【十三歳】
勇者が召喚されたのは、私がまだ十三のときだった。
随分前のことであるのに忘れることができないのは、我が国の大神殿で行われた召喚の儀式に、王女であり聖女候補でもあった私も当然、立ち会ったから。
*
王族が住まう宮殿と大神殿はさほど離れてはいないが、歩いて行けるほど近くもない。ゆえに常時であれば馬車を利用する。しかし、勇者召喚の際は、安全性を考慮したうえで緊急時に使用される転移魔法を用いた。いつものように馬車を使わなかったのは、この儀式があくまでも極秘扱いだったからだ。
このことが万が一にでも外部に漏れては困る。転移魔法であれば、使用できる人間自体が限られるので、秘密が漏れる可能性は限りなく低くなると考えた。
宮殿から神殿へ移る必要があったのは九名。錚々たる面々が一堂に会した。
王族からは聖女候補であり王女でもある私、国王の代理として宰相、東西の将軍が一名ずつ、さらに元老院からは五名。
併せて、転移した先で神殿側が召集した大神官と神官三名、神官見習い二名の六名と合流することになっていたのだが。本来ならここに並ぶはずだった聖女が、病のため不参加となった。
この時点で、この召喚にはどこか不穏な空気が漂っていたのに。
全員が気づかぬふりをしていた。
もしも。聖女ではなく、聖女候補である私が立ち会わねばならなかったことに、異を唱える人間が一人でもいたなら。この召喚は見送られるはずだった。にも拘わらず決行されたのは、絶対的権力を誇る国王陛下がこの召喚に前のめりだったためだ。半ば強引に推し進められたのである。
「お足元、お気を付けください」
大神殿へ転移すると、魔法陣の前で待ち構えていたらしい神官見習いに迎えられた。恭しく頭を下げられたので頷いて答える。王族を前にして恐縮しきりの少年は僅かに言い淀んだ後、大神官と神官は既に召喚の準備に入っていると告げた。
ここでも、もともとの段取りとは違う動きがあったことを知る。事前の打合せでは、全員揃ってから召喚の準備に入る流れだったはず。宰相も不思議に思ったようで意義を唱えようとしたが「時間が押しておりますから」と言われてしまえば納得せざるを得なかった。時間がないのは、転移魔法がうまく発動せず、宮殿から大神殿への転移に手間取ってしまったがゆえのこと。我々王宮側に責任がある。
「ささ、こちらでございます」
先の十代中ごろと思しき神官見習いが先頭に立ち、誘導する。細身の少年ではあったが足取りは軽く、緊張しつつも明らかに心が浮き立っているようだった。
この大仕事の一端を担うことはそれほど栄誉なことなのだろう。その背を何んとなしに見送っていれば、ふと西の将軍ガウラルに声をかけられた。上背のある男なので振り仰ぐと、柔らかな視線にぶつかる。
「姫様は東の後ろを歩いてください。私が姫様の後ろを歩きますゆえ」
優しい物言いだが、有無を言わせぬ圧があった。指示に従い、東の将軍アイリスの背後に回る。ちら、とこちらを目視した男が朗らかに笑んだ。東西の将軍に挟まれて、これほどに心強いことはない。
元老院の者たちは監視役を務めているので、一番最後だ。
広い回廊だというのに、ほぼ一列になっているのが少し滑稽だった。広がって自由に歩くことはない。いつだって序列が存在する。
ガウラルの「姫君には物珍しいでしょう」という笑みの滲んだ声に、無意識にも大神殿の中を観察するような素振りをしていたことに気づいた。
初めて訪れる場所ではない。そのはずなのに、思い出そうとすれば遠い記憶を探らなければならなかった。聖女候補であるはずなのにおかしな話だが、大神殿へは幼い頃に何度か来たきりで、ここ数年は足を踏み入れることもなかった。神殿で祈りを捧げることもなく、懐かしむような思い入れもない。
そもそもこういう機会でもなければ、大神殿に行きたいと言ったところで叶ったかどうかすらあやしい。王宮と神殿というは少なからず確執を抱えているものだから。王族が大神殿に顔を出すのは一大事であり、私はやはり、聖女候補である前に王女なのである。
どの国でもそうだ。政治と信仰が手を繋いで仲良しこよしなどまず、ありえない。
「こんなに広くては迷ってしまいますわね」と呟けば、聞こえていたのか「確かにそうですな」と元老院の議長が笑う。「宮殿にお住まいの姫君が何を仰いますか」と続けたのは最後尾を歩くもう一人の神官見習いだ。
確かにそうかもしれない、とは思う。大神殿よりも宮殿の方が広い。加えて防衛も兼ねて迷路のような造りになっており、一度迷えば、元の場所に戻ることも難しい。宮の主たる王族ですら一生立ち入ることのない場所が存在する。
けれど、それを置いておいても慣れない場所というのは、どこか心細いような気分にさせるものだ。
途中に見えた広い中庭も原因といえるかもしれない。よく手入れされていて目が覚めるように美しく、私が居を構えている宮と同じ花が咲いていた。
母が好きな花。
いや、好きだった花。
庭で摘んだそれを部屋に飾っていたのはいつの日だったか。
「もう間もなくでございますゆえ」
大神殿の奥の奥、さらには地下へ潜ったその先。そこに、召喚の儀式を行うため、数世紀前から準備された場所があるとつい先日教えられた。最近まで誰も知らなかったようなのだが、ある神官が『勇者召喚』に纏わる書物を読み漁り、この場所を特定したらしい。何度か使用された形跡もあると確認されている。
神殿の人間が誰一人として、ここを知らなかったというのは実に懐疑的ではあるが、王宮の人間が真相を知らされることはない。
神殿というのは、いつだって秘密を抱えている。
ともかく、国家機密にまつわる重大事項としてなされた勇者召喚は、結論を先に言うと成功した。
召喚魔法を発動させたのは、難解な魔術に関する研究で幾つもの論文を発表している学者兼魔術師の青年と、その見習い、また戦争で名を馳せた戦闘魔術師二名の計四名だ。宮殿から滅多に出ることのない私ですら、四名とも顔と名前が一致する。それほどの有名人だった。
王宮側でも神殿側でもない、かといって市井の者とも違う。いわば我々とは違う立場の人たちだ。
「まだお若い姫様には、―――――相当に酷な現実となるでしょう」
数日前に顔合わせだけは済ませていたが、言葉を交わすのは初めてなはず。それなのに、闇色のローブを纏った高名な青年は、私の顔を見るなり静かにそう告げた。挨拶もそこそこにくだされた宣言は、まさに予言だったのかもしれない。
実際、彼の言葉は正しかったのだから。
召喚の間に、王宮側の人間が全て入ったところで儀式に参加する皆が揃う。宰相と大神官が合図を送ると扉が閉まった。明かりも灯っていないのに周囲がよく見えるのは、魔力を流した筆で描いた魔法陣のせいだ。陣そのものが僅かに発光している。さほど広くはない室内を呑み込むほどに緻密な文様を描き、圧巻なほどで。思わず、美しいと漏らした私に、ちらと視線を寄こした戦闘魔術師が辛酸をなめるような顔をした。
その意味を知るのはこの少し後のこと。
「それでは、始めましょう」
震える指先を鎮めるために深く息を吸う。大気に濃度の高い魔力が満ちているせいで軽い眩暈を覚えた。自身の体内に巡っている魔力とは相性が悪いのだ。それもやがて馴染んでいくだろうと瞳を閉じたとき、魔法を発動させる呪文が響いた。
四名の魔術師が同時に唱える長い長い呪文ががらんどうに刻まれる。四方に散った七色の光が魔法陣に彩りを添え、ふわりと浮いたそれが部屋の中央に収束した。
重ねて、足元から回転するような強い風が巻き起こりたたらを踏んだ。大地が大きく震え、これぞ天変地異かと思うほどの衝撃が襲う。耐えられず大きくふらついて跪くと、隣に立っていたアイリスが支えてくれる。「ご無礼を」彼は確かにそう言って私の肩を掴んだ。
こんなときまで礼儀を忘れない屈強な男は、戦地では鬼神と恐れられた戦闘狂である。国王からの信頼も厚く、限られた人間しかお目通りも叶わないかの方に進言できる立場でもあった。私自身も、幼少期よりなにくれとなく世話してもらった記憶がある。
支えてくれた礼を告げる代わりに、深く頷く。あまりの強風に、声すら出なかった。
どれくらいそうしていただろう。
いつの間にか全ての物音が止み、今度は耳鳴りすらうるさく響くほどの沈黙に支配される。ど、ど、と脈打つ心音が全身を震わせた。それが、自分のものなのか。あるいは隣の将軍からもたらされたものなのか判断はできない。
魔法陣の中心に集まっていた全員の視線がやがてうろつき始め、何かを窺うような疑心にまみれた目つきに代わる。
図らずも、互いの顔を確認するような仕草になった。
「……これは、」もしかして失敗したのでは?と、誰もが同じことを思ったはずだ。
ただでは済まされない。
我々には成功する以外の道はない。はっきりと血の気を失った神官の顔を見ていると、どこからか鐘の音が鳴った。いや、明確には少し違う。教会で聴く鐘の音に似ていて、どこか籠っているような全く別の音でもあった。キンキンキンキンという高い音。コンコンという低い音。カンという鈍い音。それらがいくつも重なり、頭に重くのしかかるほどに厚い層となり響く。あまりに不快な音の波に全員が頭を抱えたそのとき、―――――
「―――――っあ、」
耳に、小さな声が飛び込んできた。
いつの間にか鐘の音は止んでいる。瞬時に顔を上げた全員の視線が向くその先に、その子はうずくまっていた。ちょうど魔法陣の中心に、右手を上げ、膝をつき、何かを追いかけるような体勢で。少年の指が差す方を見れば、黒と白の混ざる不思議な配色の毬がころころと転がっていくところだった。
ところがその毬は、魔法陣から外れて壁にぶつかった途端、ぱっと弾けて霧散する。
「え! ぇえ?! な、何?! 何で?!」
立ち上がったその子がよろけながら魔法陣の上を移動した。突如として跡形もなく消えてしまった毬が気になっているようだ。いまだに、陣を囲むように立つ私たちに気づいていない。……と、いうより見えていないのかもしれなかった。
まだ、認知できていないのだろう。
「もうなんなんだよ、一体」そんな呟きと共に、少年が陣の外へ出そうになったとき、誰よりも早く我に返った魔術師が声を張り上げた。
「動くな!!」
怒声に近い大声に肩を震わせた少年が肩を竦めた後、きょろきょろと辺りを見回す。
「え、な、なに……、」
やっと何かに気づいたその子が後ずさりしながら、尻餅をついた。ひゅっと呑み込んだ大きな息が耳をつく。正面から見据えたその子は、初見よりも随分幼く見えた。丸くて小さな顔に、黒檀に似た瞳、わなわなと震える蒼褪めた唇。肌と髪は伝承通りの色合いだ。それだけ見れば、これぞ勇者という容姿だった。
だけれども。
なんてことだ、と呟いた宰相もきっと、同じことを思ったに違いない。
―――――幼すぎる。
「だ、だれ? 何? ここ、どこ? み、みんなは?」
舌足らずな愛らしい声が耳に絡みつくようだった。不安と恐怖の入り混じる顔で周囲を見回しているが、大人たちの険しい表情に期待しているような回答は得られないと気づいたようだ。うろうろと彷徨っていたその子の視線が私の顔で止まる。
選ばれた理由は恐らく、ただ年が近いから。
そうだ、それでいい。この中で一番信頼できるのは私だけ。私以外にはいない。
「ようこそおいでくださいました。勇者様」
誰かが何かを口にする前に、誰よりも先に一歩進み出る。この一手が、これから先の私と勇者の信頼関係へと結びついていくのだ。だから、他の誰かに先を越されるわけにはいかなかった。
内心ははっきりと動揺しているにも関わらず。自ら発した声は震えることなく、威風堂々と響いた。……そう聞こえていればいいと、願う。
「ねぇ、何ここ? 何で急にこんなところに? っていうか、誰?」
明らかに狼狽えた様子の少年の小さな顎が震えている。今すぐにでもその手を取って大丈夫だと慰めたい。少しでも安心できるように明るい場所へ連れていくべきだ。なのに、魔法陣の中に入るのは躊躇われた。
案じた通り、私の顔色を読んだ魔術師が「まだ彼はこちらに定着しておりません」と首を振る。すなわちこの少年は、陣から一歩でも外に出ればこの世界から弾かれるというわけだ。
「血を」
大神官が胸元から短剣を取り出し、神妙な面持ちで差し出してきた。
身体を屈めて、頭上に掲げられたそれを受け取り、手の平に傷をつける。初めてのことなので程度は分からなかったけれど、刃先はよく研いである。切れ味が良く、横に引いた赤い線は、ただちに水たまりとなった。痛みがないのは感覚が麻痺しているからかもしれない。
血が垂れ落ちないように腕を慎重に動かし、魔法陣の端に掲げて。それでも二の足を踏んだのは、座り込んでこちらを見上げる大きな瞳に確かな戸惑いを覚えたから。
私の血が、彼とこの世界を繋げる。繋いでしまう。
一度絆が結ばれてしまえばもう、断ち切ることはできない。
「姫様」
ガウラルが、急かすようにこちらを見据える。知の将軍と呼ばれるその人は、戦地において、圧倒的に不利な状況であっても知略により戦況を覆す男だ。強い眼差しに、堅強な意志が灯る。この召喚を絶対にやり遂げるのだと。
だから、指先の震えを誰にも悟られないように一つだけゆっくりと瞬きをする。
私はこの場に居る誰よりも位が高い。他の誰にも侮られてはならず、また、本当はひどく怯えていることを悟られてはならない。
すっと息を整えてから手の平を返せば、ポタリと赤が落ちた。陣の上で、ぴしゃりと弾けるように舞った鮮血が、魔法陣の模様を辿る。ただの赤い液体であったはずなのに、生き物のようにうねうねと動く様は異様で不気味だ。
数秒前まで私の身体の一部であり、命でもあったのに。
「な、何? 嫌だ」
やめて、やめてと後ずさる少年を追うように動いた血がやがて、彼のつま先に触れる。その瞬間、魔法陣が太陽のごとく強く輝きだす。即ち今、幼き少年とこの世界に縁が生まれたのだ。私の血によって。
まさしく私が、彼をこの世界に繋いだ。強固な鋼の鎖で。
両目を焼くほどの眩しい光が収束すると勇者召喚は完了し、そこに残されたのは意識を失った幼き少年だ。はっきりと憐憫を滲ませた大神官がそっと小さな身体を抱き上げる。見るからに骨が細く、筋肉もついていない。あまりに弱々しい姿に胸が痛まないほど冷酷ではないつもりであったが。そんなのは詭弁でしかない。
「姫様お一人で責任を負う必要はありませんよ」
薄く笑った魔術師が首を傾ぐ。命ぜられたとはいえ、私も同罪です。と続け、
「まさかこんなに小さな子が召喚されるとは思いもしませんでした。どこの世界からやってきたのかはわかりませんが、てっきり屈強な戦士でもやってくるのだと思っていました。……これは全くの予想外です」
やれやれと首を振るその姿は、どこか軽薄な印象を与える。深く被っていたフードを下ろして目元にかかった前髪を払う仕草はあくまでも自然体で。とても王族を前にしているとは思えない。
それほど、己の腕に自信があるのだろう。不敬を働いたとしても断罪されることはないと心得ている。あるいは、断罪されたとしても大した罪にはならない。なぜなら、彼以上の魔術師は存在しないから。
労わるように少年の顔を見やる大神官を横目に魔術師へ詰め寄る。
「先ほど、私に言ったことを覚えていないのですか? 私にとって酷な現実となると、そういったでしょう? 貴方はこのことをあらかた予想していたのではありませんか?」と問えば、男はふと天井を仰ぐ。
「いいえ、知りませんでしたよ。ただ……、勇者の年齢がいくつで、性別がどうで、どのような人間であれ」
我々は異世界から一人の人間を強制的に招いた。連れ去ったといっていい。
それは、紛れもない真実で、逃れようのない罪です。
「全員が同等に罪を負っています。しかし姫様は、まだお若い」
「―――――、」
「若いからといって罪が軽くなるわけではないですが。罪を犯してしまった苦しみの重さは人それぞれだ。そして、苦しみへの対処には人生経験がものをいいます。積み重ねてきた経験が、己の心を救う一助を担う。でも、その若さでは、経験値が低い。この先、あらゆる場面でそれを痛感することになるでしょう」
魔術師が指先で私の顎を掬った。「下がれ!!」怒鳴り声をあげ、魔術師を押しやったのは西の将軍である。覇気すら漏らして剣の柄を握った将軍に、両手を上げて降参の態度を示した魔術師ではあったが、視線は私の顔に固定されたままだ。そして、
「顔色が悪いですね。姫様」随分、お疲れのようだ。と、先ほどまでの挑戦的な顔つきとは打って変わり、柔らかな眼差しを向ける。
「……姫様?」
離れたところで事の次第を見守っていた宰相が慌てた様子で近づいてきた。
「皆様、姫様から離れてくだされ」
尊いお方には節度を持った態度で接していただかなければ、と苦言を呈す。自覚があるだろう魔術師は、鼻を鳴らして一歩下がった。
眦を釣り上げた「魔術師殿は怖いもの知らずと見える」というガウラルの舌打ちも気にならないようで。男は「私は役目を果たしましたので退散します」と指を鳴らした。すると、召喚魔法に使用された魔力の残滓でじんわりと輝きを放っていた陣が、完全に光を失う。これで、異世界と我が国の間に開かれていた道が断絶した。残るのは、召喚魔法の残骸だけ。
「しっかり目に焼き付けておいてくださいね、姫様」
この魔法陣を。
「記憶に刻んで忘れないことです」
「言われずとも忘れませ、―――――!」
最後まで続けることができなかった言葉が喉を塞ぐ。そのとき、私にだけ見えていたものがあった。
「姫様?」目敏く、何事かと小声で訊いてきた宰相に首を振る。
気づかれてはならない。誰にも、知られてはならないのだ。
いずれにせよ。王宮側、神殿側、召喚する者たち、―――――全員が共犯者となったこの刹那。
私がこのとき、もしもこの召喚の真実を知っていたなら。どうしただろう。
今更、考えても仕方ないことだと分かっているのに、どうしても考えてしまう。
この時点で私が大人だったなら。もっとうまくやれたのだろうか。
けれど、私が大人だったら勇者と心を通わせることはできなかっただろう。子供同士だったからこそ、この過酷な運命に立ち向かうため、手と手を取り合った。
わずか十歳の勇者と、十三歳の私。年が近かったのは神の采配か。それともただの偶然か。




