7.あかり襲撃
紗亜良の耳元で聞きなれた着信メロディが鳴っていた。
手探りで枕元のスマホを探し、着信ボタンを押す。
『紗亜良、起きた?』
「寝てる」
『だめだよ、遅刻するよー』
「うー。柚香はどうなの」
『わたしはこれから寝るよ』
「・・・なにか間違ってる気がする」
『そんなことないよ。合理的じゃない?』
「うー」
『ほら、さっさと起きる!』
紗亜良は通話を終えると、のろのろとベッドから降りた。
このところ、柚香からのモーニングコールで起される日が続いていた。
昼夜逆転の生活を送っている柚香は、早朝のこの時間に電話してくれる。そして眠りに就き、夕方、紗亜良が学校を終える頃に目覚める。
そして夕方の時間を共にして、夜は眠らずに朝を迎え、また紗亜良に電話をしてから眠るのだった。
「よくないよね、これは」
紗亜良は身支度を整えながらそうつぶやいた。
学校では紗亜良は相変わらず澪と一緒だった。
その澪は、紗亜良があれだけ柚香に夢中になっているのに、べつだん嫉妬するでもなく、むしろけしかけるようなことを言うのだった。
「押しの一手だね」
「押し、ってなにさ」
「だから、攻めってこと。あんたはドSで、柚香はドMなんだから。きっといいカップルになると思う」
「だからそう言う例えはやめて」
「なに言ってるの。あんな暑苦しい柚香ラブのメッセを送って来たくせに。『あの子のそばにいて、支えてあげたい』なんて、昔の少女マンガか、あんたは」
「あれはそういうつもりじゃなくて、」
「もう結婚しちゃえ、いっそのこと」
そんなことを言う澪とは、けれど常に一緒にいられるわけでもなかった。生徒会の書記という立場上、学校の公式な行事には洩れなく参加しなくてはならないため、けっこう忙しくしていたのだ。
この日も澪は朝から生徒会室と教室を行き来しているようだった。期末試験が終わり、夏休みに入るまでの短い期間に片付けなければならない雑用が多いのだと言う。
音楽室ヘの移動の時も、だから澪とは別行動だった。
二階の渡り廊下を通るのが音楽室への近道だった。
いつもは皆もそこを通るのに、今日に限っては誰も渡り廊下の方へ行こうとしなかった。遠回りになる玄関ホールの方に歩いて行く。不審に思いながらも、紗亜良はいつもの習慣で渡り廊下に向かった。
誰かが渡り廊下の壁にもたれて立っているのが見えた。伊吹あかりだった。
眼が合うと、あかりは言った。
「あんた、柚香のところに入りびたっているんだってね」
非友好的な態度に、紗亜良の目が細くなった。人払いをしたな、とピンと来る。こいつ、ヤル気だ。
「ええ。ほぼ毎日」
それがどうかしました? という態度で応じる。
「いい根性してるね」
あかりはすっと体を動かして、行く手をふさぐように廊下の真ん中に立った。
「柚香がどんな思いでいるか知らないくせに。図々しい」
「じゃあ伊吹さんは知っているの」
「あんたなんかよりはね」
「ふうん」
だから何? という態度に、あかりはカッとなったようだ。
「あの子はね、柚司くんを、弟を亡くして辛い思いをしているんだ。だからクラスのみんなで、そっとしておいてあげることにしていたのに」
紗亜良を睨みつけて、
「それなのに、事情を知らないよそ者がふらふら会いに行って! それも一番触れちゃいけない柚司くんのことを無神経に詮索して! 信じられない。最低だよ、あんた」
紗亜良は好きなだけ文句を言わせるつもりだった。こういうことは吐き出してしまった方がいい、と思っていた。少なくとも影でこそこそやられるよりはずっと。
「ちょっと聞いてるの!」
紗亜良は答えなかった。じっとあかりの目を見ていた。
その沈黙を、怖気づいたからと思ったらしい。あかりは更に言い募った。
「小等部の頃から、わたしたちはみんな仲がよかったの。ケンカなんかしたこともなかった。みんな同じことをして遊んで、みんな平等だった。
わたしたちはみんな知っているの。柚香がどれだけ柚司くんと仲が良かったかを。柚司くんが亡くなったとき、柚香がどんなだったかあんた知っているの? あの子泣かなかった。いえ、泣けなかったの。あんまり悲しいと涙なんて出ないの。わかる? あの子はこういったの。『どうしてみんな悲しそうな顔をするの? だってほら、ユウくんはここにいるじゃない』って」
その時のことを思い出してか、あかりは大きく息をついた。
「柚香はね、それからしばらく幻の弟のことを話していた。痛々しくて見ていられなかった。だからわたしたちは柚司くんのことには触れないようにしてきた。みんなで柚香のこと守りたかった。わかる? わからないでしょうね。あんたみたいに好き勝手にしているわがままな人には。
見てごらん、あんたなんか澪の他に友達いないじゃないか。その澪だって、あんたが外部入学で友達がいないから、かわいそうだから付き合ってやってるだけじゃない。
みんな言ってるよ。澪は『風見さん係』なんだって。そんなことにも気づかないでいい気になって。柚香だっていい迷惑だよ。あんたみたいな協調性のない女の相手なんて」
紗亜良は我知らず奥歯を噛みしめていた。
自分のキツイ性格が災いして、友達が出来にくいことは自覚していた。独立精神が強いために協調性に欠けることも。
(くやしいけどあかりさんの言うことは当たってる。でも)
紗亜良は自制心を総動員して静かに口を開いた。
「澪がそう言ったの?」
あかりは口ごもって、
「それは・・・そう思ってるに決まって」
「いいえ。澪はそんな子じゃない」
「なにそれ。あつかましい」
「友達だもの」
今度はあかりが口を閉じる番だった。紗亜良は続けた。
「あなたたち、平等だとかケンカをしたことがないって言っていたけど。そんなの、一人なるのが怖くて本気で付き合ってないってことじゃない。
柚香のこともそう。思いやってそっとしておいたなんて嘘だ。怖かったんでしょう。本当に愛する人を失った柚香にどう接していいか分からなかったんだ」
あかりは反論しようとして口を開いた。だが、紗亜良のことばに何も言えなくなってしまう。
「そんなぬるい友達ごっこなんて願い下げだよ。わたしは心を許せる人が一人でもいるならそれでいいの。それ以外のくだらない付き合いなんていらないの」
(そんなだから友達が少ないんだけどさ)
と心中で密かに自嘲しつつ、紗亜良は怖い顔で自分を睨んでいるあかりに近づいて、言った。
「勘違いしないで。あなたが辛くなかったなんて思ってないから」
「何、何を言って」
「柚香から聞いた。あなたが柚司くんのことをどう思っていたか」
あかりの顔にさっと狼狽の色が浮かんだ。
「わたしは、」
「そのことでは謝るよ。あなただって柚司くんを失って辛かったはずだもの。なのに、わたしはそのことを昔話だと思って気軽に話していた」
紗亜良は手を伸ばし、あかりの手にそっと触れた。
「あなた許せなかったんだね。柚司くんのことをそんなふうに話されるのが。わたしにこんなことをしてしまうくらいに」
あかりは紗亜良の指を振り払うと、右手を振り上げた。けれど、その手はそのまま動かない。
「いいよ、ぶっても。あなたにはその権利がある」
紗亜良にそう言われて、あかりの手はぶるぶると震えた。
「人をぶったことない? 言っておくけどわたしもあなたのことぶつよ。わたしとケンカしよ?」
紗亜良は固まってしまったあかりの横をひょいっとすり抜けた。
「行こう。授業がはじまる」
それでもあかりは動こうとしない。紗亜良はふりあげたままの彼女の手を取った。
「行こうよ。ほら。走らないと遅刻だよ?」
一言も口をきかないあかりの手を引いて、紗亜良は走った。
音楽室に着いたときには、もう授業がはじまっていた。荒い息をして、手をつないで戸口に現われた二人を見て、初老の音楽の教師はこういった。
「あらあら仲良しさんね。遅刻は大目にみてあげるから、はやく席につきなさい」
クラスメートが奇異の目で見守るなか、紗亜良とあかりは手を離して所定の席についた。
「あなたいったい何をしたの」
昼休み、お弁当を広げながら澪は聞いた。
「みんなびっくりしていたよ。まさかお手手つないでご登場とは。あかりの弱みでも握った?」
「どうしてそういう想像になるかな」
紗亜良は教室を見回して、あかりがいないことを確認してから答えた。今日は学生食堂に行ったらしい。
「だって、ねえ」
「なに、『風見さん係』としては気になる?」
澪は一瞬、怖い顔をして、
「何を言われたかだいたい想像がつくけど。怒るよ?」
「ごめん。意地悪だったね」
「いいの」
そして表情をゆるめ、
「そういう陰口は知っているけど。そうじゃないことはわかってるはずだよ」
「うん。だからごめんて」
「まったくこの子は」
機嫌を直したらしい。澪はニヤニヤしながら、
「で、あかりとはどうなの? 浮気?」
「浮気って」
「わたしと柚香だけじゃ飽き足らなくて、また愛人を増やすのねっ。きーっ、くやしー」
「だからそっちに話を持っていくなっ。あの子とはちょっと本音トークしただけ」
「ふーん?」
澪は興味深そうに、
「ほんとに毒薬だね、あなた」
「なにそれ」
「ミドリ先生の受け売り。弱い毒は薬にもなる、って」
「・・・なんだか最近わかってきた」
「なにを」
紗亜良は声を低くして、
「これって魔女先生の陰謀なんでしょ」
「なに、どういう意味?」
「とぼけないで。柚香のこともそうなんでしょ。進むことも戻ることも出来ずに固まってるあの子に、キツイ性格のわたしと言う毒薬を投与したんだ。一種のショック療法として」
「ふーん。そういう考え方もあるかな」
「またとぼけて。先生の言う弱い毒薬、ってそういう意味でしょ。そして“使い魔”として暗躍してるのがあなた」
人差し指で澪を指差す。
「ずいぶんな言い様ね」
澪はその指を手のひらで包みこむようにして下げさせた。
「そもそもわたしをこのクラスにしたところから先生の陰謀が始まっていたんだ」
紗亜良は澪の手を掴んで、自分の方に引き寄せた。
「そういう意味ではほんとに魔女だね、あの先生」
澪は微笑みながら紗亜良の手を握り返した。はた目には仲むつまじい友の語らいのように見える光景だった。
「誤解のないように言っておくけど」
澪は周りに聞えない程度の声でささやいた。
「あなたと仲良くなったのは別に先生に言われたからじゃないよ。ただ、あなたと仲良くなった後で、先生にいろいろサジェストされたのは確かだけど」
「やっぱり」
「別に今までだって騙していたわけじゃない。それはわかってくれるよね?」
「まあね」
「紗亜良は陰謀と呼んだけれど」
澪はことさら秘密めかして、紗亜良の耳に唇を寄せてささやいた。
「先生は『錬金術』だって」
「あるけみい・・・」
「そう。教室という坩堝を魔女の大鍋に見立てて、そこにさまざまな要素を放りこむ。あとはぐつぐつ煮立てて出来上がり、ということ」
「おもしろくないね」
紗亜良はそうつぶやいた。
「魔女の思惑通りなんてさ」
「そうでもないと思うけど」
「どうして」
「最終的なところは自由意志に任されているもの。わたしも紗亜良も、自分の信じる通りにすればいいって。それに、先生の目論見通りに行くとは思えないし」
「どうして」
「だって、紗亜良だもの。あなたは他人の言いなりになるような子じゃないでしょう」
「でも今のところは計画通り、なんでしょ」
「さあ。先生が何を考えているか、本当の所はわたしもわからない。だけど」
「だけど?」
澪はさらりと、
「おもしろいじゃないの。なんだか」
「わたしはおもしろくないよ」
紗亜良は憮然としてそう答えた。




