第33話 昔々あるところに 2
ネロは完結に言えば、『変わった男』だった。
菓子や、酒や、時には村で流行りの書物や歌を土産に、人好きのするヘラリとした笑みで、ネロは毎日のようにジークヴァルトの元を訪ねてきた。
持って来るくせに、甘いものは苦手で「さあ食べてくれ!」と言うだけで菓子は食べない。
色白で線が細い彼には似合わず、「もうないのか!!」とウワバミのように豪快に酒を飲む。
軽薄そうな印象とは違い、知識が豊富。
自信満々で歌を披露してきた時、ただ下手くそと断じるにはあまりにも絶妙に音痴で元気いっぱいの歌声に、ジークヴァルトは息ができなくて死ぬかと思う程に大笑いしたし、それを見てネロも笑っていた。
常に淡く発光している人間なんてのも見たことがなかったし、皆が恐れる竜を探しに一人で森に入り、友になろうと考えるのも普通ではない。
さらによくよく話を聞けば、武術はからっきしだと言う。
「お前、もし俺が噂通りの凶悪な竜だったら、どうするつもりだったんだ」
剣術も体術も、戦う技は何も習得していないというネロに、ジークヴァルトが驚いて聞くと、ネロは水色の瞳をパチパチと瞬かせ、不思議そうに答えた。
「そんなこと考えもしなかったな。だって今まで竜を見た者はたくさんいたけれど、竜に襲われたという者は一人もいなかった。私は思ったんだ。これは──竜は良い奴に違いないって」
何の邪気もなく「正解だったようだね?」と微笑まれ、ジークヴァルトの瞳からは知らぬ間に涙がこぼれていた。
ネロは『空の器』だった。
その存在は非常に珍しく、ジークヴァルトですら出会うのは初めてだ。
何故なら、『空の器』と単なる病弱の見分けはつき難く、普通は見つかる前に死んでしまうことが殆どだから。
だが自力では魔力を作れないネロは、大気や食物から魔力を集め、さらに彼は器用にもその魔力を回復魔法に変換することで生き延びていた。
彼の全身が常にほんのり淡く発光していたのは、そのためだった。
「なあネロ。何故わざわざ魔法で自分を回復させるなんて、そんな面倒な事をしているんだ?」
城の奥、リュスタールの花畑に寝転ぶネロにジークヴァルトが尋ねると、彼はため息を吐いた。
「魔力をそのまま循環させるだけだとさ、量がギリギリみたいで物凄く疲れるんだよね。だから回復魔法を発動し続けてるんだけど……生きるのに精一杯だよ」
生命を維持するために集めた全ての魔力を使い、魔法もすでに行使している状態のため、そこへさらに武術の稽古をつけ体力を消耗したり、魔法の練習をすることができないと言う。
「魔法を使うのをやめれば、私はすぐに衰弱して死んでしまうだろうね。自分が生きることに必死で、皆を魔物や魔獣から守ることなんて到底できない。父には諦められているけど、いいんだ。私には最高に強くてかっこいい弟がいるからね」
上体を起こし笑顔で肩を竦める彼に、ジークヴァルトが何と声を掛けようかと一瞬間を置くと、ネロはその視線を遠くへ移す。
「あ──噂をすれば、だ」
その水色の瞳が映す先にいたのは、見るからに鍛えられた立派な体躯を持ち、少し目尻の吊り上がる切れ長の目、しっかりと額が見える短い髪の戦士と呼ぶに相応しい見た目の、ゆったりとした黒の衣を纏った青年だった。
「アドロ!!」
ネロが笑って手を振れば、アドロと呼ばれた青年は冷たい印象だった表情を幼なげに破顔させ、まるで主人を見つけた犬のように衣をはためかせ笑顔で駆け寄ってきた。
顔の印象や身体つきは全く違うが、アドロの髪と瞳の色は、ネロと同じだった。
「兄上!! やはりここでしたか!!」
アドロが嬉しそうにネロの側に来ると同時に、ジークヴァルトはサッと顔を強張らせ、二人からすぐさま大きく距離を取った。
離れた場所から、ジークヴァルトが固い声音でアドロに言う。
「……アドロ。ここへ来るなら、先に笛を吹けと言ってある筈だ」
アドロは兄ネロと違い、人間とは思えない程の強大な魔力を持っていた。
そのため、ジークヴァルトの魔力を強く感じ取ってしまい負担が大きい。
笛とは、ネロがジークヴァルトと友人になってすぐ「自分も」と言って森へ来るようになったアドロと距離を保つため、三人の中で決めていた来訪を知らせる合図だった。
さらに離れようとするジークヴァルトに、アドロは無理矢理に笑顔を作って見せた。
「……持ってくるのを忘れてしまって」
ニカっと歯を見せ気丈に振る舞ってはいるが、アドロの顔色は悪く、首筋には冷や汗が滲んでいる。
拳を強く握り込んで、震えを抑えているのが一目瞭然だった。
ジークヴァルトが困ったように眉根を寄せ、その場から立ち去ろうとすると、アドロが縋るような声でそれを引き止めた。
「ジークヴァルト、お願いだ!! 私は大丈夫だから、行かないでくれ!! 兄上ばかり、ずるいじゃないか!! たまには私と手合わせしてくれたっていいだろう!!」
あまりにも必死な様子に、隣で見守っていたネロは苦笑した。
「……だってさ。本当に無理な時はちゃんと言うだろうから。頼むよ、ジークヴァルト。アドロは本当に、君に憧れているからさ」
「はあ……仕方ないな。……本当に無理するなよ」
ジークヴァルトがため息を吐いて渋々了承すれば、アドロは血の気の引いた顔に満面の笑みを浮かべて飛び上がった。
「やったぞ!! ジークヴァルトと手合わせだ!! 嬉しいなあ、嬉しいなあ!!」
アドロはすぐさま背中に背負っていた大太刀を引き抜き、ジークヴァルトに向かって構えて走り出した。
目にも止まらぬ速さで距離を詰め、震えを抑えるように奥歯を噛み締めると、ざっと体勢を低くし、ジークヴァルトの脚を薙ぎ払うように、ゆったりとした広い袖を靡かせてコマのようにブンと大太刀を振り回す。
ジークヴァルトはそれを軽々跳び避けると、そのまま空中で高く片足を掲げ、落下と共に、剣を持つアドロの手首へ向かってその脚を思いっきり振り下ろした。
ぐるりと回転しながらアドロはそれを避け、地に刺さるジークヴァルトの脚を伝うように素早く刃を走らせると、パッと柄を放り投げて持ち替え、大太刀の向きを無理矢理に変えて首を狙う。
アドロにとっては何度も魔物を葬ってきた渾身の技だったが、それもジークヴァルトは幼子と戯れるかのようにあっさりと交わしていく。
荒々しく舞うように戦う可愛い弟と、しなやかに猛撃をいなし楽々と相手をする赤髪の友人を眺め、ネロは楽しげに目を細めた。
「竜人のジークヴァルトと戦える程に、アドロは強いんだ。次の長の座は、アドロがいれば何も心配いらないな」
それはネロの心からの言葉だったし、彼は頼もしい弟を何より信頼していた。
実際、アドロが次の長になる事は明言こそないが決まっていたし、人々も誰より強い彼をそういった存在として扱っていた。
アドロとジークヴァルトが動くたび、リュスタールの白銀の花びらが彼らの技を彩るように宙を舞う。
自分にはできない、幻想的で力強い二人の戯れを眺めるのがネロは好きだったし、ジークヴァルトも、アドロの負担を心配こそしたが、この兄弟と過ごす時間が好きだった。
ネロとジークヴァルトは、アドロの抱える異変に、この時全く気付いていなかった。
圧倒的な神の如きジークヴァルトの強さを前に、憧れを通り越し、アドロの中には狂気にも似た崇拝と畏怖の心が芽生え、同時に、強さを求める深い渇望で、その水色の瞳は濁り始めていた。




