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Dune  作者:
第一部
4/11

4.


ヴィンセントが示した廃ビルは、首都で最も治安の悪い———といっても軽犯罪程度ではあるのだが———繁華街にあった。もうずっと前に「教義に反し風紀を乱すため」として教会に摘発された会社の所有であったはずだが、今どうなっているかアガサは知らない。



まだ早い時間帯であるので殆どの店は営業しておらず、繁華街は夜の面影もなく静まり返っていた。首都上空の汚染された空気のせいかただでさえ薄暗い街並みは重たげな空気を漂わせている。


そのまま人目につかない道を暫く歩くと、目的地である例のビルに着いた。其れは見るからに廃れた趣で、一階は窓ガラスが割られていたり外壁にペイントの落書きがされていたりする。

正面玄関はシャッターで閉鎖されていたのでヴィンセントの指示で裏口に回り、赤銅色に錆びれた、歪んでいてきちんと閉まらない通用口の扉からビル内へ入った。彼を介抱したまま三階分の階段を登る。その頃には流石にアガサも疲れてきて、額にはうっすらと汗が浮かんだ。


ヴィンセントが「ここだ」と言うので三階フロアの部屋へ入る。アガサはひと息ついてから埃っぽく無機質な室内を見渡すと、中央のあたりにスプリングが飛び出しているものの使えそうなソファとテーブルが目に入った。その周りには人が生活していたことを思わせる衣類や瓶などが転がっていた。


「ここに住んでるの、」


アガサは自分よりだいぶ背の高いヴィンセントを見上げて尋ねた。

「まあ」と彼は無表情で答え、アガサの手を借りずにどすんと身を預けるようにソファに腰を下ろす。処置したばかりなので傷が痛むだろう、彼の顔色は決して良いとは言えない。

アガサはソファの近くに転がっていた小さな木の丸椅子を拝借することにする。ギシギシと軋むが、座るだけなら問題なさそうだ。

とりあえず目の前のテーブルの上にあるものにざっと目を通すと、新聞や空っぽであろうデリの紙袋———

そして、大量の薬と注射器が無造作に置かれていた。


「これ、」

どういうこと、とアガサがヴィンセントに視線を投げると、



「それが『処置』された兵士の実態」



ヴィンセントは青い双眸に何も表情を湛えることもなくさらっと言ってのけた。



一瞬頭がついていかなくなる。

どういうことなのだ。

これは。



「つまり『処置』された兵士には、増強薬物が投与されているということ、」

「まあ他にも色々あるけど、そういうことになる」


恐らく教会が兵士のために特別に作らせた薬物ということなのだろう、普段アガサが見かけるような市販薬でないことは明らかだった。


「『処置』された兵士に意思がなくなるのは知ってるだろ。その上でそれを服用し始めると、反逆の恐れのない屈強な殺人ロボットが出来上がるってわけ」

「具体的にはどんな効果があるの、」

「視力が良くなる。体力もつくし、運動能力全般が格段に上がる。それと、傷の治りも早い」

そこまで言うと、彼はテーブルの薬の山から無造作に青のそれを取り出して数錠を飲み込んだ。


「今のそれは」

「鎮痛剤。痛みは流石に消えない」

ヴィンセントは自嘲気味に笑う。

「———そう」



そこまで話されると、アガサの興味は彼自身へと移った。


なぜあなたには意思があるの、

なぜわたしに教えてくれるの、

なぜここにいるの、



頭の中でたくさんの疑問が渦巻いている。元々教会の教える「正しいこと」を一切信用していない彼女にとって、今まで知る由も無かった未知の領域にいるヴィンセントは極めて貴重な存在だ。いやでも好奇心が疼いてしまう。


「知りたくて仕方が無いって顔してるな」

「、」

もしかしてあからさまに表情に出ていたのだろうか、とアガサははっとして咄嗟に顔に手を当てた。


「変なやつ」


ヴィンセントはそれが可笑しかったのかふっと顔を綻ばせた。

初対面の相手に対して「変なやつ」とは大変失礼だが適当に受け流すことにする。

アガサはそんなことよりも、彼に質問しようと改めてソファに向き直った。



「あの、」


彼の目を見る。

その双眸は「吸い込まれそうな」と形容するのがまさに相応しい。



———素直に綺麗だと、思う。



アメジストのような真っ黒な髪と、対照的に存在感のある青の瞳。

群青であるはずの虹彩が、この薄暗い部屋では濃紺のようにより深く見えた。その目元に掛かる、軍では短髪が規則なので恐らく逃亡期間に伸びたのであろう漆黒の髪も相俟って、ヴィンセントに暗くアンニュイな雰囲気を持たせている。



「何だ、じろじろ見て」

また挙動不審を起こしたようで、ヴィンセントは訝しげにこちらを見ている。


「えっと、」


アガサは返答に困ってしまう。

まるで自分が自分でないみたいだ。いつもはポーカーフェイスだし適当に誤魔化せた。滅多にこんなことはないのに。

どうも調子がおかしいので、とりあえず今日は頭を冷やすことにしようと思い立った。きっと沢山のことが一気に起こって混乱しているのだろう。



「あなたは明日もここに居る、よね」

「何で」


ヴィンセントはテーブルの上にあった、瓶の感じからして酒と思われるものを飲んでいる。薬物と酒の同時摂取は身体に良くないのに。それとも屈強な兵士は平気なのだろうか。


「今日はとりあえず帰るけど、明日また来てもいい、」

「無理」


ヴィンセントは有無を言わさぬ態度だ。しかしここで食い下がる訳にはいかない。


「明日はその腕の治療に必要なものとか持ってくるから、」


だって万が一傷口が化膿したら危ないし、とアガサが付け加えると彼は持っていた酒を勢いよく腕の傷にかけた。「これで消毒しただろ」とかあっけらかんとした顔で言うので、流石に呆気に取られてしまう。


この人は自分の健康に執着がないのか。

何かカチンときた。


「そんなんじゃ駄目。いずれ抜糸もしなきゃいけないし、きちんと途中経過も見なきゃいけない。あなたじゃ絶対まともに対処出来ないでしょ。それにここには清潔な包帯とかガーゼとかそういうものも一切見当たらないし、だから、」

「はいはいはい」


ヴィンセントはもう聞きたくないと言わんばかりに彼女の言葉を遮る。それから彼は諦めたようにはあ、と溜息をついて言った。


「明日は来ても良い、ただし午後以降」


それを聞いたアガサの表情はぱっと明るくなった。つくづく分かりやすい奴だなとヴィンセントは思う。


「有難う。それじゃあまた明日、」

「———ひとつだけ教える」


既に帰りかけていたアガサは「え、」とソファのほうへ振り返った。こちらからは青年の様子を窺い知ることはできなかった。



「お前に薬のことを教えたのは、俺を助けてくれたから、だ。以上」



「さっさと学校でも行け」とヴィンセントは相変わらずの捻くれた口調でつぶやいた。

それにむすっとしながらもアガサは「じゃあね」と一言告げてビルを後にした。



内心嬉しくてたまらなかった。

明日もここへ来れる、ヴィンセントに会える。話を聞ける。

アガサの心は躍った。


迂闊だった。

久しぶりだったからだ。

あんなに嬉しそうに礼を言われて、つい教えなくていいことを教えてしまった。


ヴィンセントはまるで自分らしくない行動に溜息をついた。

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