8.約束
放課後、紗亜良は澪にメッセを送った。
『起きてる?』
返事はすぐに来た。
『起きてるよ』
『行っていい?』
『待ってる』
家に行くと、澪は一人でゲームをしていたという。タイトルを見ると、少し前に流行ったアクションゲームだった。
「へえ、懐かしいゲームしてるね」
「うん。待って、このステージだけクリアさせて」
巧みな指さばきで障害物を避けて先に進む。敵の攻撃を受けても的確に防御して先へ先へと進んでいた。そして危なげなくステージをクリアした。
「すごいね」
「慣れてるからね。じゃこれはここでおしまい」
「あ、いいよ、もっとやってても。もうちょっと見ていたい」
「あー、ここから先はちょっと」
「どうして?」
そう訊ねると、柚香は困ったような笑みを浮かべて、
「ここから先はユウの担当だったの」
と答えた。
「え?」
「あのね、昔からそうだったの。一つのゲームを二人でやったりするの。お互いの不得意なところを交代したりして」
「そう」
「でも最近はちっとも先に進まないの。なんでだろ」
「なんでって」
「ユウって意地悪なんだよ。いつもはわたしのすぐ隣にいるくせに、用があるときにはどこかへ行ってしまうの」
紗亜良は思わず部屋の中を見回した。
「今は、いないの?」
「いないよ。そういえば柚香が来るときにはいなくなるね。気を使ってるのかな」
真顔でそんなことを言う。冗談とも思えなかった。そう言えば、これまで紗亜良があの幽霊の弟くんに会ったのも、家から出て来るところばかりだった。
「毎朝お線香もあげてるのにさ」
さらに混乱させることを言う。
「お供えだってユウの好きなものをお母さんに言って買ってきてもらっているのに。ほんと、甘えてるんだから」
(そうか。この子は現実を生きていないんだ)
紗亜良はようやくそのことを実感した。
(ほんとうの意味で弟の死を受け入れていないんだ)
(だからあの『幽霊』も平気で昼間から現れる。きっとそういうことなんだ。今度あの弟くんに会ったら文句をいってやろう。死者が生者に干渉するな、て)
ミドリ先生は幽霊など存在しないと言ったけれど、現に自分は見てしまっている。本当は幽霊ではないのかもしれないけれど、幽霊みたいな何かなんだろう、と紗亜良は大雑把に考えることにしていた。
(あれだ、マンガとかに良く出てくる、思念が実体化した存在とか、夢の国の住人とか、なんかそーゆーもの)
大体担任が魔女なのだから、たいがいの非常識は大目に見るべきだろう。弟くんの幽霊問題について紗亜良はそう考えることにしていた。
頭をひとつ振り、気持ちを切り替えると、紗亜良は、
「じゃあこの間のゲームの続きをしようよ」
「うん」
カードを入れ替えてリセットする。二台のゲーム機がリンクするのを待つ間、紗亜良はあらためて柚香を見た。
どうにか櫛は通してあるものの、手入れをしていない髪は枝毛が目立っていた。着ているのはいつも同じトレーナー。洗濯こそしてあるものの、もうずいぶんくたびれている。
そして日に当たらない肌は不健康に白い。食事も不規則で、しかもあまり食べていないらしい。痩せていて、目だけが大きく見えた。ただ、頬にはかすかに赤みがさしている。紗亜良とゲームが出来るのがうれしいかららしい。
「柚香」
そう言うと紗亜良は自分のゲーム機のスイッチを切った。
「あ、リンクに失敗だって」
柚香がそう言うのを無視して、
「あのさ。やっぱり今日はゲーム止めない?」
「どうして?」
「なんとなく」
「ふうん。いいけど?」
じゃあ何をするの? というように紗亜良を見る。
「もっとおしゃべりしたいの」
「なあに、いつも話してるじゃない」
「今日は特に」
「へんなの」
そう言って笑う柚香に、紗亜良は以前から考えていたことを提案してみようと思った。
「あのさ。前に澪とモールに行ったの」
「うん」
「そこにヘアサロンがあってね、わたしたちみたいな中学生くらいの子に人気なんだって」
「ふうん」
「今度、わたしもそこに行ってみようと思うんだ。ほら、だいぶ髪も伸びて来たから。先生にも注意されていたんだ」
紗亜良の髪を見て、
「そうだよね。肩についてる」
「でしょう? でも、初めてのところってなんか不安で。だからさ、もしよかったら柚香も来てくれないかな」
「わたしも?」
「そう。柚香も髪長いし。一緒にカットしてくれたら心強いし。どうかな」
「澪と行けばいいんじゃない?」
「この間行ったばかりなんだって。それにわたしは柚香と行きたいの」
「なあに、それ」
「柚香とお出かけしたいの。もしカットするのがいやなら一緒に行ってくれるだけでいいから」
「そう・・・ね」
不ぞろいの毛先を自分の顔の前でいじりながら、柚香はつぶやいた。
「ついて行くくらいなら、いいよ」
「ほんと?」
「うん。でも髪は切らないから」
「そうなの? なにか願でもかけてるの?」
「そういう訳じゃないけど。髪が長くないと、ユウと見分けがつかないから」
「あ・・・」
「伸ばし始めたのもそれが理由だし。昔はおんなじ髪型にして、こっそり入れ替わっていたりしてたの。あんまりいたずらするものだから、お母さんに叱られて」
「・・・」
柚香は幸せそうに微笑んでいる。過去に浸りきっているその痛ましい姿を紗亜良は胸の痛む思いで見ていた。
そんな紗亜良の気持ちに気づいていない様子で、柚香は無邪気に聞いて来た。
「でもいつ行くの?」
「今日はダメ?」
「えー、」
「うん、わかった。今日はやめておこう。こんどの日曜とかは? 夏休み前の最後の日曜でしょ。すっきりした頭で夏休みに突入したいの」
「うーん・・・いいよ」
そして柚香はくすくす笑いながら、
「なんか紗亜良、ユウみたい」
「え」
「あの子もね、初めての事はたいていわたしについて来て、ていうの」
「そうなんだ」
「そう。甘えんぼさんなんだから」
そして優しく微笑む。それはどこか危うい、壊れそうな笑みだった。
「デートですって!」
「しいっ、声が大きい」
昼休み、澪とビオトープを散歩しながらおしゃべりしていた紗亜良は日曜日のことを報告したのだ。
「あなたたち、順調に愛を育んでるのねー」
「だからそういう言い方はやめてって」
「でもさ、大丈夫なの?」
「なにが」
「柚香のこと。あの子、イベントがあるときはいつも熱を出していたの。それに」
「それに?」
澪は真面目な顔で、
「急に人が多いところに連れて行っても平気なのかな」
「ああ、そのこと。でも、外に出るって人と接することだよ。そうでなきゃ外に出る意味がないもの」
「そりゃあそうだけど。厳しいこと言うね」
そして澪は軽く頭をふった。
「そうか。紗亜良はドSだったね。スパルタ式というわけ?」
「・・・S、ってスパルタの略だっけ。てか、スパルタって何だっけ」
「マジボケしないでよ」
そんな話をしながら小径を辿っている時だった。
「げっ」
紗亜良の目にあるものが映った。
「なに、げっ、て」
「ごめん、ちょっと」
紗亜良はそういうと、澪を置いて走り出した。
「ちょっと、紗亜良?」
後ろで澪が呼んでいるのを聞きながらダッシュする。そして、小径の先を一人で歩いていた男子生徒の腕を掴んだ。
「うわぁっ、え、紗亜良さん?」
「ちょっとこっちに来なさい!」
そう言ってずんずんと先に進む。そして適当な木陰に引っ張り込むと、
「どういうつもり、こんなところに出て来て!」
「こんなところって、ビオトープは洲緒美の全学が共同管理しているんだよ。男子部の生徒もいるよ。実は隠れた出会いの場だったりデートコースだったりするんだけど?」
「わたしが言っているのはそういうことじゃないの! ここで何をしてるの、ユウくん」
幽霊のくせに真昼間から、しかも校内に出没するなんて! 幽霊の自覚がないんじゃないの。そう思ったのだ。
(待てよ、そう言えば触れたし。というか、掴んじゃったし?)
そう思って人差し指で学生服の胸をつん、と突いて見る。
「突っつくなよ」
(手応えがある。どうゆう幽霊なのかな。エクトプラズムが実体化しているとか)
「まったく、非常識な」
「ど、どっちが。こんな人気のないところに男子を引っ張りこむなんて」
「うるさいな。口答えしない。だいいち柚香は放っておいていいの?」
「柚姉は今頃寝てるよ。昼夜逆転のひきこもりだし」
「そりゃそうだろうけどさ」
「なんなんだよ、いったい」
そしてユウは紗亜良を見てぽつりとつぶやいた。
「こういう子だったとは思わなかったな」
「どういう意味?」
「柚姉の話だと、優しくて素直で、明るいいい子だって。ほんとは男を引き摺りまわすような子だったんだ」
「誰が押し倒したって?」
「言ってないだろ、そんなこと」
「なに、幻滅した? 勝手な妄想を抱かないでよね」
なにさ、幽霊のくせに。それにこっちだってユウくんのことはいろいろ聞いてるんだからね。シスコン幽霊のくせに。
「柚姉もかわいそうに。騙されてるのも知らずに」
「誰が騙してるって? 誰が」
「ほんとにいい性格してるね、紗亜良さんは」
「馴れ馴れしいよ、ユウくん」
「そっちだって」
お互い、柚香を通しての付き合いなのだ。当然そこには柚香というフィルターが掛かっている。それは実際よりもよく見えるフィルターらしい。
「それより、柚姉から聞いたよ」
「なにを」
「日曜日のデートのこと」
「デートじゃないったら。どうしてみんなそういう、」
「ありがとう紗亜良さん」
真顔で礼を言うユウに、紗亜良は口を閉じた。
「感謝してるんだ、ほんとに」
「別に、別にそんな。感謝だなんて。大したことじゃないよ」
「大したことだよ。だって今までは誰が誘っても外に出ようとしなかったんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。紗亜良さんと出会ってからの柚姉はほんとに変わったよ。祖父の別荘に紗亜良さんを誘ったりさ」
紗亜良も真面目に答えた。
「でもね、今回は無理はしないつもり」
「というと?」
「熱を出したり、あんまり緊張するようなら取りやめにするつもりなの。今回は、外出の約束が出来ただけでも上出来と思ってる」
「へえ、慎重なんだ」
「わたしは現実主義者だからね。過剰な期待はしないの」
「そうなんだ」
紗亜良はあることを思い出した。
「そうだ、あんたに会ったら言わなきゃいけないことがあったんだった」
「なに? ぼくもデートに誘ってくれるとか?」
「違う。いい?」
そして相手の胸にふたたび指を突きつけて、
「あんまり柚香の前にちょろちょろ出てこないで」
「なんだって、なんの権利でそんな」
「いいから! あなたは柚司くんの幽霊なんだからね。そんなのが近くでうろちょろしてたら、柚香はいつまでたっても吹っ切れない。そうじゃない?」
「幽霊。そうか、ぼくは幽霊なのか」
「そうだよ。この間も柚香が言ってた。ユウがいつも一緒に居てくれる、て」
「・・・」
「だからあの子、弟の死を受け入れられないの。ゲームだってそう」
「ゲーム?」
「そう。二人でやっていたゲームだよ。あの子、自分の分担のステージしかやらないの。ここから先はユウの担当だからって」
「ああ。あのゲーム」
「ゲームだけじゃない。柚香はずっと立ち止まったままなの」
「・・・」
「あなたは見守っているつもりかもしれないけど。突き放すことも必要じゃない?」
「きついこと言うなあ」
ユウは肩を落として、ぼそりとつぶやく。その様子を見て紗亜良はさすがに気の毒になった。
「ごめん。言い過ぎた。でも分かって。柚香にとってあなたの存在は逃げ場所になっていると思うの」
「それはね、薄々気づいてはいたんだ」
とユウは言った。
「でもさ、ぼくだって柚姉に会いたいんだ。それはわがままなのかな」
「そうは思わないけど」
ややしてユウは、
「わかったよ。確かに柚姉にかまい過ぎていたかもしれない。でもさ、たまに会うくらいならいいだろ」
「まあ、ね。草葉の陰から見守るくらいなら」
「心がけるよ」
その時、予鈴のチャイムの音が聞えた。休み時間はもう終わりだった。
「じゃあぼくは行くよ。午後の授業がはじまるから」
「うん」
「紗亜良さんも遅刻しないでね。じゃあまた」
「うん、また」
走ってゆく後ろ姿を見送りながら、紗亜良はふとこんなことを考えた。
(紗亜良さんも、て。あの幽霊も授業を受ける気なのかな)
聞くところによると、幽霊というものは生前思いを残した場所に現れるものらしい。
(柚香の家に出るのは当然として、そうかあ、中等部に通いたかったんだ。だから幽霊になっても授業に。なんだか憐れだなあ)
紗亜良は両手を合わせて、ナムナム、とつぶやいた。
「何をお祈りしてるの?」
「わあっ」
いつの間にか澪が隣に立っていたのだ。
「なに、人がせっかく探しに来てあげたのに。幽霊を見たような声を出して」
「ああ、うん、ごめん」
堪えきれずにニヤケてしてしまう。
「なに、何がおかしいの?」
「なんでもない。行こうよ」
「へんなの」
(だって)
紗亜良は歩きながら思った。
(さっきまで本当に幽霊と一緒にいたんだもの)




