第25話 贈り物と咆哮
暖炉の火が温かく燃える談話室。
ラーラマリーが思いを吐露して泣いてしまった夜から暫くが経ち、季節は冬に移ろうとしていた。
この日は、ジークヴァルトとラーラマリーの二人きり。
オルフェはいつも通り厨房の中で、メルナリッサとキースは、森へ出掛けると言って不在だった。
ラーラマリーは冬用に変わった毛足の長い絨毯に座り、そのすぐ後ろには、ジークヴァルトがソファに腰掛け、出会った頃より長くなった彼女の髪に触れている。
だが、髪を弄るジークヴァルトの手が長い間止まっているのが気になっていたラーラマリーは、刺繍針を持つ手を止め、思わず後ろを振り返り尋ねた。
「……ジーク、考え事?」
どこか遠くを見ていた彼の瞳の焦点がはっと戻り、目が合ったジークヴァルトは、僅かに肩を強張らせた。
「あ──ああ。どんな結い方にしようか、と」
ジークヴァルトは穏やかな笑みを彼女に向けると、鼻歌を口ずさみながらラーラマリーの髪を再び編み始める。
一見普段通り上機嫌な様子だが、ラーラマリーには、彼が無理に明るさを取り繕い、何か思い悩んでいることがあるとわかっていた。
(私が……帰りたいなんて言って泣いたせい、よね)
思いを溢したあの日から、ジークヴァルトがふとした時、何かを考え込むように凪いだ瞳でぼーっとしているのをよく見かける。
彼は何も言わず微笑んでいるが、時折盗み見るその金の瞳は、とても苦しそうだった。
(ジークは『結界から出る方法を知っている』と言っていたわ。でも『もう少し待って』とも……。悩んでいるのは、それが関係しているのかしら? 何も聞かず、教えてくれるまで待っているべき……?)
暖炉の火がパチパチと小さく爆ぜる音だけが響く静かな部屋で、考え込みながら、黙々と針を動かす。
(私が望むなら『竜を殺させてやる』って……ジークは……花喰い竜を殺すのを手伝おうとしてくれているのかな。でも、いくら彼が強いからって、そんな事まで頼めない。これは私の問題なんだもの。ジークに言わなきゃ。ここへは生贄として来たって。帰るために竜を殺して……できるなら心臓を持って帰ってルイスの病気を治したいんだ、って)
布から伸びた刺繍糸を、パチリと切る。
膝に掛け広げていた、黒に近い濃紺の分厚い生地を優しく撫でていると、後ろからジークヴァルトの大きな手がラーラマリーの顎に滑り、やんわりと上を向かされた。
上から覗き込むように、髪を弄るのをやめたジークヴァルトに優しく見下ろされる。
彼の耳から零れ落ちた燃えるように鮮やかな赤い髪が、ラーラマリーの頬をさらりとくすぐった。
「できたのか?」
期待に細められた金の瞳に、ラーラマリーは微笑んだ。
「うん、できた」
刺繍を施し終わり撫でていた生地を両手で持つと、ジークヴァルトの方へ背をもたれさせながら、彼の眼前にバサリとそれを広げ掲げて見せた。
「──最高だ」
後ろから足元に座るラーラマリーを抱きしめ、琥珀色の髪に頬を寄せながら、ジークヴァルトはうっとりとした表情を浮かべる。
彼女が宙に両手で広げたのは、静寂の夜空から切り出したような、濃紺の外套。
生地は分厚く、胸の前には留め具として二列の金ボタンが並び、それを繋ぐ飾り紐が光っている。
上質なこの外套は、ジークヴァルトの冬用の防寒着として新調されたものだ。
贈り物をしようとしていることが早々にバレたラーラマリーは、ジークヴァルト本人からの希望で、春からかなりの時間を掛けて、この外套に刺繍を施していた。
「メルナリッサは、上手くなるまでかなり時間がかかるだろうから、これくらい大きい物の方が時間を潰せるんじゃないか? 大変なら途中までになってしまっても構わないし、図案はラーラマリーに任せる」
最初にそう言われ、ラーラマリーが刺した図案は、銀糸をたっぷりと使ったリュスタールの花。
ジークヴァルトが連れて行ってくれた泉に咲くその花が美しく、白銀の花が映えるように、生地の色もオルフェに相談して決めた。
濃紺の生地を夜空に見立て、裾を縁取るように広がったリュスタールの花模様は、体の正面、中心にくる前立てを上へ伸び上がるよう、金ボタンを結ぶ飾り紐の下に花の道を作り、襟へと向かう。
寒ければ前を閉め、立て襟としても仕様を変えられるその襟には、右には輝く小さな金の一等星。
左には、リュスタールを一輪咥えた、水色の瞳の小さな鳥を羽ばたかせてあった。
羽は薄い琥珀色。
ラーラマリーがジークヴァルトへの恋を自覚してから、最後に追加で刺した刺繍だった。
「私をここに連れて来てくれて……ありがとう」
ラーラマリーがはにかみながら言うと、ジークヴァルトは外套を受け取り立ち上がった。
「……着てみても?」
「もちろん」
微笑んで返せば、ジークヴァルトはふわりと外套を自身の背に回し掛けて羽織り、広がった裾のリュスタールは、美しい銀の輪を描いたあと彼の身を包んだ。
「どうだ? 似合うか?」
得意げにそう訊かれ、ラーラマリーは素直ににっこりと頷いた。
「うん、凄く似合うわ」
ジークヴァルトは左の襟を立てて顔に寄せると、瞳を閉じ、襟を飾る水色の瞳の小さな鳥に口付けを落とした。
「……最高の贈り物だ。これを着ていると……ラーラマリーに抱きしめられているように温かい。大事にする。……ありがとう」
満足そうに笑うラーラマリーに金の瞳を甘く細め、ジークヴァルトは座る彼女に手を差し出す。
「実は俺からも、贈り物があるんだ」
「え?」
手を重ねながら驚くラーラマリーを、ジークヴァルトがぐいと引き寄せた。
手を繋ぎ連れて来られたのは、ジークヴァルトの執務室だった。
ラーラマリーは入るのは初めてで、思わずキョロキョロと部屋の中を見回してしまう。
壁一面の書棚に並ぶ、たくさんの本が気になるのだろう。
瞳を輝かせる幼子のような彼女の様子に、ジークヴァルトはふっと柔らかく口端を上げた。
「目を閉じて」
低い声で優しく促され、ラーラマリーは期待で笑みを浮かべながら、言う通りに部屋の真ん中で目を閉じる。
暗闇にジークヴァルトが動く気配だけを感じ一呼吸待つと、優しく手をとられ、冷たく僅かに重みのある何かを握らされた。
「いいぞ。目を開けてみろ」
囁かれ、ゆっくりと瞼を上げて自分の手に渡された物を見て、ラーラマリーは目を丸くした。
「これ──」
手にしていたのは、赤みを帯びた皮が巻かれた柄に、象牙のような白地の鞘が美しい細身の短剣だった。
そっと鞘から剣を引き抜いてみると、スラリと真っ直ぐに伸びた銀の刃がキラと光る。
森へ入った時に持っていた男性用の無骨で重いそれとは違い、僅かに重みは感じるが比較にならないほど手に馴染み、剣身もやや短い。
驚いてまじまじとその剣を見つめるラーラマリーに、ジークヴァルトが言った。
「俺が子どもの頃に使っていた剣だ。ずっと手入れをしていたから、切れ味も問題ない。こっちの方が、断然使いやすい筈だ」
「ジークの……? 大切なものなんじゃないの? 私が貰うなんて……」
「いいんだ。その代わり、ラーラマリーが持っていた剣は俺が貰う。交換だ」
ニカっと歯を見せて笑う彼に、これ以上遠慮するのも無粋だと感じたラーラマリーは、素直に贈り物を受け取ることにした。
「ありがとう。……私も、大事にする」
微笑みを返し、眺めていた刃を鞘に納めた──その時。
《クアーーーアアァン!!!!》
ビリリと空気が振動するのと同時に、突然、獣か鳥のけたたましい鳴き声が何重にも重なったような、不思議な咆哮が森から聞こえてきた。
「──っ!!」
ジークヴァルトはその声を聞いてサッと表情を険しくすると、急いで扉を開き、廊下に向かって大声で叫んだ。
「オルフェ!! オルフェ、早く来い!!」
言い終わるが早いか、白い光が物凄い速さで部屋に飛び込みながら、ぶわりと広がって人型に変わる。
困ったように眉を下げるオルフェに、ジークヴァルトが早口で言った。
「オルフェ、ラーラマリーを頼む。俺が戻るまで、この部屋から出すな」
「わかった。さっきのはメルナリッサ? 数は?」
「わからん。だが、かなりまずい状況なのは確かだ」
目の前で焦りを見せる二人に、状況が飲み込めずラーラマリーは困惑した。
「ジーク、さっきの音は何? もしかして花喰い竜が起きたの?」
不安そうなラーラマリーに、ジークヴァルトは一瞬苦しそうな表情をすると、彼女を宥めるように抱きしめた。
「違う。竜はまだ起きていないから安心しろ。詳しい事は……戻ったら必ず話す。ラーラマリーはここでオルフェと待っていてくれ。わかったな?」
できるだけ穏やかに伝えようとしているが、二人の様子から只事ではないと感じたラーラマリーは、それ以上何も聞かず、真剣な表情で小さく頷いた。
ジークヴァルトは彼女の額に口付けを落とすと、「すぐ戻る」と言い残し、急いで部屋を出て行く。
彼の羽織っていた外套がひるがえり、縁を飾るリュスタールの刺繍が見えなくなると同時に、執務室の重い扉がバタンと大きな音を立てて閉められた。




