13.湖畔の告白
翌日も柚香は時間通りに登校した。
ユウが迎えに来て、正門までカバンを持ってくれたのだと言う。
けれど、
「断わったの」
「断わった?」
「うん。明日からはもういいって」
「へぇ」
どういうことだろう、と紗亜良は柚香の顔をのぞきこんだ。
「あのね、自分のことは自分で、って思ったから」
「そっかー。えらい、えらいぞ柚香」
「でも、そうしたらね、ユウくんなんだか悲しそうにしてた」
「あー」
「それで、『しょせんぼくは幽霊さ』とか言っていじけてた」
「そう・・・」
気の毒に、と紗亜良はユウ(どちらの『ユウ』のことなのか分からなかったが)に同情した。幻の存在とは言え、お前はもういらない、と言われたようなものなのだから。
(これを機会に成仏できればいいのに)
と、紗亜良は、柚香とユウ自身のためにそんなことを思った。
柚香が学校に通うようになったあの日から、紗亜良の学校生活は大きく変わった。
休み時間には、当然のように柚香とおしゃべりをする。そこに澪とあかりも加わり、早くも新しい仲良しグループが形成されていた。
当初、紗亜良はあかりを意識して緊張していたけれど、話してみると一途な性格ゆえにきついところもあるのだ、と理解するようになった。それはあかりも同じらしい。あの渡り廊下の一件でお互い思っていたことを吐き出したことが良かったのかもしれない。
そして、あかりの友達も自然と集まるようになり、紗亜良はこれまで話したことのないクラスメートたちとも自然に付き合うようになっていた。
昼休み、紗亜良と柚香、澪、そしてあかりの四人は机を田の字にくっつけて一緒にお弁当を食べるのが新たな習慣となったのだ。
この日の話題の中心はいよいよ近づいてきた夏休みについてだった。
「みんなで行きましょうよ、お祖父ちゃんの別荘に」
そういう柚香に、
「うれしいけど、いいの? あんまり大勢で押しかけちゃご迷惑じゃない?」
分別顔であかりが言うと、
「なーに大人ぶってるの。前に行ったときには大はしゃぎしてたくせにさ」
と、澪が指摘する。
「あ、あの時は小学生でまだ子供だったからだよ」
「へー、じゃあ今は大人なんだ?」
「あたりまえでしょ。中学生なんだから」
「その程度の胸でよく大人とか言えるね」
「て、触るなぁ!」
主に澪とあかりが騒ぐ中、紗亜良は柚香に、
「その別荘ってどこにあるの?」
「ああ。K・・・湖のほとり」
「どこ、そこ? 遠いの?」
「えーと、車だと一時間くらい、かな」
「お祖父さんの別荘なんだよね?」
「うん」
「じゃあお祖父さんもそこに?」
「ううん、いくつも別荘を持ってるから。あの別荘はいつでも自由に使っていい、て言われてるの。今回はお母さんが一緒に行ってくれるって」
澪が会話に割り込んで来た。
「ねーねー、今回も車で行くの?」
「うん。お父さんがミニバンのレンタカー借りるって。それで送り迎えだけ運転手をやってくれるって」
「おじさんは泊まらないの?」
紗亜良がそう聞くと、
「うん。仕事もあるし。それに」
「それに?」
「お父さん、大勢の女の子は苦手なんだって」
そう聞いて、少女たちはきゃーっ、と嬌声を上げた。
「おじさまってシャイなんだ」
澪が言うと、あかりは、
「あなたたちがうるさくするからでしょ」
「あなたたち、だって。まーた大人ぶる。自分が一番騒ぐくせに」
「そんなことしないったら」
「ふーんだ、あかりはちゃんとビニール袋持って行きなさいよね」
言われたあかりの顔がさっと赤くなった。
「なに、ビニール袋って」
紗亜良の問いに、澪は意地の悪い笑みをうかべて、
「あかりお嬢ちゃんはすぐ乗り物に酔うのよねー」
「うるさいな、もう大丈夫だったら」
「そうだ、知ってるー、乗り物酔いって、三半規管が未熟な子供に多いんだって」
「だからもう酔わないったら」
友人たちがはしゃいでいるのを、柚香はうれしそうに見ている。そんな柚香を見て、紗亜良もうれしかった。
「そーだ、前の時さ、あかりは夜中にどこに行ってたの?」
澪にそう聞かれたあかりは、なにか思い当たることがあったらしい。はっとした表情を見せた。
「べ、べつに」
「あやしいなあ。夜中に部屋を出て行ったから、てっきりトイレだと思ってわたしも起きてトイレにいったの。でもあかりは居なくてさ」
「ちょっと夜風にあたっていただけだよ。暑かったから」
「確かに暑かったよね。あの夜は避暑地には珍しいくらい。でも、部屋はエアコンで快適だったじゃない。外の方が暑かったはずだよ?」
「なあに、あかり、真夜中の冒険?」
柚香がおもしろそうに口を挟んだ。
あかりはぐっと詰まった。そしてちらりと柚香の顔を見て、次に紗亜良の顔を見た。
その表情にはある決意があった。
(あかり、もしかして、それはあのことなの?)
紗亜良は緊張してあかりと、そして柚香の顔を見た。
「あの夜はね」
あかりは静かに口を開いた。
「人と会っていたの。昼間に会う約束をして」
「へえ、誰と」
軽い口調で聞く澪。あかりは小さな声で、しかしはっきりと言った。
「柚司くん」
澪の顔にしまった、という色が浮かぶ。とっさに柚香の顔を見た。柚香は首を傾げ、微かに眉間にしわを寄せていた。
「夏休み前、わたし柚司くんに告白したの」
「あかり、その話は」
止めようとする澪を、紗亜良はその手を掴んで制した。澪は信じられない、という顔で紗亜良を見た。
「憶えてる、柚香? あなたも居たよね」
「ええ。憶えてる。でも、あの時・・・」
「そう、あの時は柚司くんから返事をもらえなかった。でもね、その後、別荘に行った時、もう一度告白したの。柚司くんを呼び出して」
柚香はじっとあかりを見つめていた。その顔に浮かんでいる表情は何だろう。驚愕? 呆然? それとも?
「それで?」
柚香の問いは、ほとんどささやき声のようだった。
「柚司くん、OKしてくれたの。それに、あの時わたしたちキスもしたの」
澪は目を丸くして、何も言えずにあかりと柚香を交互に見ていた。紗亜良もキスのことは初耳だった。
「ユウはそんな話、わたしにしなかった」
柚香は小さな声でつぶやいた。
そして、そう言ったきり柚香は口を閉じた。そして食べかけのお弁当をそのままに、ふらりと立ち上がり、教室の外に出て行く。紗亜良は何も言わずに後を追った。背後で澪の押し殺した声が聞えた。
「あかり! あんたなんてことを!」
柚香の後を追うのは簡単だった。
それはただゆっくりと歩いているだけだったからで、紗亜良は柚香の三歩ほど後を黙ってついていった。
やがて、柚香はある場所で立ち止まった。
そこは廊下の一番端で、その先は壁しかなかった。
壁の前に立つ柚香は、こつん、と頭を壁にぶつけて、そのままの姿勢でうつむいていた。
紗亜良は声をかけるべきか迷ったけれど、結局なにも言わずにそのまま柚香の後ろに立ち続けた。
何人かの生徒が、奇異の目で二人を見ながら通りすぎて行く。けれど、何かを感じるのか、声を掛ける者はいなかった。
やがて、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。それでも柚香は動かなかった。紗亜良は黙ったまま柚香の手を取った。ひっぱると、そのままついて来る。柚香も何もいわなかった。二人は手をつないで教室に戻った。
ミドリ先生が教卓の後ろに立っていた。
「遅刻だぞ、仲良しさんたち」
だが、二人の様子に常ならぬものを感じたらしい。口調を改めて、
「二人とも席につきなさい」
と命じる。
二人の席は元の位置に戻されていた。食べかけのお弁当もきちんと片付けてある。澪とあかりだろう、と思って、紗亜良は二人を見た。
澪はふてくされたように頬杖をついてそっぽを向いている。あかりは目が合うと、かすかにうなずいた。
「早く座りなさい」
もういちどミドリ先生に促されて、二人は自分の席に着いた。紗亜良は教科書やノートを机の上にひろげたが、柚香はただ席につくと、うつむいて机の表面をじっと見ていた。
そんな調子で授業を終えると、紗亜良は柚香の席に飛んでいって、まるで人形のようになってしまった柚香のすぐ横に立った。
ややして、柚香はゆっくりと紗亜良を見上げた。その瞳にはいっさいの感情がないように見えた。そしてのろのろと視線を落とす。紗亜良になどなんの興味もない、という態度だった。
それでも席の横に立ち続ける紗亜良。すると突然、柚香は机を平手でばんっ、と叩くと立ち上がった。そして思いっきり紗亜良を突き飛ばす。不意を突かれた紗亜良は、そのまま近くの机や椅子を巻き込んで、派手な音を立てて床に倒れた。幾人かの生徒たちが小さく悲鳴を上げる。
柚香はそのまま教室を飛び出して行った。紗亜良は、少し遅れて立ち上がった。
「紗亜良、ちょっと、大丈夫?」
澪が紗亜良の元に駆け寄る。
「へいき。お尻を打っただけ」
そして立ち上がり、柚香を追って廊下に出た。けれど、いったいどこに行ったのか、柚香の姿は見えなかった。
「どっち?」
紗亜良がそう叫ぶと、近くにいた生徒が、
「トイレに」
と指差す。
「ありがとう!」
そう叫んでトイレに駆け込む。
そこに柚香はいた。
洗面台の前に立って、鏡に写った自分の姿を見ていた。
「柚香」
声をかける。
「柚香」
もう一度。
トイレを使っている人は何人かいたけれど、紗亜良と柚香の様子に何事か察したのか、用を足すとそそくさと出て行ってしまう。
他の人が居なくなると、柚香は鏡の方を向いたまま、紗亜良の名を呼んだ。
「紗亜良」
「なに」
「いないの」
紗亜良は軽く首をかしげた。
「いない?」
「いないの。いつもいたのに。鏡を覗くとたいてい会えたのに。今はわたし一人だけ」
表情のない、青ざめた顔で続ける。
「おかしいな。わたしたちいつも一緒のはずなのに。いないなんて」
紗亜良は恐る恐る訊いた。答えはわかっていた。
「誰が、いないの」
柚香はゆっくりと首を横に向け、紗亜良を見た。
「ユウがいない。ユウがいないの」
そしてガタガタと震えだし、叫んだ。
「ユウがいない! いなくなっちゃった! いなくなっちゃったよう」
膝が折れ、崩れ落ちそうになる柚香。紗亜良は素早く駆け寄って、その体を抱きとめた。
「どうしよう、ユウがいない、いないのよう。わたし、わたし」
何も言えずに紗亜良は強く柚香を抱きしめた。
「ユウがいないよう、ユウが、ユウが。わたし、わたし、ひとりになっちゃったよう」
紗亜良は柚香の耳元でささやいた。
「ひとりじゃないよ。わたしがいる。澪だって、あかりだって」
「ユウ、ユウ、ユウが、いないよう」
けれど、柚香は紗亜良の腕の中で泣きじゃくり、「ユウ、ユウ、」と弟の名を呼び続けていた。




