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11.魔法使いと魔女のロンド


 少年と公園で別れてから、紗亜良(さーら)は家に帰るために駅に向かって歩いていた。夏場は日が長いとは言え、そろそろ暗くなり始めていた。


 車のクラクションの音と、ヘッドライトの光が背後から紗亜良(さーら)を包みこんだ。柚司(ゆうじ)の交通事故のことを聞いたばかりだったので、一瞬、体がすくんだ。


 紗亜良(さーら)のすぐ横に車がすうっと停まった。イギリス製の超高級車だった。


「良くお会いしますな、お嬢さん」


 後部座席の窓が開き、あのおじいさんが顔を出す。


「あ、あのこんばんは」

「こんばんは。今日はまた遅い時間ですな」

「いえ、まだ明るいですし」

「そうですかな。どうです、お嬢さん、すこしばかりこの老人とお話ししてはくださらんか」

「はあ」


 車に乗れと言われないだけましだったが、それにしても怪しい。先日から何かにつけて自分にコンタクトして来ている。やはり不審者なのだろうか。


「なに、警戒するには及びませんよ」

「そうでしょうか」

「ほっほっほ、なかなか用心深い。良いことですな。ではひとつ誤解を解いてさしあげよう・・・魔女先生の授業は分かりやすいですかな」

「えっ」


 おじいさんは静かに笑っている。


「ミドリくんはなかなか勉強熱心な生徒でしたよ。当時から着眼点がよかった。どうすれば生徒が興味を持って授業を受けられるか、学生時代から研究していたようです」

「ミドリ先生をご存知なんですか」

「ほっほっほ。優秀な生徒でした。すこし生意気なところがありましたがね」


 そういえばイギリスに留学していた、という話を聞いたことがあった。では、このエメラルドグリーンの瞳のおじいさんは?


「もしかして、イギリスの大学で?」

「さよう。ミドリくんの指導教官をつとめておりました」


 そう言われて見れば、穏やかな雰囲気といい、思わせぶりな話し方といい、ミドリ先生に似ていなくもない。


「ご心配なら後でミドリくんに確認するといい。阿礼先生に会った、と言えばわかるでしょう」

「あれい、さん?」

「さよう。阿礼・クロウリィといいます。実は日英の血を引いておりましてね。国籍は英国ですが、今は一年の半分は日本におるのです」


 どうやら怪しい人ではないらしい。紗亜良(さーら)はこの老紳士を信じる気になっていた。もっとも、魔女先生の関係者ということは油断ならない人物には違いない。


「近くに行きつけのカフェがありましてな」


 そしてまた運転手にドアを開けさせて車を降りる。


「三十分ほどしたら、カフェの前に来るように」


 運転手にそういいつけて、


「さて、ではデートと行きますかなお嬢さん」

「デート・・・」

「あ、いやいや変な意味ではなく。いかんな、どうも」


 自分にダメ出しをして苦笑している。おもしろい人だとは思ったけれど、紗亜良(さーら)は完全には心を許したわけではなかった。


 その喫茶店は商店街のはずれにあった。小さいけれど雰囲気のいいお店だな、と思う。カウンターの向こうにはチョッキに蝶ネクタイをつけた小太りのマスターと、クラシックなメイド服を着た、これはアルバイトらしいウェイトレスが一人いた。


「ここの紅茶は絶品でしてな」


 などと言う。阿礼と名乗るおじいさんはミルクティを注文し、紗亜良(さーら)はアイスティを頼んだ。


「あの、クロウリィさん」

「阿礼、と呼んでいただけるとうれしいですな」

「では阿礼さん、わたしに一体何の用なんですか」

「いやなに。少々気になりましてな。ところで、あなたはご存知でしたかな。今日一日、後を付けられていたことに」

「ユウくんのことですか」

「ほう、お気づきでしたか」

「それを知っているということは、もしや阿礼さんも」

「ほっほっほ、尾行者がさらに尾行されている、というのも皮肉な話ですかな」

「あなたはいったい何者なんです」


 阿礼老人は目を細めて、


「ほっほっほ。一人の少女の行く末を案じているものの一人、というところです」

柚香(ゆずか)の?」

「さよう。あの子はなかなか難しい。ミドリくんも心を砕いているようだが、一筋縄ではいかないようでしてな」


 どういう経緯かはわからなかったが、このおじいさんも柚香(ゆずか)のために動いてくれているのだろうか。もしやミドリ先生が、かつての恩師に助けを求めたのでは。だとしたらこの人も同志なのかもしれない。


「実はですな、わたしも前々から、なんとかあの子を良い方向に導こうと努力しておったのです。けれどはかばかしい成果はあげられずにいた。そんな時、新たなエレメントが現われた。つまりあなたです。それで少々興味がわきましてな。不躾ながらのこのこと出て参ったという次第」

「あの、阿礼さん」

「なんですかな」

「ミドリ先生の先生ならやはり魔法使いなのですか」


 静かに微笑みながら、阿礼は髭に手を当てた。


「さて、どうでしょう。確かに占星術は少々かじっておりますが」

「錬金術も、でしょう」

「まあ多少は」

「なら教えてください。幽霊の存在について」

「幽霊?」


 一瞬、その白皙の(おもて)に怪訝な表情を浮かべた老人は、しかしすぐに莞爾と笑って答えた。


「それは考え方次第ですかな」

「考え方?」

「実在するしないの問題ではなく、認識の問題と思いますな」

「認識・・・」

「さよう。幽霊が在る、と信ずるものにとっては、怪しい影や物音、偶然の一致などは霊の存在の証拠と思うでしょうし、信じぬものには、それらはただの木の影だったり、風で揺れる草の音だったり、単なる偶然となるわけです」


 紗亜良(さーら)は運ばれてきたアイスティを一口飲んだ。その甘さと冷たさで頭を冴えさせる。


「じゃあ、あの男の子は幽霊なんですか」

「男の子?」

「あの子です。今日わたしたちの後をつけていた、ユウくん」

「ああ、あの子ですか」


 そしてかすかに頬をゆるめ、


「さよう。ある意味では幽霊ですな。そしてまたある意味ではそうではない」


 まるで禅問答のような答えに、はぐらかされたと思った紗亜良(さーら)は、


「だったら、いったい」


 阿礼老人は人差し指を立てると、


「それは、現実をどう認識するかの問題でしてな。たとえば柚香(ゆずか)にとっては弟はまだ確かに生きている、少なくとも自分の中に生きていると認識している。けれど、我々は柚司(ゆうじ)が死んで土に還り、大自然の懐に抱かれていると思っている」


 それでは答えになっていない、と紗亜良(さーら)は思ったが、この人はそういう答え方しかしない人なのだ、と思い至る。


「なら、これだけ教えてください」

「わたくしめに答えられることなら、なんなりと」

「わたしには何ができるのでしょうか」


 阿礼老人はやさしく微笑んだ。その包み込むような笑みは、以前見たユウくんの笑顔に感じが似ていた。


「あなたがそう思うこと、それ自体があなたのできることです」

「?」

「無償の友情こそ、もっとも必要なものです。そしてあなたはもうそれをお持ちだ。なにひとつ迷うことなどないのです」


 阿礼老人の目が、店の外をちらりと見た。


「迎えが来たようです。わたしはもう行きますが、会計はして行きます。よろしければゆっくりして行くといい。そう、あと五分くらいは」


 思わせぶりなことを言い残すと、阿礼は紗亜良(さーら)の礼に鷹揚にうなずいて店を出ていった。店の前に停まっていた高級車が走り出すのが窓越しに見えた。


(不思議な人だなあ)


 そう思っていると、店のドアが開いた。


「あ」


 入って来たのはミドリ先生だった。そしてさっきまで阿礼が座っていた席に腰を降ろす。


「どうしてここに」


 ミドリ先生は少し怒ったような顔で、


「こら。知らない人について行っちゃだめでしょ」

「でも、ミドリ先生の先生だって。違うんですか」

「違わないわ」


 水を持ってきたウェイトレスにモカを頼むと、ミドリ先生は珍しくため息をついた。


「まさか阿礼先生まで出てくるとは思わなかったわ。電話をもらった時は正直おどろいた」


 もしかして苦手なんだろうか。魔女先生の弱みを見つけたのかも。紗亜良(さーら)はそんなことを考えておかしくなった。


 それにしても阿礼さんはいつ電話したのだろう。わたしと会ってからは電話などかけていなかった。ではその前に、すでにミドリ先生に電話をしていたのだろうか。


「阿礼先生はなにか言っていた?」

「ええと。ミドリ先生は学生時代に勉強熱心だったとか。あ、だけど生意気な生徒だったとか」


 ミドリ先生は頭を抱えて、


「ああもう、余計なことを」


 けれどすぐに自分を立て直して、


「乃原さんのことについては?」

「難しい子だ、って」

「他には?」

「新たなエレメントであるわたしを見に来た、て」


 ミドリ先生は運ばれてきたコーヒーをブラックのままでぐーっ、と飲むと、ふうっ、とため息をついた。


「まったく、若い者にまかせておいてほしいわ」

「あの、先生」

「なあに風見さん」


 一杯のコーヒーで完全に立ち直ったらしい。いつもの教師の顔に戻ってにっこり笑う。


「もう阿礼さんには会わない方がいいんでしょうか」

「お薦めはしないわね。もちろんとてもよい教師だし、人格高潔――とまではいかないけれど、少なくとも悪い人ではないわ。でも、担任教師としては男性とのお付き合いを推奨するわけにはいかないわね」


 的確なようでどこかズレている論点に、紗亜良(さーら)はおかしくなったけれど、笑っては失礼だと思ってうつむいた。


 それをどうとったのかミドリ先生は、


「まあいいわ。さ、もう遅いから送ってあげる」

「いいですよ、駅まですぐですから」

「いいえ、またあのジジ・・・よからぬ殿方にかどわかされないとも限らないわ。お家までわたしが責任をもって送ります」


 カフェを出ると、少し離れた機械式立体駐車場(タワーパーキング)まで歩く。扉が開いて現われたのは、ドイツ製の銀色の乗用車だった。


「これ、先生の車ですか」

「そうよ」

「かっこいい!」

「ありがと。目下のところのわたしの恋人なの」


 車が恋人、ということは彼氏はいないのかな。そんなことをつい詮索してしまう。助手席(右側だった)に乗ると、ミドリ先生は、


「ちゃんとシートベルトを締めなさい。それと、舌を噛まないようにね」

「舌って、」


 紗亜良(さーら)が言い終わらないうちに、銀色の車は、グワン! というエンジン音を立てて急発進した。


「ちょ、先生?」

「舌噛むわよ」


 ハンドルをぐいっと回す。紗亜良(さーら)の体は遠心力でシートの片側に押し付けられた。


「ぐえっ」

「あら失礼」


 その後もミドリ先生は大胆なハンドルさばきを見せて、自在に車を操っていた。そして紗亜良(さーら)の体はバケットシートの中で右に左に押し付けられた。まるでジェットコースターに乗っているようだった。紗亜良(さーら)は街の灯が奔流となって流れて行くのを呆然と眺めていた。


 そして、きききーっ、とタイヤが音を立てて車は停まった。


「はい、着いた」


 先生はにっこりと笑ってそう告げる。


 そこは確かに紗亜良(さーら)の家のすぐ前だった。

 ふらふらになりながら車を降りた紗亜良(さーら)に、ミドリ先生は、


「じゃあ、また明日ね風見さん」

「は、はい」


 そして銀色の車は、ふたたびエンジン音を響かせて走り去った。まるで魔女のほうきのように、あっという間に夜の街明かりの中に溶け込んで行った。


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