第46話 切望
川と森に囲まれたフォレスティア王国は、大陸の一番端にある小さな国だ。
小さな村々が寄り集まって国となったその地は、他国と比べて資源が豊富な訳でも、鉱山がある訳でも、珍しい特産品がある訳でもない。
耕し、育て、作り、多くもなく少なくもなく、国内でそれを循環させる──唯々、のどかで慎ましい国だった。
他の国と違う事があるとすれば、魔獣や魔物の被害が異常な程に少ない事だった。
建国から二百年。
国同士の戦争や、魔獣や魔物との戦いで疲弊していた大陸の国々の中に、平和が続いているフォレスティア王国に目をつけ、占領しようと動くものが現れた。
その時すでに年老いていた当時の王は、次の国王を選ぼうとしていたが、自分の息子である王子達は、皆が魔力を持っていなかった。
「国が戦火に巻き込まれては、何も残りません。皆を守れるように、強い王を立てましょう」
民を、国を守りたかった王や王子達は、話し合いの末、リュスタールを食べてもなお豊富な魔力を持ち続け、武術と戦術に長けた従兄弟に王位を譲った。
その人物はネロの血を引いておらず、アドロの血を引く子孫だった。
初代国王ネロは、魔物に変わってしまった弟を悼み、残されたアドロの妻と子どもは王族として手厚く保護していたため、建国から二百年も過ぎてしまえば、誰もその血の違いを気にする者はおらず、反対する者もいなかった。
真実を知るネロ一人の言葉よりも、塔での事件を目撃した多くの人々の言葉が強く残ってしまい、ネロの死後、後世の国民達は、アドロに呪いを掛け魔物に変えた花喰い竜を恐れこそすれ、アドロ自身を悪様に言う者は、誰もいなかったのだ。
強い王のもと戦には勝利し、国の平和は保たれた。
だが、これを機に戦力になる魔力が豊富な人物が重用されるようになり、国の在り方は一変した。
魔法を扱える人材を見つけるため、魔力検査が行われるようになった。
リュスタールの花は、魔力を減らす毒草だと発表され、皆が食べるのをやめた。
戦が迫る恐怖で、それよりも一層多くの神殿が建てられた。
「ずっと平和だったのに、戦だなんて……ずっと結界に閉じ込められている花喰い竜が怒っているからに違いない」
「恐ろしい……。花を捧げて、神殿で祈るんだ。悪い事が起きませんように、と」
そうして人々は戦の恐怖から逃れるため、その恐れを花喰い竜への畏怖へすり替え、魔力を重視し、食べるのをやめたリュスタールの花は神殿の献花台に捧げられ続け、美しい白銀の花は、何の意味もなさずに萎れていった。
粘つくようなアドロの笑い声が、空に響いた。
「戦による恐怖で、森には一気に魔力が溢れ、私はかなりの力を取り戻した。やっと王国の中でも僅かだが動けるようになった。それからは……あぁ、思い出しただけで最高だ!!」
アドロは愉悦を隠しもせず、身を焼く程の興奮に震えた。
「馬鹿な人間どもはなぁ、忘れていたんだよ!! 何故リュスタールの花を食べるのかを!! 魔物とは何なのかを!! 真実を語る兄上の言葉を信じず、ジークヴァルトを無意味に恐れ、自分に都合の良い事だけを見続け……そして忘れた!! 滑稽だ!! 兄上とジークヴァルトが守ろうとした民は、それを延々と踏み躙り続けているんだ!! 本当に……私の餌にぴったりの何とも醜い生き物だよ、ふふ……くくく」
ジリジリと後ろに下がるラーラマリーの背は、ついに硬い扉に触れ逃げ道を断たれてしまう。
目の前まで距離を詰めたアドロは、ラーラマリーに向かって目を細め、わざと慈悲深そうな声音を出した。
「どの王も……私の願い通りに、本当によくやってくれた。花を食うのをやめた『空の器』はどんどん死に始めた。私はそれをじっくり眺めていたよ。全ての血が途絶え、私が強大な力を手にするまでジークヴァルトに気付かせないように……ネロの血が国外に出て増える事がないように……国民の魔力を測り、『空の器』を見つけては、奴らが無力に朽ちていけるよう手を尽くし監視した。王位から遠ざけ、豊富な魔力を持つ餌も同時に探し……楽しかったなぁ……。本当に楽しかった……」
カタカタと震える手で、それでもアドロに向かって短剣を向け続けているラーラマリーは、掠れる声を絞り出した。
「なぜ……なぜそこまで……」
恐ろしさと同時に、悔しさで思わずギリと唇を噛んでしまう。
(なぜそこまで、ジークを傷付けるような事を……ジークは最後まで、友達だって言っていたのに……なぜ……!)
どうしても理由を問わずにはいられず投げ掛けた呟きに、アドロは呆れたように顔を歪め嘲笑った。
「聞いていなかったのか? 花喰い竜と遊ぶためだよ! 全てはジークヴァルトと……あの美しい金の瞳と並び立つためだ。長かった……本当に長かったぞ」
アドロはそう言って、恐ろしい程強い力でラーラマリーの持つ剣の刃を片手で握る。
ボロボロとその手が崩れると同時に影は再生を繰り返し、振り解く事ができず動かない剣からは、黒い魔力が砂の滝の如くどんどんと流れ落ちた。
「お前は本当に惜しかった。あと一歩……ベルホルトの魔力を奪うよりも早く来ていたなら、私に勝てていた。だが、もう無理だ。二つの核は完全にこの身に馴染み、魔法陣を動かすための魔力も集まった。ベルホルトは、魔力を集めるための魔法陣だと思っていたようだが……そうじゃない。起動前の陣が僅かに作動して魔力を集めていたに過ぎないからな。私が神殿を繋ぎ合わせ、本当に用意していたのは──」
「──『解除』の魔法陣だ」
アドロがそう告げた途端、酷薄な笑みを浮かべるその身からぶわりと大量の黒い魔力が噴き出し、波が伝うように、彼を中心に放射線状に漆黒の道が物凄い速さで街へ、草原へ、山へ向かって走り抜けていく。
その道を導にするかの如く、国中の地面から黒い魔力がどっと溢れ、天に向かって噴火のように伸び広がった。
夕暮れに染まっていた王国中が闇に飲み込まれ、周囲が真夜中のように真っ暗になる。
だがそれはほんの一瞬だけで、視界を覆い尽くしていた黒い魔力は、嵐のような暴風を起こしながら収束し、その全てが、アドロに向かって轟音と共に降り注いだ。
「──っ!!」
あまりの風圧に吹き飛ばされそうになるが、アドロに剣を掴まれたままのラーラマリーは動くこともできず、固く目を瞑り必死で衝撃に耐える。
風が治まり、目を開けたラーラマリーは驚愕に声を失った。
「はは……成功だ……やったぞ……成功だ!!」
喜色を滲ませ、爛々と目をぎらつかせるアドロには、もうベルホルトの面影はどこにもない。
揺らいでいた形ははっきりとし、目の前の漆黒の彼の姿は、鍛えられた立派な体躯に、少し目尻の吊り上がる切れ長の目、しっかりと額が見える短い髪に、ゆったりとした黒の衣を纏った──ジークヴァルトが語って聞かせた、戦士と呼ぶに相応しい青年、アドロそのものになっていた。
「わかるか……? 『空の器』よ」
興奮で瞳孔が開いたアドロの瞳が、真っ直ぐにラーラマリーを射抜く。
剣を掴んだままの手にグッと力を込められたのを感じ、ラーラマリーは全身からざっと血の気が引いた。
「──やめて!!」
言うよりも早く、アドロの手は、ジークヴァルトから贈られた銀の刃をバキンと音を鳴らし折り砕いた。
柄を握りしめたまま、ラーラマリーの絶望に見開かれた目が、キン……と小さな音をたて床に投げ捨てられた折れた刃先を追う。
アドロはそれを踏みつけ、呆然としているラーラマリーを見やると、口角を吊り上げた。
「国を包むジークヴァルトの忌々しい魔法陣は消えた。連動していた結界ももうない。森に集めていた魔力も、全てこの身に吸収した。ラーラマリー……もうお前は王ではない」
残忍な笑みを浮かべたアドロはそう言うと、怯えた瞳で立ち尽くすラーラマリーの細い首を、魔力が沸るその漆黒の手で力一杯に掴んだ。




