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大切なもの

『指揮棒構えろ。いい加減始めるぞ。』

 ようやく練習が始められた。四季風は緊張に塗れた顔でタクトを握っている。

「おいおい」

 失笑が漏れる。

 たかが練習。それでこんなガチガチになる奴は初めて見た。

『ただの石を磨く気は無いからな。』

 嫌味を書いてから、持ち込んだ荷物から必要な物を取り出してテーブルの上に置く。

「さすがに、これが何かは知ってるよな?」

 練習を始めてからは極力文字は使わないようにすると決めた。なので、出した物を掲げる+指をさすで、物が何か分かってるかを聞く。これに四季風は頷いて応じた。

 その物体――メトロノームの針を、分間120のテンポで振る。最もスタンダートと言える速さだ。

 続いて、人さし指をタクトに見立てて伸ばして、針の動きに合わせつつある条件を付けて三角形の一辺を書くように振る。それを四巡ほどして――

「トライ」

 四季風が握るタクトを指さして、それを次は四季風に向けて、「やってみろ」と指示。

 でも、四季風は見事に首を傾げてくれた。

「………」

『今のを真似ろ。』

 一言で済むからここは字に頼る。

 これで、ボディランゲージに徹底しすぎたら、誤解や不通で余計時間食う可能性にも気付いた。文字は確実だが場合によっては致命的に遅い。体言は手っ取り早いが確実性を欠く。なんて面倒なんだ。奏や当時の先輩たちは、この不便もあって無視したのかもしれない。

 こういった問題点の解決法を考えてる間も、字で理解した四季風が練習を始めている。俺がやった三角形を描くメトロノーム振りじゃない、メジャーなポイント振りで、予想通りメトロノームの頂点に合わせてタクトを振っている。

「はいダメ」

 針を指で押さえて、練習を中断させる。正直、こうなるのはわかってた。

『どこが悪かったか、まずは自分で考えてみろ。』

 止められて怪訝な顔をする四季風に、自分の動きを振り返らせる。

 悪い所があれば中断。でもすぐに指摘はせず、自分の動きを振り返らせる。十中八九分からないからミスなんだけど、気づけば、ただ教えるよりも自分の中に浸透する。昔教わってた先生にそうやって教えられた。

 四季風も、昔の俺みたいに考え始めて、顎に手を添え――ようとして、タクトの先端が顎と首の間に突き刺さった。

「!?!?!?」

「ぶっ!」

 その不意の激痛に、四季風は悶絶してカーペットに膝を突いた。

 その不意の、傍から見てる分には笑いの爆弾に、俺の腹筋が破壊された。

「あっはははは!」

 蹲ってプルプル震えてる四季風には悪いが、本気で笑う。とにかくひたすら笑う。

「カッ――ハ……ハァ!!」

 ツボりすぎて酸欠になってきた。笑いに息が持たなくて喘ぐような声になってきた。それでも、あの光景がフラッシュバックすると、尽きかけの息をまた吐き出してしまう。

「ゴホッゴホッ――いっって!?」

 ついに咽て咳きこんでた所で、いきなり足裏に激痛が走った。

「おっま、タクトを武器にすんな!」

 視線を足裏の方――涙目でタクトの先をこっちに向けてる四季風に向けた。

 潤んだ瞳は「笑い事じゃない」と怒りを秘めて、タクトを握る手には、見て分かるほど力がこもっている。これはマズイ空気だ。

「確かに笑われた側は怒り心頭だろうけど、暴力はいけない。しかもそれを武器にするのは、音楽家としてまずい」

 言ってから、これはしくじったことに気付いた。下手な諭しをした所で、四季風には俺の心理状態を反映した音にしか聞こえない。そして、今の俺は、この場をどうにか切り抜けたいという浅はかでビビりな心理状態。

 それを理解して、(たぶん無意識だと思うけど)今の優劣関係をはっきりと理解した四季風は、すっくと立ち上がった。完全に殺る気の据わった眼をしている。かくいう俺は、腰が引けて、逃げるに逃げられない。

 四季風が俺だけをしっかりと見て、一歩歩み寄る。

 そして、怒りによる視野狭窄で、見事にテーブルに足を引っかけた。

 それでつんのめって態勢を立て直そうとたたらを踏んだ所で、その足が投げ出されてた俺の脚を思い切り踏みぬいた。

「ッ――!!!」

 声にならない悲鳴のような物が口から吐き出された。

 思いきり脛をゴリッといかれて、中で嫌な音も聞こえたような気がするけど、今はそれどころじゃない。俺の脚を踏んで完全にバランスを崩した四季風がこっちに倒れこんできてる。タクトの先端をこっちの顔面あたりに向けて。

 生存本能の訴えに従って、全力で四季風の腕を弾いた。

 でも、出来たのはそこまで。倒れてくる四季風自身は、胸で受け止めることになった。

 ズダンと床に重い音が響いた。

「ちょっと、さっきから何騒いでるの……家の娘も積極的ね」

「そんなわけないでしょ!」

 騒々しさに現れた四季風の母親は、床に寝そべって抱き合ってる姿勢の俺たちを見て、かなり面白がってる表情をしてるのを俺は見た。こっちは、後頭部強打と胸部圧迫で死ぬかと思ったのに。

「四季風、苦しいから退け」

 ボコボコにされる寸前だったし、免れても痛い思いは結局したし、密着してるのに無いし。ドキドキする要素が一切ない。

 しかし、四季風に動きはない。そういえば内容自体は伝わりにくいんだなと気付いて、指で四季風の肩を突く。それでも動きはなかったけど。

「おい」

 横で見られている状況が続くのは気まずすぎる。肩を掴んでこっちから引き剥がした。

「………」

「………」

 四季風は、顔が真っ赤だった。目の焦点合ってないし、口は半開きでわなわな震えてる。

 これを見て、俺もどう声を掛ければ良いんだと、苦悩して、浮かんでくるのは名案の代わりに冷汗だけだった。


「――って彩! タクト!」

 

 そこに、焦った声で四季風の母親が割り入ってきた。

 その一声は俺にとっては救いだったけど、言葉の内容を聞いて、ハッとして俺が弾いた四季風の手を見た。ついで、俺が首を横に向けたのにつられて、四季風もそっちへ首を回した。

「あぁ……」

 そして、床に打ちつけたことで根元からへし折れた、愛用のタクトの惨状を目の当たりにして、四季風は悲哀に満ちた呟きを漏らした。

 恥ずかしさで赤かった顔は一転、血の気が失せて、青白ささえ見せるようになった。

 ゆっくりとした動きで、四季風は俺の上から退いて、折れ飛んだ先端の方を拾い上げて手の中で見つめると、胸に抱きかかえた。その背中が小刻みに震えてることから、俺に見せたのとは別の涙を流してるのかもしれない。

「愛着があるんですね」

 倒れた姿勢から上体だけを起こして、四季風の母親へ質問するように言った。

「指揮者になりたいって決めた時から使ってた物なの。家事手伝いしてお金貯めて、旦那の足元で、満面の笑顔で箱を掲げて見せてくれたのはよく覚えてる」

「それは……キツイなあ」

 メッキの禿げや手垢の跡、破損の傷痕は、それまで連れ立ってきた証。四季風の場合は、幼い頃から成りたいと思ってたらしいし、十年を超えるほどの付き合いがあったんだろう。

 人生の半分以上を共にした、自分の半身のようなタクトを失ったことは、そのまま身を裂かれるような、心の痛みと悲しみを感じてしまったに違いない。

「おい聞け」

 呼びかけても反応されないのが分かりきっているので、無事な方の足で四季風の背中を強めに小突く。この水を差すような不意打ちに、四季風はビクッと体を震わした後、恐る恐ると言った風な動きでこっちに振り向いて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見せた。

「強引に話を進める点も含めて、悪かった。元を辿れば俺のせいだから、ちゃんと弁償しようと思う。だから、まずはその顔を拭ってくれ」

 ちゃんと伝わってるかなんてわからない。ある事情で、立ち上がって腰を折って誤ることが出来なかったせいで、責任逃れのように平謝りしてるだけに見えてるかもしれない。

 それでも、自分がどういう対応をすべきかを考えて、それを果たすための誠意を、声に込めて出したつもりだ。

 謝ってから、少しだけ静かな間があった。

「―――」

 四季風が、何かを呟いた。四季風が声量を上手く調整出来ないせいで、何を言ったのかは俺にはまったく分からない。それでも、とっくに真っ赤な目をしてるくせに、今さら涙を堪えようとしてるな弱々しく儚げな表情で、こいつは、俺に向かって謝るように頭を下げた。

 それを見た瞬間、俺がかつて体験したあることがむりやり思い出された。

 そのせいで四季風の心境を理解して、そして俺の方が打ちのめされてしまった。

『今日は帰るよ。練習できる状況じゃない。』

 手短な文面にして作った。長いのにすると、この空気の中だと居た堪れないなんてものじゃない。

 逃げるようで、自分でも胸糞悪い。でも、この場でどうこうしてやれるほど、俺は人生経験も四季風への理解も持っていない。だから、せめて落ち着けるように、そっとしておくことが最大限の気遣い。

 今この場では、俺が居る時間が長いほど、四季風は自分を落ち着かせることができないとわかってしまっているから。

 帰るために、立ち上がろうとした。

「っ――」

 視界が明滅して、足から力が抜けそうになった。でも、歯を食いしばって膝から崩れるのを耐える。

「大丈夫?」

「大丈夫です。ただの立ち眩みです。俺よりも、四季風を心配してください」

 心配そうな顔をした四季風の母親に平気だと伝える。

(いってぇ……)

 でも、内心では泣きたいくらいに痛いのを我慢している。

 四季風に踏まれた右足、あの瞬間「ミシッ」って擬音表現が相応しい音が、耳の奥に響いた。今まで経験がなかったけど、これは折れたか罅が入ってる。投げ出してる時は軽く打った時程度の痛さしかなかったのに、立ち上がるために力を入れた瞬間から、息をするのも辛くなるほどの鋭い痛みを発しだした。

 意識して、普段と変わらない足取りをして四季風の部屋から出ていく。歩くために足を上げた瞬間の脱力が、痛みとは別の倦怠感を引き起こして、接地の反動が、痛覚に響いて激痛を招く。

 本音は歩きたくない。一番痛くないように、寝そべって大の字とかになりたい。

 でも、今だけは耐えろ。叫んで、みっともなく泣き喚くのは家まで耐えろ。身体の痛みはその内消える。でも、四季風の思い出をぶち壊した心の痛みは、そう簡単には消えない。

 それに、四季風が俺の状態に気付くと、自分の感情を押し殺して意味のない自己嫌悪に陥るのが、あの時の行動で分かった。

 自分の境遇に屈さない気丈さを持ってるようでも、やっぱり、歪んだ思考を持っている。手に入れた拠り所を失いたくないという考え方を。その為には、絶縁に繋がるような要素は徹底して排除しようとする。自分の心を擦り減らすことになるとしても、当然と自分に言い聞かせて。

 俺はそんなの望んでない。

 四季風の才能に惹かれたのは本心だ。でも、詰まる所、俺の中で尾を引いてる憧れを、代役に――四季風に果たしてもらいたいなんてエゴに、その才能を利用してるんだ。その過程で、事故とはいえ四季風を精神的に傷つけた。

 その上責任転嫁なんて、反吐が出る。純粋に音楽を愛する人間を傷つけたことの代償なら、弱音を吐かず、甘んじて受け入れろ。


 腕の力でというより、体重で押し退けるようにドアを押して、自宅の玄関に入る。

「おかえりー」

 ドアの音を聞いた姉さんに声だけで迎えられる。晩飯作ってるみたいで、入口が開いてるリビングの方から良い匂いがしてくる。でも、それを素直に喜べるような状態じゃない。

 気兼ねする相手が誰もいないから、手すりに縋って、右足を引きずるようにしてゆっくりと階段を上っていく。極力力まないようにしても、どうしても頭の奥に痛覚からの悲鳴が聞こえてくる。

 ようやく階段を上りきって、短い廊下を抜けて、自分の部屋に辿りつくと、力尽きてベッドに倒れこんだ。

「――――はあっ!」

 溜めこんだ苦痛へのストレスを、ため息にして一気に吐き出す。それから、熱にうなされてる時みたいな荒い呼吸をしばらく繰り返した。何度も大きく息を吐いて、無茶して悪化させた痛みに身体を慣れさせても、心の中で渦巻く後悔は、慣れることはできなかった。

 前途は、多難どころじゃなかった。数は少なくても、かなり致命的な問題が見つかった。そして、初日から、互いに辛い思いをすることになった。

 内心ではかなり面倒と感じる文通は練習の障害になる。何より、俺からすれば、四季風を待ちぼうけにさせているのが強烈なストレスになる。今回のトラブルはほとんど俺のせいだけど、意見の食い違いのような争いになった時に、溜まった鬱憤で暴言を吐くかもしれない。

 こんなことになったのに、これからもいつ爆発するか分からない爆弾を抱えながらやる押し売りのような家庭教師もどきを、続けて大丈夫だろうか?

「……考えて分かるほど賢けりゃ、最初からやってねえよなあ」

 危険の方がはるかに高いのは明らかだ。でも、今すぐ解消は出来ない。出来るわけがない。プライドとか責任どうこう以前に、実質だが、まだ一回も指導していない。

「寝よ」

 一回寝て、胸の内をすっきりさせよう。それから、これからの俺の行動方針と、今回みたいに、ダラダラと時間を食うようなことはさせない対策を練る。

 ベッドから手を伸ばせば届くところに設置してあるコンポ。それに繋いであるヘッドホンを耳に当てて、ジャンルで分けて適当に積んであるCDの、クラシック群の中の一枚を入れて流した。

「…………ここでアリアって、嫌味か」

 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 管弦楽組曲第3番BMV1068の第2楽章「アリア」 

四季風の思い出の曲「G線上のアリア」の原曲。

 ジャケットを確認せずに選んだ俺のせいだけど、どうしてピンポイントで、これ収録されてる円盤引き当てたよ俺は。絶対に見捨てるなってことか。四季風を。

「保証できるかよ。俺は、音楽には向いてないんだから」

 いつもは健やかな気分で寝つけるクラシックも、今日だけはお仕置きと言わんばかりに、俺を中々眠らせてくれなかった。

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