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練習再開

『ではご招待だ。汚い部屋だけどな。』

 その言葉と共に招かれた紫音君の部屋は、汚いというより散らかっているが正しかった。でも一目見た瞬間から、息が一瞬詰まるほどの衝撃を受けた。

 ベッド、学習机、テーブルや座椅子。そういう学生らしい物はほとんど最低限だけで、整理されてるというより生活感に酷く欠いている。

代わりに、おびただしい数のCDのパッケージが部屋を占領していた。

 本棚の中は、男の子らしくマンガ本を入れてる……なんてことすら、少なくともここから見える範囲にはない。収納スペースのどこを見ても、CDのプラケースが並んでいる。ジャケットの背表紙で色彩が出来てるのを綺麗と少しだけ思った後、ただただ、ドン引きするだけだった。しかも、CDはその本棚だけに収まり切ってない。自由に動ける最低限の範囲を残して、床にも所狭しと積んである。私が普段使うCDラジカセより、明らかに高価な大型コンポの上にも。学習机の上段の棚にも当然として。

 とにかく、どこを見てもケースが目についた。

(目がチカチカしてきた……)

 ケースに光が当たって出来る独特の光沢が、常に目について回る。こんな中で生活してる紫音君は、かなり変人なんじゃないかって思い始めてきた。

『少なくともドン引きしてるだろ。大丈夫だ。趣味の領域を抜け出してる自覚はある。』

 そっと差し出された文面には、自虐的な言葉が書かれていた。自覚はあるらしい。

 紫音君は先に部屋に入ると、すごく目立ってる本棚の上の方に手をかけると、サッと引っ張った。すると、上から暗幕が下りてきて、本棚一面のCDを隠した。

(眩しいとは思ってたんだ)

 それだけで、一般的な感覚はしてると思えたから安心する。それでも、一番目立ってる所が隠されてなお、明らかに常軌を逸している量のCDが見えることには、異常としか言えそうにない。

 紫音君が手招きしてくるので、私も続いて彼の部屋に入る。入って扉からは見えない位置も見えるようになると、クローゼットにシ○のポスターが貼ってあったり、ベッドの脇にバンド系の雑誌が散らかってるのを見つけた。ロックバンドが好きなのかなって思ってたら、平積みCDの中に、ボーカロイド系のジャケットも見つけた。音楽なら何でも好きなのかもしれない。

『適当に座イスにでも座ってて。用意するから。』

『手伝うよ』

『松葉杖使ってても大したことないからいい。それに、部屋の勝手がわからないだろ。』

 でもと返したかった。けど、それを打ってる間には紫音君は私に背を向けていて見ることはなく、行動も机の引き出しから片手に収まる量の資料を取り出すだけと、実際に大したことはなかった。

『色々考えた。時間を無駄にしないで練習する方法を。

その結果として、予め教えようと思ってることは紙で用意することにした。

必要になれば出していくから、まずはこの間の答え合わせだ。

メトロノームを止められた理由を答えろ。』

(ああ……。忘れてた)

 紫音君も、私と同じように悩んでたのに、それと並行して準備してくれていた。

なのに、私は何も手付かずにしてボケっとしていただけだから、完全に黙ってしまった。

これを答えられないと判断して、紫音君は何も言わずに手に持っている紙の一枚を表にした。

[ANSWER:あの時、俺はメトロノームの周期を3/4で刻んで振っていた]

『どういうこと?』

 その答えを聞いても、私は全然理解できなかった。紫音君が伝えたいことも、彼があの日そうしていた理由も。

『自分のリズムを安定させられるっていうのが、指揮者を務めるうえで重要なことなんだよ。』

 その後の補足をスマホに入力して、次々と私の疑問に答えてくれた。

『例えば演奏がだんだんテンポが速くなっていたとして、指揮者もそれに釣られていることに気付かないようじゃダメなんでね。本当は指揮中に矯正できる技量を持つことがいいんだが、そんな時間もないので、自分自身のリズムを絶対的に固定する方針を取った。指揮者として正しい在り方はゆっくりとやる。』

 そこまで聞いてようやく理解できた。リズム感を養うためのトレーニングだったと。

『わかった』

「(オッケー。それじゃあ――)」

 何かを言いながら紫音くんは新しい紙を取り出した。

[LESSON:四分の三刻みを維持。メトロノームが帰りで斜め45度になった所を意識して、三拍子で指揮棒を動かす]

 あの日の練習をもう一度ということだった。そして紫音くんは、その紙の横に置いてあったメトロノームの針を動かした。

 それを開始の合図と判断して、私は新しいタクトを構えた。

 (使いやすい)

 丁寧に加工された木の持ち手の手触りはすごく滑らか。持ち手の先はちょうど良い重量を感じられて、試し振りの時も一振りで気に入ることができた。

(四分の、三拍!)

 指示されたとおりにタイミングを合わせてタクトを振り始めた。

(四分の三、四分の三、四分……あれ?)

「はいアウト」

 私が違和感を感じた時と、紫音君が中止させるのが一緒になった。

『何で止められたかと、この練習で手に入れようとしてるものがわかったか?』

 それから、こうなることを見越したように、すぐに私の失敗について訊ねてきた。

『テンポが狂った。だから、安定感』

『正解』

 私の答えを聞いた紫音くんは、予め用意していた紙を私に向けた。

[COMMENT:メトロノームに釣られてテンポがずれた。妙な注文付けていた理由はそれを理解させるため。これを突破して、その後もタイミングを変えて繰り返すことで、自分の中でぶれないリズム感を養う]

 正にそうだった。気づけば針が中央に来るタイミングでしか、タクトを振っていなかった。自分の意識に反して体は反応してしまうのを堪えることが、この練習の目的だと直感した。

(よし!)

 ズバリな回答だったのを知って、グッと拳を握りこんで嬉しさを噛み締めた。

「図に乗るな」

「いたっ!?」

 いきなりおでこを何かで突かれた。本当は痛くなかったけど、不意打ちだったから思わず声に出た。

 おでこを押さえながら何をされたのか確かめると、紫音君もタクトを……いや、指示棒を持っていた。先端にピストルみたいな形を取ってる手が付いた。

『ガッツポーズは、実際に出来るようになってお墨付きもらうまで我慢しろ。』

 意地悪くせせら笑って、指示棒の先をゆらゆらと揺らしている。おちょくるような仕草だけど、紫音君の言い分ももっともだと思った。出来ないと、わかってても意味が無い。

気を引き締めなおして、タクトを構えた。すると、紫音君は澄まし顔を作って、メトロノームを再び動かした。

言われたことをこなそうと何度も練習して、何度も失敗して止められる。その度に紫音君に一笑されて、

少しムカッとしながら再開する。

それを十分も繰り返したら、確実ではないけど、だんだんとブレないようになってきた。

「(よーし。一旦やめ)」

 紫音君が声を出しながら針を止めた。その声が好意的な温かい色をしていて、出来てると認められたのがわかった。

「じゃあ――」

 それから、ニヤッと含みのある笑顔を見せて、針に重しを弄りつつ――

「――位置とスピードを変えるぞ」

 また針を振らせる。一気にテンポが上がってる。

[次、三分の二。]

 振るタイミングと周期についての図解まで描かれた紙面を見て覚えてから、私は合図のために彼に頷いた。

 針が動き出して、自分のタイミングで始めた。

 一周するまでの間にずれた。

[一ヶ所出来たからって意味はないぞ。むしろ感覚が狂ってる状態になってるからな。色々と感覚を狂わせまくって、その末に自分の意識で感覚を調整できるようになれば完璧]

 私が失敗するのを予期していたように、次の紙が捲られた。正にその通りなので反論せず、すぐに再開した。

 その後も何度も何度も、慣れてきたらリズムを変更されて、前回の慣れに引きずられるのに苦戦しながら慣れる。

 やってると分かるのは、テンポ自体は変わらないこと。基本は裏拍を取る練習だってこと。でも、針を目で追ってるとずれる。表拍を取ろうとしてしまう。さらに頂点で音が鳴るタイプだから、音にも引き込まれる。

 二重の誘惑に振り回されながら練習する私を尻目に、紫音君は机に向かって何かの書き込みをしてる。

その合間に考え込むように手を止めて、手慰みで指揮するようにペンを振る。

律儀に、私に課したリズムで安定させて。針を見ていないけれど、音は彼にも聞こえている。それに釣られている様子はなかった。

 それは、出来てると言うより、慣れてるが正しかった。私にやらせていることを、自分も何度もやってきた結果みたいだ。

(頑張ろう。出来るまで何度でも)

 ずっと一人で練習する日々だった。誰も教えてくれなくて、それでも本で出来うる分には知識や技術を身につけた。でも、やってるとわかるのは、私が身につけたものは、独学とすら言えないレベルでしかなかったってこと。

 字だけだと形しか身に付かない。動作の基本だけで、実際の感覚はほとんど得られない。すぐそこにいる、教えてもらった練習法の体現者がそれを教えてくれた。

 私の今までは無意味だったって、落ち込みたくなる気持ちは強かった。でも、ようやく出会えた師匠

――いや、友達の温かさを噛み締める喜びと、今から本当の努力をしようって意気込みの方がずっと強かった。

 だから、今の出来る限りをやろう。今しかないんだから。

 私が指揮者になれる可能性は。

サブタイに困る内容だった

あとやるやつなんていないはずですが、練習のやり方は絶対にマネしないでください。付け焼刃の雰囲気を醸しつつ、それっぽいやり方をでっち上げているだけです。


リアル指揮者に問われるのは

曲への理解と、人間関係の構築です。技術は真面目な話、優先順位は低いそうです。

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