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15.追跡(チェイス)!


 紗亜良(さーら)は真っ先にショッピング・モールに向かった。楽しい思い出のある場所に行ったのではないか、と考えたのだ。


 ヘアサロン「スタジオ・イプシロン」に行ってみる。チーフは紗亜良(さーら)たちのことを覚えていてくれた。もし柚香(ゆずか)が来たら連絡してほしい、とお願いして、スマホの番号を教える。チーフは快く引き受けてくれた。


「なにがあったかは知らないけど。きっとすべてが済んだらあの子はここに来るわ。ええ、髪をカットするためにね」


 紗亜良(さーら)は、以前二人で回った店を順に覗いていった。もし、ここでないなら。後はどこを探せばいいのだろう。


 時間はすでに放課後になっていた。もう午後の授業もすべてが終わっている頃だった。


 けれど、どの店にも柚香(ゆずか)はいなかった。途方にくれてある店の前を通りすぎる。そこは入ったことのない店だった。ふと中を見ると、見覚えのある顔がそこにあった。


柚香(ゆずか)!」


 あわてて中に入る。そこは玩具屋だった。けれどプラモデルの棚の前で、飛行機の箱を手に取って見ていたのは柚香(ゆずか)ではなくユウだった。


「ああ、紗亜良(さーら)さん」


 にっこり笑って、


「珍しいね、こんなところで」


 紗亜良(さーら)は戸惑ってユウが手にしているプラモデルの箱を見た。そう言えば、柚香(ゆずか)とユウの部屋の棚にはプラモデルがいくつも飾ってあったのを思い出した。


 幽霊は生前の未練があるところに出るという話だったから、ここにユウがいても不思議ではないのかもしれない。けれど、柚香(ゆずか)が大変なときになんてのん気な、と思ったのも確かだった。


柚香(ゆずか)が行方不明なの」


 ユウはそう聞いてはっと身じろぎした。


「なにがあったの」


 かいつまんで説明すると、


「そうか。そんなことがあったのか」


 ユウは下唇を噛んだ。


「だからね、柚香(ゆずか)が今どこにいるか分からない?」

「うーん、分らないよ。家にはいないんだよねぇ?」

「もうっ、役立たず! 柚香(ゆずか)のところに飛んで行くとか、瞬間移動とかできないの?」


 幽霊のくせに。そう思ってなじってしまう。


「無茶言うなよ。でも、そうか。ユウには彼女がいたんだ。柚姉(ゆずねぇ)、ショックだったんだな」

「うん・・・あれ?」


 紗亜良(さーら)はユウの発言に違和感を感じていた。


柚姉(ゆずねぇ)はね、ユウのことを自分の分身みたいに思っていたんだ。ぼくはそんなことない、て知っていたんだけど。ユウはよく言っていたよ。双子だからって、いつも同じことを考えているわけじゃない、って」

「ちょっと待ってよ、あなたユウくんよね」

「え? うん、そうだよ」

「でも今“ユウ”って」

「ああ、そうか、ごめん、ややこしかったね」


 そういって苦笑する。


柚姉(ゆずねぇ)の双子の弟は柚司(ゆうじ)。ぼくは祐人(ゆうと)だよ」

「ゆうと・・・だって、自転車には“柚司(ゆうじ)”って書いてあったじゃない」

「え? ああ、それね。自転車はもともと柚司(ゆうじ)のだったからさ。形見分けにもらって欲しい、て叔母さんから」


 それじゃあ目の前にいる「祐人(ゆうと)」とは何者なのだろう。だが、少年は屈託なく、


()()()だからって紛らわしい名前だよね。たまたま同じ年の生まれで、おまけに顔もそっくりだからよく三つ子と間違われてたんだけどさ。家も近いし。名前も似てるし」

「従兄弟、なんだ」

「そうだよ。柚姉(ゆずねぇ)から聞いてるだろ?」


(聞いてない。聞いてないよ)


「ぼくの母は柚姉(ゆずねぇ)のお母さんの妹なんだ。ぼくらは小さい頃は毎日のように一緒に遊んだよ。年は同じなんだけど、ぼくも柚司(ゆうじ)につられて柚姉(ゆずねぇ)、て呼んでいたんだ。

 柚姉(ゆずねぇ)はぼくのことをユウくん、弟のことはユウ、って呼び捨てにしてた。だからぼくも柚司(ゆうじ)のことはユウ、って呼んでいたし、ユウはぼくのことをユウくん、って呼んでいたな。スポーツ好きだったけど、不器用な子でさ。よくプラモデルを作って上げたんだ」


 そして自分がプラモデルの箱を手に持ったままだということに気づいて、棚に戻した。


(幽霊じゃなかったのか)


 紗亜良(さーら)はこの大変な時ではあったが、一瞬呆然自失した。


「ん、待てよ、今頃そんなことを聞くってことは」


 祐人(ゆうと)はあきれて、


「まさか今までぼくのことをユウの幽霊だと思っていたんじゃないよね」

「えーと」

「そうか、そういうことか。どうりでおかしなことを言うと思った」

「ご、ごめんなさい、わたしてっきり」

「いや、そんなこと言ってる場合じゃないんだろ」


 祐人(ゆうと)は真剣な顔で、


「わかった。ぼくも心当たりを探してみるよ。見つけたら連絡するから、スマホの番号とメアドを教えて」


 祐人(ゆうと)と玩具屋の前で別れると、紗亜良(さーら)は次に公園に向かった。事故現場のそばのあの公園だった。


 だが、柚香(ゆずか)はいない。小学生の男の子が数人、公園の隅で携帯ゲームをしているだけだった。


 紗亜良(さーら)はベンチにかけるとSNSで(みお)に現状を報告した。(みお)によると、ミドリ先生も校外に探しに出たらしい。会社にいる柚香(ゆずか)の両親とも連絡を取って、警察に捜索願いを出すかどうか相談していたという。授業は自習になったそうだ。


 紗亜良(さーら)は途方に暮れてスマホを握り締めた。


(考えるんだ、柚香(ゆずか)ならどうするか。どこへ行こうと思うか)


 柚香(ゆずか)がショックを受けたのは、自らの分身とまで信じていた双子の弟に、自分の知らない過去、感情があると知ったからだ。そしてそのきっかけとなる出来事は、彼女がよく知る場所で起きたのだ。


(分岐点。それと知らずに通過してしまった場所)


 はっと気づき、紗亜良(さーら)は物凄い勢いで指を滑らせて文章を綴ると送信ボタンを押した。返事はすぐに来た。


 柚香(ゆずか)のお祖父さんの別荘の場所。


 紗亜良(さーら)は乗り換え案内のサイトで行き方を確認した。


「新幹線じゃないんだ。割と近いんだ?」


 そこへは紗亜良(さーら)が通学に使う駅から一度乗り換えるだけで行ける。料金も片道なら大した額ではなかった。


 スマホをポケットに戻してベンチを立ち、走り出す。


(あそこにいる。きっとそうだ。)


 背後からクラクションの音が聞えた。そして、あのイギリス製の超高級車が彼女を追い越して停まった。阿礼老人が珍しく自分でドアを開けて降りてくる。


「お嬢さん、またお会いしましたな」


 阿礼は硬い声でそう言った。その口調はこれまでとは違っていた。


柚香(ゆずか)をお探しですな」

「なぜ、それを」

「なに、そんなことはいいから。柚香(ゆずか)の行き先に心当たりはありませんかな?」

「ええと、」


 阿礼の様子に戸惑う。紗亜良(さーら)はちらりと視線を駅の方に向けた。阿礼老人はその表情だけで何かを察したらしい。紗亜良(さーら)の腕を掴んで、


「知っているのだね、柚香(ゆずか)が何処へ行ったのか」

「あ、あのう」

「ではそこに行きましょう。とにかく車に乗って。行き先は車の中で聞きましょう」

「でも、」

「いいから、さぁ、お乗りなさい! 早く!」


 紗亜良(さーら)の腕をやや乱暴に引っ張った。


「痛い、離して」

「さあ、乗って!」


 その時、グワン、というエンジンの音と、きききーっ、というタイヤの鳴る音が聞えた。そして、


「風見さん、こっちに!」


 それはミドリ先生の銀色のドイツ車だった。


 阿礼老人の車のすぐ隣に停車しており、開いた窓からはミドリ先生の顔が見えた。


「先生!」


 紗亜良(さーら)は呆気にとられている阿礼の隙を突いてその手から逃れると、銀色の自動車に向けて走った。


「待て、待ちなさい!」


 背後の阿礼の声を無視して、転びそうになりながら走り寄る。ミドリ先生が助手席側に身を乗り出し、ドアを開けた。


 ほとんど飛び込むようにして助手席に乗り込むと、紗亜良(さーら)はドアを閉めた。


「先生、」

「黙って。舌を噛むわよ」


 紗亜良(さーら)はとっさにシートベルトを締めた。前回の教訓を忘れていなかったのだ。


 急発進した銀色の自動車はすばらしい加速で走り出した。


「先生、いったいどうして」

「清水さんから連絡があったの」

(みお)から?」

「そう。あの子からはあなたたちのことを良く教えてもらっていたから」


 さすが“使い魔”の(みお)、ということね。紗亜良(さーら)はそう思った。


「なんでもお見通し、のカラクリはそれですね」

「なんのことかしら」


 この期に及んでまだとぼけているミドリ先生に、


「いいです、もう」


 そして、


「でも、どうして。どうして阿礼さんはわたしを」


 と再び聞く。


「ああ。あの人は私情に駆られているだけ。無理もないけれど」

「?」


 ミドリ先生は真剣な顔になって、


「それで、行く先は別荘でいいのよね?」


 どうやらゴールは決まっているらしい。(みお)からの連絡で知ったのだろう。


「はい」

「どうしてそこだと思うのかしら」

「それは、」


 説明しようとして思い留まる。


「・・・友達ですから、分かります」

「あら、教えてくれないの?」

「魔法の一種です。いいえ、テレパシー、ということにしておきます」

「あらあら」


 くすくす笑いながら、


「風見さんはエスパーなのね?」

「ご想像にお任せします」


 澄まして答える。


「魔女対エスパー? 安っぽいマンガみたいね」

「別に対立してませんけど?」

「そうね」


 ミドリ先生はチラリとバックミラーに目を遣った。


「魔法使い対美少女エスパー、かしら」


 振り向くと、イギリス製の超高級車が背後に迫っているのが見えた。


「阿礼先生ったら」


 ミドリ先生は不敵に笑った。


「わたしと()()()する気ね」

「あ、あの、先生?」


 不吉なものを感じて紗亜良(さーら)はおそるおそる、


「安全運転、ですよね?」

「もちろんよ」


 そしてぐいっ、とブレーキを踏み込む。銀色のドイツ車はがくん、とスピードを落とした。そしてアクセルをじわじわと踏み込み、加速しつつ鮮やかなコーナリングで交差点を駆け抜けた。


「せ、先生?」

「舌噛むわよ」


 何度目かの注意に、紗亜良(さーら)は首をすくめた。車は急減速と急加速を繰り返して街中を疾駆していた。阿礼のイギリス車との間がどんどん開いていく。


 やがて、紗亜良(さーら)たちを乗せたドイツ車は高速道路に入った。それほど混んではいない。そこからは一定の速さで、安定した走行になった。


 ようやく一息ついた紗亜良(さーら)は、


「先生、無謀運転はやめてください」

「あら失礼ね。きちんと法定速度は守っていたわよ」

「あれで!?」


 どう考えても速度違反をしているとしか思えないのに。


「そうよ。ただ、この車はね、エンジンレスポンスとブレーキがいいの」

「?」

「つまり、加速がいいから一瞬で上限速度に達して、曲がるときも急減速が可能なの。メリハリのある運転ができるというわけ」


 なんとなく騙されているような気がしたけれど、もっともらしい説明に納得するしかなかった。


 と、


「あら、しつこい」


 ミドリ先生のつぶやきに、はっとして後ろを見る。

 阿礼老人のイギリス車が物凄い勢いで迫ってきていた。


「ごらんなさい風見さん」


 ミドリ先生はしたり顔で、


「無謀運転というのはああいうのを言うの」


 後ろから追い上げてきたイギリス車は、紗亜良(さーら)たちのドイツ車に並んだ。そしてそのまま速度を緩めることなく抜き去って行く。明らかに速度違反だった。後部座席の阿礼の得意気な顔が見えた。


「どうして」


 そうつぶやく紗亜良(さーら)に、


「高速に乗った時点で私たちの行き先に気づいたのね」


 ミドリ先生は思案顔で、


「まずいな。先に乃原さんに接触されるのは」

「抜き返せないんですか」


 そう聞くと、


「言ったでしょ。わたしは安全運転なの。大事な生徒を乗せているんですもの」

「はあ」


 釈然としないものを感じた紗亜良(さーら)だったが、


「あの、先生」

「なあに風見さん」


 まるで教室にいるかのようにミドリ先生は答えた。


「どうして阿礼さんはあれほど柚香(ゆずか)に執着するのですか。それに、どうして先に接触されるとまずいんですか」


 ミドリ先生は何かを考えているのか、しばらく黙っていた。ややして、


「今はまだ話さない方がいいと思うの。ただ、そうね」


 ちらと助手席の紗亜良(さーら)を見て、


「あなたでなければ乃原さんは救えない。そう思うからよ」


 秘密めかした答えだったが、紗亜良(さーら)はそれ以上は訊かなかった。自分でなければならない、ということについては異存がなかったからだ。


(だって友達だもの)


 車は順調に進んでいた。


 ミドリ先生の流儀だと、高速道路を走っている限りは定速走行に徹するらしい。

 ややして、


()()()()()だわ」


 とミドリ先生はつぶやいた。道路脇に設置されていたレーダー探知機に気づいたのだ。


「ネズミ? 何のことですか」


 ミドリ先生の顔にやや意地の悪い笑みが浮かぶ。


「風見さん、覚えておくといいわ。ルールを守るってとっても大切なことなの」

「?」


 その答えはすぐに分かった。


 少し行くと、前方に何台かの車が停まっているのが見えた。一台はイギリス製の超高級車。そして数台のパトカー。スピード違反の取締り(ネズミ捕り)に引っかかったのだ。


「あっ」


 追い越しざまに見ると、後部座席で腕を組んで憮然として座っている阿礼老人と、車を降りて警察官に頭を下げている運転手の姿が見えた。


「ね?」


 そう言って笑うミドリ先生の笑みは魔女どころか、どこか悪魔的だった。



 銀色のドイツ車は静かに別荘地の駐車場に停まった。


 ミドリ先生がエンジンを止めると、とたんに静寂が訪れた。それは単にエンジンの音がしなくなったからではなかった。夏の休暇シーズンにはまだ少し早い。駐車場には他に車はなく、別荘地全体が静まりかえっていた。


 紗亜良(さーら)は車を降りるとあたりを見回した。


 木立の向こうで湖の暗い水面が目に入る。山々に囲まれたこの土地は、日が翳るのが早い。すでに太陽は西の山の頂に掛かっていた。


 (みお)からの情報によると柚香(ゆずか)の(祖父の)別荘はこのすぐ近くのはずだった。


 そちらの方向に行こうと一歩を踏み出しかけ、紗亜良(さーら)は立ち止まった。


「風見さん、別荘はあっちよ」


 けれど、紗亜良(さーら)の耳にはミドリ先生の声は聞えていなかった。


「風見さん? そっちは湖よ?」


 紗亜良(さーら)は足早に駐車場を横切って、木立の間を進んだ。木々の間から湖が見える。


 湖畔に出た。そこには一本の桟橋があった。


 その桟橋の先に人影が見えた。そのシルエットは小柄な少女のそれだった。


 紗亜良(さーら)は歩調を緩め、ゆっくりと歩いた。桟橋に足が掛かる。古い木製の桟橋は、ぎっ、という微かな音を立てた。


 そのまま一歩ずつ進む。


 ぎっ、ぎっ、ぎっ。


 桟橋の突端に立つ少女にもその音は聞えているはずだった。


 紗亜良(さーら)はそのすぐ後ろで立ち止まった。


 水面を見つめているらしいその少女は振り返りもせずに言った。


「わたしは、なんでもユウと一緒だと思っていた。眠るのも、起きるのも、お風呂も、食事も一緒。同じテレビを見て、同じゲームをして、同じものを見て、同じことを考える。そう思っていた」


 紗亜良(さーら)は黙ったまま聞いていた。


「ユウはね、わたしにとってただの仲の良い双子の弟じゃなかった。あの子はわたしだった。ユウがわたしで、わたしがユウでも不思議じゃないと思っていた。だから小さい頃はよく服を取り替えていたわ。周りのひとは誰も――お母さん以外は――気づかなかった」


 柚香(ゆずか)は静かに続けた。


「わたしたちは、ひとつの魂がふたつの体を持っているのだと思っていた。わたしたちはもともと一人の人間で、ただ男の子のからだと女の子のからだのふたつを持っているのだと。だから男の子の体が死んでしまっても、その魂はわたしと共にあるんだ、て。でも」


 ふるふると頭を振る。


「そうじゃなかった」


 苦い、言葉。


「ユウはあかりと好き合っていた。キスまでしてた。でも、わたしはそのことに全然気づいていなかった。わたしとユウは別の人間だった」


 紗亜良(さーら)柚香(ゆずか)の告白を聞くことしか出来なかった。かけるべき言葉、答えるべき言葉が見つからなかった。


「そのことに、やっと気づいた。やっと理解したの。ユウが死んだ、ってことに」


 柚香(ゆずか)は振り返った。


 その頬には涙の乾いた痕があった。


「この湖で、ユウはあかりに告白されて、そしてキスをした。ここで、この湖のほとりで」


 噛み締めるようにつぶやく。


 そうだ。ここに来る事で、柚香(ゆずか)は実感したかったのだ。頭では分かっていても、心は納得しない。だから同じ場所に身を置きたかったのだ。同じ大気の中で、そのことを体で理解するために。


 柚香(ゆずか)はいま初めて会う人のように、不思議そうに紗亜良(さーら)を見ていた。


紗亜良(さーら)。どうしてここにいるって分かったの」


 そう聞かれて、ようやく紗亜良(さーら)は答えるべき言葉を見出した。だから答えた。ただ一言。


「友達だもの」


 柚香(ゆずか)は微笑んだ。それは自らが愛されていることを知る、満ち足りた笑みだった。


 薄暮の中で、その笑みは輝いて見えた。柔らかな風が湖面を渡り、長い髪を揺らす。岸と湖水の中間とも言える小さな古い桟橋の上で、少女は友の手を取り言った。


「ありがとう。来てくれて」


 そして、


「ごめんね、さっきは突きとばしたりして」


 と。



 駐車場ではミドリ先生が愛車に寄りかかってその光景を木立越しに見ていた。何を話しているのかはわからなかったが、そんなことは問題ではなかった。


「どうやらこれで良かったみたいね」


 ぽつりとつぶやく。


「ちっとも良くはないわい」


 そう答えたのは阿礼だった。


 ミドリ先生のドイツ車の隣には、阿礼のイギリス車が停まっていた。阿礼も車のボディに寄りかかって桟橋の二人を見ていた。


()の危機に駆けつけてみれば、いつの間にか解決しているようではないか」

「ご不満ですか、阿礼先生?」

「大いにね。かわいい孫娘を自分の手で救いたかった」


 ミドリ先生は諭すように、


「あの子を見つけるのは友達である風見さんでなければならなかったのです。おわかりでしょう、先生」

「ふん。身内では本当に救えぬ、ということかね。他者との関りを学んで欲しかったと」

「そうです。祖父である阿礼先生が救ったのでは、あの子はまた家庭という逃げ場所にひきこもってしまう。それではあの子のためになりません」

「ふん。そしてあの紗亜良(さーら)という子のためにも、かね」

「気づいておられたのですか」

「むろん。あの子も難しそうな子だからな」

「学校は学問するだけの場所ではありませんから」

「ふむ。教師のようなことを言いよる」

「教師です! それに、これは阿礼先生から教わったことです。人の心を、よき方向へと導くよう、手助けをすること。それこそが魔法なのだ、と」

「まあな。魔法とは別段、超自然の力などではない。それは人の心を理解し、共感し、あるべき方向へと導く力だ。君を英国魔術結社に紹介したのは正解だったようだね」

「魔術だなんて。ハッタリじゃないですか。心理カウンセリングのボランティアサークルでしょう」


 阿礼は肩をすくめて、


「数百年前から実践している。当時はまさしく魔法と考えられていたものだよ」

「英国人のユーモアのセンスは独特ですね」

「まあいい。ここはミドリくんと子供たちにまかせておくべきかね。ジジイの領分ではないようだ」

「ご賢察、感謝いたします」

「ふん。老兵は死なず、ただ消え行くのみ、だよ」


 けれど、そのエメラルドの瞳は優しい光を湛えていた。阿礼は目を細めて桟橋の少女たちを見つめ、そして嘆息と共につぶやいた。


幼き子らに幸いあれ(ブレスアーチルドレン)


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