第19話 金の瞳とリュスタール
「ああ……またか」
柔らかな草が風に靡く広大な草原の一番端。
一歩先の眼下に広がる青空を虚に見下ろしながら、ジークヴァルトは溜め息を吐いた。
彼が立つのは、遥か天空に漂う竜人の国──ジークヴァルトが生まれ育った地の最端だった。
(もうすぐここに、俺がやってくる)
そう頭で考えた瞬間。
思った通りに、ジークヴァルトのすぐ隣に、声を殺しながら泣いている小さな赤髪の男の子──金の瞳を濡らした幼いジークヴァルトが現れた。
草地のぎりぎり、空に落ちていってしまうのではないかと思う程の地面の縁に腰を下ろすと、両足を下に広がる空の方へと投げ出し、膝に置いた拳を握りしめて俯いている。
そのまま僅かに肩を震わせて静かに泣く小さな自分を、立ったまま無表情で眺めながら、ジークヴァルトはさらに思った。
(次は──父が俺の名を呼ぶ)
またもやその考えの通り、泣く男の子の背後で、低く、だが優しい声が響いた。
「ジークヴァルト」
声の方に視線をやると、頭の高い位置で一つに結んだジークヴァルトと同じ長い赤髪を靡かせ、がっしりとした体躯に精悍な顔つきの男性が、男の子に微笑みを向け立っていた。
(……また、この夢か)
上空の肌を切るような冷たい風を頬に感じながら、ジークヴァルトは目の前の二人を眺め嘆息した。
彼は、ここが自分の夢の世界だとわかっている。
本当にうんざりする程に、何度も何度も、これまでの長すぎる人生の中で、繰り返し見てきたものだからだ。
夢だとわかっていても、そこから覚める方法はない。
自分が自然と目を覚ますのを待つしかなく、ジークヴァルトは大人しく目の前の光景をただ見つめ続けた。
「父さん……俺、もう嫌だ」
振り返る事なく、俯いたまま悔しそうに小さなジークヴァルトが呟くと、父と呼ばれたその男性は、軽く頭を掻いた後、隣にドカリと座り込んだ。
「ジーク……また駄目だったのか?」
困ったように微笑みを浮かべた父に覗きこまれ、小さなジークヴァルトは眉間に深く皺を寄せると、涙を隠すように僅かに父から顔を背けた。
「……話し掛けたら……逃げられた」
「……そうか。じゃあ、また明日挑戦だな」
父は明るく笑って言うが、ジークヴァルトの声は暗いままだ。
「嫌だ。もうやめる」
「どうして。明日は違うかもしれない」
「違わない。絶対無理だ」
「無理じゃないさ」
「無理だよ!!!!」
ドンと拳を地面に叩きつけ怒りのままに叫ぶと、ジークヴァルトは涙を滲ませた金の瞳で父を睨みつけた。
「何度も挑戦したよ!! でも、俺を見て苦しそうにして……みんな怖がってる!! 友達なんてできる訳ない!! 俺のこと、『金竜様』とか『竜王様』とか、そんな風にしか呼ばないんだ。誰も俺を『ジークヴァルト』って名前で呼んでくれない。金の目しか見てない。みんな、俺が『一番大事な存在』だって言うのに、誰も俺に近寄って来ない。本当はみんな、俺の事が嫌いなんだ!! もう頑張りたくない……父さんと母さんだけいれば、それでいい!!」
拳を握り締め顔を歪ませているジークヴァルトに、父は眉を下げて笑うと、大きな手で頭を撫でた。
何も言わない父の温もりだけが頭にジワリと広がり、ジークヴァルトの目からぼろりと涙が零れ落ちる。
「……金の目なんていらない。こんなの、美しくも羨ましくもない。俺も……みんなと同じがよかった。父さんや母さんと同じ、赤い目がよかった……!! そうしたら、誰も怖がらせなくて済むのに……!!」
近くにいるだけで皆に恐れられ、遠巻きにされるだけのジークヴァルトは、傷付いていた。
だが彼は己が孤独であることよりも、自分のせいで周囲を怖がらせ萎縮させてしまうこと自体に一番傷付き、苦しんでいた。
堰を切ったように涙を溢れさせながらも、それでも悲しさを怒りで隠し、嗚咽を押し殺して静かに泣く息子を見て、父は宥めるように優しく笑った。
「なあジーク……お前を嫌っている奴なんて、いる訳がない。ただ……皆には、お前がちょっと眩しすぎるだけなんだ。だから泣くな。頑張れ。お前を恐れず寄って来てくれる奴は、必ずいる。絶対だ。父さんが約束する。だってお前は……こんなに優しくて、父さんの自慢の竜なんだから」
心臓をそっと締め付けるような甘い痛みを内に感じながら、意識が浮上したジークヴァルトは、ゆっくりと目を開けた。
目の前には、寝室の天井ではなく、たくさんのリュスタールの花輪が掛けられた大木の枝葉が広がっている。
仰向けのままそれをぼーっと眺め、自分が胸の上に編みかけの花輪を握りしめている事に気が付いた。
「……途中で寝てしまっていたのか」
大きく息を吸った反動で体を起こすと、月の高さから、まだまだ夜が明けそうになく、僅かな時間うたた寝してしまっていただけなのだとわかった。
(あの頃から……七百……いや、八百年程か?)
胡座を組んだ脚のそばに生えたリュスタールを一本手折り、編みかけの花輪にそれをあてがいながら、ジークヴァルトは夢で見た幼い頃の記憶を懐かしむように辿った。
ジークヴァルトの父と母は、本当に平凡で、どちらかと言うと魔力が少なめの竜人だった。
二人ともが火竜を先祖に持つとされる一族の出で、燃えるような赤い髪に、赤い瞳。
だが何の因果か、生まれたジークヴァルトは母の顔立ちと父譲りの頑丈さ、二人と同じ赤い髪を受け継いではいたが、その瞳は、輝く黄金だった。
彼が生まれた事で、国は大変な騒ぎになった。
実の親である父と母以外は、その強烈な魔力のせいで誰も平静のまま近付く事ができず、ジークヴァルト達親子三人は、国の外れの草原の近くでひっそり暮らす事にした。
実力至上主義の竜人国。
ジークヴァルトはすぐに『竜王』として崇められ、二十歳を過ぎた頃──人間で言えば六歳頃に王位を譲り受けたが、「側近として相応しい者をジークヴァルトが選ぶまでは」と両親が言い、王城には移り住まなかった。
父と母は、ジークヴァルトを数えきれない程の竜人に会わせた。
幼いジークヴァルトには隠していたが、二人の心の中には常に焦りがあった。
金の瞳を持って生まれたジークヴァルトは、周囲を畏怖させる強大な魔力と、永遠にも感じられる寿命のせいで、きっと想像も出来ない程の孤独になる。
自分達は息子と違い、瞳は赤く、寿命は百五十年、長くても二百年程しかない。
どれだけ願っても、死がすぐにジークヴァルトと自分達を引き裂く事は明白だ。
自分達が死ぬ前に、せめてジークヴァルトが一人になってしまわないよう、彼の心に寄り添い、側にいてくれる者を探す事に必死だった。
「ジーク、年齢は関係ないわ。どんな竜でもいい。お友達を作りましょう。心を通わせられる竜が、きっと居るはずだから」
美しい母はジークヴァルトを抱きしめ、優しくそう言った。
「皆の態度に傷付くこともあるだろう。でも誰もが、心ではお前と共にいたがっている。それは忘れるな。父と母だけじゃない。皆が、お前を愛している」
父は大きな手で頭を撫で、そう言った。
だが、現実はそう簡単なものではなかった。
「……申し訳ありません」
「私では無理です……」
「耐えられません」
ジークヴァルトと向かい合い、金の眼差しを向けられるだけで、大人も子どもも、男も女も、強者も賢者も──誰もがその瞳に恐怖を滲ませ、震えで顔色を悪くした。
(俺のせいだ)
ジークヴァルトは、早々に絶望に突き落とされた。
(俺のせいで、皆が怖がってる)
どれだけの竜人と会っても、結果は同じ。
誰とも心を通わせる事ができないまま、寿命を迎えた母が亡くなり、それを追うように父もこの世を去ってしまった。
ジークヴァルトは一人になった。
彼が七十歳──人間で言えば、成人を少し過ぎた程度の年齢だった。
「陛下、お願いです。我々と主従契約を結び、お仕えさせて下さい。そうすれば、陛下を恐れずお側にいられます」
銀竜達にそう請われ、ジークヴァルトは渋々それを受け入れた。
最初から一人きりだったなら、まだ良かった。
だが、両親に愛され、誰かと共にいる温もりを知っていた若いジークヴァルトは、孤独に耐えられなかったのだ。
「これでは駄目だ」
そうジークヴァルトが気付いたのは、皆と契約を結んだ後だった。
確かに、竜人達はジークヴァルトの側に寄れるようになった。
だがジークヴァルトがひとたび感情を荒ぶらせれば、契約を結んでいたとしても、その瞳には恐怖が滲み、王の前から逃げ出したいという欲求を無理やり押さえ込んでいる事がまざまざとわかったのだ。
(俺のせいで、怖がらせるだけじゃなく、皆を縛り付けてしまっている)
ジークヴァルトは、心を痛め続けた。
さらに悲しい事に、契約を結ぶ事で孤独を埋められるのが、一瞬でしかない事にも気付いてしまった。
「陛下……あなたを残し、先に逝くことを……どうかお許し下さい」
そう言って、僅かに心を通わせる事ができた者達は、全員がジークヴァルトよりも先に死んでいった。
何百……何千……何万回の死を見送って来ただろう。
三百歳を過ぎた頃、ジークヴァルトが幼い頃にいた竜人達は、一人残らず全員が寿命で死んでいた。
(これを後──何度繰り返せばいい?)
仲間達の恐怖に怯えた顔を見るのも、苦痛に呻く声を聞くのも、その死を見送り続けるのも、もう限界だった。
絶望したジークヴァルトは、逃げた。
自分で開けた竜の道を通り、地上へと逃げ、孤独であることを選んだ。
そうして地上の森で一人きりで百年程過ごし、ついに出会ったのが、フォレスティア王国初代国王──に、なる前のネロだった。
花輪を編み終わったジークヴァルトは、それを自分の頭に乗せ、目に留まったリュスタールの花を一輪摘むと、その花弁を一枚喰んだ。
甘い香りと僅かな苦味が、口の中に広がる。
(こんなことをしても……俺には全く意味がないのに)
自嘲しながらも、そのまま残りの花弁も全て口に放り込んだ。
リュスタールの花は、竜人国では誰もが知る薬草だ。
食べた者の魔力が、花が持つ魔力より少なければそれを補い、多ければ逆に減らす力がある。
魔法の使い過ぎで疲弊した際や、魔力が膨れ過ぎて熱を出した子どもに食べさせる花──それがリュスタールだった。
ジークヴァルトは、己の魔力が少しでも減ればと願い、幼い頃から気付けばリュスタールを口にしていた。
だが彼のあまりに膨大な魔力には、焼石に水。
魔力が劇的に減ることはなく、孤独な事に変わりはなかった。
「ラーラマリーは……ずっとここにいればいいのにな……」
──森から追い出せ。
花を噛みながら、ナナレの言葉を思い出し、呟いた。
自分を殺そうと努力している彼女には悪いが、契約がなくとも自然体で側にいるラーラマリーとの時間はあまりにも楽しく、甘美で、ジークヴァルトは真実を告げる事も、彼女の事情を聞く事も先延ばしにしてしまっていた。
(もう少しだけだ。もう少しだけ、彼女とこのまま──)
立ち上がったジークヴァルトは、頭に乗せていた花輪をそっと枝に掛け、大きく息を吸うと、静かに城へと戻って行った。




