牙を立てる時
ドッグへ辿り着くまでにも、竜の暴れる轟音がひっきりなしにルークに届いていた。
あの音の元で多くの人が死に、そして竜が苦しんでいると思うと、自身の肺が上げる悲鳴に耳を傾けることはできなかった。
更にルークにはもう一つ、不安に思うところがあった。
今現在の竜の状態とサリーからの手紙、それらが指し示す、恐らくは島にもかなりの被害が出ているという予想。これが、彼の足に止まることを許さなかった。
ルークとベンがドッグまで辿り着くと、その入り口で複数の警備員と漁師のエドリーが揉み合いになっていた。
ルークが「エドリー!」と叫ぶと、エドリーは驚いて振り返り、嬉しそうに警備員達に言った。
「ほれ見ろ! やっぱりルークは来たじゃねえか! 期待通りの男だ、おめえは!」
そう言ってエドリーがルークの頭をぐしゃぐしゃと撫でるが、警備員達はそこを退く気配を見せずに言った。
「今、要請したパイロットがこちらに向かっている! それまでここは誰も通せん!」
これに負けじとエドリーも怒鳴る。
「この混乱で間に合う分けねえだろ! ルークが乗るって言ってんだぞ!」
ルークとベンも息を切らしながら、後に続いて言った。
「お、お願いします。奴は、僕が殺します! だから、そこをどいてください!」
「そうだ! こいつがやるって言ってんだ、酌んでくれたっていいだろが!」
それでも退く気配を見せない警備員達に、エドリーはとうとう殴り掛かった。
漁で鍛え上げた彼の剛腕が、一人の警備員を宙に舞わせる。
他の警備員がエドリーを取り押さえようとするが、ベンが体格を生かしたタックルで2,3人を纏めて弾き飛ばした。
エドリーはルークに背を向けて言った。
「俺らがこいつらをとっちめてやる! その間に行け!」
ルークはその言葉に従い、ドッグ入口へと走りながら言った。
「すぐ家族や友達に会わせてやる! そしたら、ぼろぼろ涙こぼして僕に感謝しな!」
三人を相手取るエドリーは、にっと笑って言った。
「落とされても、回収してやっから安心しな!」
ドッグに入ったルークは急いで飛行艇の発進準備を整え、運転席に乗り込み、エンジンに火を点した。
轟音をドッグ内に響かせ、機体が海上へ出ようとすると、警備員の一人がドッグへと走り込んできた。
ルークは舌打ちをして機体をすぐに動かし始めるが、初速が遅い飛行艇に警備員が駆け出した。
その瞬間、出入り口から猛牛の如く突っ込んで来たベンに警備員は跳ねられ、海へと落下した。
「いけ、ルーク!」
すぐ後にエドリーもドッグ内に入ってきて、ベンと一緒にルークに向かって手を振りながら、何かを叫んだ。
ルークも叫ぼうとしたが、エンジン音でお互いの声は届きそうもなかったため、ルークがグッと親指を立てて見せると、二人も笑顔で親指を立てた。
ルークは海上まで機体を進めると、徐々に機体を加速させてその胴体を海面から切り離した。
煙が上がる町を睨み、一段激しくうねる新しい煙に向かって舵を切った。
竜の動きが不規則で次にどこへ向かうかも知れないため、人々は戦々恐々として町の避難所に向かっていた。
災害時の避難所が竜に対しても有効かどうかは心許ないところではあったが、竜が町を襲撃するなど前例もなかった為、人々は決められた通りの行動をとることで、とりあえずの平静を得ていたのであった。
しかし、その一団の上を大きな影が通り過ぎ、誰かしらが空を指さして、
「竜が向かってくるぞ!」
等と叫べば、そこに先程までの平静さは見る影もなく、誰もかれもが我先にと走り出すのであった。
それに巻き込まれた少年が倒れ、群衆の通り去った道に一人取り残された。
我が子を助けに戻ろうとする母親が必死に群衆の流れに逆らうが、竜は太陽を背にみるみる接近し、いよいよ少年に襲い掛からんと肉薄した。
あわやと思われたその瞬間、青い軌道を描く弾丸が竜の行く手を阻むと、竜は翻って上空へと逃げ出した。
それを追うように一機の飛行艇が、少年の頭上すれすれを、凄まじい風を生み出して横切って行った。
少年は自分の真上を横切った影に目を見開いた。
母親が少年を抱きしめると、彼は目を輝かせて言った。
「すごい、竜と竜が戦ってる!」
逃げる竜を追って飛行艇の翼が雲を引く。
竜の動きは普段の戦いのそれとは異なり、合理性に全く欠けたものだったが、俊敏性に勝るところがあった。
そのため、ルークはなかなか竜に照準を合わせられず、またも町への接近を許してしまった。
こうなると上方からの狙撃は人への誤射を招きかねないため、ルークも竜と同じく、低空での飛行を強いられるのであった。
屋根を掠めるような高さで飛ぶ竜にルークは照準を合わせ、機銃の引き金を引く。
が、これは竜の急旋回により回避された。
しかし竜は旋回した先の時計塔にぶち当たり、それによって倒壊した時計塔の上側が、ルークの飛行艇の進行方向を塞いだ。
「やばい!」
ルークがそう叫びとっさに舵を下に切ると、機体は倒壊する時計塔の下を、地面すれすれになんとか掻い潜る。それとほとんど同時に大きな倒壊音が聴覚を埋め尽くした。
ほっと一息吐くのも束の間、背後から竜の咆哮がルークを追いかけた。
竜は衝突の際に一旦停止し、その後通過したルークを追うことによって、謀らずして背後をとっていたのだ。
これにルークが失敗したと思うのもまた束の間。
このまま海上まで逃げ切れば、町の被害を気にせず存分に戦えると考え、ルークは竜に追わせたまま、町の上空を海へと向けて飛行した。
その途中、ルークは道に溢れる人々の歓声を聞いた。
自分を指さし、応援してくれる人々の声を聴いて、ルークの心はまた奮い立った。
それと同時に、ちらと後ろを見やり、自分を追う竜の孤独を考えた。
味方も、仲間もいないで、恐らくは世界でただ一匹の竜。
それを殺すとはどういうことか、ルークは海上を飛ぶ間に考えた。
不思議な気持ちであった。
彼の闘争心は心の底に沈殿し、まるで生き死にの戦いに挑む人間のそれではなかった。
やがて本土も見えなくなりそうな沖合に辿り着くと、ルークは意を決したように舵を切って高度を上げる。竜もそれを追うようにして、頭をもたげて後に続いた。
雲さえ眼下にするような高度まで昇った時、ルークは一気に反転し、竜目がけて突っ込んでいった。
普段の冷静な竜ならいざ知れず、今の竜にはこの奇襲に反応できるだけの知能は無く、ルークはすれ違いざまに竜の頭から胴にかけて機銃を掃射した。
その一瞬、ルークはスローモーションがかかったように、自分を見つめる竜の瞳を捉えた。
優しい、それでいてどこか懐かしい、そんな瞳だった。
しかし青い軌道はその眼の内の片方を貫き、胴をズタズタに切り裂いて、血しぶきを宙に上げた。
悲鳴を上げて、ふらふらと逃げるように落下していく竜をルークも追うが、雲間に島を捉え、竜がそこに向かっていると分かると、ルークは決断を迫られた。
つまり、ここで竜を殺すかどうか。
ルークはふと、いつか竜の言っていた言葉を思い出した。
今こそ「牙を立てる時」なのだと悟り、彼は竜には聞こえないような小さい声で、ぽつりと言った。
「お前も僕も、必死に生きる生き物だ。何も悪い事なんかしてないよ」
ルークは機銃の引き金に指をかけた。
「だから、僕の。人の勝手でお前を殺す。……すまない」
引き金はルークの予想外に軽かった。
何本もの青い軌道は音もなく竜を貫き、竜は島の森の中へと落下した。
ルークは少しだけ悲しくなり、泣いた。