第16話 刺繍教室
「ああ!! また、ずれちゃった!!」
大きな暖炉を囲むように、ふかふかのソファが並ぶ談話室。
春のため暖炉に火はないが、少し高い位置にある出窓からは穏やかな午後の日差しが差し込んでいる。
その円形に並んだソファの中心、夏用の少し硬めの絨毯に直接座り込んでいるメルナリッサが、自分の手元を睨みながら口を尖らせた。
心なしか、両肩に垂らされた灰色の三つ編みも、普段よりしょんぼりしているように見える。
彼女の小さな手には、白い布が張られた円形の刺繍枠と針。
膝の横には、色鮮やかなたくさんの刺繍糸が入った籠が置かれていた。
「うう……姫様、これ失敗ですか?」
「大丈夫、そのままその上にもう一回糸を掛けてみて」
彼女の正面、同じように床に座るワンピース姿のラーラマリーが、メルナリッサの手元を覗き込みながら優しく微笑んだ。
城にやって来て三日目から今日まで、朝はジークヴァルトに鍛えられ、昼食を摂った後、午後は毎日メルナリッサに刺繍を教えている。
(ふふ……まるで妹ができたみたいだわ)
ラーラマリーは、このジークヴァルトの可愛い従者のためだけに開く、ささやかな刺繍教室の時間が、存外楽しく気に入っていた。
事の発端は、城に迎えられてすぐ。
ラーラマリーが、ただ世話になるのは気が引けると言って、何かお礼としてやれる事はないかとジークヴァルトに尋ねたのが始まりだった。
「礼……? 鍛錬だけで充分じゃないか?」
そう首を捻る彼に、ラーラマリーは真剣な表情で詰め寄った。
「それはジークが私にしてくれてる事でしょう? こんなに良くして貰ってばかりじゃ、申し訳ないわ。私がジーク達にお返しできる事ってないかしら?」
「そう言われてもなー……」
眉を下げて役割を欲しているラーラマリーに、ジークヴァルトは困ってしまった。
城に彼女を無理やり連れてきたのはジークヴァルトだし、「ここにいて欲しい」と引き留めたのもジークヴァルトだ。
ラーラマリーに稽古をつける時間は、彼にとって心躍るような楽しい時間だったし、そもそも竜王である自分を恐れず、気安く接してくる彼女の存在そのものが珍しくて面白い。
すでに褒美を貰っているような状態のジークヴァルトには、ラーラマリーが存在すること以外に求める事など、すぐには思い浮かばなかった。
──どうしたものか。
そう思案していると、横で控えていたメルナリッサが勢い良く手を挙げた。
「はいはいはい!! 私、あります! 姫様にやって頂きたい事、あります!!」
「ん? どうした?」
ジークヴァルトが先を促すと、キラキラと目を輝かせたメルナリッサがずいっと一歩前に出る。
「姫様、私に刺繍を教えて下さい!!」
「刺繍?」
突然の申し出に目を丸くするラーラマリーに、メルナリッサは鼻息荒く頷いた。
「最初、お着替えのお手伝いをしようとした時、姫様、自分でできるって仰って、料理も掃除も刺繍も自分でやってたってお話されてたでしょ? お願いです! 本で読んでも、全然わからなくてできないんです。刺繍、教えて下さい!」
バッと頭を下げるメルナリッサを見て、ジークヴァルトが苦笑した。
「──と言っているが、どうだ? 引き受けてくれるか?」
「もちろんです!」
思わぬ可愛らしいお願いに、ラーラマリーは頬を綻ばせ頷いたのだった。
刺繍教室の第一回目。
両手いっぱいに刺繍道具を抱えたメルナリッサが、準備をしながら教えてくれた。
「私達や姫様の服は、全部オルフェが作ってくれてるんですけど──あ、オルフェっていうのは、いつもご飯を作ってくれてる子です。布を織って魔法で形を作るんですけど、ボタンや留め具が付いてるくらいで、飾りとかはないんです。ほら、姫様のお洋服も、全部すっきりしてるでしょう?」
確かに、メルナリッサやラーラマリーの服をはじめ、キースやジークヴァルトの服も動きやすさが重視されたような意匠で、飾り気はない。
ラーラマリーは目を丸くした。
「え……この服も? てっきり城にあったものを借りてるだけかと思ってたわ。しかも、手作りって、私が来てすぐに作ったってこと?」
用意されたワンピースは、ラーラマリーの体にちょうどピッタリだった。
そんな物を、自分が気を失って寝ている間にすぐに用意したという事実に、驚きが隠せなかった。
「はい。お城には姫様に合う大きさの服がなくて、オルフェが用意してくれたんです。魔法で作るので時間はかからないんです。でも姫様の服には、もう少し可愛い刺繍とか欲しいじゃないですか。私、大昔に練習した事はあったんですけど、一人で勉強しても上手くできなくて……。キースも興味ないって言って付き合ってくれなかったし」
どう見てもまだ十二、三歳のメルナリッサが「大昔」と言うのが面白くて、ラーラマリーは思わず笑みを溢した。
「私はこのままでも凄く素敵だと思うけど、可愛くしたいっていうメルナリッサの気持ちも嬉しいわ。ありがとう」
礼を言われ、メルナリッサは嬉しそうに笑った。
そして少し迷った後、小さな声でゴニョゴニョと言葉を続けた。
「それに……ジークヴァルト様に、贈り物をしたいんです。自分の手で作った物で、できれば……ずっと残るような物を。でも私は手先が凄く不器用だし、絵や手紙にも挑戦しましたが下手で駄目でした」
「贈り物……。とっても素敵だわ! 私もそのオルフェって人に、お礼に何か刺繍して渡そうかしら。その子、喜んでくれそう?」
目を輝かせるラーラマリーに、メルナリッサは視線を彷徨わせた。
「あー……オルフェは、綺麗なものが好きだから、凄く喜ぶと思います。でも、うーん……最初は、ジークヴァルト様にお渡しになってはどうでしょう? みんなの平和のためにも」
「確かに、ジークがここの主人だものね。それじゃあ、全員に何か贈ることにするわ。一緒に頑張ろうね!」
ラーラマリーに、すぐさま屈託のない笑顔を返される。
ジークヴァルトが嫉妬で拗ねるだろうからという真意は伝わらなかったが、自分もラーラマリーから贈り物が貰えるのが楽しみになり、メルナリッサはそれ以上何も言わずに「はい!」と元気に返事をした。
そうしてこの刺繍教室も何回目になっただろうか。
最初は二人きりでやっていた会であったが、城に来てから二週間が過ぎた今、その時間は賑やかなものに変わっていた。
「あの……他にやる事、あるんじゃなかった?」
メルナリッサと絨毯に座り向かい合いって刺繍をしながら、ラーラマリーは振り向く事なく、困惑気味に後ろで寛ぐ気配に向かって声を掛けた。
「大丈夫だ。もう終わった」
嬉しそうにそう答えたのは、ジークヴァルトだ。
床に座るラーラマリーのすぐ後ろのソファに腰掛け、伸ばした長い足の間に、彼女を閉じ込めている。
自分の膝に両肘を付き前屈みで座るジークヴァルトは、鼻歌を歌いながら、背を向けて座るラーラマリーの琥珀色の髪をいじり、器用に編み下ろす作業を楽しんでいた。
メルナリッサが慰めるように微笑みかけてくる。
「姫様、もう諦めましょう。今日も可愛く仕上がっていますよ」
「……ありがとう。ねえ、ジーク。完成まで待てない? せっかく驚かせようと思っていたのに」
動けずじっとしているラーラマリーの髪に、今度は赤色のリボンを編み込みながら、ジークヴァルトは金の瞳を細めた。
「待てない。俺のために作っているなんて知ったら、作っている所から見たいだろう」
ラーラマリーとメルナリッサは、こっそり贈り物を用意しようと奮闘していたのだが、様子を見に来たジークヴァルトに「おい、何で隠すんだ。見せてみろ」と追及を受け、早々にバレてしまったのだ。
それ以来、ジークヴァルトは刺繍教室に同席するようになり、「暇だから」という理由でラーラマリーの髪を結って遊ぶのが日課になってしまった。
「できた! どうだ? 今日は編んだ髪とリボンで薔薇に見えるようにしてみた」
満足そうに言われ、顔を上げたメルナリッサが目を輝かせた。
「わ!! 本当だ! 姫様、ちょっと横向いてみて下さい!」
「え、こう?」
「わー!! 本当に薔薇みたいです! ジークヴァルト様すごい!!」
ラーラマリーには見えないが、そっと髪に触れてみると、編み込んだ髪をサイドに器用に丸くまとめ、花の形に見えるようにしているらしい。
ようやく髪から手を離され、ラーラマリーはくすくすと笑いながら振り返ると、満足そうにこちらを見下ろしているジークヴァルトと目が合った。
「正面から見ても可愛いな。我ながら上手くできた」
微笑まれ、ラーラマリーは僅かに頬を赤くし目を伏せた。
「あ……ありがとう。ジークって、意外と器用よね」
「ああ、こういうのは得意なんだ。毎日花輪を編んでいるしな」
「花輪?」
「墓に供えているんだ。古い友人のために、リュスタールの花を編んでる」
笑んだまま、何でもないことのようにさらりと言われ、ラーラマリーは一瞬言葉を詰まらせた。
だが、ジークヴァルトが悲しそうにしていないのに、自分が気を使うのも変だと思い、平成を装ったまま言葉を返した。
「そ、うなのね。私も……そのお友達にご挨拶することはできる?」
「そうだな。喜ぶと思う。また今度、ラーラマリーがいいなら、ぜひ」
そう言うと、ジークヴァルトはしゅる、とリボンを解き、また違う髪型を作ろうと髪をいじり始めた。
ラーラマリーは視線を刺繍途中の手元の布に戻すと、チクチクと無言で針を進めた。
(私がどうして森に来たのか、ジーク達は深く聞かないでくれているんだもの。生贄にされたことや、ルイスの病気のことも何も話していないのに、私だけ色々聞くのはマナー違反よね。ジークのお友達……森にお墓があるってことは、ここで亡くなったってことよね? やっぱり花喰い竜に殺されてしまったのかしら。それとも魔物に? そういえば、色んなことがありすぎて、森で会った魔物の事、詳しく聞くのを忘れていたわ)
ラーラマリーは、森で出会った黒い影のことを思い出した。
ジークヴァルトはあれのことを「魔物」と言っていたが、ラーラマリーの知っている魔物とは姿が違う。
言葉を話すのも当たり前のように言っていたが、自分の認識との違いが大きく、後でもう少し詳しく話を聞こうと思っていたのだった。
「ねえ、ジーク──」
そう言って尋ねようとした時、キースが慌てた様子で部屋に入ってきた。
「ジークヴァルト様、すぐに来て下さい!」
息を切らし、眉根を寄せているキースに、ジークヴァルトが怪訝な表情で聞き返した。
「どうした?」
「ナナレが来ています!」
「ナナレが? あー……もう、そんな時期か。わかった。すぐ行く」
ジークヴァルトは面倒そうな顔をして編みかけの髪から手を離すと、ラーラマリーの頭をポンと軽く撫でて席を立ち、そのままキースと共に部屋を出て行った。
残されたラーラマリーは、メルナリッサに尋ねた。
「ナナレって?」
「ああ……ナナレは、オルフェの恋人で──精霊なんです」
こてんと可愛らしく首を傾げ、「見に行きます?」と聞き返してきたメルナリッサの言葉を理解できず、ラーラマリーは暫く目を丸くしたまま、彼女と見つめ合っていた。




