誰が悪いのか
話がガラッと変わる場面がありますが、分割するとそれぞれ短い気がするのでまとめてあります。
(紫音君、今日は練習日だけど、ちゃんと来るかな……?)
お互いの予定を相談して組んだスケジュール通りなら、今日の昼過ぎから来ることになってる。でも、会うのはすごく気まずい。
折れたタクトについては、ある程度の踏ん切りがついた。いつかは壊れて、買いなおすことになったんだって。その寿命が今だから、お疲れ様と言おうって。
だけど、紫音君は重く感じてそうな気がする。半分以上一方的な約束だけど、一人前にしてやるって言って、あんなことになっちゃったし。
元々は、私の間抜けが発端なのに、笑われたことにカッとなって、タクトを武器にするなんて馬鹿なことをしたんだし。
(あんなこともあったし……)
で、思い返すと一緒に、紫音君の真上に倒れこむなんてこともしちゃったのを思い出すわけで。
(~~~)
人付き合いに乏しくても、あれが一般には付き合ってる人たちでやるようなことであるのは知ってる。それを事故とはいえやってしまって、思い出す度に顔が熱くなってくる。抱えた膝に埋めてごまかそうとしたくなっちゃう。
申し訳なさや謝りたい気持ち、気後れしてしまう記憶が頭の中を埋め尽くして、貸してもらったCDとかに全然手をつけてられなかった。気を紛らすために流しても、意識が見ることに集中出来ていない。タクトも無いから練習も出来ない。
こうして、手持無沙汰で考え事ばかりする、悶々とした二日間を過ごすことになった。
(……車?)
紫音君が来たのを事前に知るために開けておいた窓から、流れてきたのは自転車の音じゃなくて車のエンジン音。家の前を通る車はたまにあるから、その音が流れ込んでくること自体は気にしない。気になったのは、その音が家の前で消えたこと。
気になって、窓から体を乗り出して覗いて見ると、確かに家の前でワゴン車が停まっていた。
その車の運転席から、誰かが出てくる。
(きれいな人……)
薄い青のロングワンピースを来た女の人だった。顔は見えなかったけど、遠目でもわかる纏まりのある長い栗色の髪が印象的だった。
(誰だろう、あの人)
セールスじゃなさそうだし、宗教勧誘かな? それならすぐにお母さんに追い出されそう。
今の私には、普通に来客という発想は出てこなかった。でも、私の部屋に設置してあるインターホン用のスピーカーが鳴ったことで、私に用がある人だということをようやく知った。
(私……?)
あんなきれいな人に知り合いはいない。初めて見る人が、私に会いに来るなんて思ってもみなかった。
だから、すごく怖くなった。
初めてのことだから何も分からなくて。第一声で何を言われるかすら分からなくて。私の一挙一動がどんな不快感を感じさせるか。考えて、すごく不安になる。
心の奥底でビクビクしながら階段を下りて、訪問者と顔を合わせた。
『こんにちは、私は弥弦円といいます。紫音のお姉さんです』
私の顔を見た女の人は、胸の高さに持ち上げたスケッチブックの一面に、マジックペンで書いた綺麗な字はそう書いて見せつけた。
見た途端、持っていた恐怖心がフッと消えて、思わず大きく息を吐いた。
正面から向かい合って、本当にきれいな人だと思った。
ヒールを履いてて、2階でも見た服装の整合から、どこかのお嬢様に見える。少しだけ微笑んでるけど、愛想笑いには見せない気品があって、それのおかげで、初対面から緊張感をもつことはこの人に限っては無かった。
『初めまして、四季風彩です』
「(本当に速いのね)」
私の文字入力の素早さに、円さんは思わず声を漏らしていた。その内容がどんなものかは認識出来ないけど、声の色と軽く目を見開いた反応から、普通に驚いてるのがわかる。
『じゃあ私が来た理由を言うわね。私と紫音の家に来てほしいの。お母さまからは今了解ももらったわ』
「え?」
すぐに切り替えて笑みを戻すと、円さんはスケッチブックをめくって、新しいページにマジックで言葉を書いて、そう伝えられた私は、思わず声が漏れた。
『どうしてですか?』
意外なことで、内心ではすごく焦った。でも、文字にはそれが表れないから、落ち着いて書きさえすれば、会話が滞ることはない。次の言葉を受け止める心の準備は別として。
『男の子の家にお呼ばれされて、緊張するのは仕方ないわよね――』
心の中が完全に見抜かれていて、ストレートに指摘された。はっきり言われた途端、顔が少し熱くなったように感じた。
『――でも、来てくれないと紫音が困るの。足折って、家から出られなくなっちゃってね』
「え……」
でも、その後に書いてあった言葉に、一転して血の気が失せていくような感じをした。
「――おん」
(ん?)
呼ばれたような気がして、うっすらと目を開けた。寝起きで目の焦点がちゃんと合ってなくても、輪郭で姉さんだとすぐに気付けた。
(………、ああ、飯ね)
呼びに来た理由は間違いなくそれだろう。何度も同じ展開があったし。でも、今回に限って頭の働きが鈍くて、返事が遅れた。
それが、姉さんにとっては聴こえてないと判断されたんだろう。
「起きなさい」
その結果、右足の脛辺りを蹴られた。
「いっ――!?」
激痛が脳に上って、一発で目が覚めた。だけど、四季風に踏まれた所を絶妙に蹴られたせいで、姉さんの存在を無視して、ベッドの上で呻いて、うずくまる事しかできなかった。
「紫音?」
俺の異常な様子に、姉さんはいぶかしむ様な声を出す。
「……紫音、ちょっとズボン捲くりなさい」
言い方は俺に仰ぐ形をしてるけど、実際は姉さんが強引に、足を掴んで生足を晒された。
「どうしたのこれ? 打撲じゃ言い訳できないわよ」
一瞬だけ、絶句するように驚いた顔をした後、すぐに険しい顔をして、俺を問い詰めた。俺も、荒く息を吐いて我慢できるくらいになってきてから、自分でも足がどうなってるかを確認した。皮膚の下が気色悪いほど青黒くなって腫れ上がっていた。
「自転車で転んだ」
意気揚々と出かけて、教え子(予定)にやられたとは、とてもじゃないけど言えない。
「本当のことを言いなさい。そんな理由ならとっくに病院行ってるか、帰ったその場で私に言うでしょ」
でもあっさり嘘と見抜かれて、姉さんに追及される。その細く長く、綺麗な人差し指の腹を患部に据えられ、それだけでもじんわりと痛さが湧いてくる。
結局、事の顛末を白状することになってしまった。些細なアクシデントが喧嘩の火種になって、四季風のタクトを結果的に破壊したこと。俺も事故で足を踏まれて、こうなったってことを。
ベッドの端に腰掛けた姉さんは、途中で口を挟むことは一切しないで、目を瞑ってじっと聞いていてくれた。そして、俺の話が終わったタイミングで、スッと目を開けた。
「十中八九、あなたが悪いわね」
「それは自覚してる。四季風の感情の琴線を、もっと見極めとくべきだった。でも、あの場では建前みたいな謝りしかできなかったんだよ。自分の思い出の品を失って、もっと感情的に俺を責めてよかったんだ。でも、あいつは無理やり許そうとした。強がって、それでも抑えられてない涙をこぼしながら」
それを見てからは、なにも言えなくなってしまった。頭に浮かぶ謝罪の言葉は、どれもが逆に、四季風を冒涜するような気がして。時間に任せて逃げ帰ることしか、あの時の俺にはできなかった。
「七年前、姉さんもこんな思いをしたの? 俺に対して」
あまり話題にしたくない過去を例に出したら、姉さんも思い出したくないようで、嫌そうに軽くため息を吐いた後「ええ」と小さく肯定した。
「あなたにあれが突きつけられた時、姉弟としてどんな顔をして、どんな言葉をかければ良いんだろうって、夜も眠れないほど悩んだ。慰めたら余計に傷つけるんじゃないか、でも黙ってるわけにもいかない。なら、どう言ってあげるべきなんだろうって。……結局、あなたと同じ選択をすることしか、私には出来なかった」
「そうだね。あの時は逃げたと思ってたし、それを恨みもした。でも、あの時はそれで良かったと思う。下手に慰められても、妬み僻みで、姉さんに酷いことを叫んだと思うから。同じ気持ちをして、姉さんの苦労が分かったよ」
思いやりは声では伝わらない。どれだけ相手のことを思って言葉を並べても、どこか嘘っぽく見えてしまう。四季風の音を見る力なら理解してくれるかもしれないけど、あの場では単純に、謝ろうとすること自体が出来る空気じゃなかった。
「で、これからどうすればいいんだろう……」
先延ばしにしただけであって、何にも解決はしていない。タクトの弁償は当然として、改めて今回のことを謝る必要があるわけだけど、そもそも会うことに気が引ける。
「何言ってるの。面と向かって謝ればいいのよ」
そこに、姉さんが口を挿んだ。
「いや、謝るのは当たり前……」
「そこじゃないわ。紫音が悩んでいるのは、謝ったあとの関係がどうなるかでしょ? でも、謝ることさえ曖昧にしたら、それは禍根として、互いの胸の内にずっと残るわ。七年前のあの日から起こってきたあなたの不幸は、あなたのせいでも、わたしのせいでもなかった。でも私のせいじゃないのかって私は悩んでしまって、結局落とし所が見つけられなくて、互いのタブーとしてはっきりとは触れないようにしてしまった。だけど、今はわかりやすい問題点があって、あなたが全面的に悪いって、紫音自身が認めている」
「……そっか、そうだね。抵抗なく謝れるって、思い返すと難しいことか」
その通りだ。あの時、姉さんは何も悪くなかった。だからこそ、どう声をかけるべきか悩んでいたんじゃないか。それに比べたら、俺の問題は……
「四季風にちゃんと頭を下げるよ。叩かれるのも我慢して」
姉さんの言葉で、踏ん切りがついた。重く圧し掛かってた罪悪感も、軽くなったような気がした。
「ありがとう姉さん。すっきりした」
「良かった。でも、まずは病院行こうね。骨折してたら春休みは外出禁止だから」
「……そうだったね」
痛いのにも慣れて、足のことをすっかり忘れてた。
本音を言うと、四季風を家に迎えたくはなかった。俺の負担を差し引いても。
来てしまうと、あいつに俺の家事情を知られる可能性があるから。
姉さんに肩を貸してもらいながら車に乗り込んで、すぐさま病院へ向かった。医者に診てもらって、亀裂骨折。要はヒビと言われた。
個人的な理由から、外出していいか聞いたら、医者には見事に失笑された。
「(〇〇〇)」となっているのは、相手はこう話しているけど、四季風には言語として伝わらないという表れです。彼女は意思疎通を色の変遷で把握しているので、ニュアンスで受け取れると言い訳しておきます。
コミュニケーションは取れるようにしないと話が進まないので。