急襲
町の何処かから、建物が破壊されたような轟音が響き、後に無数の悲鳴とどよめきが遠く聞こえた。
ルークはすぐさま表に飛び出し、同じように道に出てきた多くの人と共に、音のした方向を見た。
砂煙が大きく空に昇る中に、ルークはその影を確かに見た。
途端にルークは走り出し、それに一歩遅れるようにして誰かが叫んだ。
「竜だー!」
ざわめきを後にして、ルークは一目散に竜の元へと向かう。
その道中で、竜から逃れた人々の波を掻き分ける様にしてルークは走るが、その足は徐々に勢いを失っていった。
血で溢れる傷口を押さえ、苦悶の表情を浮かべる人。
痛い痛いと泣き叫び、血を流す子ども。
頭部を失った死体をおぶり、それに必死に呼びかける人。
この世の地獄と交錯したルークは、その波を抜けると、ふらふらと道端で足を止め、吐瀉物をぶちまけた。
それは生まれて初めて見る人の死や、人を皮で覆った血袋だと思ってしまう程のショッキングな光景を目の当たりにしたから、というだけではない。
あの竜が、自分が心通わせてしまったあの竜が、そして竜を殺しきれなかった自分の甘さが、その光景を生んだのだと、それがルークにもはっきりと理解できたからだった。
ルークは口を拭ってまた走り出し、無人の道を竜の元へと急いだ。
たどり着いたそこはひどい砂煙で、ほとんど視界は無かった。
慎重に歩を進めるルークの前に、人間であったと判断できる、一つの死体が煙の中から現れた。
恐る恐るそれに近付いたルークは、次第に嫌な予感で頭がいっぱいになった。それが女性で、見覚えのある服で。
一歩一歩近づくたびに予感は確信となった。
「嘘だろ、何で……」
そう呟くルークの足元にあるのは、顔の半分を失って、舌をだらんと垂らし、目を見開いた、血みどろのエリスだった。
四肢はおかしな方向にひしゃげ、所々骨が肉を突き破って表出している。
彼女に治療された額の傷が、ずきずきと痛みだした。
いたずらっぽい笑顔を浮かべる彼女と、今ルークの目の前に転がっている彼女だったものが浮かべる表情とが、ルークの中で混ざり合って彼に笑いかけた。
何かがプツンと切れる音を聞いて、ルークは大声で叫んだ。
「出てこいクソッタレ! てめえは、てめえだけは絶対に許さねえ! 望み通りぶっ殺してやる!」
ルークの声が辺りに木霊しても、帰って来るのは耳に痛い静寂だけであった。
呼吸を荒げ、そこに立ち尽くしていたルークを、煙の向こうから呼びかける声がした。
「おーい、ルーク! いるんだろう? 大丈夫か!」
その声はベンのものだった。ハッと我に返ったルークは、ベンの足音がこちらに向かっていることに気付くと、足元のエリスの亡骸を一瞥し、慌てて叫んだ。
「来るな! そこから動くな、今そっちに行く。僕は大丈夫だから」
しかしベンは既に相当接近しており、ルークの足元に転がるその亡骸に気付いてしまった。
「おい、それは……もしかして、」
「違う! これは誰かも知れない、赤の他人だ! 戻るぞ、ベン!」
ルークが何とかベンを押し戻そうとするが、恰幅のいい彼を止めることはかなわず、そしてついに、ベンは亡骸の正体に気付いてしまった。
「エリス……? これは、エリスなのか……? これ、これが……!」
ベンはエリスの亡骸を胸に抱え、その場に泣き崩れた。ルークは思わずその光景から目を逸らして言った。
「……すまない、ベン。僕が奴を殺していれば、こんな事には……」
ベンは泣きながら首を横に振った。
「悪いのはあいつだ! 竜が、あいつ、あの野郎が……!」
少しの間、辺りにはベンのすすり泣く音しかしなかった。
それを突如として破ったのは、どこか遠くの建物が崩れる轟音、そして人々の叫びであった。
ルークは居ても立ってもいられず、ベンの背中に向かって言った。
「ベン、ドッグまで車を出してくれ!」
少しの間を置いた後、ベンはエリスの亡骸を優しく寝かせ、意を決したようにスッと立ち上がった。
彼の肩の震えは、止まっていた。
そして二人は、車へと走った。
石畳で舗装された道路を、普段ではありえない速度で、二人を乗せた車は突き進んでいた。
猛スピードで流れる窓の絵図には、全くありえない非日常が描き出されていた。
崩落した建物、逃げ惑う人々、同じく猛スピードで交錯する車。
それらを横目で見ていたルークに、車が急停車したGと、ベンの苛立った声とが降りかかった。
「くそっ、やっぱり主要道路は使いもんになんねえ!」
見れば、通りの先50メートル程が、人と車でごった返していた。
ルークが舌打ちするのも束の間、ベンは猛スピードで車を後退させて向きを変え、薄暗い裏通りへと進入した。
彼らは生まれ育ったこの町の道を、大方は網羅していた。港へ抜けるための道ならば、何百何千と試し尽くしているのだ。
そして予想通り、車がすれ違うにも苦労しそうな裏通りに人の影はなく、二人を乗せた車はまた猛スピードで走り出した。
車内には、少しばかり弛緩した空気が流れた。
ルークがベンに何か言うべきか思案していると、先にベンの方から声がかかった。
「なあ、ルーク。エリスってさ、ホントに変な奴だったよな。馬鹿みたいに明るいくせに、妙に頭が切れてさ。ありゃ、馬鹿の振りしてこっちの反応を楽しんでたぜ、うん」
「……ああ、変な奴だった。何回も助けられた」
「ああ……助けられた……。あいつに、まだ返してねえ本があったっけな……」
そして、ベンはこの世のものとは思えないほどの、憎しみで満ち満ちた声で言った。
「ルーク、頼む……! あいつを、あいつを殺してくれ! お前しかいないんだ……!」
ルークはその声に父と同じ、人間の純然たる殺意を感じた。
そしてその感情を受け止める覚悟は、彼の中で既にできていた。
「任せろ、あいつは僕が――ッ、止まれ!」
その声に従ってベンが車を急停止させた瞬間、目と鼻の先の民家が、進行方向を塞ぐようにして激しく倒壊した。
凄まじい轟音と共に砂煙が立ち込めた後、不気味なほどに辺りは静まり返った。
しかし、ルークは確かにその存在を視界の向こうに感じ取っていた。
ベンがギアを変えながら、声を落として言った。
「……今のでオシャカになっちまった。下手に動くなよルーク」
「……いる」
「お、おいルーク! 出るなって!」
ルークはベンの声を無視して車から降りる。
すると、砂煙の中届いていた日光を巨大な影が遮り、ベンは息を呑んだ。
その影がゆっくりと姿勢を落とすと、ルークの目の前に人の背丈程の竜の頭が現れた。
しかしその眼は、普段の深い落ち着きの色ではなく、狂気をはらんでどろりと濁っていた。
この明らかな異変に気付いたルークが言った。
「お前……一体、どうしちまったんだよ。お前は誇り高い、竜だろう!」
どくん、と竜は瞳孔を見開いて後ずさり、悲鳴のような鳴き声を上げて暴れ始めた。
ルークはそのとき、竜の「助けて」と言う声を確かに聴いた。
すると竜は建物の屋根に接触するような低空飛行で、町の何処かへと消えてしまった。
「し、死ぬかと思った……。何だか分からんが助かった。ここからなら走って行ける距離だ、行こう!」
しかしルークは答えず、竜の飛び去った方向をぼんやりと見つめている。
「ルーク……? おいっ! ルーク!」
「声が……」
「声? 言葉なんて話せるようには見えなかったが……」
「……いや、いい。行こう!」
ルークは、これ以上町の人を傷付けさせるわけにはいかないという思いと、先ほど聞こえた竜の助けを求める声、その苦しみを自分が断つのだという覚悟を持って、港へ向けて走り始めた。