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幻燈奇譚  作者: 紫藤市
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 空が黄昏色に染まり、蝉の鳴き声も一段落した頃、葭屋に集まった客たちは奥座敷に移動してきた。屋敷の庭の(いし)(どう)(ろう)には(ろう)(そく)の炎が灯され、軒下にも(がん)(どう)提灯(ちょうちん)が吊り下げられている。

 客たちは団扇(うちわ)で首筋を扇いだり、手拭いで汗を拭ったりしながら、奥座敷の座布団の上に腰を下ろした。部屋の中は灯台の明かりがひとつしかなく、(ほの)(ぐら)い。いつもは開け放っている(ふすま)を閉じ、その奥に用意された錦影絵の幕を隠していた。

 央為たちは幕の裏に座り込み、出番がくるのを待つ。

 まず、葭屋萬左衛門が怪談をふたつ披露した。どちらも幽霊話だが、薄気味悪いというよりは面白可笑しい話だった。途中までは顔を強張らせていた客たちも、話の落ちを聞いた途端に賑やかな笑い声を上げる。

 萬左衛門は自分の怪談が終わると同時に、ぽんぽんと手を叩いた。それを合図に、閉じていた襖が開けられ、客たちが集まる部屋の灯明は消される。

 外から差し込む灯籠の炎と月明かりだけが、ぼんやりと人々の顔を照らす。

「お待たせいたしました。それでは、本日お集まりいただきました皆様に、小郷座の新作怪談をご披露いたします」

 幕の脇に座った幾澄が(とう)(とう)と口上を述べる。

 鳴り物の三味線を奏者が掻き鳴らした。

――これは、とある街道の某宿場町であった話でございます。一軒の茶店に、糸という名の、それは大層美しい娘がおりました。

 熊のような容姿からは想像できないくらい深みのある(ろう)(ろう)とした声が、奥座敷に響く。

 同時に、幻燈機の灯明に火が灯され、幕には峠の茶店の景色が映し出される。

 しばらくは出番がない央為は、幕の隙間から顔を出し、客たちの反応を見ていた。

 客の前列に座る深志倖之丞は、錦影絵にあまり興味がないのか、ぼんやりとした表情で幕を眺めている。食事をした際に呑んだ酒の酔いが回ってきたのかもしれない。糸の名前にも、これといった変化は見せなかった。

 客の背後の奉公人たちが並んで座っている中に、玉の姿はあった。神妙な面持ちで幕を見つめており、糸の名が出ると、背筋を伸ばし、さらに幕を睨むように凝視する。

――糸には俥之輔という名の想い人がおりました。俥之輔は江戸と京を頻繁に行き来しており、この宿場町を通る度、糸の店に立ち寄っておりました。

 幕には糸と俥之輔が逢い引きする姿の絵が映し出される。やがて、俥之輔が糸へ一方的に別れを告げる場面から、大店の娘と祝言を上げる光景に変わる。俥之輔の裏切りを知った糸は病に倒れ、医者には余命幾ばくもないと告げられる。糸は俥之輔に手紙を書き、今生の別れとなる前に一度で良いから会いに来て欲しいと頼む。

――あぁ、俥之輔様はまだ会いに来てくださらないのか。涙で枕を濡らす糸が看病をする妹に尋ねると、妹は優しく答えました。きっと今頃、峠の坂を上っていらっしゃることでしょう。それを聞いた糸はしばらくは口を閉じて眠りますが、目を覚ますとまた、あぁ、俥之輔様はまだか、と尋ねるのでございます。

 物語の中盤までは、絵の場面が次々と変わるだけだが、幾澄は声色を使い分けながら調子良く語り、観客を錦影絵に惹きつける。

――()もなくですとも間もなくです。妹は糸を(なだ)めますが、いまや糸の命は風前の灯。なんとか生きている間にひとめ俥之輔に会いたいと、糸は一心に俥之輔の姿を求めるのでございます。ところがその頃、俥之輔は江戸にておりました。糸の手紙は読んだものの、死の淵にあるなど別れを渋る女の()(ごと)だろうと高をくくっておりました。

 家の縁側で(のん)()に酒を飲む俥之輔の姿が幕に映る。その左側には寝込んだ糸が起き上がる姿が別の幻燈機で映し出されていた。糸の姿を映す幻燈機を操る座員が、()り足で動き、幻燈機の向きを変える。観客からは糸が俥之輔ににじり寄っているように見えたはずだ。

――俥之輔様、俥之輔様、とどこからともなく自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、俥之輔は辺りを見回しました。はて、糸の声が聞こえたように思われたが空耳か、と呟いたときでございました。障子の隙間から、糸の顔が見えたのでございます。

 それまで糸と妹の姿を映していた幻燈機の絵は消え、俥之輔の横に別の幻燈機が映し出す糸の絵が現れた。

 幾澄は声色でたおやかな糸を演じている。

――あぁ、ようやくお会いできました。障子の隙間から顔を覗かせた糸が、やつれた顔で微笑んだのでございます。糸や、病で寝込んでいるのではなかったのか、どうやってここまでやってきたのだ。怪訝な顔をして俥之輔が尋ねると、糸は不思議そうに答えました。わたくしはいまも(とこ)に伏してございます。ただ、俥之輔様にお目にかかりたい一心で、あなた様のご到着はまだかまだかと首を長くして待ちわびている間に……。

 糸を映している幻燈機は手早く障子の種絵を外し、糸の上半身を大きく幕に映し出した。

――このように首が伸びて、俥之輔様のところまで来てしまったのでございます。

 にゅうっと糸の白い首が蛇のように長く伸び、ゆらゆらと頭を揺らす(ろく)()(くび)が幕に大きく映し出された。顔は最初と変わらず美しいだけに、長く蜷局(とぐろ)を巻く首がまがまがしい。

 途端、甲高い絶叫が座敷中に響き渡った。

 慌てて幕の裏から顔を出した幾澄は、客の最前列で腰を抜かし、恐怖で顔を歪めながら全身を震わせている倖之丞の姿を目にした。

「い、糸……糸……」

 (うわ)(ごと)のように呟く倖之丞の(しゅう)(たい)を、事情を知らない周囲は薄気味悪げに見遣っている。

 いままさに、倖之丞は錦影絵の轆轤首にかつての恋人である糸の姿と重ね見ていた。

「深志殿、どうなされた?」

 心配そうに萬左衛門が声を掛ける。まさか錦影絵の怪談で大人の男がこれほど怯えるとは考えもしなかったらしい。

「申し訳ない……申し訳ない……!」

 倖之丞は幕に向かって畳に頭を擦りつけながら土下座をする。

「深志殿。これはただの錦影絵ですぞ。深志殿、しっかりなされよ」

 萬左衛門が倖之丞の肩を強く揺さぶり、繰り返し呼び掛ける。しかし、央為たちが幻燈機の灯明を消しても、轆轤首の姿は倖之丞の目に焼き付いたらしく、ひたすら「申し訳ない」と(うわ)(ごと)のように呟くばかりだ。

 気を利かせた玉が湯飲みに水を入れて運んでくると、萬左衛門はそれを倖之丞の口に無理矢理注ぎ込んだ。口の中が水で溢れかえり()せ込んだところで、ようやく倖之丞は正気を取り戻した。

「大丈夫ですか、深志殿」

 探るような目つきで萬左衛門は倖之丞の様子を伺う。

「……は、はい。醜態をさらしてしまい、大変失礼いたしました」

 手巾で口元を拭いながら、まだ真っ青な顔を無理矢理歪めて作り笑いを浮かべ、倖之丞は声を震わせつつ言い訳をした。

「いやはや。あまりにも迫力ある錦影絵に肝が冷えました。さすがは小郷座さんですな」

 額や首筋に浮かぶ油汗を拭いながら、倖之丞は白い幕を恐ろしげに()()る。

「お褒めのお言葉、ありがとうございます」

 (いん)(ぎん)な態度で幾澄が頭を下げる。

 倖之丞に水を運んできた玉は、そんな倖之丞の態度を黙って見つめていた。彼女の顔にはなんの表情も浮かんでいない。倖之丞が糸の轆轤首姿に怯えたことに満足したのか、それとも後悔しているのかも、わからなかった。

「ただ、この演目は今宵限りとした方が良さそうですね。私どもはあくまでも錦影絵を楽しんでいただくために上演しているのであって、お客様に恐怖を与えるためにやっているのではありませんゆえ」

 暗に、倖之丞の怯え方が異常だということを匂わせつつ、幾澄が無念そうに告げる。

「なにをおっしゃるか。これほど凝った仕掛けをした錦影絵を二度と披露しないとは(もっ)(たい)ない。まるで本当に女の首が伸びているように見えて、面白かったですぞ。のう、玉や」

 轆轤首の演目が気に入ったらしい萬左衛門は大声で()くし()てると、この座敷の中では一番年若い玉に声を掛けた。

「お前はこの怪談をどう思う?」

 下働きの奉公人の顔と名前まで覚えているとは繁盛している大店の主人は違う、と央為は感心した。

 一方の玉も、まさか自分の名前を主人が覚えていたとは思わなかったらしく、軽く目を(みは)りながら、(ども)りつつ小声で答えた。

「こ、怖かったですけど、面白かったです。あの轆轤首の人がどうなったのか……最後が気になります」

「そうだな、そうだな」

 大きく頷きながら、萬左衛門は幾澄に向き直った。

「あの場面で終わりでないのなら、さきほどの場面からやり直して貰えないだろうか」

「構いませんが、そちらのお客様は大丈夫でしょうか」

 幾澄が倖之丞に目を向けると、死人のように土気色の顔をした倖之丞は物凄い勢いで立ち上がった。

「わ、私は気分が優れないので、これで失礼いたしますっ」

 悲鳴のような声を上げつつ、倖之丞は転がるようにして座敷から飛び出していく。

 それを冷ややかに見送った玉は、幕の背後から顔を出していた央為に軽く頭を下げた。

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