちゃだめだよぉ……ほら、ラッキーアイテム発表されるからぁ」
母なる布団に回帰しようとする俺を現実世界にグイグイ引っ張り出すエリザ。
確かにこの手の星座占いはどれだけ最下位だろうとそれを覆すラッキーアイテムを提示するものだ。
ラッキーカラー、アクセサリー、食事……巨人殺し(ジャイアントキリング)の為のバフは事欠かない。
フン、いいだろう。今日一日を快適に過ごす為の啓示聞いてやろうじゃないか。
かくして本日最下位の俺に対して提示されたラッキーアイテムは――
『そんなあなたのラッキー……ビーストは狐! 今日は狐グッズを身に着けて出かけましょう! じゃあまた明日! トゥットゥモロー!』
ラッキーアイテム、カラー……そのほかにビーストもあったのか。
まあおかしくはない。
出勤、通学前に犬とか猫みたいな獣と接して幸運度アップみたいな話は聞いたことがある。
しかし――狐か。
ちょっと敷居が高くないだろうか。
犬とか猫、鳥ならまだしも……狐はちょっと……触れる機会がない。道民ならまだしも……俺が住んでる土地で狐に会う確率なんてほぼゼロだ。
まあ、生の狐に会う必要はないか。最悪狐グッズ……そうだ、狐が出て来るアニメや漫画はどうだろう。狐が出て来る作品なんていくらでもある。ウチにもいくつかある。仙狐さん、コン、ちずるさん、キャス狐、お嫁ちゃん、空幻ちゃん、すず、真琴、久遠……なんだ、めっちゃいるじゃん。狐キャラっていつだってオールウェイズなんだね。こりゃそろそろにゃ〇こいならぬコン恋的な漫画を誰かが手掛ける未来は遠くないコンコーン! 世は正に大フォックス時代! 狐とラーメン出しときゃ視聴率がとれる時代が来ましたわ。
今日は出かける前にそれらの作品でめっちゃFOXする! FOXしてラッキーを充填するんだ!
「うぅ、狐かぁ……あ、辰巳君、ちょっと待っててね」
俺が押し入れからフォックスグッズ(略してフォックズ)を取り出そうと考えていると、先んじてエリザが押し入れに飛び込んだ。
上半身を押し入れに押し込み、白いワンピースの下半身だけがフリフリ揺れる。靴下など履いてない無防備な白肌、その太ももの際どい部分まで見える。
エリザは基本的に異性の視線に無防備だからこういったLSD(ラッキースケベだ!)は日常生活において珍しくないから、俺はまあ『いつもの事か』と思いつつ、エリザの際桃(際どい太ももの略)を見ながら飯を食う。ただ際どい部分を見ながら飯を食ってるだけだから法には触れない。
エリザの揺れる下半身をオカズに白飯を食って、その白飯の残量が半分くらいになった辺りで……エリザが押し入れから頭を出した。
「……んしょっと。じゃ、じゃーん! 辰巳君、これでどう? きつねみみー――じゃなくて、犬耳と尻尾だけど……ほ、ほら狐ってワンちゃんと同じ仲間?でしょ。 だ、だから……どうかな? こんこーん♪ えへへ♪」
恐る恐る押し入れから体を出したエリザの頭には犬耳が鎮座していた。
次いでお尻の辺りにはふさふさとした尻尾。
キツネは犬科。その通りである。
だが本日の占いにおけるラッキービーストは狐であり、犬も含まれるかというとまあどうでもいいよね。恥ずかしがりながら犬耳と犬尻尾をつけてるエリザを見たらもう……占いとかどうでもいいわ!
「ハムッハムッ!」
うーん、飯が進む。獣耳を装着した恥ずかしそうな美少女幽霊とか……これだけで白米3杯いけるわ!
今日の運勢とか気にしてた自分がバカみたいだ。運勢とかあやふやな存在はどうでもいい。今目の前にある現実こそがリアルだ。
現実に生きてる今こそが重要なんだ。
もう狐耳エリザをオカズにしながら飯を食ってる時点で、俺の今日の一日はラッキーデイだ。
例え何があろうと悔いはない。
もし今日この瞬間に隕石が落ちてきて世界が破滅しようとも……何の悔いもない。
■■■
狐エリザを見ながら食う飯は美味かったか?
――はい、美味美味でした!
とてもキラキラした純粋無垢な顔で言えそうなくらい、今日の朝食は充実していた。
何か幽霊的なポルターガイストパワーで尻尾とか耳をユラユラ揺らしながら恥ずかしがりつつ飯を食うエリザを見ながら食べる朝食の稀有さと来たら……いくらだ~!? お前これいくらだ~!? まあ、ちょっとした有名人のディナーショーくらいは問答無用で払うわ。プラスでチップも弾んじゃうわ。
そんな素敵体験を朝からした俺はとても機嫌よく、家を出た。
「遠藤寺との集合時間は……10時か。アイツ時間より1時間近く早く待ってるっぽいからなぁ。はよ行ってやらんとこの暑さじゃ倒れるな」
今日は遠藤寺と過ごす日だ。集合予定時間より1時間早く家を出た。
この間……というか2日前に遠藤寺と会った時『次に会う時は手ブラで来てくれ』と言われたから、今日は手ブラだ。何か別れる前に『君には将来ボクの右手になってもらう為に、色々と経験してもらわないとね。まずは……山か。山での簡単なサバイバルくらいはこなしてもらわないと』と呟いたのが聞こえてしまったけど……山、山か。キャンプでもすんのかな? いや、だったら手ぶらはおかしいが……。それとも最近流行りのグランピングってヤツか?
そもそも手ぶらってのは一般的には何も持たないって意味だから俺は何も持たずに出てきたけど……もしかしたら遠藤寺の言う手ブラは違う意味かもしれない。そうだよ。手ブラってのがつまり手でブラをする的な意味だとすれば……色々話は変わってくる。山……手ブラ……何も起きないはずはなく……いや、マジで何が起きるんだ? 分からん、分からんが……楽しみ! 想像するだけで解放感マシマシ! ウフフ!
るんるん気分で家を出ると、アパートの庭にあるベンチの奥にある草むらがガサガサと動いた。
何奴!
「……コンコン」
「何だ狐か」
アパートの庭に狐がいる……常識的に考えてあり得ないが、美少女洋風幽霊がいるんだから本島にハグレの狐がいても何の問題はない。
問題どころか超ラッキーだ。会えないと思っていた生狐がすぐそこに……!
「こんこん、ここんこんっ」
狐(仮)は草むらを揺らしながらか細い声で鳴いている。
心細いのだろう。
だって普通はこんなところに狐がいるはずがない。
つまり目の前にいる狐は、動物園から逃げて来たか……もしくは平成狐合戦的なのアレ的なコレで人間社会に馴染めず逃れてきたソレなんだろう。
うーん、我ながら完璧な推理だ。推理って簡単だな。
「こんこん……こんこん……」
「おっと怖くないぞ。るーるる。るーるる。とぅるるる」
昔テレビで見た対狐用呪文を唱える。
こうやって狐が安心したところで『まだ子供がラーメン食べてるでしょうが!!』と畳み掛けて捕獲するのだ。テレビで見たから間違いない。朧げな記憶だけど大丈夫だ。
まあ、捕獲する気は無いから相手を警戒させないように、草むらに向かって声をかける。
「怖くナイヨー。ダイジョブだよー。こんここーん」
「……こん?」
ガサガサと草むらから出て来る気配。
ふん、やはり畜生か。ちょっと優しい声色で甘い言葉を囁けば気を許す。
だがいい。何せ今日は都合がいい事に、俺のラッキービーストは狐だ。
出てきた所を捕獲して、彼岸島を参考に俺の幸運要素を抽出する為の礎になってもらう……!
「ここーん!」
そして草むらから飛び出てきたのは――はい、大家さんですわ。申し訳ない。
はい。狐耳と尻尾を装着した大家さん。
可愛い可愛い。仙狐〇ん似てモフモフ可愛い可愛い。
「こんこん♪ ふふふっ、国を傾けそうな狐(cv:斎藤〇和)だと思いました!? ざんねーん、わたしでしたー! えへへー、こんこーん♪」
狐っぽいポーズをとりながら現れた大家さんは、そのまま狐ダンスを踊り始めた。
実に可愛い。あざといが可愛い。この瞬間の為に練習したのか、ダンスにキレとあざと可愛さが同居している。俺がもしプロデューサーならこのダンスをヌルヌル作画で動かした特殊EDを強引に全話捻じ込みたい。それくらい可愛尊い。
大家さんは獣っぽく躍動感溢れる無防備な愛想(和服の裾が捲れて際どい部分が見えてる)を振り撒きながら、ぴょんぴょんステップを踏み俺の周りを巡る。
「びっくりしました? ふふふっ。こんこんここーん♪ こんここんこん♪ こーん♪ よっこらフォックスこんこん――――――はぁ。……あの、もう耳とか外してもいいですか?」
「感情がリーマンショックでも起こしたんですか?」
ノリノリで踊っていた大家さんだが、リボ払いで増え続ける借金に絶望したかのように溜息を吐きつつ、狐耳と尻尾を外して庭にあるベンチに座り込んだ。
リストラされたけど家族にはまだ言えずとりあえず出勤する体で家から離れた公園のベンチに座り込む風の大家さん(何だこの例え)
肩を上下させながら溜息を吐く大家さんから、倦怠感や疲労が目に見える。
「えぇ……いや、マジでどうしたんですか大家さん」
「ふぅふぅ……はい。えっと、今日の占い見てたら一ノ瀬さんのラッキービーストが狐だったんで、こりゃ好感度稼ぎの機会だーって、張り切ってコスプレしたのはいいんですけど……」
その為にいつ俺が来るかもわからないのに、草むらに待機してたの?
クソ暇な大学生の俺が言うのもなんだけど……この人も結構暇人だな。
「私……なんか昔から狐って駄目なんですよ。こう、生理的に受け付けないっていうか。この際言っちゃうとぶっちゃけ、私ってコスプレとか好きなんですけど……」
知ってまーす。
エリザにプレゼントしてくれた服の中に、明らかに堅気が着る服じゃない服が混じってたし。具体的に言うならバー〇ナ学園とか美空学園の制服とか、某セイバーさん愛用の洋服とか、2Bちゃんの衣装とか、紐で胸を支えるアレとか、流行りのアレとかしかも一回は着ただろうヤツが。
「動物のコスプレとかいっぱいしたんですよ。猫ちゃんとかワンちゃん、牛、馬、鳥、ハーピー、蟹娘、サンドワーム、モケーレムベンベ、スレンダー〇ーマン、メル〇ランディ、遊星からの物体、スサウゴテルス……色々したんですよ」
ノーコメント。
「どれも楽しかったんですけど……でも、何故か狐のコスプレだけはダメで。ほら、ちょっとしただけなのに……鳥肌が。狐だけはどうしても無理で……〇コミの追い上げ徹夜の夜食もいつも赤〇狸でしたし……狸はフツーに好きなんですけどね」
燃え尽きた明日のジョ〇ーみたいにベンチに体を預けた大家さんの腕にはプツプツと鳥肌が立っていた。
美少女に鳥肌――これはこれで性癖に刺さる人がいるんだろうけど俺はまだそこには踏み込んでいないので、何だか申し訳なかった。
「何かごめんなさい。俺を喜ばせる為に嫌いな恰好したんですよね?」
「あー、いやいや! 私が勝手にしただけですから! ほ、ほら! 住民の皆さんの健康管理も大家さんの仕事ですからね! え、えっとそ、それで……一ノ瀬さん、私の狐コスプレは……どうでした?」
「凄く可愛かったです」
俺は食い気味に即答した。
今の休憩中のミ〇キーみたいな姿は置いといて、汗を飛び散らせながら狐っぽく振舞う大家さんはとても可愛かった。
見ているだけで運気が上昇して、別の所も上昇しそうだった。
俺がそう言うと、大家さんは汗が浮かんだ顔をほころばせ――
「……えへへ、だったらよかった。」
とくすぐったそうに言った。
■■■
庭に置かれたベンチの側で、クソ暑いのにマフラーを着けた男と狐耳尻尾を付けた女が気恥ずかしそうに向かい合っている。
アパート、一二三荘の日常。
それを遥か遠くから監視する一つの影があった。
「……ふむふむぅ」
一ノ瀬辰巳が生活する一二三荘――そこから300mは離れた路地にある電柱。
その電柱の足場に足をかけ、双眼鏡で一ノ瀬辰巳を監視している少女。
メイド服を着た金髪の少女だ。
名をタマという。
「……あの子、わっちより可愛くね? ……と、ターゲットはこっちか」
タマの視線が和服を着た少女から、青年に移る。
「なるほどなるほど。……暫く監視したけど……やっぱり普通の一般人やなぁ」
双眼鏡の先に映る平凡な青年――一ノ瀬辰巳。
タマはここ数日彼を監視し、その周囲を洗っては見たが、やはりその答えは先ほどのセリフに集約された。
「性格……普通。学歴……普通。家庭環境……父親がちょっと消息不明なだけで、母親も妹も普通。妹なんか、どこを叩いても埃の出ん立派な妹やったな」
電柱に体を預けながら、手元の手帳に集めた情報を書き込む。
そこに書きこまれた情報は全て一ノ瀬辰巳が、どこにでもいる一般的な大学生であることを示していた。
「宗教、政治、判事歴、探偵業界……なんも関係もないし、アレとかそれとかオカルトのアッチ系のとこも……全く関係なし。完全なパンピー。どこにでもいる普通の人間。ウォ〇リーの周りにいるモブ」
タマは顎に手を当てた。
「……やねんなー。どこにでもおる普通の男子大学生やねんなー。ちょっとくらいボロ出てくれたら簡単に処理出来てんけど……全く、何もないとか」
夏休みに入ってから数日、タマは主にバレないように、架空と思われていた主の友人――一ノ瀬辰巳について調べていた。
性格、成績、家庭環境、住所、その他もろもろ。
アレな主の友人をやってるくらいだから、何かしらの後ろめたい部分はあると思っていたが……何もない。
普通の、ただの、そこらへんにいる、一般人だ。何かの目的をもって主に近づいてきたと予想はしていたが……何もないのだ。
調べれば調べるほどそれが浮彫にされた。
何の裏も闇もない。ただの男子大学生。
「……うぬぬ」
だとしたら。
やはりおかしい。
何の後ろ盾もない、組織も関係していない、普通の、ただの一般人が『遠藤寺』に近づくなんて。
絶対に何かある。何らかの意図はあるはずなのだ。
だって今までがそうだったのだ。
今まで主に近づいてきた人間は、全て裏があった。意図があった。何の思惑もないと顔に浮かべた誰もが全て何か心に抱えていた。
野心、下心、復讐心、その他諸々……そういった良からぬ感情を抱いた人間ばかりが近づいていた。
白紙のまま、素面のまま近づいてきた人間なんていないのだ。結局は何かがあるのだ。
そしてその何かを持った人間を自分は遠ざけてきた。言葉を背景を権力、金……暴力を使って。
主を守る為にその全てを行使してきたのだ。
「んー」
だが分からない。一ノ瀬辰巳の心の内が全く分からない。
相手の意図が全く分からない。
ありとあらゆる手段を行使してはみたが、相手の本心が分からない。
分かればすぐに排除できるのに。
「……ふぅ」
いや、全てではなかった。
最後の手段がある。
最後の手段――直接的な接触が。
「……」
直接的な接触はリスクが高い。
接触することで自分の正体がバレ、主に伝わる可能性がある。それは一番最悪の可能性だ。
だが、現状では相手の情報をこれ以上得る事が出来ない。
「うぅ……しゃーないかぁ」
幸い、自分の正体を隠匿する手段はある。
「やるか。お嬢さんの為に」
タマは電柱に掴まったまま、はるか先を見据えた。
主に近づく青年の姿を。
きっと何かあるはずだ。そうに違いない、と。
そう確信して、電柱を降りる。
心に決意をもって、主の敵になりうる人間の正体を暴こうと、意気揚々と電柱を降りた。
その瞬間、図体のデカいハゲエプロンの顔を見た。
「おい、ここは俺のベストプレイスだぞ」
降りようとする自分、昇ろうとするハゲエプロン。
タマは混乱した。
「え? は? な、なんでわっちが見え……」
タマは混乱した。
電柱の上なんて目立つ場所に登る以上、ちゃんと自分の姿を隠匿する方法を行使していたのに。
このハゲエプロンはしっかり自分を認識している。
「おいさっさと降りろや。ここは俺が見つけた大家ちゃまをいい角度で視姦出来る8ヵ所ある内の6ばんめの「おれのばしょ」だぞ? しかもここは大家ちゃまのアパートと小学校、子供たちが集まる公民館――その3つを同時に観察出来る最強のトライアングルスポットだぜ!?」
巌の様な険しい顔が少女に押し付けられる。
「何を勝手に登ってやがんだ? あぁ? なんだ? アレか? 縄張りバトルやんのか? 俺は相手が女だろうが容赦しないからな? ただしロリは除く」
「ひ、ひぃ……」
「しかもてめえ、年増で巨乳のメイドとか……そんなん汚物が俺のベスプレに踏み入るとか、マジで許せんよなぁ……」
タマは恐怖した。
電柱という1本の柱を共有するハゲ相手に。
逃げられない、そう思った。
ここで自分はアレされると。
相手は何故か分からないが、自分をマジでアレしに来ていると。
ある程度の実力があるから分かる――相手は自分より圧倒的に強いと。動物的勘で察した。
「はわ、はわわぁ……わ、我が身、きつねなれど、後悔もなく、も、もっと光を……えと、えっと……」
ここまでと思ったタマは辞世の句を詠み始めた。
涙を流し、天を仰ぐ。
――ああ、お嬢様、おさらばです。何や分からんけど、わっちの人生はここまでの様です……わっちがおらんでも、お酒ばっか飲んでないで野菜もちゃんととってなぁ……ぐすん。
タマは最後まで主の事を考え、自分の死を受け入れた。
「――フンッ!」
ハゲが手を振り上げる。
手の加えられてない岩のような荒々しい拳はタマを打ち据え、そのまま地面に叩きつけるだろう。
「大家ちゃまを独占するのはこのオレ! 依然変わりなくッ! ……ん? 何だテメェ、よく見ると、何か、ん?」
「へ?」
直撃すれば首から上が新鮮なケチャップになっていたであろう剛腕が静止する。
ハゲの敵を見る目が、興味深いものを見る目に移り変わる。
「何か、変だな。年増ババアメイドと思ってたが……何だ、お前……もしかして――」
「うおおおお! せいっ!!」
得体の知れない悪寒に襲われ、タマは大技を繰り出した。
タマが収める狐武術の中でも隙が多い技であり悪手としか思えないが、何故かハゲに突き刺さった。
「狐爪ッ!」
技の威力を反動としてそのまま電柱を蹴り去る。
技をお見舞いした相手がどうなったかを確認もせず、着地した一軒家の屋根をタマは駆けた。
ただひたすらに、駆け抜けていった。
この瞬間において、タマの頭の中からは大切な主の事はすっぽり抜け、ただ『生きたい』という原初的な思考に突き動かされたのだった。
「いってぇ……」
そして電柱に残ったハゲは的確に急所を狙ってきたタマの技を食らってピンピンしていた。
「さっき感じた濃密な……下手をすれば大家に匹敵するロリ臭は一体……ククク、まだまだこの町には面白いことがたくさんあるなぁ。ククク、カカカカカカッ!」
狂った笑い声をあげる巨漢の男。
その笑い声は夏を象徴する蝉の合唱よりも大きく、強く町に響いたのだった。




