第44話 最悪の嫌がらせ
誰にも気付かれず、クレトの魔石を握り締めたラーラマリーが城の近くまで辿り着いた時、もう空は夕暮れに染まる準備を始めていた。
ここまでの殆どを必死に走ったラーラマリーは、肩で荒く息をし、肺はすでに息を吸うだけでも破れそうな程に痛い。
目的の場所に辿り着き、ラーラマリーはふらつく足を止めた。
大きな円を描く王国の真ん中に位置する王都だが、その中心はフォレスティア城ではない。
城は国の中心にある建物を眺めるように、少し離れた竜の森に寄せて建てられている。
では、国の中心には何があるのか?
それは、人々の祈りの場の象徴であり、地下が王族の霊廟としても扱われている大神殿──建国時から増築や修復を繰り返しずっと守られて来たその場所は、四百年前、ジークヴァルトとネロが契約を交わした──あの、高い塔だった。
(魔力核は……絶対にここにある)
ラーラマリーは、確信していた。
天に伸びるように立つ大神殿を見上げ、ゴクリと喉が鳴る。
夕方の空気は刺すように冷たいというのに、額はもちろん、背にもじわと汗が滲んでいる。
だがラーラマリーは外套を脱がず、一層その襟元を強く片手で握って引き上げ、恐怖と興奮でドクドクと鳴り続ける心臓を落ち着けるため、祈るようにその生地に鼻を埋めた。
濃紺の生地の奥には、深い森の木々と、抱きしめてくれたジークヴァルトの優しい香りが微かに残っている。
(ジーク……)
すでに懐かしさすら感じる優しい香りを吸い込み、ラーラマリーは眼前の見上げるほどに大きな古い扉をじっと見つめた。
(……不安な時は、楽しいことを考えよう)
耳の奥で響くように鳴る鼓動を感じながら、ラーラマリーはゆっくりと瞳を閉じ、己の内に意識を集中させていく。
「ラーラマリー」
すぐに浮かんだのは、ジークヴァルトの穏やかな声。
風に靡く鮮やかな赤髪。
優しく細められた、美しい金の瞳。
「お前は……恐ろしくないのか……?」
初めて出会った時、そう言って目を丸くして驚いた彼。
「悪い、また失敗した。……加減が難しいな」
エスコートの力加減を間違って、拗ねたように顔を顰めたこともあった。
「好きに掛かって来い」
突然拳を構え、わくわくと瞳を輝かせたジークヴァルトには、本当に困惑させられた事を思い出し、思わず苦笑がこぼれてしまう。
光がさす石畳の庭でじゃれあった日々。
刺繍をする後ろに座り髪で遊ぶ大きな手。
心配げに見つめてくる優しい顔。
リュスタールの花畑で笑い合った瞬間。
抱きしめてくれた熱も──。
思い出す楽しい記憶は、その全てがジークヴァルトとの時間だった。
「ラーラマリーと、家族になりたい」
最後に思い浮かべたのは、そう言って涙を流していた、金の瞳。
(うん……ジーク、私も家族になりたい。あなたが私を助けてくれたように、今度は私が、あなたを助けるからね。もうあなたが……傷付かなくて済むように……!)
すう、と大きく息を吸い込み目を開けたラーラマリーは、短剣を鞘から抜き、硬い柄を強く握り締める。
大神殿の重い扉を開け、一人、中へと足を進めた。
*****
「安心して行ってこい」
そう言って小さな背中を押し、ラーラマリーが竜の森の結界から出た瞬間。
ジークヴァルトは一瞬でひらりと木の上へ飛び乗り太い枝の上に立ち、彼女の姿が見えなくなる直前まで、愛しいその背を見送っていた。
地に留まり、結界越しにラーラマリーと再び視線を交わせば、住む世界が切り離されたように感じ、別れが耐えられなくなるだろう。
そう予感していたため、最後は振り返った彼女と視線を合わせず、姿を隠す事に決めていた。
遠のいて行く琥珀色の髪を、いつまでも見つめ続けているジークヴァルトの横に、暫くするとふわりと白い光が漂い、悪態を吐いた。
「……チッ。おい、もういいだろう。いつまでそうやってるつもりだ」
急かすようにふわふわと周りを漂っている光は、ジークヴァルトを追いかけて来たナナレだった。
「……いつまでだろう。はあ……駄目だな。もう彼女に名を呼ばれたくなってしまっている」
視線を動かす事なく弱音を吐くジークヴァルトに、ナナレはもう一度舌打ちすると、人型に姿を変え、枝に立つ彼の隣にぎし、と音をたて荒く腰掛け、自身の腿に頬杖をついた。
「女々しく見送ってる暇があるなら、アドロを探すぞ。恐らく、アドロは相性が最悪で相当弱い魔力核を選んでやがる。じゃなきゃ、四百年も隠れていられる訳がねえ。無駄に時間をかけて、完全に核と融合できたのも、もしかしたら最近かもしれねえ。見つけるのに時間食う程、殺すのが面倒になるぞ」
ジークヴァルトは小さく溜め息を吐くと、「そうだな」と答え、最後にラーラマリーの後ろ姿を細めた金の瞳に映す。
再び白い光に戻ったナナレと共にその場を離れ、森の中を巡り、ジークヴァルトはアドロの気配を探して回った。
日も傾き始めた頃、白い光の状態で隣を飛んでいたナナレが急に速度を上げ、驚いたジークヴァルトは思わず声を掛けた。
「おい、どうした」
あまりの速さに、翼を作り追いかける。
さらに速度を上げながら答えたナナレの声には、焦りがあった。
「オルフェが呼んでる。ああ──最悪だ、クソ!!」
「何があった?」
「……城へ戻ればわかる。アドロのクソ野郎が、最悪の嫌がらせを用意してやがったんだよ!」
ナナレはそれ以上何も答えず、二人は無言で風を切り城へと急いだ。
「オルフェ!!!!」
叫びながら閃光のように庭の奥へ飛んでいったナナレを追いかけ、ジークヴァルトは絶句した。
弔いのために植えていた大木は黒い魔力に侵されボロボロに朽ち、かけられていた無数の花輪は無惨にも黒ずみ散り落ちている。
その根本、リュスタールの花畑には大穴が空き、その穴からは生き物が這い出すように、黒い魔力が湧き溢れ続けていた。
這い出した魔力は形を成そうと揺らめき立ち上り、波のように幾つもの人型が現れては消えていく。
そこに、丁寧に箱に入れ埋めた筈の友の髪は見当たらない。
大穴の近くには、大鎌を振るうキースとメルナリッサ、ナナレに抱えられたオルフェがいた。
「何があった!!」
吠えながら魔力の剣を作り出し、魔物を薙ぎ払うジークヴァルトに、キースが叫んだ。
「あの人型の魔物が現れ、突然こうなったんです!! 木が枯れたと思ったら、大穴が空いて……『核は完全に馴染んだから、あとは仕上げだ』と言って消えました!!」
ジークヴァルトは、その言葉でグシャリと苦痛に顔を歪ませ、力任せに剣を振り抜いた。
「最悪だ……」
こぼれた呟きに込められたのは、悲しみと憤りだった。
(まただ……。また俺は気付けなかった。何故いつも最悪の状況まで気付けないんだ。何の為の『最強』だ……。何の為の……!!)
竜人は、自分より弱い者の魔力は殆ど気付く事ができない。
だから気付けなかった。
「あいつが……ネロが魔力核だなんて……」
剣を振るいながら、ジークヴァルトは苦しげに呻いた。
朽ちた木と大穴を見て、彼は全てを理解した。
再びジークヴァルトと並び立つ事だけに囚われ、兄を憎み、息を顰め続けていたアドロの魔力核は、全く魔力を持たない『空の器』であるネロの魂の欠片──琥珀色の一房の髪だったのだ。
大木の下、安らかに眠っていると思っていた友の魂は、アドロに捕まり、四百年という長い年月をかけて、少しずつじわじわと魔物の核に変えられてしまっていた。
動揺するジークヴァルトに、悲壮な表情のオルフェが叫んだ。
「ジークヴァルト!! 今すぐ森を出て!! ラーラマリーが言ってたの!! 国の中心にある大神殿には、アドロの剣と一緒にネロの髪があるって!! 同じ魂の欠片なら、アドロはどちらとも融合できる!! ラーラマリーは狙われてる!! 今すぐラーラマリーの所へ行って!!」
「何だと!?」
ジークヴァルトが問い返したのと同時に、周囲が一瞬、真夜中のように真っ暗になった。
ぞわりと心臓が冷える感覚に襲われ、翼を作り、再び夕暮れの赤に戻った空へ急いで駆ける。
上空から見えた光景に、ジークヴァルトは息を呑んだ。
森と王国との間にあった淡く光る結界は消え失せ、今までどうやって隠されていたのか、森の地下から噴き出した大量の黒い魔力が、まるで津波のように森とその先の草原を覆い尽くし、大神殿へ向かって雪崩れ込もうとしていた。




