へん、エピローグの後に新章を開始しないといけないなんてルールはなかったぜぇ!
ゴマするクソバードちゃんがそう言ってるので、このまま2部継続です。
一ノ瀬辰巳が住んでいるアパート『一二三荘』から1駅ほど離れた住宅街に立つ高級マンション。
マンションには警備員が常駐しており、スポーツジムやシネマルームも存在する。
そんな超高級級のマンションの一室に少女は住んでいた。
――遠藤寺。
探偵としてこの界隈では有名は『遠藤寺』という称号を継承し続けている一族。
そしてその今代の遠藤寺である少女が鏡の前に立っていた。
「この服だと……リボンは少し明るめがいいかな」
少女――今代の遠藤寺が頭に乗せたオレンジ色のリボンを引っ張りながら鏡を見つめる。
姿鏡のすぐ側にあるタンスから色取り取りのリボンを引っ張り出し、乗せては外し、乗せては外し――結局、最初に選んだオレンジ色のリボン頭に乗せた。
「うん。うん……よし、いい感じだ。あとは靴下だけど……今日は裸足で行こうかな。ボクが調べた彼の視線統計によると、彼の下半身対象嗜好は比較的裸足に偏っているからね。ボクが裸足で居る時の彼の太ももから足首にかけて視線を集中する時間は普段の――約8倍。うん、かなり多い」
くすくす笑いながら、くるりと周りながら笑う。
その姿はまるで年相応の少女の振る舞いであった。
正確に言うならば、デート前に丹念に準備をする一般的な女子の振る舞いそのものであった。
普段のどことなく退屈そうな振る舞いが似合う少女を知っている人間が今の姿を見たら、ショックのあまり記憶が消し飛んでしまうだろう。
「うーん、変な所はないかな?」
姿鏡の前でくるくる回る。
回転の勢いでスカートがふわりと浮いて太ももの際どい部分が露わになった。
ガタンと、遠藤寺の背後にあるクローゼットが音を立てた。
少女、遠藤寺は姿鏡に視線を向けたまま、音を立てたクローゼットに声をかけた。
「どう思うタマさん?」
遠藤寺の声が誰もいないはずの部屋に響いた。
暫くして、先ほど音を立てたクローゼットが開き、1人の女性がのそりと出てきた。
メイド服を着た20代半ばと思われる女性だ。
クローゼットの中は蒸し暑かったのか、肩まで切り揃えられた美しい金髪はしっとりと濡れ肌に張り付いている。
クローゼットから気まずそうに出てきた女性が遠藤寺に話しかける。
「……わっちが居るのに気づいてたん?」
「最初からね」
リボンの位置を調整しながら遠藤寺が答える。
クローゼットから出てきた少女――遠藤寺に仕えるメイドであるタマはその言葉を聞いて『気付いてるんやったら、はよ言えや』と思った。
メイド――タマは主を驚かせようと2時間近くクローゼットの中にスタンバっていたのだ。
主が部屋入ってきたのはいいが、機嫌良さそうに身支度をする姿が非常に愛らしく出ていくタイミングを失ってしまったのだ。
トイレに行くタイミングも逃して、何だかんだ膀胱が結構ヤバい。決壊寸前だ。
プルプル震えながら内股になりつつ、主に声をかける。
「うぅ……お嬢さん、つれないわぁ。ちっちゃい頃はわっちが驚かせる度に尻モチついて可愛かったのに……」
「くくっ、しょっちゅう驚かされていたら慣れるさ。子供の頃と違ってボクも成長したんだ。部屋の中にいる気配くらい感じ取れなきゃ探偵なんてやってられないさ」
「むぅー」
タマが不満げに頬を膨らませる。
20代半ばを過ぎていると思われる女性がするにしてかなり無理があるリアクションだが、不思議と似合っていた。
「で、そんな上機嫌で粧し込んでどうしたん? 何かええ事でもあんのん?」
「ん? いい事……うん、そうだね」
「ほーん? 何なん? あ、いや当てるわ。……んーむむむ、はい! 楽しみにしてた推理小説の新刊が出るとか!?」
「違うよ」
「じゃあ……あ、毎年、連続奇怪殺人事件が起こってる山荘のパーティの招待されたとか?」
「外れだよ。……まあ、そんな素敵なイベントに招待されたら小躍りして喜ぶだろうね」
「うーん?」
タマは腕を組んで唸った。メイド服の胸部を押し上げる大きな胸を持ち上げるように腕を組んで考えた。
なにせ目の前の主の上機嫌っぷりたるや、完全に遠足前夜におやつを300円以内でチョイスしてる小学生のそれだ。
普段なら10分そこらで身支度を整えるのに、今朝に限っては2時間近くたっぷり時間をかけている。
果たしてこの主がそこまで楽しみにしているイベントなんて、この世に存在するのか。
考えて考えて……それでもそれらしい答えが浮かばない。
「むむむ……分からん! 降参!」
「探偵に仕えるメイドの癖に諦めるのが早すぎやしないかい? もっとボクの言葉や態度からヒントを見つけて……」
「わっち探偵ちゃうしー、メイドやしー、美少女金髪メイドやしー」
スカートを摘まんでヒラヒラさせるメイドに対し、遠藤寺は小さく溜息を吐いた。
「ま、いいか。今日はね……彼と遊びに行くんだ」
「……」
遠藤寺の隠しきれない喜びが籠った言葉を聞いた途端、タマの表情が渋いものに変わった。
眉を顰め歯を噛み締める。
「この間、色々あってワイン農家に行けなかったからね。今日はそのリベンジというわけさ。待たされた分、やっと行けるという想いからかどうにも落ち着かなくてね。集合時間は11時なのに、ほら……色々準備してもまだ8時だ。くくっ、愉快だね」
タマに背を向け鏡に向かってくすくす笑う遠藤寺。
その背後に立つタマは先ほどまで機嫌よくスカートをヒラヒラさせていた手をギュッと握りしめていた。
――ああ、またや。
諦念。後悔。怒り。
タマの内面にそれらの感情が渦を巻く。
大学に入って3ヵ月。そんなわずかな期間で愛する主は少しずつおかしくなっていた。
居もしない架空の友人を作り上げ、遊びに行ったご飯を食べに行った一緒にレポートを作った……そんな話を嬉々として自分に話すのだ。
それを聞かされる度にタマは心が痛んだ。
主――遠藤寺には友達なんていない。
それは可哀そうなことではない。一般社会において友人がいないことは憐憫とされるが、主においては違う。
プロの探偵として一線で活躍しており、その精神性も常人とは逸脱している主にとって、友人がいないことなんて大したことではないのだ。何のハンデにもならない。それどころか一匹狼感があってカッコいい。
友人という存在は人間の心、情緒を育てる為に必要――それは分かる。だがその役割は自分が担っている。幼少のころから側にいた自分がいるのだ。その点に関しては問題ない。
主に友人は不要――そのはずだったのに。
「あとは化粧か……これに関しては未だに慣れないね。彼が女性に向ける視線から考えるに、濃過ぎずかといって薄過ぎず……このバランスが難しい。会った頃は化粧なんてしてなかったんだが、今は素顔を晒すのは何だか恥ずかしい……うん、不思議だ。ふふっ」
憎むべきは大学という存在だろう。遠藤寺家当主の気紛れか何か分からないが、通うことになってしまった大学。
大学にはいろんな地域からいろんな一般人が通ってくる。
当然多種多様な価値観が入り乱れる。
いくら主は隔絶した精神を持っていても……人間には違いない。ちょっとした油断で価値観に侵される。
そう『友達と遊ぶのたのしー!』という頭の悪い大学生特有の価値観。
そんな価値観に侵された主は……自分に現在、過去――そして未来に至るまで友達がいないことに少なからずストレスを抱き、そして――
架空の友人を作り上げてしまったのだ。
幼い子供が空想の友人――イマジナリーフレンドを作るが如く!
この年で! イマフレエンジョイ勢になってしまったのだ(ドーン!)
「うぅ、うぅぅぅぅっ……」
タマは泣いた。
心を病んでしまった主が哀れで哀れで。
お嬢さんスッゴイカワイソ……そんな哀れみの目で見つめる。
「それでどうかな? 今日の格好は変じゃないかな?」
「……っ。へ、へんじゃ……ないでず……うぅー!」
涙を堪えながら答える。
これまでこうしてきたのだ。主の奇行に目を逸らし、妄想話を聞き流し、何とか耐えてきたのだ。
でも流石にそろそろ限界だった。
最近になって特にイマフレの話題が増えてきたことによって、タマの精神はボロボロだった。
そして。
「そうか……だったら彼の前に出ても大丈夫だね、くくっ」
遠藤寺がスカートを翻し、満足げな笑みをタマに見せたことで……とうとう、彼女の感情は決壊した。
「あぅ……もー無理ぃぃぃぃぃっ! わ、わっちっ、わっちもう耐えられへんー!!!」
その場に座り込み両手で顔を覆うタマ。
限界だった。いや、きっと前から限界だったのだ。
食事の席で架空の友人と大学で何を話したかを聞いたり、寝る前に明日は一緒に彼と一緒に登校したいからこの時間に起こしてくれと頼まれたり、今日は彼と飲みに行くから食事はいらないよと言う主を見送ったり……そんなことを繰り返していたタマの精神はとっくに限界を迎えていたのだ。
きっといつか正気に戻ってくれる、お嬢さんは強い子やから大丈夫、メイドである自分が口出す事じゃない――そんな想いを必死に抱えて、心の中に押し込んでギュウギュウに詰め込んで……今日その心が、決壊したのだ。
遅かれ早かれいつか決壊するはずだったダムが、今日この日に――崩れ去ったのだ。ついでに他のダム的な何かも決壊したような気がしたが、そんなことはどうでもよかった。
「ひぐっ、ふぐっ、もうっ、もういやぁ……! こ、こんなお嬢さん見てられへん……! わっちは、わっちはぁ……!」
突然泣き出したメイドを見て、遠藤寺が困惑する。
それはそうだろう。
遠藤寺はいつも通りに会話をしていただけなのだ。
だが尋常ではない事態だ、そう思った。何せ長年付き合ってくれているメイドがこんな醜態を晒しているのだ。何かあったのかもしれない。
「タマさん……?」
「お嬢さん……! わっちな、わっち頑張って我慢しててん……頑張ってお嬢さんの話に合わせて、もしかしたら早く帰ってくるかもなぁって思ってご飯作って待ってたり……」
タマが手を伸ばす。
愛する主に。いつだって側に付き従っていた主に、手を伸ばす。
「タマさん」
「お嬢、さん」
遠藤寺が伸ばした手を……掴む。
「お嬢さん……!」
指し伸ばした手を掴まれたタマは――そのまま部屋の端にスススっと除けられた。
「すまないね。そこにいると部屋から出られないから。じゃあそろそろボクは出るよ。タマさん今日はゆっくり休むんだ。胃薬を飲んでね。もう落ちてる稲荷寿司を食べちゃダメだよ」
そして遠藤寺はそのまま部屋から出て行った。
「……」
どうやら自分の感情爆発は落ちていた稲荷寿司を食べたことによる体調不良から来るものと思われたらしい。
まあ前科があるから異議は唱えられない。
だが、一度決壊したダムは流れ続けるだけ。濁流の如き勢いでタマは立ち上がった。
もう我慢する必要はないのだ。雌伏の時は終わった。
「わっちが……わっちがお嬢さんを正気に戻すんや! うおおおお! FOXエンジン全開!」
もう我慢して枕を涙で濡らすメイドはいない。
例え不敬だと言われようとも、メイドとしての領分を超えていると叱責されようとも……主を正せるのは自分だけのなのだ。
そんな使命感に突き動かされ、メイドは駆けた。
具体的には主が出かける前にトイレに行った隙に玄関に陣取ったのだった。
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「お嬢さん! 出かけたいなら、わっちを倒してからに……あ、いや待って。うそやって、たんまたんま!」
玄関に陣取ったのはいいが、主が即殺アイアンクロー(3ゲージ)を構えたのを目にして、即白旗ヒラヒラなのだった。
遠藤寺が腕を組み溜息を吐く。
「……はぁ、さっきから一体何がしたいんだいタマさん? 正直、今のタマさんの行動は理解しかねるよ。急に泣いたり、ボクが家を出るのを妨害したり……やっぱり悪い稲荷寿司でも食べたんじゃ……」
「悪いお稲荷さんなんて存在せん! いや、だからぁ……うぅ……」
勢い付いて玄関の前で胡坐を組んだはいいが、そのあとのことは考えていなかった。
主を守護らなけらばならない、正常に戻って欲しい。
そんな想いを抱いてはいるが、具体的な方法は分からない。タマはメイドであって精神科医ではないのだ。
「……ええい、もうこうなりゃヤケや!」
そして。
タマは遠藤寺にありのままを伝えることにした。
遠藤寺がいると思っている友人は存在しない。
ちょっと精神的にアレがアレな脳が作り出した架空の友人である。
そもそも遠藤寺みたいなアレな性格のアレに友人が出来るはずがないやろ? 常識的に考えて。
つーか自称探偵のゴスロリ女なんて興味本位で近づく輩はいるだろうけど、友人関係になるやつなんていない。
ごしゅじんさま! わっちがいるじゃない!
という感じの事をオブラートに包んで説明した。
(うーん、わっちながら何て説得力のある説明。わっち賢い)
タマは自画自賛した。
実際、その説明は荒唐無稽で支離滅裂なものではなく、それなりに常識ある人間なら納得できる論理に沿った説明だった。
「……ふむ」
説明を聞いた遠藤寺は顎に手を当て頷いた。
「なるほど……確かに。タマさんの言う通り、ボクに友人がいる――その事実はおかしい」
「……っ」
タマは右手を突き上げた。
勝った、と。何に勝ったかは分からないが、とにかく勝ったのだ。
これで正気に戻ってくれれば優勝だ。
そうだ、これでいい。
これで今まで通りの生活に戻る。もし主が心の底で友人を望んでいるのだとしたら……自分がいる。従者兼友人……ええやん。
従者として付き従いながら、ここぞという場面で友人として従者の枠に囚われない意見を具申する――それって素敵やん。ある意味、真の主従関係ではなかろうか。
そうだ、これからの時代、主の言うことをハイハイ聞いてるだけのベイビーじゃいけない。時に主を諫め、自らクビになる覚悟で主に接する――それが真のメイド。
真メイド。マメイド? マーメイド?
わっちマーメイド?
タマは探偵の従者だが、正直あまり頭はよくないので思考がよく分からない方向に逸れることがある。
「ボクに友人が出来るはずがない。そもそもボクの側にいられる人間なんて限られてる」
「せやろぉ!?」
真のメイドに近づいてる。そんな風を感じた。
そうマーメイドである自分こそが、そのオンリーワンな人間であると。主の側に立てるのは自分だけ。
主もそれが分かったのだ。
遂にこの瞬間、真の従者が爆誕するのだ。めでたい。故郷のお母さんにも今日のことを手紙で伝えよう。喜びと共にタマは思った。
が――
「――と、昔のボクならそう思っていただろうね」
「はぇ?」
遠藤寺が感慨深そうにうなずく。
うんうんと頷きながら腕を組み、過去を思い返す。
「確かに。昔のボクならそう思っただろうね。友人なんて、一般社会に生きる人間が自らの弱さを補う為に形成する関係。そう軽んじていた。だけどね、うん……彼と会ってから、何だろう……その、こう言うことを言うと気恥ずかしいんだけど……友人という物も悪くはない、と」
「……」
「何故人間が友人を作るのか。家族を作るのか。恋人夫婦関係を……まあ、それはいいか。とにかく、そういったことの意味が分かった」
「……」
「昔のボクなら鼻で笑っていたと思う。友人? 家族? 社会が存続する為には必要な形態だろうけど、ボクには不要だ。ボクの社会はボクだけで十分――そうやってね。でも、実際に自分がその当事者になると……ふふっ、笑ってしまうんだけど……楽しいんだ。うん、楽しい。毎日が楽しい。殺人犯を追いつめる時の様なヒリついた愉しさじゃなく、こう……心が温かくなる愉しさ……うん、言葉にするのは難しいね」
「……」
「……んんっ。とにかく宗旨替えをしたってことさ。まあ、ボクみたいな変人に付き合ってくれるのは彼みたいな例外中の例外だろうね。だからこれは……運命? い、いやいや……運命とか……んんっ、けほけほっ……え、えっと何の話だったかな?」
あかん。
タマは思った。
犯人に反論を赦さない時みたいな早口で友人について語る主を見て、これはマジで手に負えない、そう思った。
架空の友人に対しての信頼が厚過ぎる。架空の友人が巻き込まれた架空請求の架空代金の架空保証人を頼まれたら即了承する勢いだ。
よくもまあ、そんな自分に都合のいい架空の友人を作れたもんだと。
そして参った。降参した。まいったぁっ! わっちはまいったぁっ! なぜなら、お嬢さんの思い込みが強すぎるからだぁっ!!
こんな強固なイマジナリーフィールド崩せんと。自分が何を言おうが、納得しないだろう。
実際のところ主に友人がいないという証拠はないのだ。いないことの証明はできない。みんな大好き悪魔の証明というヤツだ。
言葉で説得させられない以上、自分の負けだ。
例え心の病気を扱う病院に連れて行こうが、探偵特有の無駄に説得力のある論破で医者を丸め込むかもしれない。無駄に頭のええ人って面倒やなー。
詰んだ! カハッ詰んだッ!
「ウフフ……そうか、そうかぁ」
タマがゆらりと立ち上がる。
説得による改心は期待できない。
「そっかぁ……」
その体に纏うのは敗北者の気……ではない。戦う者の気だ。
タマはまだ諦めていない。ここで諦めてしまえば、自分が諦めたら誰が主を止めるのだ、と。
燃え上がった忠誠心はそう簡単には消えない。
タマは何らかの武術的な構えをとった。
架空とはいえ、これ以上主を架空の友人に会いに行かせるわけにはいかない。
架空の友人に会いに行く行為自体が、更に主の心の病みを深めるだろう。
「言葉で説得できないなら……無理やりでも家から出さないようにせんと。フフフ、何十年ぶりやろうなぁ……わっちが狐武術を使うことになるなんて。いくらお嬢さんのバリツが強かろうと、わっちの狐武術の前には……!」
「そういえば彼の写真を見せてなかったね。その内家に連れて来るつもりだったから、タマさんも見ておいてくれ」
「え?」
思いがけない遠藤寺の言葉に、臨戦態勢を解除してしまう。
遠藤寺は充電していたスマホを手の取り、操作をする。
「ほら、これが彼だ。くくっ、イマジナリーフレンドじゃなくて悪かったね。ちゃんと存在しているよ」
「……」
遠藤寺のスマホに移された画像を見たタマは――目を疑った。
画面には2人の人間が映っている。見慣れた主の顔、そして見たことが無い冴えない男の顔。
2人の顔は当たり前だが画面内に収まっている。とても近い距離で、ほとんど頬と頬が接触しそうな距離で。
「こ、こんなん撮ろうと思えばいくらだって――」
主の顔面偏差値は高い。最近は化粧を覚えたことでただでさえ高い偏差値にブーストがかかっている。
ちょっと飲み屋で声をかければ、どんな男相手とだって写真の一枚や二枚容易く撮れるだろう。
だが。
「これは……ああ、2人で近所のバーで撮った写真だ。インスタ映えがどうとかで、興味本位で頼んだこの山盛りのポテトが……ふふっ、これを見た彼の表情、くくくっ……」
次に見せられた写真。先ほどとは違う場所、違う日に撮った……同じ相手との写真だ。
そして次。次。次。
遠藤寺が懐かしむように笑いながら、画面をスライドし、場所、時間、状況が全く違う写真が表示される。
その全てに映っていたのは、主と――見たことがない男だった。
男は冴えない、本当に冴えない顔をしていた。
雑踏に紛れ込んだら、秒で見失う。そんな特徴のない顔だ。
そんな男が、主が見せる写真のあれやこれに映っている。
まるで――友人、いや親友のように。
スライドされ、次々に映し出される写真の数々。
2人で映っている物が多くを占めていたが、中には『彼』と呼ばれる男が1人で映っている写真もあった。彼が居眠りしている写真や食事をしている写真、変な顔をしている写真。
そんな写真の数々を見せられたタマ。
「はわわ……」
はわわとか言った。腰を抜かしながら尻尾があったら抱え込む勢いでへたり込んだ。
それくらいの衝撃だったのだ。最初こそ、コラージュや盗撮の線を疑ったが……何枚も一緒に写ってる写真を見せられたら、納得せざるをえない。そもコラージュなんて高等テクニックを主が使えるはずがない。携帯電話だって自分がすごく頑張って使い方を主に教えたのだ。仕事で必要だからと主に頼み込まれ、全然使い方を理解しない主向けに1週間ほど徹夜して猿でもわかるレベルの説明書を仕立て上げたのだ。そんな主に写真の工作とか無理無理。
つまり、ということは?
主はこのキングオブ冴えない男と……友人関係を築いている!
イマフレはイマジンではなく、リアルだったのだ。リアフレ……しかも写真を一緒にとる(シェア)するレベルのシェフレ!(混乱中)
あの遠藤寺が。
あの遠藤寺が!
推理にしか興味がない、人付き合いなんて単語は辞書に存在しない、探偵キチな、あの主が……。
「……んぎぃ」
タマは頬を抓った。
これは夢だ、そう確信して渾身の力で自らの頬を捻じり切る勢いで抓った。
だが覚めない。夢から覚めない。覚めないということは……現実。現実のような……悪夢。
「あ、これこれ。授業中に居眠りをする彼なんだけど……くくっ、ボクの体にもたれかかって来て……可愛いだろ?」
堪え切れない笑いを零す主。
楽しそうな主の一方、メイドの彼女は悪夢から覚めることも出来ず、酸素不足に喘ぐ金魚のように口をパクパクしていた。
これは夢じゃなくて現実。
つまり前々から主がほざいていた、架空と思われし友人は存在する。
かなりの頻度で夜中に飲み歩いていたり、食事をしたり、観光スポットを巡ったり……ぼっちでエンジョイと思い込んでいたアレやコレやを一緒にしていた相手が存在する。
それはつまり――どういうこと?
「この写真は……ん、あ、これダメ。お、おかしいな、別のフォルダに入れておいたはずなんだけど」
混乱しつつ目に映った画像。酔い潰れたと思われる男の頭を膝に乗せ、見たこともない表情で微笑む主。
つまり。
つまりつまり。
「ん、んんっ! というわけだ。これで納得してくれたかな? 彼は空想でも幻でもなく、ちゃんと存在している。何なら電話で話してみるかい? ……いや、そういえばアイツ、ボクがメイドについて話した時、尋常じゃない食いつきをしたような……うん、やっぱり電話は無しだ。あんまり興味を持たれても困るしね」
「……はぁ」
「で、どうだい? これで納得してくれたかな?」
主の問いかけに座り込んだまま、頷く。
「うん。ならいい。というわけでそろそろボクは出かけるよ。待ち合わせ時間の1時間前には到着したいからね」
「はい、はい……じゃあ、行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくるよ。あー……一応だけど、客室のベッドメイキングのお願いしてもいいかな? ほら、彼が飲み過ぎて前後不覚になって……我が家に来る可能性もないとは言えないからね」
じゃあ、頼むよタマさん。
そう言って遠藤寺は家を出て行った。
残されたのは座り込んだメイドが1人。虚空を見つめながら、一気に開放された情報をゆっくり整理整頓していく。
衝撃的な事実はまるで荒波のようにタマの中を駆け巡っていた。
頭が追い付かない。ぼんやりとしている。
廃人の如き様相で立ち上がる。
「ああ……えっと……何やったっけ……」
ぼんやりとした表情でキッチンに向かい、戸棚に隠している稲荷寿司を食べる。
「おいなりさん……うまうま」
食べながら情報を噛み締める。
彼女は稲荷寿司を食べている時が一番落ち着き、そして全力で味わう為に一番頭が冷静になる。生粋のイナニストなのだ。
「もぐもぐもぐ……ごくん」
稲荷を包む油揚げから染み出る甘さ。
稲荷を噛み破ることで現れる酢飯の酸味。
それらが彼女の思考を鋭くする。
キッチンの床に這い蹲りながら稲荷を食す、床イナを実践しつつ、整理された情報を閲覧する。
架空だと思っていた主の友人は存在する。
架空遊戯(造語)だと思っていた主の1人遊びは言実(造語)のものだった。
今まで病気だと思って見守っていた自分の苦労は無駄。無駄の無駄無駄。
最近見せていた浮ついた態度や機嫌のいい振る舞いは友達が出来たからなのだ。
「もしゃもしゃ……ちゅーちゅー」
以上を踏まえ、油揚げから染み出る甘い部分を吸いつつ、新たな疑問について考察する。
彼、とは何者だと。
何の目的で主の側にいるのだろうかと。
顔、体……確かに主の顔は整っているし、時々一緒に風呂に入る(勝手に突入するとも言う)自分は知っているがかなりのワガママボディだ。だが体や顔を目的とするには、少々リスクが高い。何せあの性格だ。何かと論破するのが趣味なあの性格に付き合うのと、リターンで体を味わうのでは……つり合いがとれない。
だったら金が目的か? 遠藤寺家は探偵業でかなり栄えてはいるが……それならもっと普通の富豪女子を狙った方がいい。遠藤寺家のことを知っているなら、財産目的で狙うような真似はしないだろう。やっぱりリスクが高すぎる。
顔でもない、体でもない、財産でもない、だったら……何が目的なのか。
「はむはむ」
分からない。
いくら稲荷をキメようが、答えは出なかった。
「……ごくん。だったら――」
やる事は一つだろう。
直接接触。
実際に対象に遭遇して、その真意を確かめる。
それしかないだろう。
「お嬢さんは……わっちが守る」
高級マンションのキッチン。
その床で稲荷寿司を貪りながら――メイドは誓ったのだった。
次回『タマさん@がんばるゾイ』にフェードインッ!




