10.紗亜良のデート日和
日曜日の午後、紗亜良は柚香の家に行った。午前中では柚香が起きられないだろう、ということで、昼過ぎに迎えに行く約束をしていたのだ。
事前のメールで、熱を出したり体調が悪くなったりしていないことは確認していた。玄関のチャイムを鳴らすと、ドアが開いて柚香が現われた。靴を履いて待っていたらしい。その姿を見て紗亜良は少しおどろいた。
柚香はダブっとしたTシャツに、これもオーバーサイズのカーゴパンツを身に着けていた。足元は派手な配色のスニーカー。おまけに長い髪は目深に被ったベースボールキャップに無理やり押し込めていた。遠目にはまるで男の子のように見える。私服のユウくんには会ったことはなかったけれど、こんな感じなのかな、と思う。
(それにしても、意外)
柚香はもっとフェミニンな、お嬢様っぽい服だとばかり思っていたのだ。紗亜良の方はTシャツにデニムのスカートというカジュアルな格好で、柚香と釣り合わないかな、と気にしていたのだ。
「行こうよ」
柚香はまるで幼いこどものように紗亜良の手を握った。玄関には柚香の母もいて、「柚香をよろしくね、紗亜良さん」という。気のせいか目の端に涙が溜まっているように見えた。すこし大げさじゃないかな、と思う。
ショッピングモールまでは歩いて十五分ほどの距離だった。ひさしぶりの外出だということを考えて、紗亜良はなるべくゆっくりと歩くようにした。それなのに、柚香はまるで飛び跳ねるような軽い足取りで、ともすると走り出しそうなくらいの勢いで歩いていた。
「早く行こうよ、ね」
柚香は無邪気にそんなことを言った。まるでやんちゃな弟と散歩しているみたいだ、と紗亜良は思った。
「柚香はモールに行ったことあるの」
「リニューアルする前に何回か」
「そうなんだ」
「うん。新しくなってからは行っていない」
だから今どうなっているのかは知らないと言う。紗亜良は先日、澪に案内された時のことを思い出しながら、
「かわいいショップがたくさんあったよ」
「それは楽しみかも」
にっこりと笑う。その笑顔を見て、今日は大丈夫そう、と紗亜良はほっとした。
日曜日ということもあって、モールは賑やかだった。人ごみを見て、柚香はさすがに臆したらしい。モールの入り口でしばし立ち止まる。けれど、ことさら元気のよい声で紗亜良に向かって、
「どうするの。最初にカットしてもらうの?」
「うん。予約してあるから」
澪が紹介してくれたのは、「スタジオ・イプシロン」という名の店だった。ヘアサロンなのに、店の外と言わず中といわず、鉢植えの花が飾ってあった。初めて行ったら花屋と間違えそうなくらいだった。チーフはぽっちゃりしたベリーショートの女性で、他のスタッフも全員若い女性だった。
受付で名前を告げると、前のお客さんが遅れた関係で、十分ほど待って欲しいと言われた。二人はソファに座り、備え付けのファッション誌を見ながら待つことにした。
ほどなく紗亜良の名前が呼ばれる。カットとトリートメントで小一時間ほどかかるという。柚香はどうしているのだろう、と思ってカットの合間にちらちら見ていると、雑誌を見たり、床にしゃがみこんで店のマスコットの黒猫と遊んだりしているようだった。
「お友達は猫が好きなのね」
スタッフのお姉さんが髪をカットしながら話しかけてきた。
「そうみたいですね」
「ブラッキーも気に入ったみたい。珍しいわ、あの子、人見知りなのに」
「はあ」
そうでしょうとも、と思う。柚香も猫みたいに気まぐれなところがあるから、気が合うのだろう。そう思っていた。
紗亜良がカットを終えて柚香のところに戻ると、まだ猫と遊んでいた。
「柚香」
「あ、終わったんだ」
「どう、新しいわたしは」
「・・・あんまり変わってない」
どうせそうでしょうとも、と思う。いざとなったら勇気がでなくて、冒険を避けたのだった。
「でも全体に短くなってるでしょ。校則はクリアしてるよ」
「そうだね」
すると、スタッフのお姉さんが、
「どう、お友達もカットしてみない? ちょうど一人キャンセルがあったの」
と勧めてくれた。
だが、柚香はそう言われたとたん、はっと身を硬くして、ベースボールキャップを押さえた。
「わたしはいい」
「毛先をそろえるだけでもどうかしら。ほら、枝毛だけでも」
「いいです」
帽子からわずかに見えるだけなのに、プロの美容師には柚香の髪の状態があまりよろしくないことがわかったらしい。
「お安くしておくから、ちょっとだけでも」
商売と言うよりも、職業的な義務感からか、お姉さんは熱心に勧めてくれる。
けれど、柚香は頑なに首を振るだけだった。
「あ、あの、この子、願かけをしていて、それで切らないんです」
「そうなの? それは古風なこと。ならしかたないわね。じゃあ、願いが叶ったらいらっしゃい」
その言葉に送られて、二人はヘアサロンを出た。
「次は、どこに行く?」
「どこへでも」
弾んだ声で柚香は答えた。
「服を見る?」
「いいけど。そんなにお金もってないよ」
「わたしも。だから見るだけ」
それからはモールの服飾店をいくつも渡り歩いてウィンドウショッピングを楽しむ。見ていると、柚香が手にとったり、興味を引かれた服は、みなかわいらしいデザインのものばかりだった。やはり柚香は本来は女の子らしい服が好みのようだった。
(だったらどうしてあんな男の子みたいな服なんだろう。まあ、元がかわいいから何を着てもかわいいんだけどさ)
柚香は何度も全身が写る鏡に自分自身を映して見ていた。別に服を合わせるでもなく、自分の姿に見入っている。意外にナルシストなのかな、と紗亜良は思った。
モールの中を歩きながら、紗亜良はちらちらと何度も後ろを振り返った。どうも視線を感じる。首の後ろがちりちりするのは、髪をカットしたからなのだろうか。
「どうしたの紗亜良」
「え、うん、なんでも」
歩き疲れたという柚香の希望でハンバーガーショップに入る。紗亜良はコーラとポテト、柚香はアイスクリームを頼んだ。
ちゃんとオーダーできるかな、と心配したけれど、なんとか買うことが出来て、紗亜良はほっとした。もっとも、柚香のオーダーの仕方は独特で、うつむいて帽子で顔を隠したまま、黙ってメニューを指差すだけだったのだが。
なるべく端の、人が通らない席を選んで座る。柚香にとってのひさしぶりの外出はまずまず成功したらしい。
「えっ?」
柚香が何か言ったけれど、BGMや話し声に紛れて聞き取れなかった。紗亜良が顔を寄せると、柚香は口に手をあてて、小さな声で、
「おトイレ、どこ」
と言う。紗亜良が指差すと、うなずいて席を立つ。だいじょうぶかな、ついて行ったほうがいいのかな、と一瞬思ったけれど、あまり過保護にするのもよくない、と思い直して、席で待つことにした。
柚香がトイレのドアを開けて入ったのを確認して、紗亜良は素早くスマホを取り出した。デート(?)の進捗を紗亜良のお母さんにメッセで報告する。
しばらくして確認とお礼の返信があった。紗亜良は茶目っ気を出して、『家に帰るまでがお出かけですから』と返信した。無事に家まで送り届けるまで責任をもって柚香の面倒を見るつもりだった。
が、ふと気づく。何度もメッセでやり取りをしているのにまだ柚香は戻っていなかった。トイレが混んでいるのか、それとも? 悪い想像がいくつも浮かんで、紗亜良は青くなった。
けれど、その心配もつかの間だった。トイレから出て、こちらに歩いてくる柚香の姿が目に入った。べつだん変わった様子は見えなかった。
「大丈夫?」
と聞くと、柚香は顔を赤くして、「ばか」と一言だけ答えた。また無神経なことを言ってしまったのかな、と反省する。照れ隠しに、
「後は行きたいところってある?」
「うーん」
柚香は腕を組んで考えるポーズを取って見せて、
「特にない、だけど」
「だけど?」
「もうちょっとだけ、歩きたい」
どこに行くでもなく、二人は手をつないでモールの中をぶらついた。ただ歩くだけなのに、それだけで柚香には楽しいらしい。
あるショーウインドウの前で立ち止まる。何かに心を奪われたらしい。柚香は熱心に見つめていた。そこは電機店の店先で、ディスプレイされていたのは新型の大画面テレビだった。同じショーウィンドウの中に外向きに置かれたビデオカメラがあり、モールを行きかう人たちの様子が映し出されていた。もちろん、そこには柚香と紗亜良の姿もあった。
紗亜良は柚香が飽きるまで隣でじっと待っていた。
やがて、柚香はにっこり笑って言った。
「もう帰ろうよ」
柚香を無事に家まで送り届けると、上がって行きませんか、という柚香の母親の誘いを断った。柚香が帰り道で何度もあくびをしているのを見ていたからだ。当の柚香は名残惜しそうにしていたけれど、紗亜良がまた明日来るから、と言うと、にっこりした。
玄関のドアが閉まると、紗亜良はくるりと向きを変えた。ドアを背に、腰に手をあてて言った。
「いつまで隠れている気?」
ブロック塀の影からひょっこりと一人の少年が姿を現した。日曜日だというのに制服を着ていた。
「何してくれてんのよ、ユウくん」
「バレてたんだ」
「そりゃあね。下手な尾行だったよ」
「補習授業の帰りにたまたまモールに寄って、そのままここに来た、と言ったら信じる?」
「わけないでしょ」
「そうだよね」
幽霊のくせに、姿を消すくらいできないのかな。それともわたしに霊感があって見えちゃうのかな。
少年は頭をかきながら、
「断っておくけど、別にストーカーとかそういうんじゃないからね」
「同じようなものじゃないの」
と決め付ける。
「心配だったのは分かるけど。わたし前に言ったよね?」
「うろちょろするなって? だからちゃんと分からないようにしてたのに」
「バレバレだったよ」
「そうか。でも柚姉にはバレてないよね?」
「どうだろう。あの子、鈍いようで勘が良くて、勘が良いようで鈍いから」
「えらい言いようだね。そうだ、紗亜良さん」
「なに」
「もしよければちょっと付き合ってもらっていいかな」
「いいけど」
「少し歩くと公園があるんだ」
「うん」
そこは小さな児童公園だった。滑り台とブランコ、それに砂場があった。子供の姿はなかった。そろそろ夕方になりかけており、西の空はピンク色に染まりつつあった。
紗亜良と少年はブランコに並んで腰を下ろした。
「それにしてもどれだけ心配症なの、ユウくんは」
「え? ああ、だってさ。気になるよ。もし悪いやつに絡まれたりしたら、とかさ」
「なに、助けてくれるつもりだったの?」
「まあね」
「へー、騎士のつもりなんだ」
「騎士は紗亜良さんだろ」
「え?」
思わず聞き返す紗亜良に、
「見ていておもしろかったよ。男の子みたいな柚姉を、女の子の紗亜良さんがエスコートしていたんだもの。ちょっと倒錯的だったな」
「邪な目で見ないでよ。いやらしい」
「べ、別に変な意味じゃ」
「キモイぞ、ストーカー」
「違うって。ほんとに紗亜良さんは意地悪だなあ」
もちろん紗亜良は本気ではなかったし、それは少年にも分かっているはずだった。気を取り直したらしく、こう言った。
「でも本当に心配したんだよ」
「そう? 何もなかったじゃない。ストーカーにつけ回された以外は」
「そうじゃなくてさ」
少年は真顔で首を振った。
「そもそもあの服を着て出てきた時点で心配だったんだ」
「なに、あの服装のこと? それなりに似合っていたと思うけど?」
「まあね。かわいいから何を着ても似合うのはたしかだけど」
なにそれ。同じ顔をした姉のことをよく言う。けれど少年は、
「気づいてないようだね。まあ無理もないけどさ」
「なに、言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「あのさ。死んだ弟の服を着て出かける、てヤバくない?」
その聞いて紗亜良は表情を変えた。
「な、ちょっ、それはどういうこと」
「言ったままだよ」
そういえば出掛けに柚香のお母さんは泣いていたように見えた。それじゃあ、あれは、あれはつまり。
「小さい頃はさ、確かに服を取り換えたりしていたよ。でも、今日のは意味が違う」
苦いものを口にしたような顔で、
「たぶん、柚姉はやっぱり外に出るのが怖かったんだよ。だから、精神的に武装する必要があったんだ。大好きな弟の服を着て」
「あの服に、そんな意味が」
「柚姉はさ。現実を生きていないんだ」
「……うん」
「驚かないね。ということは紗亜良さんも気づいていたんだ」
「薄々は」
二人は黙ってゆらゆら揺れるブランコに身を任せていた。
きれいな夕焼けが空に広がっていた。
「この公園の前の道だったよ」
ぽつり、と少年はつぶやいた。
「なにが?」
「交通事故」
それはつまり、ユウくんの死んだ場所、という意味だ。
「不注意だったんだ。良く確かめずに車道に飛び出して」
「・・・そう」
「柚姉の見ている前で、はね飛ばされた。不幸中の幸いはね、即死だったんだ。苦しまないで済んだ。それだけは救いかな」
辛くなかったはずはない。それなのに淡々と自分の死の様子を話してる。紗亜良はそう思い、涙ぐんだ。
それに気づいた少年は、
「泣いてくれるんだ。会ったこともない人間のために」
「そりゃあ・・・そうだよ。直接会ったことはなくても、柚香を通してよく知っているもの」
「ありがとう。優しいね」
そう言って笑う姿は、夕焼けに赤く染まっていた。その赤に事故の血のイメージが重なる。紗亜良は目をそらし、肩を震わせて泣いた。
少年はそんな紗亜良の様子に心を動かされた様子で、
「泣かないで。もう、終わったことなんだよ。乃原柚司の十二年の人生はもう終わったんだ。でも」
紗亜良は顔を上げた。ユウを見ると、その顔には微かな憂いと、そして決意の色があった。
「柚姉の人生はまだこれからなんだ。過去に必要以上に囚われちゃいけない。柚姉のために、力を貸してくれる?」
紗亜良はハンカチで顔を拭い、大きく鼻をかんだ。涙でひどい顔になっているのは自分で分かっていた。けれど、紗亜良は濡れた睫毛をしばたたくと、
「もちろん」
と答えた。
「よかった。ならぼくらは同志だね。仲間だ」
「うん。」
少年は右手を差し出した。
紗亜良はその手を握った。相手もしっかりと握り返してくる。
(温かい手・・・幽霊のくせに)
紗亜良はそんなことを考えていた。




