12.歓喜の教室
『あー、ミドリ先生の車に乗ったんだ。それは災難だったね』
夜、今日の顛末をスマホで澪に報告する。
「知ってるの、先生の車のこと」
『有名だよ。ミドリ先生の伝説のひとつ。先生の車はパトカーよりも早いって』
「確かにそんな感じだったよ」
それにしてもどういう教師なんだろう、と思う。まあ魔女だと思えば不思議もないのかもしれないけれど。
『そんなことより、どうだったの、デート』
「それなんだけど」
今日一日のことを改めて説明する。
思い切ってユウくんに出会ったことも話して見た。
『ユウ? ユウくん?』
「そう。うちの男子部の制服着てた」
『ああ。ユウくん。そうか、あの子も心配で出て来たの』
当たり前のように受け止めた澪に、紗亜良は意外の念を持った。
(なんだなんだ、澪って意外と神秘主義者なの? 幽霊が出たって言っているのに、当たり前みたいにしてる)
『なるほどね。一族郎党が心配して出てきちゃった、てワケか』
嘆息しつつ、澪はぽつりとつぶやいた。
『幸せ者ね、ある意味』
「柚香のこと?」
『もちろん。皆が心配して動いてくれている。すこし妬けるかな』
「そう、だね」
『紗亜良もお疲れ様。なんだか大変だね』
「うん。今日一日でいろんなことがあった気がする。それに、やっぱり柚香にはまだ時間が必要なんだと思う」
『ふーん、それが紗亜良のお見立て?』
「違う?」
『わたしは、もう柚香は変わっている、少なくとも変わろうとしている、と思ったけど』
「そうかな」
『そうだよ。弟の服を着ることで自分を勇気づけて外に出たんだ。そうまでして紗亜良と一緒にいたかったんじゃない』
「そうかなあ」
『だから大丈夫だよ。あの子はきっと』
「うーん」
そして澪は冗談めかした声色で、
『それより、わたしは紗亜良の方が心配だよ』
「どうして」
『だってー、今日一日でいったい何人とデートしたの? 四人? しかも老若男女そろってるし』
「ちょっと、誤解を招くような言い方しないでよ」
『だってそうじゃない。もうっ、紗亜良さんったらモテモテなんだからっ』
「違うって言ってるのに」
紗亜良の抗議に、澪はくすくす笑いを返した。
翌日の月曜、登校した紗亜良は教室がやけにざわざわしていることに気づいた。
なんだろう、と思いながら席に着く。すぐさま澪がやってきて、
「ちょっと、あなたどんな魔法をつかったの?」
「なに、魔法って」
「また知らばっくれて。水臭いじゃない、昨日の今日なんて」
「何を言ってるの」
「あれよ」
と指差す。
一番前の席、いつもは空席になっているそこに一人の生徒が座っていた。長い髪を左右二房に分けてゆるく結っていた。あかりの髪形に似てるな、と思ったのは一瞬だった。その生徒は振り返り、紗亜良を見てにっこり笑った。
「見かけない子ね。誰だっけ・・・ええっ!」
それは柚香だった。
初めて見た制服姿と髪型に気づかなかったのだ。
紗亜良は席を立って、柚香の元に駆け寄った。
「柚香!」
「おはよう、紗亜良」
「どどど、どうして」
「うん、なんかね、今朝は目が覚めたの」
「は?」
とっさに意味が分からずに聞き返す。
「目が、覚めたですか」
「うん。いつもは夜眠れなくて朝寝るんだけど。昨日はね、なんか夜ぐっすり眠れて。そしたら朝、学校に行く時間に目が覚めたの」
「だって、今朝のモーニングコールの時は、そんなこと一言も」
「うん。びっくりさせようと思って」
そしてやや人の悪い笑顔で、「どう、びっくりした?」などと言う。紗亜良は素直に驚いた、と答えた。柚香は満足そうに笑い、Vサインをして見せた。
確かに昨日は久しぶりの外出で疲れていたはずだ。夜よく眠れたというのも想像はつく。でもそんな理由で? いや、しかし、気まぐれなところは柚香らしいといえばらしいのかも知れない。
「それにね、朝、ユウくんが迎えに来てくれて」
「えっ」
幽霊のお迎えって、それは不吉なのでは。
「ああ、毎朝迎えに来るの、あの子。だけどいつもはわたしが起きられないから。今日は一緒に行く、て言ったら驚いてた」
「そ、そうなの」
「うん。正門までカバンを持ってくれたよ。男の子って力あるよね」
いろいろな意味でショックを受けた紗亜良は軽いめまいを覚えた。
と、その背後から一人の生徒が声を掛けてきた。
「柚香」
「あかり、おはよう」
「おはよう」
あかりは目を潤ませていた。けれど、つとめて平静に、
「よかった。また今日から一緒だね」
「うん。でも授業とかわかるかな。わたし一学期ほとんど休んじゃったね」
「そんなもの、ノートだってなんだって貸したげるよ」
「ありがと、あかり」
「うん、うん」
そして紗亜良に向かって、
「昨日はありがとう。また行こうね、デート」
あかりはその言葉に反応して、
「デート、風見さんと?」
「うん。そうだ、こんどあかりも一緒に行こうよ。昔みたいに、みんなで」
「う、うん、そうだねみんなで行こう」
その発言がきっかけになったらしい。いままで控えていたクラスメートたちが次々に柚香の元に集まって来た。
「柚香、元気になったんだ」
「ねえ、今日お弁当は? 一緒しようよ」
「あ、ずるいよ、抜け駆けは」
「だからみんなで」
「それよりかわたしのノートも見せてあげるよ」
突然の展開についていけない紗亜良はしばらく口をぱくぱくさせていたが、はっと気を取り直して、
「柚香、あのさ、あの昨日、」
「はあい、みんな、席に着きなさい。チャイムはとっくに鳴っているのよ」
いつの間にかやって来ていたミドリ先生が、ぱんぱん、と手を叩いて着席をうながす。生徒たちはあわてて自分の席に戻って行く。
机や椅子のガタガタという音がおさまると、ミドリ先生は型通りに、
「日直、号令」
「きりーつ」
再び立ち上がる生徒たち。
「れいっ」
いっせいにお辞儀する。
「ちゃくせきっ」
皆が席に着くと、ミドリ先生は教室を見渡して、
「夏休みが近いからと言って浮かれないようにね。本学の生徒として自覚を持った行動を取るように。夏は何かと誘惑が多い季節だけど、食べものにつられて、知らない人について行ってはいけません」
「そんなひといないよー」
「小学生じゃないんだからー」
生徒たちの茶々に教室がどっと沸く。むろん紗亜良は半ばひきつった笑みを浮かべていた。
(わたしのことかよ)
ミドリ先生はそんな紗亜良を見てくすり、と笑うと、
「それと、見ての通り今日から乃原さんが復学しました。乃原さん、無理はしなくていいからね。すぐ夏休みだし。授業の遅れはすぐ取り戻せるから」
「はい」
「乃原さんはまだ体調が万全ではないで、みんなも助けてあげてね。はい、ホームルーム終了。日直?」
そしてまた、「起立、礼、着席」の号令が教室に響いた。
その日の放課後、紗亜良は帰宅する柚香について行った。その手には、自分のものと一緒に柚香のカバンを持っていた。
「自分で持てるのに」
「いいの、わたしが持ちたいんだから」
朝は幽霊のユウが持ったというのだ。紗亜良は妙な対抗意識を感じていた。
(あいつー、同志だとかなんとか調子のいいこと言ってたくせに、抜けがけなんかして)
もちろん向こうにそんな気がないのは分かっていたけれど、紗亜良は半ば意地になってカバンを持つことにこだわったのだ。
「そうだよー、こき使っちゃえ」
そう言うのは並んで歩いている澪だった。
「だいたいこの人、いままで柚香を独り占めしてたんだから。このまま専属のメイドにしちゃえ」
「ちょっと、澪、勝手なこと言わないの。柚香の専属の座はわたしのものよ」
そう言ったのはあかりだった。
「なにしろ幼稚舎からいっしょのクラスなんだから」
「なにを張り合ってるのかな、このふたつ結び二号は」
「二号とか言うな!」
「だってそうじゃない。柚香の真似してふたつ結びにしたくせに」
意地悪く言う澪に、
「ちょっと、柚香、言ってやってよ。わたしのはそもそも柚香が結ってくれたのが最初だもんね。いわば一号だよね」
「じゃあ柚香は何号なのよ」
「零号じゃないの? それとも元祖とか本家とか」
「あなたたち、いつもこんなこと話してたの?」
紗亜良があきれてそう聞くと、
「そうだよ」
柚香が代表して答えた。
「みんなちょっと変わっていて、反応が変なの。おもしろいの」
「一番ズレた発言をする子が何を言うかな」
澪がそう言うと、
「ちょっとぉ、一番はわたしだったら」
と、あかりが異議を唱える。
「あんたは一番ならなんでもいいんかい」
澪の突っ込みに、あかり以外がどっと笑い崩れる。
ああ、これがふだんの柚香なんだ、と紗亜良は知った。ころころとよく笑う、仔猫のような女の子。
柚香の家の前まで来ると、澪は、
「じゃわたしはここで」
「そうだね。わたしも」
とあかりも手を振る。
柚香と取り残された形になった紗亜良に、澪は片目をつぶって見せた。
(ここからは任せるからね)
というサインらしい。
見ると、あかりもしようがない、という顔で紗亜良を見ていた。
(柚香のこと、ちゃんと面倒見るのよ)
とでもいう表情だった。
「紗亜良、寄って行くでしょう?」
「うん」
まじまじと柚香の顔を見る。
「なに?」
「きょう、疲れなかった?」
「うーん、すこし。でもいいの。そうすればまた夜ぐっすり寝れるから」
「そっか」
二人は家に入ると、柚香の部屋に上がった。いつもならゲーム三昧に遊ぶのだが、この日は違った。紗亜良はノートを広げて、今日の教科のこれまでの授業内容を簡単におさらいして見せた。
一通り勉強を済ませると、紗亜良はあらたまって、
「ねえ柚香」
「なに?」
「よかった」
「え」
紗亜良は柚香の二房の髪の一方を撫でながら、
「柚香と学校で勉強できるのがこんなにうれしいなんて思わなかったよ」
「おおげさだね。でもわたし勉強はそんなに好きじゃないなあ」
「まあね。ほんとう言うと私も」
顔を見合わせてクスクス笑う。
「じゃ、ゲームしようか」
「いいよ」
だが、二人がゲームを始めようとした時だった。
柚香のスマホの着信メロディが鳴った。
メッセージを読んだ柚香は、
「ユウくんからだよ」
と言う。
(幽霊からのメッセージ? 霊界通信なの?)
「ああ、なんだ」
くすっと笑う。
「どうしたの」
「うん、昨日のデートのこと。ぼくも一緒に行きたかった、て」
「ふーん」
(あの幽霊め、あれほど言ったに、また性懲りもなく)
突然、柚香はおかしそうにくっくっ、と喉で笑った。
「なに、どうしたの?」
「あのね、紗亜良は気がつかなかったみたいだけどね、昨日はユウも一緒だったんだよ」
「へえ」
(やっぱり気づいていたんだ)
「ユウはね、ずっとわたしたちと一緒にいたの」
「そうだったんだ」
「うん。ハンバーガーショップではね、ユウったら、女子トイレのなかにまで付いて来たんだよ。手を洗うわたしを正面から見てた」
「え」
(なにを言っているの、柚香。正面からって。正面にあるのは鏡・・・)
「服を見ている時もね、近くからずっとわたしを見ていたの」
(違うよ柚香、あれは姿身だよ。写っていたのは、自分自身じゃないの)
「それに電機店のテレビにも写ってた。ほんと、いたずら好きなんだから」
ショーウィンドウのテレビに映っていたのは柚香の姿だったはずだ。弟の服を着た柚香の。
(この子は、いったい)
紗亜良はすっと背中が寒くなっていくのを感じた。
(影から見守っていたユウくんには気づかずに、自分自身の姿に弟の影を見ていたの? それは、でも)
あのお爺さんはこう言っていた。
『それは、現実をどう認識するかの問題でしてな』
ミドリ先生は、
『居て欲しい、という人間の思いが幽霊を、幻を生んでしまう』
ではどうゆうことなの? ユウくんの幽霊は二人いるということなの? わたしが会った本物(?)の幽霊と、紗亜良の頭の中にだけいる幻の幽霊と。
それとも、わたしがあったあのユウくんも、わたしの頭の中だけにいる幻だったのだろうか。
柚香は楽しげに返信を綴っていた。
『今度は三人で遊びにいこうね。そうだ、夏休みに一緒にお祖父さまの別荘に行こうよ。みんなと一緒に』
(ねえ、柚香)
紗亜良は心のなかでつぶやいた。
(その『ユウ』って、いったい誰なの)




