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少年と竜

 よく晴れた日、海上を飛ぶ一隻の飛行艇があった。

 それを駆るのはまだ成人もしていない十代の少年であり、名をルークといった。彼は何の気なしに飛んでいるわけではない。

 

 とある島を視界にとらえた時、彼のお目当ては突如として、海中から水柱と共に現れた。

 それは蛇の様にしなやかな体に美しい光沢をたたえ、頭に大きな角を生やす巨大な竜であった。

 

 竜は少年を見るなり、にやりと口元を歪めて言った。

「ああ、ルークよ。また性懲りもなく蛮勇を奮いに来たな。結局はまた恥をかくだけであるのになあ?」

 少年は船首に備えた機銃の引き金に指をかけて言った。

「ああ、僕の恥知らずな蛮勇に、今日こそお前は敗れるんだ!」



 

 数分後、海上に聞こえるのは波と風の音、そして彼らの言い争いの声だけであった。

「お前は機体とその扱いこそ良くなってはいるがな、いかんせん無茶のし過ぎだ。どんな相手にも常に冷静、感情的になるのは牙を立てる瞬間だけだ」

 竜はルークを見下す形でそう言った。

 

 片翼がなくなり海上に浮かぶだけの機体上で、不機嫌そうに胡坐をかくルークは言った。

「へっ、ご教授どうもありがとうよ。竜様の言葉はためにならぁ」

 竜はにたりと笑った。

「そうとも。私の言葉は昔ならばかなり貴重なものであったのだぞ? ほれ、もっと感謝してみろ」

「絶対許さん! 今に見てろ!」

 それは言い争いというよりはむしろ、悪友同士の憎まれ口の叩き合いに見えた。


 


 やがて日が傾いてくると、本土の方角から一隻の船がやってくるのが見えた。

 それはルークの迎えであり、二人の会話にいつも終わりを告げるものであった。

「では、私は島へ帰るかな。また対策を考えてくるがいい、ルークよ。私は逃げも隠れもしないぞ」

「へん、余裕かましていられるのも今の内さ。島を掃除して待ってな!」

  竜は夕空に高笑いを響かせると、そのまま島へと飛び去って行った。

  ルークは夕日に照らされてきらきらと輝く竜が遠ざかっていくその姿を、何とも複雑な気持ちで見送るしかなかった。



 

 すっかり夕闇に包まれた海上を進む一隻の船があった。

  それを駆るのは初老に差し掛かる男性であり、名をエドリーといった。

  彼の目的は漁のついでに、竜に勝負を挑む馬鹿な若者を、飛行艇ごと本土まで引っ張っていくことであった。

 

  飛行艇から船に乗り移ったルークが言った。

「いっつもすまないエドリー。今日も港のドッグまで頼むよ」

 エドリーは妙な間の後、言った。

「それは構わねえんだがよ……なあ、ルーク。いつまでこんなことするんだ? 確かにおめえさんは奴に好かれてっかもしれねえが、奴ぁ竜だ。人が関わっちゃあいけねえ存在なんだよ」

 ルークは全くもって不機嫌だという顔で返す。

「なら、あいつが自然死するまで待てって言うのか? あいつが島を占拠してから、もう五年になる。望み薄な期待を捨てて、竜を殺して母さんや妹を助けたいと思うのは、何かおかしいのか?」

 それはまるで自分に今一度言い聞かせているかのような口調であった。

 

 しばらくの気まずい沈黙の後、エドリーが口を開いた。

「気を悪くしたんなら謝るよ。でもな、俺も娘夫婦と孫に、昔っからのダチん子。みんな奴にとられちまった。でもだからこそな、焦っちゃならねえ。奴はほんとにおっかねえ奴だ。そんな奴が島民の生活を保障している以上、下手に捨身になっちゃいけねえよ」

 ルークはがっくりとうな垂れた。

「……ごめんエドリー」

 

 エドリーは操舵中ではあったが、少しだけ顔をルークの方に向けた。しかしすぐに前に向きなおし、努めて明るい声でからかうように言った。

「それにおめえさん、奴に全く歯が立たってねえじゃねえか。これじゃあ操縦ミスで死ぬ方が早いかな?」

 ルークは紅潮した顔をゆっくり上げて言った。

「……言ってくれるじゃないかエドリー、え? 今に見てろよ、すぐに家族にも友達にも合わせて、ぼろぼろ涙こぼさせながら僕に感謝させてやる!」

 その言葉にエドリーは豪快に笑った。

 

 それから港に着くまでは、ずっとルークが今回の戦闘について、自分なりの改善点を熱っぽく語るだけであった。


 実際のところ、エドリーも確かに家族や友人の事は気がかりではあったたが、そのためにルークのような少年が命を懸けていること、またそれを止めもせずに、心のどこかでその日(・ ・ ・)を期待してしまっている自分の弱さに、良心を痛めていた。

 そんな彼は、竜に気に入られているからではあろうが、何度でも超常の怪物に挑めるルークのことを、心から尊敬していた。

 だからこそ、こうした引率だけでも協力することを惜しんだことはなく、実を言えば今日も漁は既に終えており、ルークを迎えに行くためだけに船を出したのである。

 そのことには、ルークも薄々勘付いてはいた。




 港に着いた頃にはすっかり日も暮れていて、灯が点ったあちこちの家から香ばしい夕食の匂いが漂ってきては、ルークの胃袋を刺激した。

 機体の修繕は明日からという事にして、ルークはとりあえず耐え難い空腹を満たすために家路についた。

 

 坂が多いこの港町の移動には慣れているはずだが、空腹と疲労のせいか、いつもより坂はルークにとって大きく急なものに思えた。

 

 重い足を石畳の道に引きずるようにして歩くルークに、彼の友人のエリスが向かいの歩道から声をかけた。

「おーい、また気怠そうに歩くねえルーク君」

 彼女は車道を横切ろうとしたが車にクラクションを鳴らされ、へこへこと安っぽい謝罪をした後、ルークに近寄り悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「で、今回はどんな按配だったの? ああ結構。表情で分かったわ」

「こいつめ、今の僕は気が立ってんのさ。うかつに近寄るんじゃあないぜ」

 もちろん冗談で言い合っているのであって、彼らの仲は極めて良好である。

 

 家へ向かうルークにエリスは並んで歩き、二人は各々の近況について、会話に花を咲かせた。

 もっともその大体は、竜との戦いの中でルークが得た、僅かばかりの良点を寄せ集めた武勇伝であった。

 

 エリスは終始笑顔でそれを聞いていたが、ふとルークの顔を覗き込むようにして言った。

「ねえルーク。正直、私はあなたが無理をしているように見えちゃうんだけど?」

 ルークは心の像をつかまれた思いだった。

 

 エリスという人間は普段の様子から見当もつかないほど聡明で、時折人をドキリとさせる、鋭い事を言う。

 しかしルークは驚きを表情には出さずに言った。

「多少無理するぐらいじゃないと、あいつには勝てないだろ。そもそも、無理なんかしてないさ」

 それでもエリスはじっとルークを見つめるのだが、通りがかった人がルークに、

「おうい、お疲れさん」

 と声をかけたものだから、彼はその人に返事することによって、何とかその場を凌いだのだった。

 エリスはふうと溜息をついて、呆れたようにルークを見ていた。

 

 その後も、すれ違う町の人々は笑顔でルークに手を振った。

「やっぱり駄目だったの?」「あんまり無茶するんじゃないよ」「期待してるぜ、エース!」

 それらの声にルークもまた笑顔で返した。

「次こそは、さ」「まあ任せといてよ」「期待して待っててくれ!」

 そんな様子にエリスはにやにやと笑って言った。

「いやあ、もてもてですなエース君」

「お前も何か友人を励ます位したらどうだい」

 

 そんなやりとりをしながらも、彼は心に温かいものが滲むのを感じていた。

 ルークは自分の生まれ育ったこの町が好きだった。

 温かい人達に恵まれて育った彼が、そんな人達を苦しめている竜に挑むことは、彼なりの恩返しという面も持ち合わせていた。

 

 家に着いてエリスと別れる頃には、ルークの手には大きな差し入れ袋が二つ抱えられていた。

 疲れのせいか、それは彼にとって非常に重いものに感じられた。




 開け放った窓から入る爽やかな夜風が、カーテンを優しく揺らす時間。

 ルークは家の中で一人、父親の書き残していった日記を読み返していた。

 大体は他愛もない家庭生活の事ばかり書かれていたが、あの竜が現れる一週間前に起こってしまった、これまた他愛のない夫婦喧嘩が始まった項。

 それを読むたび、つくづくそのタイミングの悪さをルークは呪わずにはいられなかった。


 *  *  * 


 その日、ルークの父インドラは妻と些細な事から口論となり、とうとう妻は長女、ルークから見れば妹にあたるサリーを連れて、彼女の実家がある離島へと本土から発ってしまう。

 

 息子と共に本土へと取り残されたインドラは、さすがに一週間もすれば頭も冷えたのか、妻に謝るために朝一番の船で離島へと向かった。

 

 しかし、そこに奴は現れた。

 

 突如として海中から姿を現した竜は船を沈め、インドラ以外の乗客乗員を瞬く間に胃袋に収めた。

 そしてインドラに、

「島を巣にする。島民を世話役とするため、誰も逃がさないし入れさせもしない。それを陸に帰り伝えよ」

 という旨を伝え、島へと飛び去った。

 

 本土に戻って事の顛末を伝えた父は、息子を地元の住人に任せ、竜を殺す方法を探すために何処かへと旅立った。

 討伐作戦も練られている最中でのあまりにも早い出立ちに、彼の知り合いは皆、もう少し留まるように提言した。が、後々にしてみればインドラの判断は間違ってはいなかった。

 

 依頼を受けた腕利きかつ命知らずの飛行機乗り達でさえ、島へと飛び立って帰ってきたのは、浜辺に打ち上げられた機体の破片だけであったからだ。


 *  *  *


 以上が、日記に記されている竜に関する事の顛末であり、インドラは最後のページを書き残して以降五年、一度も家に帰って来ていない。

 今頃どこで何をしているか、生きているのだろうか。

 

 そんなことをルークが一人きりの家でぼんやりと考えていると、開け放した窓の枠に一羽の鳥がとまった。

 ルークは慌てて駆け寄り、鳥の足に巻かれた一通の手紙を取り外して、鳥を一旦籠へと招き入れた。それは彼の妹、サリーからの手紙であった。


 竜に島を占領されて間もないころ、本土の人間が、せめて島民の安否を知りたいと勇敢にも竜に抗議した。

 意外にも竜がこれを許諾し、代表として手紙を出させる島民を決めたのだが、それになんと、まだ年端もいかぬサリーが選ばれたのだ。

 本土の人間の中でもこの決定には些か不満の声が上がったが、これ以上の要求は竜の機嫌を損ねるだけだと判断して、これを受諾した。

 

 以降ずっと、この兄弟間で手紙はやり取りされている。

 最近では文章も整ってきており、ルークにとってはサリーの成長を窺わせる、非常に楽しみなものであった。


『兄さん、赤の花ありがとう。こっちにはない花だったからうれしいです。』

 

 そういった導入の後、いつも通り序盤は島民の安否を報告する形式的なものである。

 が、最後にはいつも彼女自身の言葉でルークに宛ててくれていた。


 『兄さん、竜から聞きましたが、また無謀な勝負を挑んだらしいですね? 

 危ないからやめてくださいっていつも言っているでしょう! 

 島の生活も自給自足で成り立つようになったんだし、あんまり無茶しないでください。お母さんたちも心配しています。

 それとも、島に気になる娘でもいるんですか? 

 でしたらしょうがないですね、応援してます。頑張ってね!』

 

 ルークはすっかりませてしまった妹の文章に笑みをこぼした。

 今頃彼女はどんな風に成長しているのだろう、もしかしたらもうボーイフレンドだっているのかも……。

 そんなことを考えると、やはりすぐにでも竜を倒して、妹の交友関係をチェックせねばなるまいと、ルークは再びいきり立った。

 

 こちらからの返信は反乱の足掛かりになる可能性があるとして、竜から禁止されている。

 そのため、代わりにとルークは花を一房、鳥の足に着けることにしている。

 これで少しでも自分の存在を感じてほしいとの一心であるのだが、友人からは「やり口がキザったらしい」との評価を受けていた。


 今日のところは鳥を休ませるとして、ルークは手紙にある安否報告を町の皆に知らせるため、新聞屋の所へと向かった。

 皮肉なことに、竜が島を占領してからというもの、彼の交友関係は急速に広がっていったのだ。


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