勇者と私 2
「相変わらず他人事だな」
侍女が運んできたティーワゴンを眺めていると、ふいに勇者が呟く。
「他人事?」問い返せば、
「お前にとって魔王討伐の旅も、今回の国王暗殺も何もかもどうでもいいことなんだろう。最初からお前には心なんてなかったんだから」
憎しみを隠しもしない声音で話す夫。
口調は粗野なのに、用意されたティーカップを持ち上げる仕草は洗練されている。これは召喚された後になされた貴族向けのマナー講習で学んだことであるが、元々、品のある子だった。動くときに、なるべく音がしないようにするのもそうだし、いつも姿勢がいい。教えられなくとも、食事中にカトラリーを乱雑に扱うこともなかった。
じっとその顔を見つめていれば、すいと逸らされる視線。精悍な横顔に思い出すのは、昔のことばかり。
「……あれは、暗殺ですの? あんなに堂々となされた所業でも、暗殺というのですわね。勉強になりますわ」
「……」
再びこちらに向いた顔。気のせいか、額に青筋がたっている。
何か言いたげなのに、今度は何も言わずに黙ったまま。しっかりと目が合っているのに感情が読めない。
それはそうか。
聖女といえど、何せ偽物だから、できるのはせいぜい瘴気を浄化することくらいだ。
それ以外の特殊能力がないわけではないが、さすがに他人の心は読めない。そんな人間はごくわずかだ。
世界に名を馳せている魔術師とて、相対する者の心を読むなんて芸当はできないのである。
だから私も、勇者が何を考えているのか分からない。
それでも、出会った頃は彼を理解しようと努力したものだけれど。
なかなか難しかったのは、私たちの育った環境が違いすぎたから。
目を眇めるようにして私を見てくる割に何も言わないので、首を傾げれば、
「勇者様。姫様は嫌味を仰っているんではありません。本当に、感心しているんですよ。勇者様の語彙力に」
勇者の斜め後ろに立っているエボルが、彼に耳打ちした。と、言っても周りに筒抜けなのでひそひそ話も意味がない。
「勇者様。私、思うんですの」
「何だ」
黒い双眸が光を反射して鈍く光る。黒曜石に似ていて綺麗だ。それと同色の髪。この世界で唯一の人。象牙色の肌もそう。
私の愛した、たった一つの希望。
「あの子はどこにいったんだろうって」
「……あの子?」
「イツキですわ」
「―――――、」
はっと瞠目したその人が、明らかに言葉を失ったようだった。そしてすぐさま、訝し気に眉を顰める。
「分かっておりますわ。イツキは今、目の前に居て、私をこちらを睨みつけていると」
「そうか」
「けれども、捜してしまうのです。あの頃のイツキを。城のどこかで泣いているんじゃないかと、気が気ではない気分になるのです。早く、捜してあげなくちゃって」
ほう、と息を吐けば返ってくるのは、
「ふざけているのか」
唸るような低い声だ。足元から競り上がるように沸き立つ怒りの波動。
途端に、警戒の色を見せたのが近衛騎士のトレニとエボルである。近衛であるから、どうしても王族を護ろうとしてしまうらしい。逃れられない性ともいえる。
脱げばいいのに、国王がいなくなっても近衛騎士の隊服を纏っているし。
二人とも似合っているからいいのだけれど。
隊服が白なのは、存在証明でもあるらしい。あえて目立つことによって、誰がみても警備は万全だと分かるようになっている。
勇者が着ているのは近衛騎士の隊服に似ているが、色は黒。
髪の色に合わせて、私が作らせた。返り血が目立たないようにという配慮もある。それほどに圧倒的な力を誇る人なのだ。
「おい、」
集中力を欠く私に、勇者が呼びかけてくる。その唇が、恐らく私の名を呼ぼうとして止めた。
もう二度と、呼んでくれることはないのだろう。
「ふざけてはおりません。私の今の気持ちをお話しただけですわ。結婚式のときも仰ったではありませんか。何か言いたいことはあるかと。だから、今回もきっとお尋ねになると思いましたの。ですから、先にお伝えしておこうと思いましたのよ。私はイツキを捜している、と」
ガシャッ
持っていたカップをソーサーにたたきつけるようにして置いた英雄が、わずかに腰を上げる。今にも掴みかかってきそうな勢いだったのだけれど、
「あおらないでください、姫様」
エボルが勇者の肩を抑えた。その程度では救国の英雄を諫めることなんてできないはず。なのに、勇者はあっさりとソファに戻った。
この部屋に入ってきたときと同じく、睨みつけるように私を見据えた後、右手で額を覆う。目元を隠したのは、意図的なのか。
「頭痛がする」と言いながら、はーっと長い溜息を吐いた。
続けて、今にも叩き切ってしまいそうだと独り言ちたので「そうしてくださって構いませんわ」と答える。ところが、
「姫様!」
すぐ近くで、ミラが悲鳴のような声を上げた。
私がいまだに王女であったなら、客人との会話に割り込む従者などいなかっただろう。声を張り上げるなんて言語道断。礼儀に反するどころの話ではない。
顔色を失っている侍女を見やれば「申し訳ありません。……けれど!」と、ますます泣きそうにする。
「そんなことを仰らないでください」と言い募る姿は真に迫っていて、どこか哀れだ。心配されているようだが、心に響かない。
誰の言葉も、この胸を打つことがない。金槌で叩かれたとしても、びくともしない気がした。硬いからではない。既に、形を失っているからだ。
「心配せずとも、俺が勝手に罰を与えることはない」と、イツキが首を振る。
「そうなのですか? けれど式のときは、この首を刎ねようとなさっておいででしたわ」
結婚式にまつわる一連の記憶は、場面ごとに切り取られて頭の中に納まっている。まるで絵画だ。貧相な額縁に飾られたそれは、頭の中に散らばっていて。所々で山になっている。時々、取り出して眺めてみるものの、なぜかどの額縁を選んでも同じような絵が出てきてしまう。
だというのに。
首にあたった剣の感触や温度だけは別物として捉えているのか、凍り付くほどに冷たい切っ先を忘れることができない。
「首を刎ねようとしたのは、お前が聖女を殺害したと告白する前だ。だから、あれは聖女殺害に対しての刑ではない。むしろ、あの告白によって、お前は王女としての刑を逃れ生き延びることになった」
「どういうことですか?」
勇者は観察するようにまじまじと私の顔を見ている。何かを見極めようとしているのか、髪の毛の一本すら異常はないかつぶさに確認しているようだ。
「つまり、姫様が本当に聖女様を殺害したのか調べる必要がでてきたので、姫様を亡き者にするのは止めたってことですよ」
閉口した様子の勇者に代わって、トレニが説明してくれる。会話に入るなら近くに来ればいいのに、相変わらず扉の前から離れない。職務を遂行することに熱心なのである。
では、私は余計なことをしたのね。と言えば、ただちに勇者から「死にたかったのか?」と返ってきた。
訊かれてから改めて考えてみると、よく分からない。
あのとき、首を刎ねられても何も思わなかったかもしれないが、積極的にそうしたかったのかと問われれば疑問が残る。
どんな大罪人でも死ぬのは怖いのではないだろうか。
そんなことよりも。
「勇者様」いつもそうしているように、イツキのもう一つの名を呼ぶ。
「何だ」当たり前のように二つ名を受け取るその人。
―――――僕は勇者じゃない! と泣いたあの日。
『いいえ、貴方は勇者です』と言い聞かせたのは私だ。
「私は生き延びたと言いますけれど」
「ああ」
「私は、まだ生きているのでしょうか」
「何?」
「―――――本当は死んでいるのではありませんか?」
「何を言っている?」
「私、まだ生きていますか?」
「何を、言っているんだ…?」
「姫様は何か変なんですよ。勇者様が結婚式であんな大それたことをしでかすから」とまた、トレニが割り込んでくる。私たちの会話をつぶさに聞いているようだ。
「貴方、そんなところから話しかけないでこちらに来ればいいのに」
提案してみたが「いいえ、有難いお言葉ですが、お気持ちだけで十分です」と、直ちに背筋を伸ばして普段の軽口を封印する。
「扉をいつも気にしているのは、私の逃亡を防ぐためだと思っていたけれど、何だか違うみたいだわ。……宮殿からこちらへ移送された理由もそうだわ。確かガウラルは、私の身が危ういと言っていましたわね」
「そんなこと言っておりましたか? 将軍は」
とぼけてみせる騎士。怪しいことこの上ないし、隠しても無駄である。
無知ではあるが、察しはいいのだ。
「私は命を狙われているのね? そして、皆は私を守ろうとしているのだわ」
しん、と静まり返る室内。私が話し出すと、時々こういう変な空気になることがある。けれどそれは、さして特別なことではない。私は王女だから。生まれながらに与えられている身分が、意図せず相手を萎縮させてしまうことはよくある。
これからは、そういうこともなくなるに違いない。
トレニとエボルは、私が結婚式の後からおかしくなったと思っているようだが。
それは、私だけではない。皆そうだ。
陛下がいなくなってから、皆変わった。そうでなければ簒奪した意味がない。
「勇者様までこの件に加担しているのは、なぜですか?」
いっそう強い視線で、射貫くように見てくるイツキに訊く。
「聖女殺害について調べなければならないからだ。それ以外には何もない。真相がわかるまでお前を生かす。―――――それで?」
「それで、とは?」
「どうやって殺害した? どうして、殺した?」
「申せませんわ」
「―――――そうか」
ひどく淡泊な返事をして、紅茶を一気飲みすると席を立った勇者。こんな品も何もない飲み方、初めて見る。もう行ってしまうのか。
「もっと一緒にいたいですわ」
広い背中に声をかける。顔は見えないが、ふんと鼻を鳴らしたのは分かった。
私に呆れているはずなのに、足音のしない優美な歩き方。舞踏会で恥をかかないようにと、並んで歩く練習をしたのは、そんなに遠い日のことではない。
なのに、もう手は届かない。
私たちはこの先、手を取り合うことはないし、並び立つこともない。だから当然、ダンスも踊らない。
教師に習ってステップを踏んだ。くるくる回って、放射状に広がるスカート。大理石の床を滑るヒール。会場に響く弦楽器の音色。
絵本の中でしか知らない世界。
「姫様」
「なぁに?」
てっきりエボルも一緒に出て行くのかと思えば、なぜかその場に留まって私を見ている。そして、事もあろうか
「姫様は、勇者様がお好きなのですか」と分かり切ったことを訊いてきた。
就いている職務の割に純粋無垢な眼差しで、誰もが訊くことをためらうようなことを直球で言葉にする。
好奇心というよりも、ただただ気になったことを口にしただけ、という感じだ。
「好きですわ」
ただ心にある想いを形にするだけだというのに、躊躇いが生まれる。
今更、想いを告げたところで何になるのか。
自問自答していると、思わずという雰囲気で振り返った勇者が「嘘が好きだな」と言って「お前は嘘つきだ」と重ねた。
嘘ではありませんわ、と否定するのに。今度は「大噓つきめ」とその目にはっきりと侮蔑の色を浮かべる。
心は失ったはずなのに。
胸の奥が生んだようにじくりと痛む。腐っていくみたいだ。身体の内側から。
罪を犯した代償なのかもしれない。見た目には分からなくとも、他人から罰を与えられなくとも、それとは別に神は必ず罰を与える。
何よりも重い罰を。
「信じてもらおうとは思っておりません。ただ、本当のことを言っただけですわ。好きです、と」
彼の言うとおり、私は確かにずっと嘘をついていた。けれど、いつか真実にするつもりだったから。嘘を、嘘とも思っていなかった。
いや、それは。ただの言い訳か。
「勇者様、姫様を侮辱するのは止めてください」
エボルが私の横に立って抗議する。
「姫様は傷ついています」
「傷ついていないわ」
「いいえ、傷ついています。鈍いからお気づきではないのです」
「失礼ね」
「それに、悲しんでもいます」
勝手なことを言う元従者に困り果てていると「勇者様がお帰りですよ!」とトレニが声をかけてくれる。
イツキはそっけなく「神殿に調べが入る」と告げて、部屋を出て行った。
私のことなんてどうでもいいのだろう。
「貴方、ついていかなくていいの?」一向に動こうとしないエボルに問う。
「大丈夫です」
「勇者様、お一人で行ってしまわれたわ」
「大丈夫です」
「寂しがっているんじゃないかしら」
「また、それですか?」
何で勇者様が寂しがるんです? と膝をついて私の顔を見上げるエボル。
「勇者様は異世界から来たからよ」
「存じておりますが」
「一人ぼっちだわ」
「そうですね。異世界人はこの世界に一人きりですね」
「そうなの。この先も彼は一人きりなのよ。帰れないんだもの。可哀相だわ。このままずっと一人で、寂しいじゃない」
「え、帰れない?」
双眸をこれでもかと見開いたエボルが息を呑む。
「帰れない?」言葉を置くように繰り返した。そして、立ち上がる。「え? あの、え?」冷静沈着と評される騎士が何度か何かを言いかけて、私とトレニを交互に見やる。何の意味もない行動だ。
結局、言葉が見つからなかったのだろう。口を閉ざして私を見下ろしたまま、立ち尽くす。
代わりに「―――――姫様は勇者様に嘘を吐いたのですか?」と訊いてきたのは、言わずもがなトレニである。こういう不測の事態ともいえるときは彼のほうが冷静なのだ。
「嘘は嫌いよ」
「もちろん存じておりますよ。けれど俺は昔、姫様が勇者様に故郷へ帰れると話していたのを覚えています。あの方に、絶対にニホンへ還すと誓ったのも見ておりました」
「そうね」
「―――――嘘をついたのですか?」
「嘘は嫌いよ」
「……存じております!」
扉の前にいて距離があるから声を張らなければならないのか。あるいは感情が高ぶっているから声が大きくなるのか。恐らく、後者だろう。
「失望した?」
「……いいえ」
「嘘は嫌いよ。失望した?」
「―――――わかりません」
「そうね。それでいいわ」
訪れた深い沈黙は、魔王討伐の旅の途中に見た雪景色を思い起こさせた。
降り積もった雪が世界から音を奪う。どこまでも広がる雪原が青空を映し儚く輝き、瞬きをすると瞼の裏が白く染まった。闇をも染める純白。
一緒に歩いていた仲間は「歩きずらい」「疲れる」と文句を言いつつ、これなら魔族も来れないかもしれないと冗談を言い合って。重い雪を、掻くようにして前へ進んだ。
点在する木立の枝が白く染まって神秘的である。雪が積もっていると思っていたのだけれど、雪ではなく冬にだけ咲く花だと教えられた。
こんなに寒い場所でも、植物は花を咲かせる。
動けなくなるのは。枯れてしまうのは。きっと、人間だけ。
出立の際、過酷な旅になると多くの人間に言われたものだが、宮殿しか知らなかった私は、初めて見る景色に幾度も感動を覚えた。
赤ん坊が、初めて痛みを知ったその日みたいに。驚愕し、泣き喚きたいほどの衝動に心が大きく揺らぐ。
世界は、こんなにも美しい。
どうして。
どうして、こんなに美しいの。
『平和になったら、また来ればいいよ』と言ってくれた人は、旅の途中で命を落とした。返事をしなかったことを、今でも悔いている。
答えられなかったのは、国に帰ったら、もう二度と王宮からは出られないと知っていたから。
「なぜ、嘘を吐いたのですか?」
トレニやエボルのように動揺しているわけではなさそうなミラが、ティーポットから紅茶を注いでくれる。いつの間にか、カップの中は空だった。
「勇者様がニホンへ帰りたがっていたからよ。あまりに泣くものだから、泣き止んでほしくて『帰れる』と言ったの。私が必ず、ニホンへお還し致します。と」
「そうですか」
やはり侍女はあまり興味なさそうである。
「そうなの。ニホンへ還します。だから安心してください。どうかこの国をお救いくださいって頼んだのよ」
何て、むごい。そう言ったのは誰だろう。
トレニ? エボル? それとも普段は一言も声を発さないメイドが、思わず言ってしまったのだろうか。あるいは、自分で自分に言ったのかもしれない。
そう。私は、勇者と交わした約束を反故したのだ。
何も知らず、怯えていた彼の柔い心に付け込んで懐柔し、信じさせて。甘い言葉で彼を思い通りに動かした。
残酷な行いと知りながら。恨まれることも分かっていた。だけど、自ら選んでそうした。
「……後悔していますか?」そうであってほしいと願うように従者が問う。
「そうね」
「そうですか」
ほっとしたような吐息が聞こえて。
だけど、私は反省していないのよ。と心で呟く。
己の行いを悔いていながら、それでも反省をしていない。
省みても無駄だから。
これよりも最善はないと信じた道を、ずっと、歩いてきた。




