第39話 魔法の言葉
「春になったら、また会おう。ラーラマリーは弟を助けに行って、俺達はお前が戻るまでにアドロを探して何とかする。春が来て、またお前が結界を通り抜けたら、必ずすぐに迎えに行く。……そうしたら今度こそ、ここで共に暮らそう」
そう約束し、迎えた別れの日。
早朝の澄んだ空気で吐く息は白く、太陽も含めた空の全てがうっすらと鱗状の雲に覆われている。
一面に広がる薄灰色の雲の隙間から僅かに差し込む淡い光が、ぼんやりと柔らかに辺りを照らしていた。
「姫様、絶対ぜーーったい、帰ってきて下さいね!!」
森へ続く大きな門の前、目に涙を溜めたメルナリッサが、両手で握ったラーラマリーの手をブンブンと大きく振った。
メルナリッサはもちろん、キース、オルフェ、ナナレも──全員が、ラーラマリーの見送りに出てくれていた。
四人の前に並ぶジークヴァルトとラーラマリーは、揃いの濃紺の外套に身を包んでいる。
彼女が刺繍を刺して贈った外套に合わせ、同じ仕立てのものをオルフェが用意してくれていた。
ラーラマリーが外套の下に着ているのは、すねのあたりでゆったりとした裾が揺れる、分厚い上質な生地の真っ白なワンピース。
森に来た時と同じ色だが、その袖口と胸元には、ジークヴァルトの瞳に似た、金の丸ボタンが光っている。
裾から覗く編み上げのブーツは寒さを全く感じず、外套と同じくこれもジークヴァルトと揃いになっていた。
「暫く触れられないから」と、髪はジークヴァルトが丁寧に結ってくれた。
サイドだけを緩く編んで後ろに纏め、肩に降りた淡い琥珀色の髪が、メルナリッサが振る腕の動きに合わせふわりと揺れた。
「うん。絶対帰ってくるね。春になったら。約束ね」
ラーラマリーが笑って返事をしても、メルナリッサは手を離そうとしない。
痺れを切らし溜め息を吐いたキースが、彼女の両脇をがしりと掴み、ひょいと持ち上げてラーラマリーから無理矢理に引き剥がした。
「メルナリッサ、いい加減にして下さい。それ、もう五回目ですよ? それより、ほら。渡すものがあるんでしょう?」
そっと地面に降ろされたメルナリッサは、俯いて口を尖らせると、ゴソゴソとポケットから一枚のハンカチを取り出した。
「姫様……これ、姫様に……」
おずおずと差し出されたそれには、まるで絵本の挿絵のような、緑が濃い木々と尖った屋根が並ぶ石造りの城が、小さく、そして可愛らしく刺繍されていた。
「これ、ジークヴァルト様のお城……。みんなで待ってるから……帰ってきて下さいね」
ラーラマリーはじんわりと心が温かくなり、微笑んでそのハンカチを受け取った。
「メルナリッサ……!! 頑張ったのね。……とっても可愛い。ありがとう!!」
刺繍を撫で、目を細めて喜ぶラーラマリーに、キースとオルフェも、それぞれ贈り物を渡してくれた。
キースからは、魔力が高いリュスタールだけを特別に煎じた水薬が入った、綺麗な小瓶。
「弟君に飲ませて差し上げて下さい。早く体調が回復すれば、その分早く、戻る準備ができるでしょう?」
オルフェは、小さな袋に入った黄金に輝く飴をくれた。
「ナナレも、作るのを手伝ってくれたんだよ」
「ふん。オルフェのために大気中の魔力を集めてやっただけだ。おい娘、戻って来るなら、これからは花を食って自力で何とかしろよな」
最後まで憎まれ口を叩くナナレに、ラーラマリーは笑った。
皆と挨拶を済ませたのを見て、ジークヴァルトがラーラマリーの膝裏をすくい、ひょいと高く抱き上げた。
「わ!」と小さく声を上げたラーラマリーは彼の首に手を回し、咎めるようにわざとジト、と目を細めてみせる。
ジークヴァルトは楽しそうに短く笑うと、肩口に寄った彼女の額に、そっと口付けを落とした。
「それじゃあ、行くか」
ばさりと大きな翼を魔力で作り出し、ラーラマリーを抱えたまま、ジークヴァルトはグッと脚に力を込め高く跳躍すると、風を掴み空へと飛び立った。
城から遠ざかりつつ、森が一望できる高さまで昇ると、ジークヴァルトは上空でふわりと停止した。
遠くの空に、柔らかく光りながら揺れる結界が見える。
「……春まで数ヶ月だけだというのに……やはり名残惜しいな」
抱き抱える腕の力を僅かに強め、小さくため息を吐くジークヴァルトの髪に、ラーラマリーがそっと頬を寄せた。
「……私も、同じ事を思ってた。ルイスの病気を治して……お父様とお母様にあなたの事を話したら、絶対に帰ってくるわ。約束よ」
「ラーラマリーの両親は……許してくれるだろうか」
ジークヴァルトの声が、僅かに不安で低くなる。
──婚儀の魔法で伴侶となり、永遠の命を分かち合うのは、ラーラマリーの家族がそれを認めてから。
共に生きる事を選んだ二人は、話し合いの末、そう決めた。
ジークヴァルトは、彼女の家族に最大限に敬意を示し尊重したかったし、ラーラマリーは貴族の娘として、当主である父を蔑ろにして勝手に結婚する事はできないと思った。
それに、家族には彼との未来を祝福されて送り出されたかった。
「大丈夫よ。お父様もお母様も、きっと私の好きにしていいって言うわ。それに──あなたからの手紙を読めば、こんなに素敵な人は他にいないって、わかってくれるはずよ」
ラーラマリーはそう言って、手紙をしまった内ポケットがある外套の胸元辺りを軽く叩いてみせた。
ジークヴァルトは、彼女の両親から許しを得るため、手紙をしたためラーラマリーに託していた。
膨大な魔力のせいで直接許しを乞いに行けないことを謝罪し、竜人であること、森に住んでいること、寿命のこと、過去に起こったこと、森で何をしていたか──そしてラーラマリーをいかに特別に想い、愛しているかということを、丁寧に、正直に、持てる限りの言葉を尽くして、想いの全てをそこに綴った。
「……伝わるだろうか」
「ふふ……ジークって、意外と心配性なのね」
笑うラーラマリーに、ジークヴァルトは溜め息を吐いた。
「それはそうだろう。ラーラマリーの家族には……俺も気に入られたい」
緊張が滲む金の瞳が無性に愛おしくなり、ラーラマリーは回していた腕の力を強め、ジークヴァルトをぎゅう、と抱きしめた。
結界がもうすぐそこまで近付き、少し手前で地上に降り立った二人は、少しでも別れの時を遅らせようとするかのように、手を繋ぎ、流れる雲よりもゆっくりと森の中を歩いた。
他愛もない話を続ける中、ラーラマリーが尋ねた。
「ねえ、ジーク。永遠を分け与えるって……婚儀の魔法って、具体的にはどんな魔法なの? 痛みとかはあるの?」
水色の瞳に映るのは、純粋な興味と、僅かな不安。
ジークヴァルトはラーラマリーを見つめ、安心させるように柔らかく笑った。
「痛みはない。口付けを交わすだけだ。俺の魔力を、口移しでラーラマリーの中に移すんだ。前に、ナナレとオルフェがやっていただろう?」
言われて、ラーラマリーは初めてナナレに会った時の事を思い出した。
消える直前、淡く光ったナナレから魔力がオルフェに流れ込んでいた、あの口付け。
「あれはただ魔力を移しただけだが、寿命を合わせる婚儀の魔法は、口付けの他に、魔法の言葉が必要なんだ」
「魔法の言葉?」
聞き返されたジークヴァルトは目を細め、握る手の力を僅かに強めた。
「ああ。魔法の言葉は、二人で順番に唱えるんだ。まず俺が言う。『目を覚ませ、愛しい人。巡り逢った半身。魂を分かつ片割れ。愛しい人、その瞳に私を映せ。朝が来た、朝が来た。私の魂をお前に捧げる。私の心臓をお前に捧げる。愛しい人、どうか返事を』。そうしたら、次はラーラマリーの番だ」
すらすらと言葉を並べていくジークヴァルトに、ラーラマリーは驚愕の表情を向け足を止めた。
「え!? ちょっと、待って!! そんなに長いの? 無理、無理、無理!! 覚えられない! もう一回言って!!」
焦るラーラマリーを見て、ジークヴァルトが心底楽しそうに声を上げて笑った。
「大丈夫だ。ラーラマリーの言葉は本当に短いから、安心しろ。お前が言う言葉は──」
笑いながら穏やかな声でゆっくりと耳打ちされ、ラーラマリーは目を丸くした。
「──え? 私、それだけでいいの?」
安堵の表情を浮かべる彼女に、ジークヴァルトはさらに口角を上げて頷いた。
「ああ。それだけだ。簡単だろう?」
「ええ! それなら覚えられるわ! あーよかった!」
胸を撫で下ろしたラーラマリーは笑って再び歩きだし、とうとう二人は、柔らかな光を放って揺れる結界の前まで辿り着いてしまっていた。




