音を見る
区切る部分がなくて少々長くなっています
「どういうことかは分かった。正直、聞いても『頭大丈夫か?』だったが、二人して同じ意見で実際断線してるなら事実だろう。でもな、弥弦、女の子に迫るのは見た目も相手にも良くないぞ。しかも、まだ人の多い廊下で、相手が……」
「もう冷静なんで大丈夫です。失礼しまーす」
担任が言いよどんだのを察して、そこで打ち切らせるために問答無用で職員室を出た。担任も言わずに済むので引き留めはしなかった。
職員室の扉を開けて、玄関まで行くために横を向いて――
「うおっ」
まず黄色の補聴器が目に入って、ずっと待っていた四季風の存在に気付いた。先に返されたのでそのまま帰ったと思っていたのに反して、ずっと待っていたことと横見たら居たことに二重で驚いた。
『ごめんなさい。余計だったよね』
俺に気付いた四季風が、用意してあった携帯画面と共に、腰を折って謝罪してきた。
「………」
俺も、ポケットからスマホ出して文字入力の画面を出して、ささっと文章書いて四季風に見せた。
『別にいいよ。それより、さっきのこと改めて聞きたいから、時間貰っていいか?』
見せたら、四季風がキョトンとして画面を注視した後、何を勘違いしたかまた顔を赤くして慌てだした。
「コミュ障……」
まあ、障害って虐めの要因にもなるし、自分が周りより劣ってるって感じてしまうんだろうな。その引け目から友達付き合いも難航してそうだ。最悪ボッチなんじゃないか、こいつ。
『深呼吸しろ』
とりあえず、このままだと話が一向に進行しないのと、下手に触れたら今度は叫ばれかねないので、無難に深呼吸でリラックスしてもらおうと思った。
画面を見た四季風は、素直にその場で深呼吸してくれた。でも、冷静になっただけであって、どうすればいいのか判断しかねて、頻りに目を逸らすはモジモジするはで、結局進展しない。
「ぜってぇ、友達いないな、こいつ」
最初に書いた文面を誤解するような内容にはしていない。それなのにここまでテンパるなんて、人と会話すること自体に慣れてない証だ。
というより、好意を+、悪意を-って考えて、四季風は境目の0での会話もあまりしたことが無いんじゃないか? 基本、邪見にされたり適当にあしらわれるばっかで。
『真面目に聞いてやるから、思ったとおりに話せばいいぞ』
だから、無粋かなって考えはしたが、多少強引なくらいの方が気が楽かなとも思ったので決行を選んだ。
「………」
四季風はこの文面を読んで驚いたような表情をした後、すぐに自分の携帯を操作し始めた。
『共感覚って、知ってますか?』
「共感覚って……」
確か、色から味を感じるとか、二つめ三つめの感覚器でも認識する能力だったか。俺は持ってないけど、一般的には青から悲哀とか赤から激昂とかの、連想の発展ってところだろう。
『そういう話するってことは、持ってんのか?』
『うん、私の場合は、音が見えるの』
やっぱりだった。耳が聞こえないのなら、視覚か触覚で捉えるしかない。
『でも、見えるからって機械の不調がわかるか? ほんの僅か、数デジベル程度の音漏れしかしてなかっただろうし。』
『ノイズとかもちゃんと見えるの。色が不自然に掠れてるから』
「あー」
なるほどと思った。でも、音って耳で振動を感じ取って認識出来るんだよな。聞こえないのに認識は出来るってことは、空気の振動を肌で――触覚で認識してる? 音を聞く専門家である聴覚が気付けない雑音に気付けるほど鋭敏な触覚って、それはそれで日常で別の問題起こしそうな気がする。
しかし、それは他人事のいらぬ心配なので忘れて、四季風の言い方……いや、書き方に妙と感じた部分をさらに問い詰めた。
『不自然に掠れてる、ドライブラシみたいな手法とは違うってことか。』
色、掠れって繋がりから美術が浮かんできて、それに因んだ例えを出して聞いた。そしたら、四季風が見事に食いついて、それが露骨に表情に見えた。
『そんな感じだよ。筆に付けた絵具が足りなくなってるまたいな』
この文章を打つ速度は異常に速かった。「み」たいな、の部分が打ち損なってるけど、五秒そこらで打って見せてくれた。
テンションがそのまま行動と態度に出てくるタイプのようだ。乗ってたら今みたいに雑になってくるが手早くするし、自分のせいで怒られたと思ってた職員室後はたどたどしかった。
『なあ、共感覚って人によって特徴が違ってくるらしいけど、お前のはどんな感じなんだ?』
今までのやりとりからなんとなく答えは分かる。それを確信に至らせるためにも、四季風にちゃんと聞いてみたかった。
『私の場合は、絵が見えてくるの。一つの音だけだと一色しか見えないんだけど、二つあれば二色。楽団演奏になると数十色の色が見えて、それが混ざり合って絵になる』
興奮で敬語調だった文体が崩れてきてるが、こっちの方が気安い。
色が多すぎると絵画は見ていてくどいから、たぶんだけど数十色は話のあやだろう。それと、四季風の美的センスにもよるけど、嬉しそうに語るってことは、良い絵が出来るんだろうな。
『イメージはピカソでOK?』
『そんなカオスじゃないから。ゴッホとかダヴィンチあたりに思っといて』
確認取ったら普通に有名どころで返されたので、美的センスも俺から見たら正常。四季風の視界がちょっと見てみたくなった。
この十数分でわかったのは、四季風はその技能のほかにも、接してみるとそこまで面倒じゃなかったということだ。
出だしで散々嫌な目に遭ってきて、初対面への接触にはかなりの抵抗を持っていたのは間違いない。だけど、俺が応じてくれて、今までの相対で一気に好感を持って、瞬く間にフランクになった。
根が気さくなんだと感じた。そもそも、今までの経験で性格歪まず、親切心かはちょっと確信持てないが、躊躇うことなく俺に声をかけれるほど図太い神経もしてる。
共感覚で音楽への関心も持ってるから俺も趣味の話に傾倒しやすいし、独自の感性による別視点の意見もとても興味がある。
それに、女の友達に飢えてはないけど、可愛い子と知り合いになるのは常に悪い気はしない。補聴器を隠すために髪を伸ばしてるんだろうけど、ちゃんとセットすれば間違いなく美少女の素材をしている。
『四季風、音楽で好きなジャンルは?』
思い切って聞いてみる。ただの難聴者なら禁句とも言える質問だが、四季風はこれに、揚々と答えた。
『クラシック
特に「G線上のアリア」。生まれて初めて見た曲がこれだったから』
曲を“見る”という非常に独特な表現。音楽は聴くものと当たり前に思っている俺らからすれば「おかしい」だが、これが四季風の音楽の嗜み方だと明確に理解した。
にわか音楽好きとの談義は俺の知識のひけらかしで終わってしまうけど、完全に別ベクトルの彼女となら、俺の視野も広がりそうだ。
『バッハがお好きで?』
『作曲者自体はあんまり興味ない。知名度=名曲じゃないし』
『それは俺も思う。案外、無名な人ほど名作を作れるものだからな。さっきも当たりインディーズ聞いてたし。』
『インディーズ?』
『メジャーデビューしようと頑張ってる人たちが、自腹切って作るCDって思っておけばいい。正確には、ちゃんと制作会社の後ろ盾もあるんだけど、そこまで詳しくは知る気ないだろ。』
『下積みってこと?』
『そうそう』
だいぶ話が盛り上がってきた。でも、そろそろそばを通り過ぎる人たちの変な物を見る目が苦痛になってきた。そりゃ、人通りの少なくはない職員室前で、携帯とスマホの画面を何度も見せっこしてる光景は、言いようもなく、アレ過ぎる。
『四季風、廊下で長話は疲れるから、お前のとこなり俺んとこなりの教室で腰下ろそう。』
言い訳して提案すると、四季風は二つ返事で『わかった』と書いた。
というわけで、四季風と連れ立って廊下を歩く。その間も音楽関連の話でかなり盛り上がり、俺もかつてないほど充実した時間だった。
「紫音、なんでそんなキモいのと一緒にいるの?」
でも、そういうのって唐突に途絶えるんだよな。
出会いは本当に偶然。ただ、廊下を歩いてたらバッタリ出会った。
同級生である以上、出会うことそのものは不自然なことじゃない。だからそこに驚く部分はなくて、害意が含まれた声の方に俺は驚かされた。
そして出会った瞬間、四季風の顔から楽しさが消えうせて、僅かに足を引いたのを見た。
「キモいって、向けた相手を目の前に言うことか?」
害意を絡めて開口一番に放ったその言動を咎めるために、質問するような言い方で非難すると、また耳を疑うことを言われた。
「いいのよ。耳が死んでるんだから」
「奏、さすがに口が過ぎるぞ」
出くわした相手の名前は、琴塚奏。色々と、そばの四季風とは対照的な身形をしている。
腰の手前まで伸ばした亜麻色のストレートヘア、男と比べて遜色ない背丈、かなり歯に衣着せない言動。何をとって普通とするかは答えに詰まるけど、確実にその基準をぶち抜いて荒っぽく厳しい性格で、随分と男らしさが目立つ。
それでも、面倒見の良さとか長所と言える部分も持っていたはずだが、第一声が罵倒に始まったくらい、四季風を毛嫌いしているようだった。
「そもそも、お前が四季風と知り合いなのが気になるんだけど」
「それは当然よ。だって、そいつがうちの所にいるもの」
「…………へえ」
苦笑いしか出来なかった。
四季風が音楽を楽しめるといっても、世間的には難聴者。共感覚も、持たない人間からすれば大概が眉唾物。そんな人間が音楽を扱う世界に入ったところで、皆と普通の関係でいられるわけがない。普通は虐められて、幸いが雑用係。顧問はどうして、入部用紙を渡された時点で引き止めなかった。
「どうせ、入ろうと思った理由は問い詰めてんだろ? その時に聞いたと思うけど? 共感覚について」
「そうね。目の前で携帯を弄りだすなんて、失礼も甚だしい行動に出られて唖然とはしたけど、音楽が嗜めるとは言われた。でもね、音楽を見る人に、音楽を聴く人たちが作った曲を任せられるわけないでしょ」
刺のある言い方をする奏にジロッと視線を向けられて、四季風は正に天敵に出会ったようにビクついて、わりと意気投合はしたが初対面に変わりないはずの、俺の背中に隠れて、制服の背をこっそり掴んでいるのが感触で分かった。
「よく躾けてあるな」
皮肉を言うと、奏は眉間に皺を寄せた。俺があいつに敵意を向けたことよりも、四季風を庇うような言葉が鼻につくらしい。
とはいえ奏の言いたいことは分かる。つまり、感性の違う人間は異端だと、既に完成されている世界に不確定因子なんて組み込みたくないと。そう言っているのだ。
「だからって、問答無用で排除か? 歌唱は音程やら技法の把握が必要になるから仕方ないとしても、楽器演奏は技術の問題であって、吹奏楽は楽団演奏が当たり前だろ。決定してる役割に沿って教えれば、ハンデはあっても十分こなせるはずだぞ」
知らず知らずの内にやらかす可能性は常に付きまとうけれど、経験を重ねれば精度は上がる。音痴だって自覚さえあれば修正できるのだから、頭ごなしに追い出すのは納得できない。
でも、奏の返事で、少なからずその判断に賛成してしまう気持ちが芽吹いてしまった。
「やりたいのが指揮者だとしても?」
「……あー、それは」
しかし希望ポジションを聞いて、思わず舌を巻いてしまった。
指揮者となると、まるで話が違ってくる。そう単純な話じゃないが、演奏を船旅に見立てて、楽器演奏者を船員として、四季風がその一人となっているとする。たった一人が命令を無視しても、余程のことがない限り痛手にはならない。
だが指揮者は、言わば舵取りを務める船長だ。あらぬ方向へ舵を回されたら、大惨事なんてものじゃない。
指揮にもちゃんと楽譜はある。でも、それに従って指揮棒を振っていれば良いというわけでもない。曲への理解に伴って、自分なりの解釈を加えなければならない場合もあるし、そもそも先導役として、演奏の乱れに気付いたらそれを譜面から外れてでも調整しないといけない。詰まる所、技術云々の前に、センスが――感性の良さが必要になってくる。その大役を、感性のベクトルからして異なる四季風に任せるのは、暴挙と言われても仕方ない。
「わかった?」
「いてもいなくてもって感じにしておけばよかったんじゃないか? 指揮者は意外に競争率が高いし、一枠しかない。そもそも、お前の一人天下だろうが。指揮者のポジションは」
奏の担当は指揮者。フルートとヴィオラも出来るが、当時は奏以外に最初から指揮を出来る人間がいなかったのと、技術差で浮くのを避けるためには、止むを得なかったそうだ。それを聞いたときはかなり上からな判断だと思ったが、ほとんど正論でもあった。
「そうね。私がやる限り不動なのは当然よね。でも、やけにそいつの肩持つわね。それが、どうも気に入らない」
「聞いてて納得できる点はかなりあるよ。でも、扱いが不当すぎると思った。どうして、それだけで四季風がそこまで中傷されないといけない」
異端的過ぎるからって、普通に「キモい」と呼ぶのはおかしい。最近は虐め問題も注目されてるのに、こんなのが露呈したら活動停止は当然と思って間違いない。四季風が難聴だから好き勝手してるのかもしれないけど、正義感あふれる誰かの耳に入ったらマズイはずだ。
「単純な話よ。部内の総意が、そいつには消えて欲しいからよ」
「―――」
絶句した。驚愕で何も言い返せない内に、奏は説明を付け加える。
「聞こえてなくても、雰囲気で蔑ろにされてるのは分かるでしょうし、タクト振らせてももらえない境遇に追いやられてたら、その内逃げるに決まってる。なのにしぶとく残ってて、みんなが迷惑してる」
「異端者は追い出すべきか? 音楽の嗜み方が違うだけで、不必要な存在なのかよ」
四季風に特別な感情は無いけど、単純に奏の言い分が胸糞悪くなってきた。扱いに困ってるのかもしれないが、迫害が正しいわけはない。
「不必要なだけならほったらかすわよ。でもね、そいつのせいで被害被ってるから追い出したいのよ」
だけど、奏も感情的に声を荒げて反論してくる。
その被害とは――
「練習中、うんざりするほどミスを指摘するのよ。重箱の隅突くかの如く」
「誤魔化しがきかないって点なら良いじゃないか。質が高くなる」
それはどう考えても逆切れだった。でも、俺の言いたいことを悟ったらしく、奏は不機嫌さを一層見せて詳しく説明した。
「ドシロートに指摘される屈辱って分かってないでしょ。おまけに、聞こえてないはずなのに気付いてくる。共感覚で理解は出来るっていうのは認めるしかないけど、それでも不気味だし、なによりも私たちの為の音楽を、部外者の素人の方が分かってるって、ふざけんなって言いたいのよ」
「……お前、自分がプロって思いこんでないか?」
「え?」
半分は勢いで言ってるであろう奏の言い分を聞いて、同情するよりも、馬鹿馬鹿しいと思って一気に冷めた気分になった。なので、状況を鑑みて、今の奏が最も癇に障るに違いない言い回しで非難した。
その結果、奏は今までの態度を忘れるほど呆然としていた。
「幼い時からレッスン受けてるからプロってか? んなわけないし、第一、お前みたいな経験者ばかりってわけでもないだろ。相手が本当の素人でも、耳が良ければ気付かれるミスするようなアマチュア以下の方が圧倒的なはずだ。言っておくけどな、四季風はイヤホンから漏れた音の違和感に感づくほどの音感の鋭さがあるぞ。むしろ、迫害されてなお意志を曲げないこいつの根性を認めてやるべきだろ」
そうやって呆けている間に、言葉を挟む余地を与えずに正論をまくし立てた。
ここで何を返されようが、俺は今更、奏の言動に対して賛成することは絶対にない。ミスを言われて逆切れなんて、無様としか言いようがない。
意識だけはプロで、他人を顧みないようなやつに味方してやる気はさらさらない。
加えて言えば、俺の価値観では今のこいつにプロを名乗る資格もない。
「大方、素人だからじゃなくて、内心見下してたやつにあれこれ言われるのがたまらないんだろ。屈辱を憂さ晴らしに使うんじゃなくて、真っ当に黙らせるための反骨心に――」
ここまで言ってやってなお四季風を虐めるようなら、俺が直々に部室に乗り込んでやろうかとも考えながら言葉を並べているところに、その四季風が袖を引っ張って俺の口を遮った。
「なんだよ、しきか――」
振り向いて、それを見越して用意してあった四季風の携帯の画面を見て、俺も調子に乗っていたと反省させられることになった。
「チッ……奏、これ以上はガチの揉め事になりそうだから話切るぞ。あと、四季風借りるからな」
言い負かされて強くは言えないからか、小声で「ご勝手に」と許可を出した。
『よし、邪魔の入らない場所で話をしよう』
当初の目的通り、どっちかの教室へ足を向け直す。四季風の勇気を無下にはしたくない。
二人が文字でやりとりしてる部分ですが、一言に収まらない部分に関して、一文一文「。」で締めている方が紫音、そうじゃない方が四季風の言葉です。