ヤンデレにデレない
「ヤンデレにデレてみた」三部作最終回。
森千草は、男運がめっぽう悪かった。
千草は、特に秀でた才能もなく、そこら辺のどこでもいる平凡を絵に描いた様な容姿だったが、異常なまで…いや、“異常な”輩に愛された。しかも、相手側による一方通行の愛で。
始まりは、小学生の時。
近所に住む、高校生のお兄さんがいた。
お兄さんは、とても面倒見が良くいつもニコニコしていた。そして、千草率いる小学生の子供たちの面倒をみてくれる。特にゲームに詳しく、アイテムも気前よくくれるので男子からも慕われていた。
ゲーム好きで、子供とよく遊んでいる事から、俗に言う変質者と疑われそうだが、高校では生徒会長を務め、ちゃんと同級生の美人の彼女もいた。
そのお兄さんが捕まる。
大学進学時に一人暮らしを始めようとした矢先、事件が発覚した。美人の彼女の通報によって。
親切な近所のおばさんが教えてくれたのだが、お兄さんの部屋には一面に千草の写真が貼っていたそうだ。
「大学生になったら、千草と二人で、ずっと暮らすんだ」
警察調書での、お兄さんの言葉らしい。
お兄さんの頭の中の世界では、千草とお兄さんは既に愛し合っているようだった。その準備の為なのだろうか、お兄さんの部屋からは、監禁用なのか大型犬用のゲージに首輪、スタンガンに小型のナイフ。各種の薬物に、千草の居場所が常に特定できるGPSが置かれていたそうだ。
千草の名誉の為に記す。
千草とお兄さんは、そこまで仲が良いわけではなかった。話した数も片手に足りるくらいだろう。他の女子は、お兄さんが格好良く優しかったので密かに憧れていた子もいたのだが、千草にはそういう気持ちは皆無だった。
いつも、お兄さんを中心に男子がゲームをする。それを遠巻きで見ていた女子の中の一人だったのだ。しかも、千草はゲームが好きではなく、お兄さんが居ることによって、遊びがゲーム中心になる事を密かに不服に思っていたくらいで、お兄さんには一切興味がなかったのだった。
しかし、世間はそうは見てくれない。
千草は、近所では“汚された女子小学生”として中傷された。被害者なのに、まるで加害者のように扱われた。下世話な世間の好奇な視線にさらされて、千草とその家族は、引越しを余儀なくされたのだった。
中学生。
千草に、初恋が訪れた。
相手は、1つ年上のテニス部の先輩だった。
テニスも上手く、優しくカッコいい先輩は、他の女子からも人気があった。なのに、平凡な千草に告白をしてきたのだ。
千草は、告白を受けて有頂天になった。千草も人並みの女子生徒だったのだ。交際スタート時には、他の女子からの嫌がらせもあったが、そこは先輩が矢面に立って、全面的にフォローしてくれた。こうして、千草の初恋は幸せに始まったかに見えた。
バシッ
バシッ
いつの日か、先輩は千草を殴るようになった。
バシッ
バシッ
何がいけないのか、千草には分からない。まるで、所有物の印のように青紫色の痣はあちこちにできた。
バシッ
バシッ
「先輩、やめて」と言うと、決まって先輩は「千草が悪いんだからな」と言って殴った。
そして、最後には、泣きながら謝罪するのだ。
「千草、千草、ごめん、ごめん。大好き、大好きだよ。だから、他の奴なんて誰も見ないで。俺を捨てないで。行かないで。行ってしまわないで」
千草は、悩み、心が壊れそうになった。しかし、それをギリギリな所でとめたのは両親だった。千草は隠していたが、青紫色の模様がはいった身体に気付き、憤り、嘆き、悲しんだ。そして、口を割らない千草を連れて、いじめがあったのではないかと、学校を訴えた事により、先輩の事件も発覚する。
後日、先輩は、遠い山奥の病院に入院する事となった。
高校生。
千草は、地元から遠く離れた寮付きの高校に入学した。
その頃の、千草は誰とも人付き合いをしようとせずに、ひたすら一人でいた。食事をするのも一人で、寮の食堂の隅が、千草の特等席だった。
食堂で働いているコック帽で普段は顔の見えない調理師は、いつも隅で食事をしている千草を気にかけてくれる。話しかけすぎる事もなく、日に一言二言、「おはよう」「寒いね」など、他愛のない言葉をかけてくる程度で、誰とも会話をしない千草の孤独を少しだけ安定させる居心地のいいものだった。
しかし、それも長くは続かなかった。
ある日、千草の特等席が、いつも騒がしい男女のグループの荷物置き場となっていた。千草は、ため息を付き、別の場所に座ろうとも思ったが、運悪くいい場所が空いてなかったので、時間をずらして、食堂へ再度来ようとしたのだ。
すると、事件が起こった。例の男女のグループが痙攣を起こし呼吸困難となり倒れた。寮は騒然となり、保健所が介入する。すると、もっとも死亡率が高い“ポツリヌス菌”が検出されたという。
そして、あの調理師が持っていたペットボトルの水からも検出された。
警察に連行される調理師を、群がるやじうまの影に隠れて千草は盗み見る。すると、調理師は千草の方に振り向いて、唇をゆっくりと動かした。
「あ な た の た め な ん で す よ ?」
コック帽で見えなかった顔は、端整で美しく、髪は金色に輝いて、愛情深いブルーの瞳で千草を見つめていた。
その醸し出す雰囲気は、以前の2人を彷彿させる。
(また……)
千草は生まれて初めて、己の人生を呪った。
千草は、高校を卒業すると同時に就職をした。
両親は大学進学を勧めたが、不特定多数の人が行き来する大学よりも、より閉鎖的な職場で、静かに暮らしたかった。千草の熱心な説得により、両親も最終的には千草の好きなようにさせた。
千草の職場は、小さな工場だった。
従業員も少なく、千草をいれて5人。際立った美形も存在せず、外部との接触もほぼないという理想的な職場。そこで、事務員として働くこととなった。
2年後。
千草は、再び恋をした。
相手は同じ職場の先輩である川上陽太だった。川上は、千草と並んでも遜色もない平凡な容姿。 ラグビーをしていたのでガタイのいい身体。でも、仕事には真面目で一直線。そしてなによりも、千草を惹き付けたのは、川上の人間味あふれる性格だった。頑固な所と、貧乏ゆすりがなおらない少しの欠点。男性不信に陥っていた千草の心を徐々に溶かしてくれた。
そうして、二人は恋に落ち、結婚する。
赤子を身ごもり、慎ましくだが、幸せな生活を送ろうとした。したのだ。
が、やはり事件が起こる。
女が、川上を刺した。
女と川上は、面識はなかった。しかし、女は千草と面識があった。女は、千草が通う産婦人科の受付をしていたのだ。
「もっと、早く、そう、早く私と出逢っていたのなら。千草はあんな男に穢されてなかったのに。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
女は、川上の血が付いたままナイフを手にし、真っ赤な手で髪をかきわけながら千草に謝り続けた。 川上を刺した事は謝らず、川上によって孕まされた哀れな被害者の千草をひたすら哀れんでいた。
川上は、一命を取り留めた。 顎から首に大きな傷を残して。
千草はもう、川上と逢わなかった。離婚届けを一方的に郵送し、仕事を辞め、実家にこもりっきりとなる。いくら、川上が訪ねて来ても、頑なに逢わない。千草の両親の説得により、しぶしぶながらも川上は千草と離婚する。そして、千草は母の田舎でひっそりと女の子を出産した。
娘に“陽菜”と名づける。 かつての夫。川上陽太の一文字を密かにもらって。
陽菜が1歳になった時、千草は密かに家を出た。
千草は、その頃は派遣として働いていた。契約の半年から一年間。一定の期限で職場を転々としてもいい“派遣”という仕事は、千草にとっても都合がよかった。陽菜を保育所に預けるが、保育所でも言葉をあまり交わさず、長い期間、同じ場所には預けなかった。同性相手でも、油断がならなかったからだ。
陽菜が、小学生になり、手がかからなくなる。そして、数年間、何事もなく穏やかに過ごせた千草は油断する事に繋がった。
実家に居た育児中に資格をとっていたので、いつもより割のいい派遣センターに登録した。陽菜の将来を考えて、少しでもお金を稼ぎたかったのだ。
それが、あの男との出逢いになる事も知らず。
千草は、新しい務め先でも目立たぬように過ごそうと思っていた。しかし、仕事場についてため息が出る。いつも派遣されている会社よりも、新しい場所は立地もよく、会社名も誰もが知っている名前だったのだ。派遣センターの担当に連れられて、会社を訪れた時に千草は思う。
(失敗した)
担当との連絡の時に、ちゃんと確認をしなかった事を悔やんだ。簡単にいうと、時給に目がくらみ、何も考えずに面接を受けると安請け合いしたのだ。
(こんな大企業、派遣とはいえ、簡単に面接になんて受かるわけない)
もしもの場合…契約期限か切れたら、即効に辞めようと決意する。しかし、その決意は既に遅かった。 いや、面接が決まった時点で辞退していたら間に合ったのだろうか。いつもは、たかが“派遣”の面接にいるわけのない人物がそこには居たのが千草の運命のわかれ道だった。
千草へと絡みつく視線。獲物を見つけた猛禽類のような血に飢えた捕獲者の視線を受けた千草は、今までに感じたこともない背筋が凍る思いをする。
美しい男だった。千草よりも十は上だろう。仕立てのいいスーツ。黒く艶やかな髪に色気のある口元。切れ長な目元がただ、千草を捕らえて離さない。
会社の社長――松本久哉との出逢いだった。
久哉の絡みついた視線に晒された、千草はまた油断する。久哉の左手に輝く指輪に。
追い打ちをかけるかのように、面接の帰りに、偶然みかけた久哉のモデルのように美しい妻と美しい息子。傍からみたら、理想の家族そのものだったから。
その様子を確認し、千草は何度も油断する。
(思いすごし…ね)
数日後には“採用”の連絡がきた。派遣からではなく、会社からの直接の連絡での採用連絡だった。言葉巧みに誘導され断る機会を失い、油断していた千草は働く事となる。
契約の1年間、一見何事もなく過ぎ去っていた。
1年後。
「森さん」
「……っ!?」
この会社での契約の更新をしない旨を、会社のカウンター影で、派遣の担当員に電話連絡をしている時に、後ろから声をかけられた。
松本久哉――社長。あの男だった。
「…松本社長、いかがなされましたか?」
「森さん、ここを辞めるの?」
「…はい」
「残念だね。君は、とても優秀だと聞いていたからね…。ぜひ、うちとしては続けてもらいたいんだけど」
「………ありがとうございます」
「次は、どこへ行くの?」
「…まだ……」
「そう」
背筋に走る悪寒から、千草はてっきり引きとめられると思っていた。しかし、久哉はあっさりと引きさがり、千草へのねぎらいの言葉を続けていた。
ふと、会話が止り、千草がホッとした瞬間に、久哉は整った顔を更に魅力のオーラをかぶせ、先ほどと違った低音で話しかける。
「ねぇ、森さん。今後の事について話さない? 今夜、食事にでもどうかな?」
(今後?)
あくまでも表面上は紳士的。久哉の態度に訝しい表情が消えない千草。
しかし、千草は気付く。久哉の左手に輝いていたはずのものがなくなっていることを。
千草の視線を受け止めた久哉は、何もつけていない左手を右手でひと撫ぜした。
「ああ、気付いた?」
こういうのは、恥なんだけどね。と、左手をヒラヒラとさせ、照れた様に言いのける。
「妻が、新しい男と逃げたんだ」
(嘘)
なぜだか、咄嗟に思った。うぬぼれでもなんでもない。この男は、一目千草を見かけた時から、そうなるように仕組んだと。
「だから、堂々と森さんを食事に誘える権利が僕にもあるんだよ? どう?」
そして、左手を千草の肩に乗せた。
熱い。
(ぐっ)
言葉は優しいが、千草に触れる左手は容赦がない。けして、逃がさない。強い男の手だった。
千草は、引きずられるがままに、運転手付きの車に乗せられた。
逃げられないように、久哉も後部座席に乗り込みドアには内側から開けられないようにロックがかけられる。逃げ道を失った千草は、呆れた目をして久哉の方を向いた。子供を、学童保育に預けているのでそう、長くはいられないと伝えると、じゃあ、ちょっとだけと、地下にあるバーに誘導される。そして、思い出したように久哉は笑うのだ。
「陽菜ちゃんは、うちの光輝と同学年なんだよね。ちょっとだけ、陽菜ちゃんの方が上だったかな」
(何が『なんだよね』なのよ。)
カウンター席に無理やり座らされて、薄暗い店内。趣味のいい調度品にムードのある邪魔にならない音楽。そして、この店に一番ふさわしい品のあるマスター。見るからに高級そうな店に、客は、千草と久哉しかいなかった。
内心いらいらしつつ、千草は表情筋を崩さない。手は、ずっと久哉と繋がったままで、まるで、ここで怒ったら負けだというその千草の様子に、久哉は益々上機嫌になった。
注文もしていないうちから、目の前に置かれる、縁にライムが置かれた透明の液体。それを親の敵のように見つめていると、久哉は、千草と同じグラスを「カチン」とあて「今日の記念に」馬鹿らしい一言を言ってのける。そして、今日の天気の話をするかのように、再び軽く話を続けた。
「森さん、松本千草になろうか」
「はい?」
「僕のために、毎朝味噌汁を作って。 毎朝、甘い声で起こして? そして一緒のお墓に入ろう」
「……」
「結婚しよう。ね?」
「……匂いで、酔われましたか? 私、帰りますね」
陳腐なプロポーズを並べる久哉に、一瞬で沸点が到達した。
ガタッ
カウンターに、乱暴に手を付き立ちあがろうとした。しかし、まだ、手は繋がれたまま。
「離してくれませんか」
「僕で終わりにしなよ」
「何がです?」
「でないと、君はずっと追われ続ける」
「……っ」
「君がよくても、陽菜ちゃんはどうかな? いつかの誰かさんみたいに刺されるかもよ?」
「っ…あ」
久哉は、両手で千草の手を繋ぎ直し、マッサージをするかのように親指でぐりぐりと撫ぜまわした。
「冷たいね。冷え切ってる」
千草は顔を真っ青に色を変え、身体の力が抜け、重力に逆らわずにストンと、席に着いた。
「僕なら、もっと上手く隠してあげられる。君たちの為に、頑丈で誰も侵入できない檻を作ってあげる」
千草はとっくに気付いていたのだ。
“異常者に愛される私が一番異常なんだ”と。
だから、家を出た。
だから、夫を捨てた。
誰も巻き込みたくなかったから。
でも、娘…陽菜だけは、一緒に居たかった。
これは、千草の唯一つの我儘。
千草は、久哉を改めて見る。
この男からも、今までの獣と同じ、それ以上のものを感じていた。
(初めて逢った時に、陽菜だけを連れて逃げていれば…)
――今こうして、捕まらなかった?
想像出来ない情景に身震いがする。
「…………檻の中に、もっと凶悪な獣がいるのに? どこが安全なの?」
(もう、あの会社は辞めるのだから、社長だろうが、遠慮はしない)
千草は手を奪い返し、挑発的に髪をかきあげ、睨みつけた。小動物が牙をむく姿に、久哉は愛おしそうに目を細めて、曝された白い首筋に噛みつきたい衝動を抑える。
「僕は君にとって、一番甘い獣だよ?」
「甘いだなんて」
「甘いよ。僕が君と出会わなかった頃に、植えつけれらた種の存在も愛してあげられるんだから」
「はっ、何を言ったの? バカにしないで!! 種? 私の陽菜を、そういう風に言わないでよ!」
―――バシンッ
振り上げ、スイングした手のひらは、見事に久哉の頬から、いい音を鳴らした。
「…………帰ります」
「待って。――ごめんね? 君があまりにもつれないからさ、ちょっと意地悪を言っただけ」
わざと殴られたであろう頬をさすっている久哉に、マスターが静かに冷たいおしぼりを差し出した。
「ん。ありがとう。でも、僕はいいから、千草の手を冷やす何かない?」
「………いらないわ。下種野郎」
「はははは。初めて言われたなぁ。そんな言葉。さすが、千草だよ。…そうだね。わかっているよ。僕自身が一番。どんなに最低な人間か、わかっているつもり」
「狂人。とっとと、一人で檻の中に籠っていなさいよ」
「でもね、全然わかってないんだよね……千草は。 自分が狂っているのを“自覚”しているのと、していないのでは、意味が全然違うんだよ?」
目を細めて笑う男。
これ以上何を言ってもだめだと思った千草は、もう明日から出社しないよう頭の中で計画をたてた。二度と、男の前に姿を現さない様にこれからの事をシュミレーションする。
しかし、久哉は逃がさない。帰ろうとする、千草の腰に手をまわし、千草の身体を抱え込む。そして、耳元で甘く囁くのだ。
「千草が遊んでもらったお兄さん。数年前には例の病院は退院したんだって。今は、どこかの派遣センターに登録してるとか。千草はすれ違わなかったぁ? 彼はいつもニコニコしているから評判も上々みたいだよ。趣味は相変わらずカメラなんだって」
や、
「千草の初彼は、そうだねー。彼は、我が社の秋のスポーツ大会でも活躍中。今は他支社で頑張っているけど、本人はここ一年、本社への出向を希望しているみたいでさー。なんでだろう? ね?」
め、
「そうそう、最近、会社の近くに評判のカフェができたみたいだよ。オーナーが金髪の青眼でカッコいいと評判なんだってね。今度一緒に行ってみようか?」
て。
「陽菜ちゃんの通っている学童保育にも、新しい女の先生が入ってきたそうだね。特に陽菜ちゃんに優しいらしくて、よく懐いているそうだよ。お礼言わなきゃね」
お願い
やめて
揺さぶらないで。
呪い。
そう、彼は、呪いの言葉を吐いているに違いない。
千草は耳をふさぐ。
これは男の嘘。まやかし。デマ。
なのに
なのに
なのに
揺れるのだ。
グラグラと。
今まで積み上げていた千草を支えていた地盤がグラグラと。このまま、言葉を聞き続けていたら、立ってられなくなる。
「……そういえば、最近、ね、通り魔が捕まったそうだよ。やけにガタイのいい男でね。顎から首にかけて、大きな傷があったんだって」
やめて
やめて
やめて
「未遂でよかったよ。だって、狙われたのは、丁度、僕たちの子供くらいの女の子を連れた親子だったからね」
親子の後ろ姿はね、君たちに似ていたそうだよ。
止めの言葉は、千草を
揺らし
廻して
堕とした。
千草は、深く息を吸ってから、目を閉じた。
真っ暗。
目を開いても真っ暗。
足底も真っ暗……だった。
陽菜が10才になって、再婚した。
気が付いたら、セキュリティーが特化したマンションに住んでいた。一歩もマンションの外に出なくても暮らしていける世界。そして、父親に似た瞳をした美しい息子。
千草は、もう深く考えるのはやめた。
子供たちの前に立つと、それが一番幸せのように感じたのだ。
しかし、時より揺れる足底。
陽菜を連れて、久哉の作った檻を抜け出し、陽菜の好きだったコロッケを買う冒険に出てみた。
マンション付属のジムの裏口を潜り抜け、陽菜と手を繋ぎ、自ら危険を冒す。
しかし、冒険は1時間程で終了する。
その結果に、千草はおかしくて笑う。
あははは。
「あなたの作った“檻”が、どんなに頑丈か、試したのよ」
その日の夜。ベッドの上で、千草は激しく攻められながら、汗の粒を受けて揺らされ続けた。
揺れる
揺れる
揺れる
抜け出して行った地元で、いつかの視線を、声を、感じた……気がした。
『千草、僕たちの新しい巣はもう見つけてあるよ』
『ごめんね、ごめん。殴らないよ。もう、殴らないから、早く帰ってきて』
『あなたをずっとまっている』
『大丈夫ですよ。穢されても、私が千草を綺麗にしてあげる』
『親子、3人で、イコウ』
あはははははははははは。
「千草?」
「私は、貴方を愛していない」
「知ってるよ」
「愛さないのよ…?」
「誰も、心に入れないのならいいよ。空っぽのままでいて」
「…なら、お願い。もっと頑丈な檻を用意して」
「うん」
「私を逃がさないで」
「当然」
目を細めて、上に乗っている男が笑った。
――数年後。
娘が、義息子の檻に閉じ込められた。
父親よりも、より強固な檻で、決して逃げられない。
でも、娘は母親よりも強かだから
きっと、大丈夫。