魔王と勇者
ついにここまで来た。目の前には、憎き敵の魔王がいる。剣の柄をさらに強く握る。仲間も家族もみんな、魔王とその手先に殺された。殺された人間の為にも、世界の平和の為にも、私は魔王を倒す。倒さねばならない。必ず、この手で。
「勝負だ、魔王!」
「待て。……ひとつ、いいか」
魔王は静かに口を開いた。私は思わず身構えた。何かの作戦か? あるいは奴の能力か? 耳を傾けると、何かが起こるのか? 魔王が何かアクションを起こすだけで、私は殺しきれない恐怖を覚える。こんな人間が、果たして魔王を倒すことができるのだろうか?
「身構えなくてもよい。ただ、お前と話がしたい」
「私はお前と話すことなどない!」
「聞いてくれ。お前には聞く権利がある。生き残った戦士よ」
「……?」
恐ろしいほど、哀しい目をしていた。私は口を閉じて、その目を見つめた。
「私は……これまで幾つもの命を奪った。その命を自らに取り込むことにより、その分だけ生き長らえ、今ここにいる。私はその者達の記憶を共有することができる」
魔王はゆっくりと、しっかりとした口調で語る。私の鼓膜を確かに震わせる。目の前に存在するこの大男は、本当に魔王なのか? そう思わせるほどに敵意や殺意を感じず、ただの人間にさえ見えた。
「私も元は人間だった。だが、私は人間ではなかった。異常で異様な能力を持って産まれ、人が肉を食うように、私は人の魂を喰う。最初は幼い頃の友だった。やけに腹が空いて、その友を喰った」
……やはり、魔王は魔王だ。人間を喰う悪魔なのだ。元人間だというのは初めて聞いたが、中身は悪魔。許すわけにはいかない悪魔なのだ。
「後は、後悔しかなかった。なぜ私は人を喰ったのか? 幼いながらにして、そんな気持ちにさいなまれた」
「……だからどうしたというのだ! だから許せと言うのか!」
「聞け。私は結局その後も人を喰った。だから私は許されるわけにはいかない、己を許すわけにもいかない。最初に言ったとおり、私は記憶を共有する。喰った命の分まで生きる。私の中で、喰われた魂は生きているのだ。だから、私は生きる。生かされている」
何が、言いたい。私は混乱し、訳が分からなくなった。魔王の中で、喰われた魂は生きている? ここには在らず姿は見えないが、そこに生きているというのか?
「私は思った。私の中で私以外が生きられる能力を持つのなら、私の中で私以外が住める世界を作れないか、と」
どういうことだ。魔王の中に、魂が生きる世界ができた? つまり、肉体を必要としない、魂のみで生きる世界が生まれたのか? この現実世界ではない、全く別の空間で、そんな世界が?
「魂のみなら形がなくて可哀想だと思い、器として肉体も貸している。私の中では私が神であるから可能なのだ。私の中にこの現実世界のような、もう一つの世界がある。信じられないだろうが、お前の家族や仲間も、別の形で生きている。その者達の記憶は私が保管しているし、貸した肉体が何らかの形で滅んでも、また別の器に移し転生させている」
「馬鹿な……そんなことが可能なわけが……」
「可能だ。私が喰った魂は、私の世界で生きている。……ほら、お前の母親だった者が笑ったぞ。もっとも、今は5歳の娘の姿をしているが」
虚脱感に襲われ、私は床に膝をついた。うなだれ、手をつき、床を見る。ただの石畳。魔王の城の中の、何の変哲もない石畳だ。これと同じようなものが、魔王の中にもあるのか。俺の母にも、父にも見えるのか。私のように、生きているのか……。
「魔王よ……」
「信じたのか? 魔王である私の言葉を。ただ、私は真実以外を語ってはいない。確かに、私の中に何億もの命がある。これは真実だ」
「信じよう。お前の言ったことを。なぜだか私は今、救われたような気持ちでいる」
「戦士よ。お前が今ここで死して朽ちようとも、私の中に生きることとなる。しかし、私が死して朽ちる時……」
「言うな。私には私の……使命がある」
「……ならばもう何も言うまい。私はこの現実世界の悪魔や魔獣以外の命を喰らい尽くすつもりだ。全てを吸い込み腹に収める力も、私には備わっている。私は神になる」
そうか、お前は全ての神になるつもりか。魔王の腹の中の世界は、魔王が神なのだから、そういうことになる。
「……魔王、私もひとつ」
「なんだ」
「この現実世界は、極めて熾烈だ。人間は虐げられ、悪魔に統括されている。そんな悪魔を束ねたのがお前だろう? 私はお前を悪魔だと思っていた。だが違った。つまり、お前は悪魔でさえ喰らい、魂を取り込めるんだな? だから悪魔がお前を恐れ、下についた」
「ああ、そうだ。だから私の中にも悪魔がいる。お前の母親が住まう世界とは別に、業を背負う魂を閉じ込める世界をつくり、そこに住まわせている。悪魔は凶暴だ、私の世界をめちゃくちゃにされては困る」
確信した。
「魔王、お前は……」
「分かったか。悪魔に統括されたこの荒れ果てた世界では、未熟で弱い人間が生き残ることは不可能。だから私は、この能力、力を使って、別の世界へ非難させるという方法をとった。これが私の精一杯の償いだ。悪魔に殺された魂も、私が全て喰った」
「……」
床に転がる剣を見つめた。これは、果たしてこの世界を救う剣なのか? 魔王が作り上げた、悪魔に支配されない平和な世界を壊す剣ではないのか? 私が魔王を倒せば、どうなる? 魔王が束ねた悪魔は魔境に帰るかもしれない。だが、また別な場所から新たな悪魔や魔獣らがやってくるかもしれない。私は何を救い、何を守ることができる? 私は魔王と違い、長くは生きられない。死した後、この現実世界はどうなるのだ? そこを狙って悪魔が再来したら? 私は深く考えこんだ。
沈黙が続く。魔王は腕を組み、私を見下ろしている。私が魔王にひれ伏しているような形になっている。しかし、実際そうなのかもしれない。私には安全な世界を作り出す力はないし、平和を守り続ける力もない。魔王に勝つ為に力をつけても、それには遠く及ばない。しかし魔王は悪魔さえ使い魂を集め、人間を安全な世界に移住させている。やり方は残酷であるかもしれないが、仕方がないと感じてしまう。悪魔は人間を引きちぎり、噛み砕き、恐怖を与える。魔王の世界は、その永遠の脅威から解放された世界だ。その世界の神が目の前にいるのだから、私はひれ伏してしまっているのかもしれない。
「魔王」
「なんだ」
「誓ってくれないか。お前の中の魂、いや、人間達を、悪魔などという脅威にさらさないと」
「無論だ」
「……ありがとう」
剣をとった。自分に切っ先を向ける形で。
「戦士よ……」
「魔王。お前は悪魔達を統括したが、それでもこの世界の脅威は拭えない、そう感じたからその方法をとったのだな?」
「ああ、それも大きな要因のひとつだ。私がいくらこの世界を統べようと、全てを操れはしない。必ず人間は様々な場所で悪魔や魔獣らに殺される」
「人間を喰うのは、人間の為」
「ああ。この能力はこの為にあると気付いた。私の中の世界では、悪魔らにそんなことはさせない」
「最後に……ひとつ」
「なんだ」
「なぜ人間の魂だけを喰わない?」
「それは……」
魔王の口の端が、大きくつり上がった。
「腹が空くからだよ」
私達の住む世界が、もしも魔王の腹の中なら。考えただけでブルーですね。