第一章:琥珀色の沈黙と、二つの救出
ペンシルベニアの夕暮れは、すべてを金色の粉で覆い尽くす。
家族や隣人たちと協力して進めた「フロリック(共同作業)」が、終わりを告げようとしていた。
整然と並ぶ巨大な牧草ロールは、今日という一日をやり遂げた証だ。
父は作業を終えた馬たちの首筋を、労うようにポンポンと叩いた。
「さあ、帰るよ。みんなお腹を空かせている」 その合図に、馬たちが一段と高く鼻を鳴らす。
帰宅後の「夕飼(馬の夕食)」を心待ちにしているのだ。彼らは疲れを見せるどころか、軽やかな足取りでバギーを引き、その背を夕日に輝かせながら明日への活力を漲らせていた。
その光景を眺めるレイチェルの胸には、心地よい疲労感とともに、深い充足感が広がっていた。
(便利さのために楽をするより、みんなで汗を流してやり遂げること。それが、こんなにも心を温かくしてくれる……)
しかし、その平穏をなぞるように、ある記憶が脳裏をかすめた。
数年前、幼かった彼女を襲った誘拐事件。
それは、外から来た男たちの車に押し込まれ、バギーから引き離された絶望の瞬間だった。
叫び声すら出ないレイチェルの頭上に、突如として「青い閃光」が走った。 光の主は、まだ家に来たばかりの「静かな居候」――自分と同じ顔をした姉、アビゲイルだった。
アビゲイルは迷いなく誘拐犯の車のドアを引き剥がすと、レイチェルを抱きかかえていた男ごと車外へ引きずり出した。
そのままゴミのように男を投げ飛ばすと、震えるレイチェルをその細い腕で抱きしめる。
逆上した犯人たちは、撤退の間際に二人を轢き殺そうと車を急加速させた。
アビゲイルは咄嗟にレイチェルを高く空中へ放り投げた。
逃げるためではない。衝撃から守るためだ。
彼女は両足を大地に踏ん張り、迫りくる鉄の塊に対し、手のひらを一気に加速させた。
――ドォォン!!
凄まじい衝撃音。大型車の重量と速度が、彼女の右手に触れた瞬間、嘘のように打ち消された。ひしゃげたボンネットの前で、アビゲイルは微動だにしない。
そのまま空を見上げ、左腕と胸で、落下してきたレイチェルの重みを羽毛のように優しく受け止めた。
「……大丈夫。レイチェル」
その瞳に宿っていたのは、レイチェルとそっくりな、けれど誰よりも強靭な意思だった。
逆光の中で放たれた「守る者」としての圧倒的な威圧感。そして、あの美しく鋭い青い閃光。
その記憶はレイチェルの心に深く刻まれ、以来、街のどこかで青い光を見るたびに、つい視線を走らせるのが習慣になった。
現在に戻り、レイチェルは一頭の馬に寄り添うアビゲイルを見つめる。
彼女は不自由な左手だけで、ぎこちなく馬の手入れを手伝っていた。
地平線に沈む夕日が、広大な牧草地を深い琥珀色に染め上げていく。
仲間たちが「また明日」と笑顔で手を振り合い、それぞれの家路につく。
その幸福な光景のなかに、アビゲイルの動かない右腕だけが、欠けたパズルのように存在していた。
「お姉ちゃん。私、やり遂げてみせるわ」
生身の人間と違い、彼女の腕は待っていても治癒することはない。誰かがやらなければならないのだ。
農作業の後の充足感を知っているからこそ、この「治す」という困難な道も、逃げずにやり遂げる価値があるのだと確信できる。
夕飼を喜ぶ馬のように、レイチェルは希望を胸に足取りを強めた。 琥珀色の静寂を背に、彼女の心は、遠い東の国・日本へと定まっていた。
こういうの日本語でなんていうんだっけ。心が震える?心がざわつく?




