氷の貴公子に溺愛されていますが、その理由が分からない
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歴史に名を刻む大貴族の一角である、パプステル侯爵家の若き当主フィリックスは、貴族学院を首席で卒業した天才である。怜悧な美しい姿を持ちながら、どこか他人を寄せ付けない雰囲気から、氷の貴公子などと呼ばれていた。
けれど、ある日を境に、彼の評判は覆る。
「氷の貴公子、ついに陥落!」
ゴシップ誌が一斉に報じたこのスクープを、彼は微笑みで肯定した。
「ああ。今私より恋に溺れている男は、国中探しても見つからないだろうな。ようやく見つけたよ。私の女神を」
蕩けるようなその微笑みに、ご令嬢たちは嫉妬に狂い、令息たちは不思議そうに顔を見合わせた。
「君は変わってるな。名家の令嬢も、社交界の華も、君からの求婚を心待ちにしていたと言うのに。どうして彼女なんだい?もしかして、君にしか分からない、何か特別な理由があるとか?」
彼が愛したのは、適齢期をとっくに過ぎた、5歳も年上の女教師だったから。教師と生徒の禁断の恋、と騒がれはしたが、彼らが出会ったのはフィリックスの貴族学院卒業の夜で、彼女、シモンヌ・エリーチェはその日、貴族学院の大学院に教授として赴任したばかりだった。
特別に裕福では無いものの、歴史ある伯爵家の令嬢であるシモンヌ・エリーチェは、当時、新進気鋭の魔法歴史研究家として、これまでの定説を覆す数多くの新しい学説を発表し、学会で注目されている存在だった。
「彼女は愛さずにいられない女性だよ。けれど、彼女の良さを知ってしまえば、みな彼女を愛してしまうだろう。彼女を愛するのは私一人で十分だ」
と、彼は友人たちに語っていたが、実際のシモンヌは、彼に近寄る令嬢たちの誰よりも、地味で冴えない、年増女に見えた。そのため、彼女には男を惑わす何かがあるに違いない、と噂になった。
「僕の女神。愛してる」
「本当に僕のことを覚えていないの?薄情だなぁ」
シモンヌにしてみれば、実に迷惑な話だった。
幼少期も含めて、フィリックスに出会ったことなど、一度もないはずだ。念のため両親にも確認してみたが、親同士が交流していたこともないとのこと。
まぁ、街ですれ違ったとか、その程度の接触なら覚えていないのも頷けるが、それでいきなり恋に落ちるものだろうか。
「まぁいいや。君が覚えてなくても、僕が君を覚えているから」
どこで出会ったのか、何度尋ねても、答えをはぐらかすくせに、蕩けるような笑顔で、愛を囁いてくる。完全に理解の範疇を超えていた。
けれど、フィリックスの公の場での度重なる熱烈な求婚により、両家は二人の婚姻を早急に結ぶことに決めた。
なぜフィリックスはシモンヌを愛したのか。結局シモンヌには分からないまま。
正直シモンヌは、この結婚に乗り気ではなかった。彼女にとって、研究こそが全てで、生涯に渡って研究を続けて行きたいと思っていたから。幼い頃からずっと、彼女は魔法の歴史の謎を解き明かすのに夢中だった。なぜこの世界から、魔法が失われてしまったのか。遠い昔、この世界には魔法があったのに。今ではお伽噺と言われているけれど。
「もう一度、魔法が使えたら」
シモンヌが夢見たのは、今は失われた魔法のある世界。
箒が勝手に掃除をしたり、マッチを使わずに暖炉に火を灯したり。当時は誰もが、魔法の力を持っていたという。けれどあるとき、強大な力を持った魔法使いが生まれ、魔法使いはその力で、世界を滅ぼしかけたという。
魔法使いは魔王と呼ばれ、人々を恐怖のどん底につき落とした。
(魔王が持っていた力。それは……)
「シモンヌ、そろそろ寝ようか?」
「フィリックス、先に寝ててちょうだい。今、考え事をしているから」
「また昔話について考えてるの?」
「昔話だなんて!これは実際にあった歴史よ!」
「はいはい。それよりも、キスして?」
「もう……」
ぽすりとフィリックスの腕のなかに収まるシモンヌ。口では何だかんだ言っても、夫には弱い。まっすぐに向けられた愛が、不思議でもあり、迷惑だと感じることもあるけれど、抗えないほどに魅力的なのも確かだ。
(どうしてかしら……こうしてると、何だか悪いことをしてる気分になるわ)
「愛してるよ。シモンヌ。君を手に入れるために、僕がどれほど苦労したか……」
「……そんなに、苦労した?」
シモンヌの両親は、これ以上の良縁はないと、嬉々として婚約を受け入れていた。断ったら親子の縁を切りそうな勢いだった。フィリックスの両親は、反対していたのだろうか。義父も義母も、おっとりとした優しい穏やかな人達だが、内心愛しい息子が、年増女に騙されたと思っていたのかも知れない。
シモンヌの沈んだ気持ちを察知して、フィリックスは甘く囁く。
「周りは皆賛成してくれたよ。何しろ君は、僕が愛した最初で最後の人だから。ただ、君がなかなか僕を受け入れてくれなかっただろう?」
拗ねたように話すフィリックスにシモンヌはくすりと笑う。
ほら、やっぱりこんな所が年下っぽいのよね。普段は大人びているくせに。
「ねぇ、僕のこと、愛してるって言って」
「……愛してるわ」
「本当に?」
「もう!何度も言わせないで!恥ずかしいんだから!」
「ふふ。ごめん。何度でも聞きたいんだ」
抱きしめたまま、シモンヌにすりっと頬ずりをするフィリックス。
「ああ。ようやく手に入れた。僕の愛する女神」
生まれながらの魔法の天才。そう呼ばれたのは遥か昔のこと。フィリックスは、他人の力を吸収して、自らの力に変えることができた。それはまさに、無限の魔力。けれど、強大な魔法の力は、神をも凌ぐ力となり、やがて、世界を脅かす魔王と呼ばれた。
もっとも、フィリックスに世界を壊す気なんてなかった。ただ、退屈だっただけだ。立ち向かってくる敵は容赦なく排除したし、あれこれ画策もした。
あるとき、目の前に女神が現れた。
魔王からこの世界を救ってほしいと。
なんの冗談かと思った。だって、魔王は僕自身なのだから。
おっちょこちょいのおかしな女神。
けれど、世界を救いたいと頼むその姿が、とてもとても、可愛かった。
敵は、魔王城に置いた魔力の塊。力の源であるもう一つの心臓。
女神に選ばれた勇者は、激しい戦いの末魔王を倒した。世界を救った見返りに、勇者が求めたものは……
「あなたが欲しい」
手を伸ばしても届かない、高い場所から。
僕のために堕ちてきて。
そうしたら、
世界を救う魔法の力もいらない。
この世界なんてどうでもいい。
僕の全てを捧げるから、あなたの全てを下さい。
その願いが、ようやく叶ったと知ったのは、生まれ変わったこの新しい世界で、あの日、彼女に出会ったとき。
一目で分かった。綺麗な空の瞳。
僕のために、堕ちてきた女神。
人の身となっても、不器用で、おっちょこちょいなところは、少しも変わらないけど。
(まさか記憶をまるっと失ってるなんてね。わざとかな?)
僕を選んだそのときに、君もまた、恋に堕ちたのを知っている。本当は、僕が魔王だって気付いてた?
「物語の結末はいつだってハッピーエンドだよ」
愛しい人のために世界を救った勇者は、たったひとつの特別なご褒美を抱きしめて眠る。君が望む限り、君の勇者でいてあげる。
おしまい




