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幻燈奇譚  作者: 紫藤市
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 翌日、幾澄は再び央為の部屋に姿を見せた。

「見ろ! 徹夜で脚本を書き上げたぞ!」

 まだ墨が乾ききっていない紙束を頭上に振り上げる幾澄の目の下には、黒々とした(くま)が浮かんでいる。どうやら徹夜は誇張ではないようだ。昨日よりも無精髭は伸び、髪はさらに乱れ、走ってきたのか汗だくになっている。

 友人のあまりに酷い格好に央為は閉口した。

「あの娘から聞いた話を元に書いたのか?」

 玉の姉の悲恋は、どこにでもある話だ。

 街道の宿場町にある茶屋で働いていた玉の姉の(いと)は、その界隈では有名な美女だった。

 ある日家業の用で旅をしていた倖之丞が店に立ち寄り、糸を見初める。以来二人は倖之丞が宿場町を通る度に逢い引きをする仲になり、会えない間も倖之丞は頻繁に糸に熱烈な恋文を送っていた。ところがある日を境に手紙は途絶え、糸は人づてに倖之丞の結婚が決まったと知らされる。糸が倖之丞に真偽を問い質す手紙を送ると、別れを告げる返事が届き、それきりになってしまったというものだ。

 その後、糸は気鬱が高じて病になり、すっかり寝付いてしまっているという。男に対する恨み辛みは口にしないが、生きる気力を失っているのだ。

「そのままでは怪談にならないから、かなり脚色は加えた。それと、幽霊では地味だから、お前に借りた絵図を参考に、生き霊というか妖怪にしてみた。あとは、この妖怪の顔を糸に似せて描けば完璧だ」

 幾澄が差し出した紙束を受け取り、央為は出来上がったばかりの脚本に素早く目を通した。終始かなり字が乱れているが、幾澄の悪筆には慣れているので読めないことはない。

「……なるほど」

 一通り読み終えると、央為は唸った。

「悪くはない、と思う。最後の、糸の姿が妖怪に(へん)()するところは種板に仕掛けが必要だからかなり手間はかかるが」

 央為は腕組みをすると、脚本のどの部分を絵にするかを考え始めた。講談は幾澄が担当するが、幻燈機を動かすのは央為と数名の座員でおこなう。複数台の幻燈機を駆使して種絵を動かすことで、錦影絵に立体感と臨場感を持たせるのだ。

「まずは玉に、糸の容貌を細かく聞いて絵にすることだな。糸の恋人の男の顔は適当でいいが、錦影絵を見た若旦那が、これは自分と糸の話だとわかるようにする必要がある」

「玉は、姉がこんな妖怪として怪談に登場することを嫌がるかもしれないぞ」

 不安げに央為が言うと、幾澄は口元を歪めて笑った。

「先に頼んできたのはあの娘だ。いまさら、姉の扱いが酷いからこの怪談はやめてくれなどと言われても困る。葭屋での演目はこれで決まりだ」

 人情に欠ける幾澄の言いぐさに、央為は顔を顰めた。芝居が命よりも大事、と豪語する座長は、時として無慈悲だ。

「話としては面白いだろう?」

 自分の脚本に絶対の自信を持っている幾澄は、央為がなにを言っても聞く耳を持たないだろうと思われた。

「玉は、午後に買い物の遣いに出る予定だから、そのときに寄ると言っていた。一応はこの脚本を見せてみるが、糸の顔で妖怪を描くことを断られたらどうする?」

「そのときは、適当に美女の顔にしておけばいいさ。私たちとしては、妖怪が糸の顔であろうがなかろうが構わない」

 ひとまず脚本が仕上がったことで幾澄は満足した様子だ。

 確かに、妖怪が糸の顔をしていなかったところで、話の良し悪しに変わりはない。美しい娘が醜悪な妖怪に変化する錦影絵に、観衆を驚き恐がらせることができれば良いのだ。

「せいぜい種絵で糸を絶世の美女として描くことだ。その方が、妖怪になった姿の凄まじさが際立つ。それにしても世間の連中ってのは、どうして怪談話が好きなんだろうな」

 部屋に上がり込んだ幾澄は、床の上に大の字に寝転がると、独り言のようにぼやいた。

「いまや幽霊も妖怪も娯楽のひとつだ。歌舞伎でも黄表紙でも浮世絵でも、魑魅魍魎だらけだ」

「おかげで、俺は飯が食えている」

 二年ほど前まで、央為は浮世絵師を目指していたが、まったく売れなかった。知人の紹介で芝居小屋を主催している幾澄と親しくなり、彼の一座で芝居の背景などを描いてなんとか食いつなぐようになった。

 それがいまでは小郷座の錦影絵師として名を馳せているのだから、人生は奇妙なものだ。

「幽霊様々だな」

 央為が紙束に視線を戻すと同時に、幾澄は寝息を立て始めた。かなり疲れている様子だったから、しばらくは起きそうにない。間もなく、外の蝉の声よりも大きな鼾が部屋中に響き始めた。

「ったく、手間暇かかる種絵を描く苦労はまったく無視した脚本だぞ、これは」

 舌打ちをすると、央為は()()()をこよりにして両耳に突っ込み、作業を再開した。

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