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真・家賃1万2千円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回  作者: タクティカル
真・第二部 パロディ頼りなタイトル編
12/29

探偵遠藤寺はワイン農家の夢を見るか?

誤字報告ありがとうございます。


「ボクの名前は遠藤寺。見ての通り――探偵だ」


 新人歓迎コンパの席で、彼女は周りの空気など全く気にせず、そのどこまでも通る声で自己紹介した。


「さて……君はさっきからボクに話しかけてくる他の有象無象と同じかい? それとも何か違うのかい? 違うのなら……是非とも、その違いをボクに見せてくれはしないか? 出来れば手っ取り早く、ね」


 コンパが始まって30分、最早誰も寄り憑かなくなったアイツの正面の席で、俺はアイツ――遠藤寺と相対していた。

 周りが自分に向ける、視線、感情なんて全く気にもしない遠藤寺に目を奪われた俺は何も言えない。

 綺麗だと思った。美しく、尊いと思った。その特徴的な容姿だけじゃない、その誰にも媚びず影響されない振る舞いに――目を奪われた。こんな人間がいるのか、と。いてもいいのかと。


「いい加減、つまらな過ぎて帰ろうと思っていたんだ。おじい様はこういった普通の学園生活にこそ得るものがあると言っていたけど……ボクにはそうは思えない。授業のレベルだって低いし、学生も無能ばかりだ。無能だけならまだいいさ。無能に加えてつまらないなんて……話す時間が勿体ないと思わないかい? 人間が持つ時間は有限なんだ。何も考えていない能無しの塵芥でも、世界の貢献するべき偉人でも、ボクでも……時間だけは等しく有限なんだ。ボクの言いたいことが分かるかい? ……これ以上、ボクの時間を無駄にしないでくれ。君が消費する時間とボクが消費する時間――消費する時間は同じでも、価値が違う」


 中学、高校生の時にもこの手の個性を押し付ける輩はいた。だがその手の輩は途中で折れて、他の有象無象に紛れていった。自分という個性を周りに輝かせるのは、とてもしんどいことなのだ。

 だが目の前の彼女は――まったく折れていない。それどころか、この場において、他の誰よりも輝いている。何よりも、自分という存在に何ら疑いを持っていない。テレビ番組の中にしかない荒唐無稽な光を振り撒いている。眩しすぎて他のみんなが目を逸らしたその光に……俺は目を奪われてしまった。


「君が漫然と過ごす1時間と、ボクが過ごす1時間は違う。同じ1時間であっても、その価値――そうだね、時間に対する貢献度を表す数字は存在しないけど、ボクが今ここで例えを出そう。君が過ごす1時間で……ボクは6人の人間の命を救える。状況こそ限られているが、同じ状況に在った時、君は何もできず、ボクは確実に人の命を救える」


 彼女の両隣には誰もいない。

 コンパが始まってすぐに散ってしまった。

 暫くは彼女の容姿に惹かれた人付き合いに慣れた先輩や大学デビューをしたと思われる見た目と話し方が乖離した男が周りに集まったが……もう誰もいない。

 俺だけだ。

 コンパ最初の事故紹介でダダ滑りした俺だけだ。


 この場において……いや、今後の大学生活において孤高の存在になった彼女の正面に座った俺は、彼女の光に照らされながら自己紹介をする。


「俺は一ノ瀬辰巳。その、えっと……」


 輝きの上に座す彼女。

 彼女は自分の下にいる有象無象のことなんて見ていない。チャンネルが違うのだ。相手を見たとしても一瞬で忘れてしまう。

 彼女が生きているのは、もっと上の世界なんだ。当たり前のように、疑問を抱かず下の世界で満足している俺の言葉なんて、届くはずもない。

 それは嫌だと思った。

 せっかく、血反吐ぶちまけてまで、この大学に入ったのに……誰かに、それがどんな存在だって他人に無視されるのは嫌だった。


 

 だから俺は彼女に向かって――




■■■



 遠藤寺との約束で、夏休み中は週に4日彼女と会うことになっている。

 何でそうなったかは今考えてもよく分からんけど、そうなってしまったのだ。いや、マジで何がどうなったのか分からん。長期休暇中は積んでいたエロゲとかラノベを消化するつもりだったのだが、お陰でそれも出来なくなった。


 今日は遠藤寺と会う日だ。

 普段は夕方ごろに会ってそのまま飯食ったり、酒を飲みに行ったりするのだが、今日は少し違う。今日は初めて昼から2人で出かける日なのだ。昼前から会って、電車で2時間くらいの所にある遠藤寺が前から行きたがってたワイン農家に出かけるのだ。農家を見学して、ワインの試飲をして徒歩10分圏内にあるワインに合うイタリアンで昼食を食べる。その後、また電車に乗って3日間開催されてるワインフェスに参加し、色んな国のワインを味わう。各国のワインとワインに合う軽食を楽しんだ後は地元に戻って来て、馴染みのワインが美味しい店で夕食を食べる。その後は……フフフ。

 というわけで今日はワイン尽くしの日なのだ。ワインワインカーニバル(兵庫県とかでやってそう)である。

 しかも諸々の代金は全部遠藤寺持ちだ。飯を奢ってもらうことはあるが、流石に全部は……と遠慮したのだが


『ボクが行きたい場所に付き合ってもらうんだから気にしないでくれ。それに最近何だか君に奢ってから飲む酒は普通に飲むより格段に美味しいことに気づいたんだ』


 とか、キャバクラが趣味なオッサンみたいな事を言い出したので、まあ趣味ならいいかと受け入れることにした。

 ただお礼は言った。お礼を言うだけでは何か申し訳ないので、その時浮かんだ『ワ~、イインんですか~? ありがとうございます!』という全世界爆笑必死のギャグをプレゼントしたところ『ああ、構わないよ。君が喜んでくれてなによりだ』と薄く微笑みながらスルーされたので、もうコイツにはダジャレとか言わないと誓った。


 そんな遠藤寺に電話をかける。

 何度かコール音が鳴った後、いつもの余裕に満ちた声が聞こえた。


『おや? 君か、どうかしたのかい?』


「うん、いやちょっとな……」


『くくく、何やら歯切れが悪いね。もしかしてボクの声でも聞きくなったのかい?』


 ん? 何か普段よりちょっと機嫌がいいな。

 声が弾んでいる。遠藤寺歴が短い人には分からないだろうが、歴が3か月の俺には分かる。

 この遠藤寺、間違いなく機嫌がいい! 


『ふふっ、くくくっ……』


「え、遠藤寺さん?」


『ん? ああ、すまない。ちょっとおかしくてね、くくっ。実はついさっきまで君の事を考えながら、携帯電話に映る君の待ち受け写真を眺め、ワインを飲んでいたんだが……まさか、そのタイミングで君から電話があるなんてね。くくっ、面白いとは思わないかい?』


「そうすっね」


 どうやら遠藤寺さんはお酒を飲んで上機嫌のようだ。対する俺は素面なので、ちょっと温度差を感じてしまう。酔っぱらってる人から電話がかかってきた時あるあるだ。申し訳ないが、どうしてもそっちのテンションに合わせられない。

 ん?


「は? ワイン?」


『くっ、ふふふっ……!』


 コ、コイツ酒飲んでやがる……! この後遊びに行く予定なのに、一杯引っかけてやがる……!

 合コン前に飲んで勢い付けるとかじゃねーんだぞ? 常識的に考えて、友人と遊びに行く前に酒飲むとかありえねーだろ! 良識というものはねぇのかよ! とんでもないモラルハザードだよ。オラ! 反省!

 

 でも許しちゃう。

 だって今日、金出すのは遠藤寺だし。言うなれば株主だし。株は扱って無いから主か……ともかく、主の言うことやすることは絶対だからな。主である遠藤寺に対し、俺は……奴隷。

 酒飲んで来ようが奴隷である俺は文句言わない。何だったら遠藤寺の命令も絶対だ。例えばいきなり振動するおもちゃ的な物を取り出して俺の敏感な各部に取り付けても無防備に受け入れよう。んで『ただ遊びに行くのもつまらないし、ゲームをしよう。君が英語を喋ったらこのスイッチを入れる。スイッチを入れればどうなるか……分かるね? くくくっ』と加虐的な笑みを浮かべてもまんじりともせず受け入れよう。俺は英語を言わないように気を付けるが、英語は普段の日常生活に浸透しているもの、うっかり言ってしまって宣言通りスイッチが入る。他の観光客もいるなかINS(一ノ瀨)48を刺激され嬌声をあげてしまう俺。人生で最も屈辱的な時間をただひたすら歯を食いしばり過ごす。しかし……何度かスイッチを入れられる内、自分の中に未知の感情が生まれたことに気づく。周囲の人がいるのに関わらず嬌声を強要される屈辱と同時に生じる……小さな快楽。小さなそれは自覚してしまえば、一気に膨れ上がる。無意識のうちに、自らの口からわざとこぼれる禁止ワード。生じる快感。次第に脳の快楽を司る部位と言語野が直結する。そして話す言葉の全てが快楽に繋がる……抜け出すことの出来ない悪魔の坩堝。自らその沼に飛び込む俺を日常と変わらない遠藤寺のシニカルな笑みが見つめる。――はいシルバちゃん、その時の遠藤寺の気持ちを答えよ。


『妾ドン引きの最中故に振るな』


 ドン引きで回答してくれないシルバちゃんの代わりに解答権はモニターの前のあなたたちです!(オンエアバトル感)

 モニターの前のあなたは置いといて、遠藤寺には俺のドン引きが伝わってしまったのか、やはり上機嫌な口調で言い訳をした。


『おっと、勘違いしないでくれよ? 君に会う前に飲んだのは今日が初めてだ。普段、君と会う前に飲んでいるわけじゃないんだ。ただ今日は……ほら、初めて昼から会うだろう? そう考えたら、何だかこう……落ち着かなくてね。昨日の晩からなんだ。胸がざわついて、不安で……今日のスケジュールだって分単位で把握してるし、場所だって完全に暗記している。……それなのに落ち着かないんだ。生まれてこの方、こんな気持ちになったのは初めてなのさ。だから、ちょっとその感情を紛らわせる為に……少しだけ、ほんの少しだけ、ワインを……ね』


 アルコール依存者の言い訳のようなことを言う遠藤寺。

 俺だって初めて遠藤寺と昼から出かけることに対して少しは緊張していたが、それでも酒飲んで誤魔化すほどではないぞ。

 ん? 緊張……?


「なんだ遠藤寺。それ、緊張してるってことだろ」


『きん……ちょう……?』


 初めて言葉を覚えた化け物みたいに言う遠藤寺。


『きんちょう……緊張、か。そうか、これが緊張か。くくくっ、そうかっ! なるほど……この不安と楽しみ、矛盾する2つの感情の正体は……そうか、緊張か。くっ、くくくっ……くくくっ……!』


 堪えるような笑い声の合間に、ゴクリと飲み込む音。


『……ほぅ。この感情――緊張を肴に飲むワインがまた……美味い』


「コスパいいな遠藤寺」


 感情をアテに酒飲めるとか、全世界の酒飲み嫉妬案件だな。


『ふぅ……君と過ごしていると酒の肴に事欠かないね。全く……このボクが、緊張か。大多数の大人たちの前で推理を述べようが、自分が犯人だと誤認された状況でも動じなかったこのボクが緊張……くくくっ……本当、君といると飽きないよ。今日もこの後の予定が楽しみでしょうがないよ……くくっ』


 軽く酔っぱらってるせいか知らないが、普段より3割増しくらいで笑う。

 さて、そんな今日の予定を楽しみにしている遠藤寺には悪いが、俺は告げなければならない。


「あのさ遠藤寺」


『なんだい? そういえばボクに用事があって電話をしたんだよね。待て、用件を当ててみようか。くくっ、楽しみ過ぎて待てないから予定を早めたい……正解だろう? ボクと同じだ。やはりボクと君は相性が――』


「すまん、今日行くの無理だわ」


 ガシャーン。

 電話口の向こうから、何かが思い切り割れる音が聞こえた。

 ガラスで出来た物が床に落ちて粉々になった音っぽい。


『……ふむ。すまないが、上手く聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか?』


「い、いや言うけど……何か割れる音が聞こえたような」


『気にしないでくれ。多分、タマさんが洗い物中に皿でも割ったんだろう』


 そっかぁ。かなり近くから聞こえたけど、多分台所が近いのかなぁ。

 なるほど、タマさんはドジっ子メイドかぁ……いいなぁ、会ってみたいなぁ。

 ドジ+メイドとか……委員長+眼鏡みたいなもんじゃん。食事に例えるとカレー+福神漬けみたいな? 漫画に例えるとTRIG〇ER+矢吹健〇郎みたいな? 無敵の布陣じゃん。


『それで? もう一度用件を頼むよ』


「うん。その……ちょっと色々あってさ、今日行くの無理っぽいわ」


 玄関を見ながら言う。

 鉄で出来た扉越しでも伝わってくる圧倒的なプレッシャー。遠藤寺には悪いが、この雪菜ちゃんを置いて外出するなんて不可能だろう。何だったら雪菜ちゃんにアレされて、今後一切の外出が出来ないかもしれない。その可能性もある。気紛れかつ大胆な雪菜ちゃんのことだ、俺を監禁しながら大学の単位は取らせる――みたいなありえない事をさせる可能性もある。


 俺は遠藤寺に妹が来訪した来たことを説明した。


『そうか。ふむ、例の妹さんが、ね』


「ごめん、遠藤寺」


『いや、気にしないでくれ。突然の訪問なら仕方がない。それに家族が相手ならそちらを優先するのが当然……』


 遠藤寺は溜息を吐いた。

 遠藤寺には雪菜ちゃんのヤバさをこれでもかって伝えている。


『……当然というのは分かっているのだけど、はぁ……あまり面白くないね。いや、分かっている。分かっているんだ。今はまだ他人のボクより、身内である妹を優先するのは至極当然――ボクだって理性では理解している、しているのだけど……心が……うむむ、上手く言語化できないな。この感情は……よし、おじい様に相談してみよう』


 ポチポチとスマホの操作音が聞こえる。


『ん、返信が早いね。ほぅ……そうか、これは……嫉妬、という感情か。流石おじい様。無駄に長く生きてるだけはある。それはそれとして何だろう顔みたいに見える文字は……』


 遠藤寺のお爺さん顔文字普通に使えるのな。


『それに草という頻繁に……文章として成立してないなこれ。……おじい様、かなりの年齢だから遂に頭が……』


 なん爺民、存在したのか……都市伝説と思ってたわ。


『おっとすまない。分かった。君の妹に対して、君を盗られたという嫉妬、うん嫉妬はあるが……仕方がない。こればっかりはね。もしボクがここで強引に介入したとして、君の妹との仲がこじれてしまったら……将来、厄介なことになるだろうしね。今回は涙を呑むとしよう』


「ほんとごめん。この埋め合わせはするから」


 ただでさえ忙しい遠藤寺の一日を潰してしまったのだ。

 この埋め合わせは何で埋めればいいのか、見当もつかないけど。まあ、2週間くらいは犬になる覚悟はある。それ以上を求めるなら、雇用的な話になるから弁護士を通してもらわないといけないけど。


『楽しみにしているよ。……それで大丈夫なのかい? 君の妹が訪ねて来るということは……あまりいい予感はしないのだが』


 遠藤寺には雪菜ちゃんのヤバさを伝えている。

 深く伝えるつもりがなかったが、雪菜ちゃん含め身内の話をする時はかなり食いついてきたので必要以上に話していた。モンペアならぬモンシス……雪菜ちゃんの存在は伝えている。


「雪菜ちゃんの目的は分からないけど……結構ヤバイと思う。最悪、難癖付けられて実家に連れ戻されそうな気がする」


『……ふむ。聞けば聞くほど、受け身な君とは似ずアグレッシブな妹さんだね。あまり家族の事情に顔を突っ込むのはいい事とは思わないけど……なんだったらボクが立ち会おうか?』


 その言葉はとても心強いものだった。

 もし遠藤寺が側にいれば、雪菜ちゃんが相手でも何とかしてもらえるという安心感がある。

 言葉に詰まっても遠藤寺の顔を見れば、遠藤寺が上手い事カンペ表情を出してくれる。

 でも――


「いやいや、そこまで甘えるわけにはいかないだろ」


 今まで困ったときに遠藤寺に頼っておいてなんだが、ここで遠藤寺を呼ぶのは……最低限のラインを越えてしまうような気がする。信頼を超えた……それこそ、身内のラインに引き込むような、そのレベルの話だ。流石にそこまで引き込むわけにはいかない。


 俺の返答に、遠藤寺は普段と変わらない様子で答えた。


『……そうか。君の信頼にこたえられないのは、少し残念だけど……しょうがないか』


「その代わり」


 俺は続けた。

 こっちが本来の用件だ。

 ぶっちゃけ、さっきまでの話とかどうでもいい。

 こっからが勝負だ。


「――もし遠藤寺が良かったらなんだけど……暫く遠藤寺ん家泊めてくれない?」


 ガシャーン。

 電話口の向こうから、何かが思い切り割れる音が聞こえた。しかもさっきより大きい音だった。雷かと思った。


「だ、大丈夫か遠藤寺!?」


『ああ、気にしないでくれ。手に取ったワインボトル……いや、タマさんが食器棚でも倒したんだろう』


 局所的な雷音に対して、遠藤寺は冷静な様子だ。

 食器棚倒れるとかヤバくない?……と思っていると、電話口の向こうからドタドタ走ってくる音が聞こえた。


『ちょぉーっ!? な、何なんですか今の音ぉ!? お嬢様っ!? ……ひぃっ、部屋が血塗れに……! 遂に我が家でも殺人事件が!? わっちいつかはこういう展開来ると思ってたわ!  …ってワインか、ビビったわぁ』


 何か電話口から聞いたことの無い声が聞こえる。

 可愛らしい声だ。ちょっと大家さんの声に似ている。


『すまないタマさん、今電話中だからね。少し静かに――』


『いや、いやいやいやっ! それどころじゃないでしょ!? つーか部屋もそうやけど、お嬢さんもワイン塗れやん! 何やワイン飲んでる途中に想定外のことがあってびっくりしてワインそのまま被った! みたいな!? どういうことやねん!? うひー! しかもそこで割れてるワイン、ごっつ高いワインやろ!? わっちのお給金じゃとても買えないくらい高い……タオルとかに吸わせて器に移した方がええんちゃうん!?』


『タマさん。静かに。ほんと、黙って。ボクのまだ明かしてないプライベートを悪い意味で解き明かすのはやめてくれないか? あとその提案は貧乏くさい以前に人としてどうかと思うよ』


『ええからっ! お嬢さん! そんな友達と電話してますアピールええからっ! はよせんと! 絨毯にぜーんぶワイン吸われちゃいますよぉ!?』


 電話向こうが騒がしいな。


「掛け直そうか遠藤寺?」


『いや、いい。大丈夫だ。気にしないでくれ』


『タオル、清潔なタオルは……ちっ、あらへん! 今あるのは洗濯したばっかりのお嬢さんの無駄に高いパンツ……仕方ない、これでええわ』


『タマさん待て。それは来るべき時……いや、それがいつか分からないけど、その時の為に履きなれておこうと昨日履いた物で――』


『うわ、何やコレ。めっちゃ吸収するやん。吸収性ハンパないやん! 多過ぎる日も安心やん! 床にこぼれたワインがみるみるウチに……! え、お嬢さんこれどこで買ったん? わっちも欲しいんやけど。ama〇zon? らく〇ん? ジャ〇ハット?』


『……』


『ほぁー……凄いなこれ。追いブラ浸したら零れてたワインが全部……ふぅー、よかったぁ。これで下の階に漏れるとか心配無さそうや。あ、お嬢さん? 労いとかはええよ。わっちはメイドとして当たり前の事をしただけやしな。にひっ! ……お、お嬢さん? さっきから無言でどしたん? 架空の相手との電話はもうええのん?』


『……』


『え、なになになに!? 怖い怖い! 無言でにじり寄ってくんのやめてぇ! お、お腹減ったん!? やったらわっちが残してたお稲荷さんあげるから――ンギィッ!? ヒギィッー!?』


 電話向こうから初めて聞く女性の悲鳴が聞こえる。

 まるで頭を万力で締め付けられたような悲痛な声が。


「え、遠藤寺……?」


『気にしないでくれ。えっと、何だったか……そうだ。ウチに暫く滞在したいという話か。いいさ、もちろん。大歓迎だよ。ボクが君の頼みを断るはずないだろう?』


『いたたたたっー!?  出るぅっ!? 出ちゃうっ! タマの、タマの大切な部分が耳から溢れでりゅぅぅ!?』


「いきなりだけどいいのか?」


『前も言ったかもしれないけど、部屋は余ってるからね。好きなだけいてくれればいいさ。……いきなりでびっくりしたけどね、くくくっ』


 よし、これで避難先も確保!

 もし雪菜ちゃんがゴリ押しで俺を実家に連れ帰ろうとしても、遠藤寺の家にさえ逃げ込めれば……。

 


『んゆーーーーー!? ひっ何か出たっ! 耳からなんか出ましたよぉ!? え、ナニコレ!? 出ていいヤツ!? お、お嬢さんっ、タマの出ちゃあかんヤツが出てきたんですけど!?』


『ボクの家の場所は知っているね? 楽しみに待っているよ。もし君が強引に連れ去られそうになってボクの助けが欲しい時はすぐに連絡してくれ。どこだろういつだってと助けに行く。……それが親友ってもんだろう?』


 何か五月蠅い悲鳴を背景に、遠藤寺の笑い声は力強く感じた。


「遠藤寺……ありがとう」


『お、お嬢様っ!? そ、そんな普段わっちに見せないタイプの笑顔浮かべとらんで、アレ! わっちの出ちゃあかんヤツがベランダから……ああーっ!? 何かよく分からんアレが逃げたっ! ちょっ、ここ40階ですよ!? お嬢さん! そんな嬉しそうな笑みと親友って呼ばれてちょっと複雑そうなアレをまぜこぜにした複雑な表情浮かべとらんで――』


『タマさん、うるさい』


『ギッ――』


 遠藤寺のその言葉で、通話が切れた。

 ツーツーと無味乾燥な音が電話口から聞こえる。

 色々、遠藤寺の家庭環境について聞きたくなったが、取り合えず目的は達した。

 

 エリザは姿を消したし、いざとなった時の避難先も確保できた。

 あとは……覚悟するだけ。

 雪菜ちゃんを家に入れる覚悟をするだけだ。


「……ごくり」


 玄関の扉を睨みながら、唾を飲み込む。

 やっぱり怖い。雪菜ちゃんを家に入れるのは怖い。

 実家にいた頃、雪菜ちゃんが俺に向けてきた罵声や恐怖を思い出して、体が震える。

 それでも――何もしなかったらヤバイって分かっていて、それでも何もしないで……やっぱりその通りになってしまうほうが怖い。だから行動した。

 これ以上、俺に出来ることはないはずだ。


 俺はゆっくりと玄関の鍵に手をかけた。

 カチャンと、静かに音をたて、鍵が解除される。

 チェーンを外し……暫く様子を見るも、扉が開く気配はない。


 自分で開けろ、ということか。


「ああ、いいだろう」


 構わないさ。ただ自分の家の、扉を開けるだけだ。

 毎日やっている当たり前のこと。

 扉の前に誰が立っていようが構わない。


 俺は自らの手で玄関の扉を開いた。

 ゆっくりと、だが確実に――外への扉が開く。


 夏の蒸し暑い外の空気が部屋の中に入ってくる。

 その空気に紛れるように――彼女は姿を見せた。



「兄さん、本当に……久び――んんっ、久しぶりですね」



 セリフを噛んだことなんて、全く気にしていない口調で、彼女――一ノ瀨雪菜がそこにいた。

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