吹奏楽部
内容を読めばわかるのですが、サブタイの候補はほかに「シオ」がありました。が、こっちは別のところで使います。
(人を責めて自分をダメにするな、ねぇ。随分と胸に刺さる言葉だ。俺も四季風も、奏にとっても)
あの本を取ったのは、なんとなくじゃなかった。四季風は知らない理由があった。
カラヤンは、奏が敬愛する指揮者だ。その名前が目についた瞬間、それを思い出して、つい手を伸ばしていた。知っていたのはそれだけだ。
音楽に関する知識は、楽曲や楽器、音楽家も選別せずに身に着ける方針を取っている
だけど、カラヤンだけは知る気はなかった。なかったはずだ。
知りたくなかったからだ。自分の心を、より深く抉る気配しかなくて。
そう思っていたはずなのに、今日あの名前を見たとき、以前のような忌避の気持ちが湧かなかった。それが気になったのもあって、気が付けば取っていた。そして思うところのある格言を見つけてしまった。
(自分でも気づかないうちに、気持ちに変化が起きてるな。四季風と会ってからかな?)
災い転じてで、姉さんとの関係が多少改善された。加えて、こうして自分のトラウマを刺激するものに対する、受け入れが出来るようになっている。
好転している。自分にとって。それを少しずつ自覚して、思わずほくそ笑んだ。
「なに一人でニヤニヤしてんだ?」
「ん? おお、武田か」
その姿を咎められたことで、意識が声のほうに向いた。そちらを見ると、立場上敵に当たるやつがいた。
「足折ったのか? それ」
「ヒビ。慣れつつはあるけど、おかげさまで苦労してる」
「ついさっきシッキー見たが、お前があいつとイチャイチャしてるって本当なのか?」
「ああ、本当だよ。不可抗力で足を踏み折られるくらいには、肉体的な接触もあった。それ以外でも、暇さえあれば二人きりでマンツーマン指導をね」
「ははは、お前のからかいに対して、敢えて乗っかってくる姿勢は相変わらず好きだね。その辺、あの石頭とは大違いだ。で、どこまで行ってる?」
この、短くしてツンツンと立てた金髪と崩れに崩れた私服と合わせて、見るからに軽薄な性格の男は、武田龍二。奏が現リーダーを務める、吹奏楽部のホルン担当。腕は全国レベルだ。
「俺はお前ら吹奏楽部の現況に関して、その言葉をそのまま返すぞ」
熱意は、これから問う必要があった。
「練習してるのか。あの向こう見ずと」
「してるさ。家で毎日30分ほど。腕は錆びついてないぞ」
「合同は? あと、さっきまで何してた?」
「合同は2か月ほどしてない。何人かで集まってセッションをしたくらいで、さっきまではゲーセンの百円パチンコで遊んでた。メダル荒稼ぎだったぜ」
「はぁ……。相変わらずだな」
胸を張って笑いながら言い放ったそれに、ため息を返した。
こんな奴らでも全国大会上位者になれるんだから、非常に歯がゆい気分になる。
正直、今のこいつらは嫌いだ。こいつらというのは、奏以外の主戦力がほぼ、この武田と同じように協調性を持たない点だ。
個々の実力の高さにものを言わせて我を通す。単純に不愉快だ。先ほどこいつは、奏のことを石頭と言ったが、あいつを意固地にさせているのは、こいつらの行動も確実に原因の一つだろう。
手に取っていた参考書を棚に戻して、そこに背を預けて、会話に集中することにした。
「たまには付き合ってやれよ。吹奏楽は団体行動だぞ」
「言い方がぞんざいすぎて、付き合う気がなくなる。あいつには統率として才能が全くないね。どうして俺らが反発してるかを理解してない」
「俺も再三言ってるが、スパルタだった時代をもう一度が嫌ってのは、甘えだろ」
「実力が証明できる限りは、甘えた行動も大目に見てもらいたいね。第一、あれにとって俺たちは、自分が栄西に行くための道具だぞ」
「やっぱ、奏も栄西を目指すのか」
プロを目指しているなら、この界隈で栄西を選ばない理由はない。ただ奏の成績では、普通受験は補助点を加味しても厳しい。だから何が何でも、芸術特待を勝ち取るくらいの気概で臨まないといけない。
「付き合ってやれよ。もう半年あるかないか、受験勉強を優先していいって確約を取り付けるくらいなら、俺が交渉に付き合ってやる」
「おいおい、お前は敵側だろ。塩送る真似してていいのかよ?」
「それとこれとは別だね。お前らの冷戦に巻き込まれてる後輩たちが可哀そうだ」
「学外で結構教えてるぞ」
「学校でやれ。部活は学校でやるのが基本だ」
「へいへい気が向いたらね。今は受験勉強させてくれ」
目に見えて邪険にはしていないが、まともに取り合う気もなさそうだった。
「まったく……」
それに対して、あきらめのため息をついた。
今の奏が率いる吹奏楽部は、主力陣が完全に仲違いを起こしている。原因は概ね奏の方にあった。武田が言ったように、自分のキャリアのために部員を道具のように扱き使おうという気配がある。
とはいえ、奴隷のように搾取しようというつもりは、本人にはない。
自らが指揮者として、グループのリーダーとしての役を務めようと尽力している。むしろ、その力の注ぎように、誰もがモチベーションの点で付いていけないのだ。にもかかわらずあいつは、自分の水準を他人にも強要しようとした。そして今もしようとしている。それが関係の亀裂を引き起こした。
もともと、武田たちは既に卒業した先輩たちの相当なスパルタ練習を受けたことで、実力の対価として相当な苦労と時間の投資を強制されていた。楽器そのものは好きでも、あの吹奏楽部にはあまりいたくない、そう考えていても、当時の先輩たちはそんな彼らの首引っ掴んで練習させていたそうだ。
その頃は俺も別件にかかりきりで現場を知らなかったのだが、いざ先輩たちがいなくなって自分たちが最高学年となった途端、今まで失った自由を謳歌すると言い訳しているかのように、怠けだした。
そのスパルタ教育に容易く順応できた奏は当時の基準で運営しようとしている以上、付き合う気がない今の主力陣とは対立するしかない。
「他人を責めて自分をダメにするな、だな」
「なんだそれ?」
「奏が好きな指揮者の格言。自分の正当性を主張するために、相手に非があるからと言い訳してると捉えれば、正に互いがそうだ」
「あいつがそれを怠ってるとなると、皮肉も良いところだな」
自分にも、自分たちにも刺さる言葉だというに、武田は鼻で笑った。
「お前らが笑う権利はないからな。それに、逆に考えてみろ。互いに、相手に対して歩み寄ろうとする努力があれば、改善の見込みはあるんじゃないかって」
武田の顔を見た瞬間から、その考えが浮かんでいた。それは自分の心境の変化を確かめていたところに見たからというのもあっただろう。
自分の論を通すために対立するのではなく、相手の論の譲歩できる部分を探して、折り合いをつける。それだけで大幅に状況は改善されるはずだ。
「俺らはともかく、あいつに話し合いが通じるとは思えない」
「そういう態度がことごとく、この言葉に引っかかってるんだぞ。だから、まずは話をしてみろ。俺が仲介に立ってもいい」
「今日はやーけに情熱的だな。心境の変化でもあったか?」
未だ、真面目に取り合う気はないらしい。聞く耳は持ちつつ、しかし受け止めるつもりはさらさらない。
「あっても内容は教えない。茶化されたらキレる確信がある」
「それは止めたギターの話かな? シオさんよ」
警告した矢先に踏み込んできた。
口ぶりは真面目さには欠けつつも、決して笑ってはいない、神妙な声を初めて出してきた。
そしてその発言は、俺にとってのタブーな話題だった。奏や武田の、会えば話をする程度には親交のある吹奏楽部メンバーは共通して知っている。知っているがゆえに、誰もそれを話題には出さないよう、努めてくれていた。
それを今敢えて、武田は踏み入ってきた。きっと、俺が反応を見せたら小突いて、そのままからかって自分に都合の悪い話をごまかそうという魂胆だ。
「はずれ。別に復帰しようとか、そういう話があったわけじゃない。深読みしすぎだバーカ」
しかし、見当違いの話では動揺もくそもない。肩を竦めて、せせら笑いを作って、武田を馬鹿にしかえした。
「わりと自信を持って言ったんだけどな」
結果、むしろ武田の方が面食らっていた。
「口調も作ってたから、滑った感じは否めないな。内心恥ずかしがってるだろ」
「うるせぇよ。……んじゃまあ、始業式の時にでもまた」
「負け逃げ」
「だからうるせぇって!」
赤っ恥かかされた武田は、歯切れ悪くなりながら俺に背を向けて歩き出した。
その背を見つめて、思う。武田だけに限らず、今の吹奏楽部の主力陣を想起して。
ひたすら、もったいないなと。
そして、自分もあまり、あいつらを非難する権利はなかったなと。
スタンスのせいでもったいないことをしている点は、武田に言われたシオの件で同じだから。
内心、嬉しさが勝っていた心境の変化に、モヤモヤとしたものが浮かんできた。
いずれ、向き合わなければならないのだろうか。
「……そういやお前、ここには何しに来たんだ? 勉強するような性格でも――」
「いや受験勉強は俺でもやるからな!」
「お前がぁ? 数学とかなんのためにやる必要あるんだとか愚痴るタイプだろ」
「テメェ、俺だって茶化されてキレる瞬間ってあるからな!」
もう少し、吹奏楽部のスパルタ時代の説明はあってもよかっただろうか?