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少年の葛藤を余所に

 一カ月程が過ぎた頃、ルークはまたも海上に浮かぶ機体上で不機嫌そうに胡坐をかき、竜に見下されながら話をしていた。

「お前、サリーに前の勝負のこと話したろ」

 竜は面白そうに答えた。

「おお、そんな話もしたっけなあ。お笑い種にはなるような負けっぷりだったからな。あ奴が巣の掃除に来たついでに、ついうっかり」

「余計なことしてくれるなよ。おかげで怒られちまった」

「ふん、私の事は恐れないくせに妹の叱責が怖いとは。いやはや、勇敢であるなルーク君よ」

 皮肉たっぷりに嘲るような竜に、ルークはかっとなって答えた。

「こんの……! いつかお前を殺すときには、この恨み、まで……」

 

だんだんとうつむき気味になって、語気を弱くするルークに、竜も少し怪訝そうな声色で話しかけた。

「……何だ? 今日はやけに威勢が無いな」

「なあ、僕は本当に……お前を殺せるのか?」

 

ルークは不安になっていた。

 竜を殺すことは今の彼にとっての最大目標である。

 そのために、挑む度に機体を改良し、腕を磨き……にも拘らず、竜を殺す糸口すら掴めていない。

 その上、ルークは自分と竜があまりに近くなり過ぎたと感じていた。


 *  *  *


 ルークの最初の出撃は誰にも反対され止められたが、彼は頑として譲らず、自ら作り上げた飛行艇で無理矢理に発進した。

 当然ながら当時のルークは竜を恐れていたが、それを圧して決死の覚悟で挑んだわけである。

 しかしこの戦いの後に、何が琴線に触れたのか、竜は彼のことを生かし、また勝負をしに来いと言ったのである。


 それ以降何度も何度も勝負を挑み、そのたびに竜と言葉を酌み交わしたルークは、次第にこの竜という存在に恐れではなく、純粋な怒りと、そしてまた純粋な尊敬の念を抱くようになり、最後には親近感すら覚えてしまった。

 

 これは彼の最大目標をとってすれば、非常にまずい事であった。

 竜に勝目も全く見えない現状況を、悪くないと思ってしまっている自分がいたのだ。居心地が良かったのだ。

 竜が倒れる日を心待ちにする多くの人々を知るルークにとって、それは大きな罪悪感を伴った重圧と化していた。


 *  *  *


 竜はしばらく黙りこんでいた。

 波の音が先ほどよりも大きく、二人の間を通り抜けていった。

 

 やがて竜はゆっくりと、言葉を選ぶように話し始めた。

「……お前は、いつだったか私を殺そうとした飛行機乗りの連中よりも、あー、はっきり言っておこう。強いぞ、強くなった。だが残念ながら、私は竜なのだ。そう易々と死ぬと思われても困るぞ?」

 竜は、ルークが実力の差にだけ辟易していると思っているようで、恐らくは彼の覚えているもう一つの不安には気付いていない。

 ルークはそれを気付かせようとも思わなかったが、一つだけ竜に聞いておきたいことがあった。

「なあ、何故お前は突然、あの島に来たんだ? 目的は何だ?」

 

 竜は少しの間、ルークの事をじっと見つめると、やがてゆっくりと話し始めた。

「……竜は我が子を生す為に、奴隷を伴って巣を作る。しかしその竜自身が、今や相当数を減らしている。正直言って、私の他にまだ竜がいるのかも分からないが、巣を作って待ち構えなくては、まず間違いなく出会うことすら不可能であろう。五年が経った今でも、意味があったのかは分からないがな」

 

 普段の調子とは違う、淡々とした声だった。

 しかしそれは、ルークの中にあった怒りと憎しみの火に、多少の燻りを与えるに充分であった。

 すると竜は、またすぐに普段の挑発するような声色に戻って言った。

「言っておくが、だからと言って諦めて立ち退く私ではないぞ。貴様がいつまでも私を殺せないようでは、ずっとあの島にいる羽目になってしまうかもしれないなあ? ん?」

 しかしいつものような売り言葉に買い言葉もなく、二人の間にまた波の音が大きく割って入った。




 やがて日も傾き、エドリーの迎えの船が見えると、竜は長い沈黙を破って口を開いた。

「なあルーク。ここで諦めるお前ではあるまい? 性懲りもなくまた、恥知らずにも蛮勇を奮いに来るのだろう? ……それを、楽しみにしているぞ。ルーク」

 そう言って飛び去る竜の姿を、ルークは見ようともしなかった。

 もしその時顔を上げていれば、少し寂しげに見える竜の影を見たのかもしれなかった。




 ルークは船の舳先に立ち、自らが進むために切り分けられる海をぼんやりと眺めていた。

 いつもは息をまいて戦果を語って見せようとする彼だけに、エドリーはその様子にただならぬものを感じていた。

「なあ、どうしたんだルーク。何かあいつに言われたのかい?」


 ルークが反応しないものなので、最初は声が届いていないものかと思っていたが、やがてルークはエドリーに振り返らず話し始めた。

「あいつは竜で、僕は人で、生き方も考え方もまるで違う。それは悪い事でもなんでもないはずだ。なのに、どうしてだか、こうして僕はあいつを殺そうとしている。人間の都合で……」

 エドリーは危惧していたことが起こったのだと悟った。

 

 つまり、ルークの優しさが竜にまで及び、殺せなくなってしまうようなことが。

 しかし、それを叱責するつもりも、そんな権利を自分が持っているとも、エドリーは思っていなかった。

 殺し合いに嫌気がさしたのなら、それでもいい。普通の少年として危険のない幸せな生活を送ってくれるのなら、それに越したことはないと思っていた。

 

 しかしルークは振り返り、見ようによっては無理をしているとも取れるような笑顔を作って言った。

「いや、何でもない、大丈夫。そんなこと言って今更退く僕じゃない。エドリーや皆のため、サリーや父さん、母さんのためにも、絶対に奴を殺して見せるさ」

 エドリーは憐憫の色を眼に浮かべて言った。

「ルーク、俺ぁおめえが心配だ。皆の分の期待まで背負っちまったが、奴を殺すには優しすぎる。奴に妙な情を持ったおめえが、いつか俺たちの前から消えちまうように思っちまうんだ……」

 ルークから笑顔は消えて、ゆっくりとまた進行方向に向き直った。

 

 しばらくの間の後、エドリーにも聞こえないような声でぼそりと言った。

「消えないさ、あいつを殺すまでは……」




 二か月程の時が過ぎた。

 飛行艇の修理はとっくに終わっていたが、ルークは更なる改良のための作業を加えていた。

 その甲斐あって機体の出来は今まででも最高のものになっていたが、ルークはまだ何かないか、何かないかと、まるで戦いを避けるように作業し続けていたわけである。

 

 サリーからの手紙も、この期間の内に届いていた。

『青の花ありがとう』という導入の下、ルークに宛てた部分にはこう書かれていた。


『兄さん、竜から元気がなかったと聞きました。大丈夫ですか? 

 何でも、実力の差に参ってしまっているとか。

 お気持ちは分かります。確かに竜はとても強いかもしれませんが、実はこの前、竜は私にこう言ったんです。


「私を殺せるのはルークだけだと思っているし、もし殺されるなら奴に殺されたい」って。多分、これは本心です。

 

 兄さん、どうか竜と戦ってください。

 島の人たちも、きっと本土の人たちも、みんなが兄さんに期待しています。

 それは父さんも母さんも、私もです。

 いつの日か、成長した兄さんと会えることを楽しみにしています。』

 

 そこに綴られていたのは、ルークが無意識のうちに臨んでいた、すなわち、「戦わなくてもいいんだよ」という言葉ではなかった。

 サリーが竜から話を聞いただけであるのならば、こういう解釈になるのは仕方のない事だとは、ルークも分かっていた。

 ルークはこの手紙に返す花に、灰色のものを選んだ。




 ルークは夢を見た。

 まだ幼い自分とサリーが草原を駆け回っているのを、母と父が微笑んで見ていた。

 空は晴れ、花香る、暖かな春の日だった。


 サリーが辛そうに涙を浮かべて、母に手を引かれて町から去った。

 追わんとするルークの肩を、父が固く繋ぎ止めていた。


 竜が現れたあの日の父がいた。

 家から出ていこうとしている父を、今より背の小さなルークが不安げに、寂しげに見上げていた。

 しかし父はそれに目を向けず、険しい顔つきのまま遠ざかっていく。

 ルークは誰を追うこともできず、一人ぽつんとそこに取り残された。

 

 気付けば彼は人混みの只中にいたが、その向こうで父が振り返り、にやっと笑いかけた。人のざわめきが大きく、大きくなっていった。




 目を覚ますと、ルークの家の前の通りが、にわかに騒がしくなっていた。

 ルークが何事かと窓から身を乗り出して見ると、他の家からも多くの人が、同じように通りの坂の上を見ていた。

 

 その時、道に出ていた友人のベンから、ルークは声をかけられた。

「あ、ルーク! お前何やってんだ、早く降りてこいよ!」

「いや、どうしたのさこれ。朝っぱらから何の騒ぎ?」

 見ると、坂の上から何かがトラックに乗せられてやってくるようだ。

 その周りに新聞屋や記者などが群がっているせいか、非常にゆったりとしたペースで坂を下ってくる。

 

 トラックはルークの家の手前に停止し、運転していた人物がルークに声をかけた。

 それは聞き覚えのある、懐かしい声だった。

「久しぶりだな、ルーク。降りて来てハグくらいさせてくれ!」

 それは、五年前から行方知れずになっていたルークの父、インドラであった。

 

 ルークは驚いて階下へと急ぎ、道を開ける記者たちに写真を撮られながら、五年ぶりの父との再会を果たした。

 が、インドラはルークに気付かずベンと話していた。

「いやあ、君がそんなにでっかくなっているとはなあ! おじさんびっくりだ、はっはっは!」

 大柄なベンはインドラにばしばしと叩かれながら、気まずそうに言った。

「いやおじさん、俺の事は良いからさ、ほれ、あんたの息子が来たってば」

 ベンに指さされたルークは苦笑いを浮かべて言った。

「相変わらずマイペースみたいだね、父さん」

 インドラはようやくルークの方に向き直り、笑顔を見せて言った。

「そうとも。あの時から俺は変わらず、お前を愛しているぞ、ルーク」

 そう言ってルークをハグするインドラに、ルークもまたハグで返した。

 記者のフラッシュが一層激しく焚かれ、ベンは涙を浮かべて二人を見ていた。

 

 しかしインドラはパッと息子から離れ、トラックへと近付いて言った。

「さて、なぜ俺が今になって帰ってきたか。それを皆さんにお見せしましょう!」

 記者たちからおおっと声が上がると、インドラは荷台に被せられていたシートの端をつかんだ。

「これが、俺が五年にわたる捜索の上遂に見つけた、“竜殺し”の方法だ!」

 バっとシートを取り外した瞬間、フラッシュを焚いた記者たちの声が「おおっ……ぉ、おお?」と間抜けなものになったのは、そこにあった物が予想外に小さかったためである。

 

 とても武器とは思えないごちゃごちゃとしたカラクリの様なそれに、インドラはすぐにシートで蓋をした。

「はい、ここまで。皆さん色々と思うところはございましょうがとにかく、これは機銃に取り付けるものでして、竜に弾丸を当てなければ意味を成しません。そしてそれができるのは!」

 ここでインドラはぐいとルークを引き寄せた。

「我が息子、ルークしかいません! 皆さん、竜を殺すという大任、ぜひともこいつにお任せいただきたい!」

 記者たちはまたもおおっと声を上げて拍手し、並んだ親子二人の写真を撮り始めた。ルークは全身から血の気の引く思いであった。




 ルークとインドラは、飛行艇が置いてある港のドッグまで来ていた。

 記者たちには撮影禁止としてあるので、今このドッグには親子二人しかいなかった。

「さて、ルークよ。お前が飛行艇を造って奴に挑んでいると聞いた時には、正直驚いた。その後酷く迷ったぞ。お前を戦いに出すのかどうか」

「で、結果がさっきのあれかい」

 ルークが皮肉っぽく言うと、インドラは悪びれも無く笑って言った。

「おう。是非とも喜んで送り出すことにした。お前を英雄にするために、だからあれだけ目立って来たわけさ。お気には召さなかったようだが。いやはや、これは俺のミスだな。確かに英雄は謙虚な方が好感が持てるってもんだ!」

 ルークは溜息を吐いて、父がどういう人物であったのかを改めて思い出した。

 

 インドラの説明によると、件の兵器を機銃に取り付けると、その銃から発せられた弾は特殊な魔力を帯びて、竜に大ダメージを与えるそうだ。

 インドラは早速、嬉々としてその装置を機銃に取り付け始めたのだが、ルークは正直なところ、あまり気のりしていなかった。

 それどころか、なぜこんなものを見付けてしまったのかと、内心で父を責めてすらいた。

 

 数時間程経って作業が完了したとき、インドラがルークに近付いて言った。

「さあ、終わったぞ。こいつであの竜を……」

 インドラはルークの肩をがしっと掴み、顔を寄せた。

 よく見れば、インドラの頬はこけ、目は落ちくぼんでぎょろっとしている。


「殺すんだ、ルーク」

 

 その表情にルークはぞっとした。

 この兵器を見つけ出すために払った、インドラの労力と執念、そして竜に対する殺意を如実に感じさせるものであった。

 

 ルークが無言でうなずくと、インドラはルークを引き寄せて、抱きしめた。

「すまない……すまない、これ以上俺は力になってやれない……」

 父の聞いたことも無いような弱弱しい声と、背中に回された手に籠った力に、ルークの気持ちは奮い立った。

「任せといてよ、父さん! これさえあれば、あんな奴何てことないさ!」

 インドラは少し鼻をすすって、目を赤くして言った。

「ああ。少し見ない間に逞しくなったなルーク。俺は嬉しいぞ」

 

 そしてインドラはまたトラックに乗り込んだ。

 どうやら、この兵器を売っていた商人の元へ戻り、しばらく働くことが、それを譲ってもらう条件だったらしい。

 ルークとしては、父がいてくれた方が決意も固まるものと思っていたのだが、そういう事情があっては何も言うことはできなかった。むしろ、相変わらずの実直な父であってくれて嬉しかった。

 

 その去り際にインドラは、「どんな時でも戦え、勇ましい我が息子よ!」と言い残して、息子と町を後にした。




 その後、ドッグには様々な人が押し寄せた。

 皆、期待の籠った熱い息を巻いて、ルークの勝利を祈った。

 何故だか彼は、このドッグに押しかけた人々が、自分をそのまま町から押し出す波となる夢想をした。

 

 人々はしきりにいつ戦うのかを聞くのであったが、とりあえずルークは最終調整の後、近日中にも勝負に挑むと答えた。

 

 ルークの全く予期せぬところではあったが、突如として、しかしいよいよもって、彼に決着の時が迫ろうとしていた。


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