5.お呼ばれの日
土曜日の午後、紗亜良は乃原家を訪れた。よそ行きのシックなワンピースに淡いパステルカラーの帽子という出で立ちで、高級アイスクリームの箱を持っていた。お呼ばれするのだから夏にふさわしいお土産を、と母親に持たされたのだ。
玄関の前で立ち止まる。
(自転車がない・・・)
ということは弟のユウくんは出かけているということだ。紗亜良はそう思い、少しだけがっかりした。
(べ、別に弟くんに会うことを期待してたわけじゃないけど)
そんな風に自分にいいわけをしながらドアに近づこうとした時だった。
いきなりドアが開いて、中から当の本人が姿を現した。
「わっ、あ、紗亜良さんいらっしゃい」
「こここ、こんにちは」
とっさに舌が回らない。
ドアの前で向かい合って見つめ合うかたちになる。
「あー、えーと」
少年は困ったように後ろを振り向いた。そしてなぜか後ろ手でドアを閉めると、
「あのさ、柚姉なんだけど」
「はい?」
「えーと、うん、いや、なんでもない。余計なこと言うなって言われてたんだっけ」
口の中でそうつぶやくと、
「ぼくはもう行くから。ほんと、ごめんねっ」
そのまま走り去ってしまう。
(今日は自転車じゃないんだ)
首を傾げながら、紗亜良はインターホンのボタンを押した。
「はあい」
返事と共にふたたびドアが開いて、優しそうな女性が姿を現した。
「風見紗亜良です。はじめまして」
型どおりぺこりと頭を下げる。
「まあまあまあ、いらっしゃい。柚香の母です」
(見ればわかります)
紗亜良は笑いを堪えるの必死だった。
(柚香のお母さんって、柚香にもあの弟くんにもそっくりなんだ。すごーい。DNAの神秘)
紗亜良の目の前にいるのは、柚香をそのまま大人にしてお化粧したとしか思えない女性だった。もちろん美人だったけれど、二人並んだら歳の離れた姉妹といっても通用するくらいだった。
「さあ、どうぞ」
「お邪魔します」
そのまま居間に通される。いつもは二階の部屋に直行なので新鮮な感じがした。
通り一遍の挨拶をして、お土産のアイスクリームはとりあえず冷凍庫に納められることになった。
柚香の母親は済まなそうに、
「ごめんなさい、実は柚香は今眠っているの」
単なる寝坊、というワケではなさそうだった。
「夕べからなんだか興奮していて。今朝熱を出してしまったの。ああ、心配しないで。あの子、昔から遠足の前とかにはかならず熱を出す癖があって」
そういえばそういう子っているよね、と思う。
「期待が大きいほど熱も高いみたいなの。薬を飲ませて、さっきようやく眠ったところ」
紗亜良は下唇を噛んだ。
そうか。これも不登校の原因なのかも、と紗亜良は思った。繊細な子なんだ。わたしなんかとは違って。
「すみません、わたし」
「あらあら、あなたのせいじゃないの。ほんとにいつものことで。紗亜良さんには感謝しているんですよ」
そう言って微笑む。その心遣いに紗亜良は泣きそうになった。
「ね、よければわたしと少しお話していっていただけないかしら。こんなオバサンとではお嫌かもしれないけど。そのうち柚香も目を覚ますと思うし」
「はい」
「良かった。ちょっと待っていて、アイスティーでいいかしら」
「はい。あの、おかまいなく」
柚香はぶしつけとは思いながら、なんとなく落ち着かない気分で居間を見回した。応接セットの置かれた部屋は二間続きらしく、引き戸の向こうにもう一部屋あるようだった。
アイスティーで喉を潤しながら、おしゃべりに花が咲く。優しくて、きれいなひとだな、と紗亜良は思った。なるほどあの双子の母親だけのことはある、と。
「そうだ、夏休みなんだけど、父の別荘にご招待したいの。いかがかしら」
「はい、喜んで。柚香さんからも誘われましたし」
「よかった。昔は親戚の子とか、柚香と柚司の友達を誘って、子供たちを大勢連れて行ったのだけど。もうそんなことはないとあきらめていたの。ほんと、あなたが来てくれるならわたしもうれしいわ」
「はあ」
何か引っかかる言い方だった。自分は大切な何かを見落としているのではないか? 紗亜良はそんな気がしてならなかった。
居間のドアが開いて、柚香が姿をあらわした。長い髪はくしゃくしゃになっており、眠そうに目をこすっていた。
「お母さん、おはよ」
「まあ、この子は寝ぼけて!」
そして立ち上がり、娘の額に手を当てる。
「熱は下がったみたいね。顔を洗って髪をとかして来なさい。紗亜良さんに笑われますよ」
「紗亜良?」
ぼんやりした目で部屋の中を見回す。ようやくソファに座っている紗亜良に気づいた。
「あ、紗亜良だ。どうしたの、そんなところで」
「いいから早く顔を洗って来なさい。紗亜良さんからアイスクリームを戴いたのよ」
「ほんと? ありがとう紗亜良」
「洗面所!」
「はあい」
ふらふらと廊下を歩いて行く。
「こら、そっちは玄関でしょ! ほんとにしようのない」
そう言いながら母親は部屋を出て行った。開け放たれたドアから、母親に腰を抱かれた柚香が有無を言わさずに連行されていく様子が見えた。
紗亜良は柚香の油断した顔を見られて、なんとなく得したような気分になっていた。
ややして紗亜良と母親が戻ってきた。アイスクリームの箱を母親が、スプーンの載ったトレイを柚香が持っていた。
(落としても被害が少ない方を持たせてる。まだ寝ぼけてるな、柚香は)
アイスクリームは一人分ずつのカップ入りだった。母親が箱から三つ出して、柚香がスプーンを四本、テーブルに置いた。
「ちょっと柚香、本数を間違えてるわよ」
母親が注意すると、
「いいの、これで」
柚香はそう言うと、スプーンを一本取り、さらに箱から四つ目のアイスクリームのカップを取り出した。
「柚香? 一つ多いわよ?」
不審そうな母親の声にも気づいていない様子で、柚香はカップとスプーンを持って隣の部屋への引き戸を開けた。
その部屋は畳み敷きの和室になっていた。奥には、まだ新しい立派な仏壇が据えてあった。柚香はカップとスプーンを仏壇の前に置いた。
「多くないよ。だって、」
正座して、手を合わせる。
「これはユウの分だもの」
仏壇には男の子の写真が飾られていた。柚香そっくりの顔だった。ついさっき、紗亜良が玄関で会った男の子と同じ顔だった。
チーン、チーン、と澄んだお鈴の音が部屋に響いた。
紗亜良は混乱した頭で道を歩いていた。
さっき柚香の家で起きたことが、まるで夢の中の出来事のように思い出される。
(落ち着け。落ち着きなさい紗亜良。あんたは現実主義者なんだからね)
必死で自分自身に言い聞かせる。
あの後、柚香は何事もなかったかのように居間に戻り、アイスを食べた。母親は気づかれないようにそっと涙を拭っているようだった。
紗亜良はといえば、内心の動揺を押し隠して、どうにか普通に振る舞うよう努力した。もっとも、それにどこまで成功していたか自信はなかった。意味不明の受け答えをしたような気もしていた。
当たり障りのない会話がしばらく続いた後、また熱が出て来たらしい柚香がうつらうつらしはじめたのを機に、紗亜良は帰ることにしたのだ。
自分がいつまで平静でいられるか自信がなかった。立て直すには時間が必要だと思ったのだ。
乃原家を後にした紗亜良は考え事をしながら、なかば無意識に歩いていた。周りの光景など目に入っていなかった。
生きている人間の写真を仏壇に飾ることは普通しない。ということは、あの写真の男の子は死んでいるということだ。でも、その男の子とはその直前にも会っている。その前にも何度も。
(双子の弟のユウ、て柚香は言っていた。そしてあの部屋も弟と一緒だって)
しかし、今になって気づく。あの部屋、姉のとは対照的に整理された棚、きちんと整えられたベッド。それはある意味、生活観がない、実際には使われていない家具とも見えた。
(柚香は弟がまるで生きているかのように話していた。そういえばあの子、魂の不滅、霊の存在とか言っていたっけ。ということはやっぱり)
紗亜良はある結論にたどり着いて、つぶやいた。
「幽霊・・・」
不思議と恐ろしい、という気はしなかった。
彼女が出会ったユウくんは、明るくて姉想いのいい子だった。たとえ幽霊であってもいい幽霊なのかも知れない。そうだ、そういえば、姉を頼む、ぼくじゃだめだから、と言っていなかったろうか。
(柚香を見守っている? 守護霊ということなの?)
(待って。待って待って待って。わたしは幽霊が存在すると思いはじめている。でもまさか、そんな)
(論理的に考えるの。もしかして双子じゃなくて三つ子だったか。それとも双子とは別に歳の近い弟がいるとか。うん、その可能性はあるかな。こんど澪に聞いてみよう)
(それに、今まで弟くんと会ったのはまだ明るいうちだったじゃないの。幽霊が出るのは夜なんじゃないかな・・・でも)
(そういえばいつも会うのは玄関の前だった。そしてすぐに姿を消してしまう。地縛霊、ということなのかも)
そんなことを考えながら歩いていた紗亜良は、突然の自動車のクラクションの音に我にかえった。目の前には横断歩道があり、信号は赤になっていた。
ドッドッドッ、と耳元で聞えているのは車のエンジンの音・・・ではなくて、自分の心臓の音だった。
「大丈夫かね、君」
隣に立っていた人が心配そうに声を掛けて来た。
「は、はい」
視線を声の方に向けて少し驚く。
背の高い、優しそうな白い髭のおじいさんだった。仕立ての良さそうなスーツを着ている。どことなく会社の社長(それとも会長)のように見えた。銀縁のめがねの奥の瞳はエメラルドグリーンに輝いていた。
(外国のひと・・・なのかな)
「ほんとうに大丈夫かね。顔色が悪いよ」
訛のないきれいな日本語だった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
おじいさんは気遣わしげに、
「もしよかったら送って差し上げますよ。お辛そうだ」
その視線の先をたどる。そこには一台の自動車が停まっていた。紗亜良も知っているイギリス製の超高級車だった。その横には制服姿の運転手の姿が見える。
「いえ、あの、けっこうですから」
後ずさりしながら答える。悪い人には見えなかった。けれど、あやしいと言えばあやしい気もする。警戒するに越したことはない。先日の学校通信にも不審者に注意、とあったのだし。
「あ、いや、わたしは怪しい者ではないのだが・・・」
誘拐犯と疑われたことに気づいたらしい。苦笑しながら、
「うむ、いやいや、これは軽率だった」
「すみません」
「いやいや、しっかりしたお嬢さんですな。差し出たことをしてしまいましたな。うむ。気をつけてお帰りなさい」
そして、いやはや、などとつぶやきながら車の方へ歩いて行く。運転手がすかさず後部座席のドアを開いた。
車が走り去ると、紗亜良は大きく息をついた。ぼうっとして自動車に轢かれたりしたら大変だ。けれど、びっくりしたおかげで現実に還ることが出来たらしい。
(幽霊だとしても)
と紗亜良は思った。
(そのことと、柚香と友達であることに変わりはないよ)
その夜、紗亜良は澪にSNSでメッセージを送った。
もちろん、幽霊にあった、なんてうかつなことは書けない。柚香の家で母親に会ったことを簡単に告げて、さりげなくこんな文章を加えた。
『柚香の弟さんの写真を見たけど、ほんとにそっくりなんだ。びっくりしたよ』
澪からの返信にはこんな一文があった。
『小さい頃はよく服を交換していたずらしていたの』
『双子だったんだよね。ほかにきょうだいはいないのかな』
『いないよ。すごく仲のいい双子だった』
紗亜良がどう返事を打とうか考えている時、澪からこんなメッセージが届いた。
『もうわかっていると思うけど、それが柚香の不登校の原因なの。ユウくんが亡くなったのは去年の秋だった』
続けてもう一つ。
『小等部の卒業式に柚香はユウくんの遺影を持って出たの。でも、あの子はユウくんの死をまだ完全に受け入れていないの。その現実を拒否するために閉じこもっているんだと思う』
『紗亜良はくわしい事情を知らないから、柚香にとって受け入れやすかったんじゃないかな』
『柚香をお願い。たぶん、あなただけが柚香の心の部屋に入る鍵を持っている』
『だからお願い』
紗亜良はため息をついてスマホを持ったままベッドに仰向けになった。
(かいかぶり過ぎだよ。わたしなんて、なんの取り得もないただの女の子なんだから)
(誰かに相談したいな)
(澪はだめ。幽霊なんて言ったら笑われるだけだし。それに柚香に近すぎる)
(あかりさん? 論外。あのひとには嫌われてるみたいだし)
よく考えるとクラスで紗亜良が親しい友達と呼べるのは澪と柚香くらいだったことに改めて気づく。
(これが授業に関することなら、担当の教科の先生に質問できるのに。幽霊の専門家なんて)
あ、と気づいてベッドから起き上がる。
(いるじゃない、専門家が)
(月曜日に聞いて見よう。ミドリ先生・・・魔女先生に)




