14.柚香のマインドエスケープ
午後の授業がはじまって少ししてから、紗亜良は一人で教室に戻った。
「どうしました風見さん」
中年の数学教師はやや厳しい目を紗亜良に向けた。
「すみません。乃原さんが気分が悪いと言うので、保健室に」
「そうですか。では席につきなさい」
クラスメートたちの心配そうな顔に、紗亜良は笑って見せた。大したことないから、という表情。大半の生徒はその笑みを見て安心したらしい。
けれど、澪は硬い表情のまま紗亜良と、そしてあかりを見ていた。あかりは青ざめた顔でうつむいていた。
結局、柚香は午後の授業はすべて欠席した。
放課後、紗亜良と澪、あかりの三人は保健室に行った。
だが、
「帰った?」
「ええ。もう気分はいいから、って。ついさっきよ」
養護教諭にそう告げられて、三人は教室にとんぼ帰りした。けれど、
「乃原さんならさっき出ていったよ」
クラスメートにもそう告げられる。
確かに柚香の机からはカバンが無くなっていた。
三人は昇降口に急いだが、下駄箱には上靴のみがあった。
走って追おうとする澪の手を、紗亜良はしっかりとつかんで引き止めた。
「離して、今からなら」
「澪。だめ」
「まだ追いつける。だから、」
「わたしたちと顔を合わせたくないから先に行ったの。そうでしょう?」
そう言われて、澪はきっと紗亜良を睨んだ。が、
「そうだね・・・きっと」
小さくつぶやいた。紗亜良はことさら明るく言った。
「わたしたちも帰ろうか」
三人は並んで校門を出た。
誰も口を開かない。紗亜良はまっすぐに前を見て、澪はややうつむき加減で、そしてあかりは下を向いたまま歩いていた。
しばらく無言で歩く。やがてあかりはぽつりとつぶやいた。
「わたしのせいだ」
「違う。わたしも止めなかった」
紗亜良がそう言うと、澪はあかりに喰ってかかった。
「あんた、なんだってあんなことを! 」
「わたし、わたしはただ、」
紗亜良は二人の間に割って入った。
「やめて。ぬるい友達ごっこはだめだ、て言ったのはわたしなの」
「紗亜良? なんでそんなことを」
「柚香はユウくんの、弟の幻に取り付かれているの。だから」
「幻? なにを言ってるの」
「あの子は立ち直ってなんかいなかったの。だから」
紗亜良はそう言ってクラスメート二人の顔を見た。澪は怒りのために真っ赤になった顔を背けた。あかりは青い顔でうつむいている。
「今日はそっとしておいてあげましょう」
紗亜良の言葉に、澪はしかたなさそうに、あかりは心細げにうなずいていた。
その夜、紗亜良は柚香にメールした。『だいじょうぶ? げんき?』と、ただそれだけ。
けれど、返信はなかった。
翌朝、柚香は学校に来なかった。モーニングコールも無かった。
またひきこもるようになってしまったのか、と紗亜良はいくぶんは落胆していた。けれど、今までがうまく行きすぎていたのだ、と思い直す。また最初から始めればいい。放課後に会いに行こう、紗亜良はそう思っていた。
けれどお昼の休み時間に、日直の仕事で職員室に行っていたあかりが、
「ちょっと」
と、紗亜良と澪に声をかけた。
「なにか用?」
昨日の一件以来、澪はあかりに対して厳しい態度で接していた。けれど、あかりはそんなことには構わずに小さな声で告げた。
「柚香がいないの」
「知ってる。お休みでしょ」
澪はバカにしたように、「朝からいなかったじゃない」と続ける。けれど紗亜良は、あかりの言葉に込められた切迫するような響きに気づいていた。
「いないって、どうゆうこと」
「だから、いないの」
あかりはもどかしげに、
「ミドリ先生が心配して、さっき柚香のおうちに電話したんだって。そしたら、今朝はいつも通りに家を出たって」
「なんですって」
澪はあかりの肩を掴んで、
「どういうこと、それ」
「痛い、痛いよ、澪」
紗亜良は澪の手を押さえて、
「落ち着いて澪。あかりの話を聞きましょう」
澪の手から逃れたあかりは、呼吸を整えると、
「柚香のお母さんの話だと、いつも通りの時間に家を出たって。別に変わった様子もなく、普段通りだった、って」
紗亜良はそう聞くと考え込んだ。変わった様子がなかった、ということは柚香には内心のショックを気取らせない自制心があったということだ。その意味では軽はずみな事はしないだろう。では柚香は何処へ?
「あんたのせいだよ、あかり」
澪は辛らつなことばを投げつけた。
「あんたが昨日、あんなこと言うから」
「やめて、澪」
紗亜良は強い口調で遮った。
「あかりの言葉はきっかけに過ぎないの。弟くんのことには、いずれ柚香は向き合わなければならなかった」
けれど、納得の行かない表情で澪はあかりを見た。あかりは目を伏せて、その視線を避けた。
「あかりも気に病む必要はないと思う。親友のあなたの言葉だから、柚香は聞かざる得なかった。そう、弱い毒は薬にもなる。そうでしょう澪。あなたがわたしのことを毒薬と言ったみたいに」
「言ったのはミドリ先生。そうか、こういうことだったんだ、ミドリ先生の錬金術、って」
「たぶんね。でも、これほどの激烈な反応は想定していなかったと思う」
澪は唇を歪めて、
「なにが魔女よ」
そしてあかりの目を見ずに、
「ごめんなさい、あかり。でも少し待って。まだわたしの心は納得していないから」
「うん」
あかりは気丈にうなずいた。
とりあえずこの場は収まったらしい。紗亜良はそう判断すると、
「わたし、行くから」
と宣言する。
「行くってどこに」
澪の問いに、
「柚香を探しに」
「心当たりがあるの?」
そう訊ねるあかりに、
「たぶん。でもわからない」
「わたしも行くわ」
そう言う澪に、
「いいえ、澪とあかりは学校にいて。何か分かったら連絡ちょうだい」
そして紗亜良はカバンからスマホを取り出し、スカートのポケットにすべりこませる。
教室を出て行こうした紗亜良は、澪に呼び止められた。
「ねぇ憶えてる、紗亜良」
「なにを」
澪は皮肉な口調で、
「わたし、前に言ったことあるよね。ミドリ先生の目論見通りに行くとは思えない、って」
「そんなことも話したっけ」
「うん。話した」
そして吐き捨てるように、
「その通りになったよね」




