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鏡の中の姉(あね)に会いにゆく ―アーミッシュの少女の日本滞在記―  作者: 白山月


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第三章:鉄の教えと、命の駆動

明石の潮風が吹き込む佐藤の工場での日々は、レイチェルの価値観を根底から揺さぶる試練の連続だった。


朝から晩まで、火花と油にまみれる。

それは農作業とは違う、静かで、けれど神経を削り取るような「戦い」だ。

「……熱っ」

レイチェルは思わず、熱を持った指先を耳たぶに当てた。

手元には、細かな銀の糸を溶かす「ハンダごて」。村で使うくわや鎌に比べれば羽のように軽いが、その先端が放つ熱は容赦なく彼女の集中力を奪っていく。


「おいおい、そんなんじゃ基板を焼いちまうぞ。もっと力を抜いて、点を打つようにだ」

佐藤の厳しい声が飛ぶ。

レイチェルは、慣れない「電気の道筋」を修復する作業に、吐き気を感じるほどの疲労を覚えていた。

指先は震え、視界は細かな回路図でかすんでいく。

(……やめたい。こんな、目に見えない電気の粒を追いかけるような不自然なこと)

弱気が胸をよぎった、その時だった。


レイチェルの脳裏に、あのペンシルベニアの黄金色の夕暮れが蘇った。

一日中、重い牧草を運び、腰が折れるほど働いた後の、あの充足感。

泥にまみれ、汗を流し、仲間と肩を並べて「やり遂げた」時にだけ訪れる、至福の静寂。夕飼を心待ちにして、疲れなど吹き飛ばしたように力強く歩く馬たちの背。


(そうだわ。……私は、楽をするためにここに来たわけじゃない。簡単に直るのなら、それはきっと、お姉ちゃんの『命』とは関係のない場所だわ)


レイチェルは、深く、長く呼吸した。目の前のハンダごては、もはや忌々しい文明の利器ではなく、姉を救うための「巡礼の杖」へと変わった。


「佐藤さん、もう一度お願いします。……私、やり遂げたいんです。彼女が、またあの家で、私たち家族と一緒に笑うために。この不便な修行を、最後まで」

その瞳に宿った強い光に、佐藤は一瞬気圧されたように黙り、それから嬉しそうに鼻を鳴らした。 「……いい覚悟だ。じゃあ、次はこいつを見てみな」


佐藤が差し出したのは、市販のアイリス・シリーズの最新型アクチュエーター――腕の駆動ユニットだった。

レイチェルは指示されるままに、慎重にその外装を剥ぎ取っていく。

「……? 佐藤さん、これ、中が空っぽです」

「空っぽなわけあるか。最新の超高効率モーターだぞ」

レイチェルは首を振った。

彼女の指先が、無機質なコイルと磁石の塊をなぞる。

「違います。私の知っているお姉ちゃんは、こんなに『冷たく』ありませんでした。お姉ちゃんが力を出すとき、その腕からは、シュ、シュッという空気の漏れる音が聞こえて、流れる油の熱い拍動がありました。それはまるで、馬の筋肉が躍動するように……」


彼女は、分解したパーツの中にあるはずの「何か」を探して、目を凝らした。

「ここには、電気しか流れていません。回るだけの力しかありません。でも、お姉ちゃんの中には、もっと力強い『溜め』と『解放』があった。空気を圧縮し、油を押し出す……あの不自由で、けれど力強い、村の風車や農機具と同じような『脈動』が」


佐藤の表情から余裕が消えた。

空気圧ニューマチックと、油圧ハイドロリックだと……? バカな。そんな重くて非効率なシステム、今どきのアンドロイドに載せるはずがねえ。


それは……それは、一トンを超える戦車を動かしたり、鋼鉄の壁を突き破るための、軍用重機の理屈だぞ」

レイチェルの背筋を、氷のような戦慄が走り抜けた。

自分が「お姉ちゃん」と呼び、共にパンを分け合ってきた存在。

その柔らかな皮膚の下に隠されていたのは、最新のスマートな技術などではなく、圧倒的な「暴力」を支えるための、巨大な圧力回路だった。


(非暴力であることを神に誓う私たちが、世界で最も恐ろしい『武器』を家族として愛していたというの……?)

アーミッシュにとって、他者を傷つける道具を所有することは最大の禁忌だ。

アビゲイルの腕を治すということは、その「悪意」を再び呼び覚ますことになりはしないか。

「お姉ちゃんは……ただの女の子として、作られたんじゃなかったのね」

ハンダごての熱が、今はひどく遠く感じられた。


レイチェルは、自分が足を踏み入れた場所の深さを、初めて正しく理解した。


そこは、静かな信仰を根底から揺るがすような、菱崎重工がひた隠しにする「鉄の悪意」の入り口だった。


これって日本語で、虎穴に入らずんば虎子を得ず?君子危うきに近寄らず?

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