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竜の血、少年の血

 翌日の早朝、まだ町全体に灯が点っていないような時間にルークは出発した。

 あまり騒がれても気が削がれるだけであったし、何となく、誰にも会わずに竜と会いたかったのだ。

 

 昇りたての日を水平線に携えた大洋はきらきらと輝き、夜を朝へと変わるための光は、段々と黒い空を深い青で支配していく。

 

 これから殺すか殺されるかの戦いが始まろうとしているのに、彼には緊張感も何もなく、闘争心は心の底に沈殿したままであった。

 空も海も、風切音もエンジン音も、全てが鮮明に見え、聞こえた。これから何か神聖な儀式が行われるかのような、不思議な気分であった。


 


 島を視界に捉えると、それはやはり突如として、海中から水柱とともに現れた。竜の体は水滴を湛え、それらが朝日を受けてきらきらと光り輝いていた。

 その姿を、ルークは素直に美しいと感じていた。

 

 竜はルークの飛行艇を見て、その変化を瞬時に悟ったようだった。

「ほう、なかなか面白い物を乗せているではないか。そいつでようやく私を殺せるな、え、ルーク?」

 どこか疲れたような竜の声がそう言った。

 しかしルークはそれに答えず、まっすぐ竜目がけて機体を加速させた。

 竜は楽しげな声を上げた。

「問答無用というわけか、面白い!」

 

 竜が身をしならせて高度を上げると、ルークもそれを追うように機首を持ち上げて後に続く。

 雲と同じ高度まで昇った時、竜は一気に反転し、飛行艇目がけて突っ込んで来た。

 が、飛行艇自体のコンディションも性能もこれまで以上である。

 ルークは難なくこれを捻って躱し、すれ違いざまに竜の尾部目がけて機銃を発射する。

 

 その一瞬、スローモーションがかかったように、青く光る弾道が竜の尾部を貫くのをルークは捉えた。

 

 悲鳴を上げて落下する竜を、ルークは背面反転の後、急降下で追う。

 ルークの顔に生暖かい竜の血液が付着した。

 竜は何とか海面寸前で急停止したが、そこに決定的に生じた隙をルークは見逃さず、竜もまた己の隙を認識し、覚悟したように目を瞑った。

 ルークが機銃の引き金に指をかけて……しかし、引かなかった。

 引けなかった。

 

 ルークは速度を落として旋回飛行に移り、がっくりと項垂れた。竜はルークに向き直り、語気を荒くして言った。


「何故だ! 今貴様は、間違いなく私を殺せたはずだ! 情けでもかけたか!」

「……ああ、そうだよ! どうしろってんだ! 僕、お前が好きなんだ!もう友達なんだ! それなのに、殺せるわけないだろ!」

 

 竜は唖然とした表情を見せた後、全身を震わせて更に激しく怒った。

「この愚か者が! では、あの島を全て焼き払ってやる! 人間は生きたまま噛み砕き、我が胃に全て収めてくれる! もちろん、貴様の母も、可愛い可愛い妹もだ!」

 こんな竜の声を、ルークは今まで聞いたこともなかった。

 恐ろしいようなのに、まるで何かに怯えるか弱い動物のように感じた。

「……僕は知ってる。知ってしまった。お前がそんなことをする奴じゃないって。お前は誇り高い竜なんだ」

 

 竜はまだ怒りが収まらないのか、手負いの体で飛行艇へ突っ込んできた。

 しかしルークがそれを易々と躱すと、竜はまた激しい語気で言った。

「そうだ、私は誇り高い竜! それを知っておいて、なぜ生き恥をかかせようとする!」

「生き恥なんて言うなよ! 生きることの何がそんなに恥ずかしいもんか! 必死に生きようとするお前を、誰が責められるって言うんだよ!」

 またも戦闘の構えをとる竜にルークは背を向け、全速力で本土へと向かった。

「殺せ、私を殺せ! でなければ……!」

 

 背後から竜の声がするが、もう追ってきている様子はない。竜は最後に叫んだ。

「私の見込み違いだった! 二度と現れるな、この臆病者が!」




 港のドッグへ戻った飛行艇を、まだ朝早いにも関わらず、多くの人が出迎えた。

 彼らは期待の眼差しをルークに向け、飛行艇から降りてきた彼に一斉に詰めかけた。

 しかしルークはその群衆をかき分け、何事かとざわつく人々を後にして、ドッグを飛び出した。

 

 町の坂を駆け上がるルークを多くの人が不思議そうに見つめ、時には呼び止めようとする者もいたのだが、それらは全く彼の耳には入っていなかった。    

 

 ルークは自宅に戻るとすぐに玄関口の鍵を閉め、自室のベッドへ飛び込み、それから大声で泣いた。

 何のために流す涙なのかも、彼自身分かってはいなかった。




 翌日、ルークの事を心配した友人のベンとエリスが彼の家を訪れていた。

 ルークは普段の活気に溢れる様子とは異なり、窓際の椅子に腰掛け、ぼんやりと空を眺めているだけだった。

「なあ、何て言っていいか分からないけどさ、あんま考えすぎるなよ。お前がやれないんだったら、もう誰にも無理なんだ。焦らずやってこうぜ」

 大柄なベンがルークを気遣ってそう言ったが、ルークは空を見たまま頷くだけだった。

 

 どうしたものかと二人が顔を見合せた時、窓ガラスが大きな音を立てて砕けた。

「うわっ、な、何だ!?」

 彼らが窓の方を見やると、その近くにいたルークは俯いて、額からは血が流れていた。

「おい、大丈夫か!」

「大変、血が!」

 エリスが傷の手当てをしようとルークに駆け寄る。

 どうやら、外から投げ入れられた石がルークに当たったらしく、彼の足元に握りこぶし大の石が転がっていた。

 

 憤ったベンがバルコニーに飛び出したところ、犯人と思わしき男は悪びれもせず表の通りに立っていた。

「てめえ、何しやがるんだ!」

 ベンの怒気をはらんだ声に、しかし男は全く退かず言った。

「そこのガキこそ何してやがるんだ! 竜を倒せるのはそいつしかいねえってのに、いざとなったら殺せませんだとぉ!? 期待させておいて、ふざけんな!」

 男の掲げた手には地元新聞が握られていた。その一面の概要はこうだった。


『機体に竜の血液が付着していたのに、機体を無傷で敗走させたのはおかしい。帰投した当時の飛行艇乗りの少年の様子から見ても、もしかしたら彼は、竜に何らかの形で毒され、奴に妙な情を持ってしまっているのではないか』

 

 これにベンは舌打ちした。

 なるべくこの記事の事をルークには知られたくなかったため、友人二人は絶対にその話を持ち出さない事にしていたのだ。

 今となっては仕方ないと、ベンはまた言った。

「あいつ一人に任せといて、今更偉そうな事ぬかしやがって! 上等だ、今そっちに行ってボッコボコに……」

 

 叫ぶベンを、バルコニーに出てきたルークが手で制した。

 出血も収まらぬまま、男に向かって言った。

「あなたの言う事はもっともです。そして、恐らくはその記事に書いてあることも。否定しません。僕は、奴に近付き過ぎた……」

 その言葉に男はわなわなと震え、言った。

「お前に期待してたんだ! 島にいる俺のお袋はもう歳だ、いつ安否報告に名前が載るか戦々恐々としていた! ようやく、会えるかと思っていたのに……」

 男は俯いて震えていたが、やがてとぼとぼと歩き去った。

 道行く人々は男を見つめていたが、誰も彼を責めようとはしなかった。




 エリスに包帯を巻いてもらっている最中、ルークは友人たちに訪ねた。

「ねえ、新聞では、僕の飛行艇どうするって?」

 二人は気まずそうに顔を見合わせたが、意を決したエリスが言った。

「今、パイロットを要請しているそうよ。その人があなたの飛行機に乗るみたい」

「そう……」

 先ほど怒鳴っていたベンも、無理に明るい声で言った。

「ほら、お前が戦い辛いならそいつに任せちゃってさ、お前はゆっくり待ってればいいわけよ! 機体を提供したってだけでも、英雄並に凄えことじゃんか、な?」

 その言葉にもルークはゆっくり頷くだけだった。

 

 手当が完了すると、ルークは友人たちに言った。

「二人とも、今日はありがとう。友達がいてくれるってだけで、随分救われたよ。それで、勝手なんだけど……しばらく、一人にしてほしい。色々考えたいんだ、……ごめん」

 これには二人も渋々ではあるが納得し、今日のところは引き上げることにした。

 見送った際にエリスの言ったことが、ルークの胸に一日中ずっと響いていた。


「ルーク。こう言ったら何だけど、あなたは世間や一般というものから少し外れたところにいるわ。もちろん私たちはあなたを一人になんかさせたくないと思っている。これはあなたが竜に抱いている感情と、本質的に同じもののはずよ。この感情自体は、誰にも責められるものじゃないからね」




 明くる日の朝、ルークは伝書鳥の羽音によって起こされた。

 しかしどうにも鳥の様子がおかしい。ひどく興奮しており、体に少し怪我もしていた。

 ルークは嫌な予感がして、急いで手紙を取り上げた。

 そこに殴り書かれた只の一言を眼にして、彼の体は総毛立った。




『たすけて』




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