第52話 春まで
「おはよう! 姉上、もう朝だよ!」
細く開けられた窓から入る風で、繊細なレースカーテンがふわりと揺れる、伯爵家の一室。
勢い良くカーテンを開けるルイスの声を聞きながら、ラーラマリーはもそもそと布団から顔を出した。
柔らかな春の朝日が部屋に差し込み、窓からは庭に咲く美しい花々と、高く大きな木が見える。
「おはよう、ルイス」
ラーラマリーは、朝から溌剌としている弟へ向かって、にっこりと微笑む。
(本当に……元気になったな……)
幸せを噛み締めながら水色の瞳を細め、ラーラマリーは今日までの数ヶ月間に思いを馳せた。
塔の上での戦いを終えた、あの後。
ジークヴァルトが傷を癒やし、階段で倒れていたベルホルトとカイザックは一命を取り留め、意識を取り戻した。
だが、魔力は多いが武人でもなく、鋼の精神を持つ訳でもないベルホルトは、目の前のジークヴァルトの纏う魔力に耐えられず再び昏倒した。
「あの……貴方は、一体……」
目を丸くして、だが平気そうにしているカイザックに事情を説明し、壊れた街や、そろそろ意識を取り戻し混乱するであろう人々の対応を頼んだ。
立ち去る時、ジークヴァルトはふと興味深げに尋ねた。
「お前……俺を見て何とも思わないのか?」
「はあ……強そうだな、とは……思いますが」
怯えではなく、純粋に武人としての感想を述べたカイザックを見て、ジークヴァルトは口端を上げ嬉しそうに笑うと、ラーラマリーを抱き上げ塔を出た。
ジークヴァルトに抱き抱えられ、隠れ家へ向かって上空を飛びながら、ラーラマリーはぽつりと尋ねた。
「ねえジーク……まだ春にはならないけど、もう森へ戻ってもいいのよね?」
可愛らしく首を傾げ、真っ直ぐに見つめてくる水色の瞳の奥に、彼女に染み込んだ己の魔力を感じ、ジークヴァルトは言葉にならない幸福で胸が熱くなった。
「ああ。いつでも来ると良い。本当はこのまま連れ帰りたいが……まずは家族の元へ帰れ。心配しているはずだ」
こつりと額を合わせて微笑み、そのまま口付けを交わす。
ラーラマリーと魔力で繋がることができたジークヴァルトの中に、再び彼女と離れる事への焦燥は、もう欠片もなかった。
隠れ家の前に降り立つと、涙を流すルイスが家の前で待っていた。
両親とクレトは、急にアドロが魔力を抜いた影響を受けまだ眠ったままだが、無事らしい。
「姉上……おかえりなさい……! 本当に凄かった。かっこよかった!」
帰還した姉を抱きしめながら、まるで見ていたかのように話すルイスに、二人は目を丸くした。
ルイスはラーラマリーから離れ、ジークヴァルトに向き直ると、深く頭を下げた。
「姉を救って下さって、本当にありがとうございます。ネロ様が……全部見せてくれました。アドロ様は、ネロ様に寄り添われてそのまま一緒に消えてしまいましたが……もう苦しそうではありませんでした」
ジークヴァルトはそれを聞き、一筋涙を流すと、「そうか」とだけ短く答えた。
そうして、家に帰り数ヶ月が経過した。
季節は春を迎え、元気を取り戻したルイスは、ラーラマリーにそっくりな活発な青年になっていた。
「それにしても……複雑な気持ちだ」
ルイスに起こされた後、家族で囲むコルタヴィア家の食卓で、少し肩を落としながら父が言った。
「まだ花嫁姿も見ていないというのに……ラーラがすでにジーク君の妻だなんて……」
「もう、この人ったらまた言ってるわ。ラーラ、これ森で皆で食べてね。ルイスの分も一緒に入れてるから。私は別にもう森で暮らしてもいいと思うけれど、お父様のためにちゃんと帰ってくるのよ」
大量に焼き菓子を詰め込んだ籠を見せながら母が言うと、ルイスが得意げに笑う。
「大丈夫だよ。お守り役として、私がしっかり姉上を連れて帰ってくるから」
「頼んだぞ、ルイス。ラーラ……ジーク君の事は信用しているけど、約束の日まではまだラーラは私の娘だからね? いや、一生私の娘ではあるけれど……とにかく、絶対ちゃんと帰って来るんだぞ」
必死な父の表情に、ラーラマリーは苦笑した。
約束の日というのは、ラーラマリーが正式に森へ移る日の事だ。
「ルイスが元気になるまでは」とジークヴァルトが言い、父も「やっぱり心の準備をする時間をくれ」と言うので、婚儀の魔法で冬には伴侶になっていたが、ジークヴァルトの元で暮らし始めるのは、春からということになった。
それまでは一週間に一度、「私も行きたい」と言うルイスと共に、ラーラマリーは何度も森へ通っている。
ジークヴァルトと両親は、直接近くで語り合えない代わりに、大量に手紙を交換しあい、父と母は、彼の事を『陛下』と呼ばず、家族の一員のように扱うようになっていた。
「でも、私の見張りみたいに言うけど、ルイスはメルナリッサに会いたいだけでしょ?」
「ぐっ……ごほ、ちょ、姉上。何言ってるの!? 彼女にはキースがいるし……」
「へー、ふーん、じゃあ会えなくてもいいんだ?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
ゴニョゴニョと言うルイスを横目に、ラーラマリーはたっぷりジャムを乗せたスコーンを頬張った。
弟はメルナリッサに恋をしているようだが、どうやらキースに妨害されているらしい。
どちらを応援すべきかと悩みながら、ごくんと甘い味を飲み込むと、ラーラマリーは水色の瞳を細め、元気に言った。
「ルイス、早く行こう!! 私もジークに会いたくなっちゃった!!」
平穏に、健やかに家族との時間を過ごし、そうしてついに迎えた約束の日。
ラーラマリーは、竜の森の前に広がる、あの草原に立っていた。




