7.
ヴィンセントの言うとおりだった。
増強薬物を投与されている兵士というのは回復が早いらしい。
腕の傷は化膿などはしておらず、すでに其れは完璧に塞がっていた。驚くべき速度で治っている。もう抜糸をして、念のため消毒して清潔なガーゼを軽く当てておけばいいだろう。
アガサは手際良く一通りの処置を済ませた。
通常では考えられない治癒力だったので、最初から自分の出る幕はなかったかもしれない。この様子だと弾丸を摘出した後にわざわざ縫合しなくともそれなりになったような気がする。
処置後のあの飄々とした態度はそれがわかっていたからなのだろうか。
それでもヴィンセントは彼女に来ていいと言ったのだ。
だから、ますます分からなくなる。
こんな筈ではなかったのに。
教会について話を聞かせてもらって、それから彼がどうするのか———スラムへ行くのならついて行くのも悪くないと思っていたが、其れはあまりにも安易な思考だったようだ。
色んなことが上手くいかない。
アガサは思わず溜息をついた。
すっかりどうすればいいか分からなくて、ただヴィンセントの出方を窺って成り行きに身を任せるだけになっている。昨日のあのうきうきとした気持ちはすっかり消え失せていた。
これ以上関わらないほうがいいのかもしれない。
ふとそんな言葉が胸をよぎった。
教えて貰えないなら幾らここへ来たって無駄だ。
それに、何よりも彼はアガサの助けを必要とすらしていないではないか。
適当に手当てしたって傷は癒える。もしかしたら、今までは被弾しても弾丸は摘出せずにそのままだったのかもしれない。
それくらいにヴィンセントは自分の身体に無頓着で、教会の薬物のお陰とはいえ実質それでも事足りている。
ずっと昔の言葉で、来る者拒まず去る者何とかいう言葉があったと記憶しているがまさに彼はそんな感じだ。
要するに自分の居場所がない。ここにも。
アガサは治療に使った道具をバックパックに片付け、持参してきたお茶を飲んで一息ついた。
それからソファで何をする訳でもなく寛いでいる様子のヴィンセントに向き直る。彼の青い双眸は、何の感情も湛えることなくこちらを射抜くようだ。
「ヴィンセント。あのね、わたし、」
「———静かに」
突然その大きな手で口を塞がれたので、むぐ、とくぐもった声が漏れた。
今度は何なんだ。わたしはまた何か彼の地雷を踏んだのか。
そんなことを思った矢先、こちらを見て「教会の連中だ」とヴィンセントは言った。
確かに耳を澄ませば、割れている窓ガラスの外からは、地上で銃器を携帯して走っているだろうことがわかる特有のガチャガチャした音と、何人かの足音と共に話し声が聞こえる。
その声を聞く限り、彼らがヴィンセントを探していることは明らかだった。
もしかしたらわたしがここへ出入りしている姿を誰かに見られた可能性もある。それで『良識ある』住民が通報したのかも———
「まずいな」
ヴィンセントはソファから立ち上がると机上の薬をはじめとする荷物を片っ端からバックパックに詰めだした。
案外落ち着いた様子で手慣れているところからすると、ここへ来る前にも隠れ場所を転々としてきたのだろう。
しかしアガサにとっては急なこと過ぎて頭がついていかない。
いや、でも教会に見つかったら自分もただでは済まないのだ———はたと気が付く。
アガサがあわあわしていると、
「逃げるぞ」
ヴィンセントは既にバックパックを背負い上着も羽織って、準備完了といった出で立ちだ。
荷物が入っているバッグのひとつを放ってよこしたので、落とさないように上手くキャッチした。思ったより軽い。わざとそれを選んでくれたのかもしれない、と思っても良いだろうか。
「でも、」
「お前、見つかったら俺を幇助したってことで処罰されるぞ。それでもいいなら残ればいい」
アガサは迷った。
彼と一緒に行動したら、『何か』分かることがあるだろう。首都は教会の監視が厳しいから今度はアガサの希望通りスラムへ行くかもしれない。
それに、当初気になっていた彼自身の『処置後』の異常については全く触れられずにここまできている。
ここまできたらそれだけでもいいから知りたかった。
何よりもヴィンセントには未知の部分が多すぎる。
ああ、そうか———
アガサはいつの間にか、教会ではなく彼へ興味が湧いている自分に気が付いた。
彼と共に行動すれば、教会のしていることについて分かることもあれば危険も伴うだろう。
それでも、ここに残ることは選択のうちには入らない。残ってもついて行っても罰されることに変わりはないのだから。
それだったら、わたしは。
「俺は行く」
「ヴィンセント、」
アガサは、痺れを切らして出て行こうとするヴィンセントの上着の裾を掴んだ。
「一緒に行く、から」
彼女が見上げた、少し上にある青い目がこちらを見下ろしている。その発言に少し表情が変わったような気もしたが、すぐに得意のポーカーフェイスに戻ってしまってよく分からなかった。
青年の返事を待つ。
即答されないので自信が無くなって、アガサは俯いた。
「じゃ、ぼやぼやするな。急ぐぞ」
はっと顔を上げると、ヴィンセントはぶっきらぼうに言って彼女の頭をくしゃっと撫でた。其れは温かかった。
断られなくて良かったと思うのもつかの間、ヴィンセントはこちらのことなんて気にせずにささっと階段を降りて行ってしまう。
その後ろ姿をアガサは急いで追いかけたのだった。