9.あかり再襲撃
放課後、いつものように柚香にメッセを送ろうとしてた紗亜良は、怖い顔をしたあかりに声をかけられた。
「風見さん、ちょっといい」
親指を立てて、背後をクイッと指差す。
「二人だけで話したいの。いい?」
「いいけど」
「じゃあ、こっち来て」
この間のリベンジだろうか。来るなら来い、と密かに期待しながらついて行く。着いた先は先日の渡り廊下だった。
「ねえ」
そう言って振り向いたあかりに、思わず身構えてしまう。
「・・・誤解のないように言っておくけど、別にこの間の続きをしようというのではないの」
「そうなの?」
「そう。だからファイティングポーズはやめて」
紗亜良は戦闘態勢を解くと、
「なんだ。こんなところに呼び出すから、わたしはてっきり」
「ここは密会の穴場なの。特別教室を使わない時は誰も来ないから。ここで愛の告白をしてカップルになったっていうひとは多いし」
「そうなんだ・・・って、ちょっと待ってよ、カップルって、ここには男子は来れないはずでしょう?」
「当たり前じゃない。女子部なんだから。男子との密会の場所はビオトープ」
先日のユウくん(の幽霊)との一件を思い出す。いや、あれは密会じゃないぞ。たぶん。
「ええと? それはつまりどういう」
「別にあなたに愛の告白なんてしないから安心して。わたし、無神経なひとには耐えられないの」
微妙にバカにされているような気がして、紗亜良は釈然としないものを感じた。けれど、真面目な話のようなので、先をうながす。
「いいよ。聞くから。それでなに?」
「あのね・・・柚司くんのこと」
あの幽霊のこと?
「わたし、柚香にいわなければならないことがあるの」
「柚香に? わたしにじゃなくて?」
「そう」
「なにそれ。だったら柚香に直接言えばいいのに」
「それが出来れば苦労しないよ。あの時だって、プリントを届けに行っていた」
自分が柚香と出合った時のことだ、と思い当たる。
「ほんとはわたしだってあなたなんかに話したくはないの」
(あなたなんかに、と来たか)
内心むっとしながらも、それでもあかりの真剣な様子にちゃちゃを入れずに聞いた。
「わたしね」
あかりは静かに告げた。
「柚司くんに告ったんだ。彼が亡くなる少し前」
そういえばそんなことを聞いたような気がする。紗亜良は黙ってうなずいた。
「最初はね、デートの申し込みをしたんだ。柚香もいるところで。柚香にも知ってほしかったの。でも、そのときは返事がもらえなかった。だけどその後で」
あかりはうつむいて、噛み締めるようにして言った。
「その後、夏休みにクラスの子たちと一緒に柚香の家の別荘に招待されたの。その時、柚司くんにもう一度告白したの。二人だけの時に。その時、返事ももらったんだ」
そう言ったきり、黙ってしまったあかりに、紗亜良は、
「で、どうだったの、返事は」
「教えてあげない」
そう言ってあかりは舌を出した。
「この期におよんで意地悪する? 気になるじゃないの」
「別に意地悪じゃない。ただ」
「ただ?」
「あの言葉はわたしだけのものなの。他の誰にも、柚香にだって教えたくない。わたしだけの柚司くんなの」
どんな答えだったかは、あかりの表情を見れば一目瞭然だった。幸せそうな、暖かな笑顔。
「柚司くんはやさしい子だった。柚香の前では返事が出来なかったんだって言ってた。あのふたりは特別仲のいい双子だったから。
ああ、勘違いしないでね。別に柚香に嫉妬していたわけじゃない。わたしは二人とも好きだった。それにね、柚司くんはこう言っていたの。柚姉もそろそろ弟離れしてもいい時期だ、て。彼、わかっていたの。柚香が自分に依存していたことを。そのままじゃいけない、ということも。でも、その後、柚司くんは・・・交通事故で」
あかりは唇を噛んで、言葉を切った。
「事故の後、柚香とはもちろん話したわ。でも、あの子の話を聞いて、わたしは愕然とした。柚香は知らなかったの、わたしたちのこと。返事をしないままでごめんね、て言われた。それだけじゃない。その後の柚香は柚司くんの影ばかり追い求めていた。そうなってはいけないと、柚司くんが心配していた通りに」
あかりの話は続いた。
「わたしは柚司くんのこと今でも好き。でも柚香のことも好きなの。柚司くんが望んでいたように、なんとかして柚香を救ってあげたかった。でもわたしには出来なかった。どうすればいいのかも分からなかったの」
言ってしまうと、あかりは大きく息を吐いた。肩の荷を降ろしたような。そんな顔で。
紗亜良はこの告白を複雑な思いで聞いていた。
「なぜ、そのことをわたしに」
「あなたも柚香のことが好きだと思ったから。そうでなければ誰があなたなんかに」
最後の憎まれ口は聞かなかったことにして、紗亜良は、
「話してくれてありがとう。でも、わたしから柚香には話せないよ?」
「分かってる。わたしが伝えなきゃいけないことだもの。ただ、風見さんには知っていて欲しかった」
「話す気なの。柚香に」
「いつかはね。必要なことだと思うし。ぬるい友達ごっこではダメなんでしょう?」
「いつか、って」
「わからない。でもたぶんその時が来たら、わたしは話すと思う。話さなきゃならないの。でも、その後は」
「わたしにフォローしろって?」
あかりは皮肉な笑みを浮かべた。
「してくれなんて言えないよね。でも、あなたはするでしょう。しないではいられない」
「そりゃあ、ね」
「だから話しておくの。柚香を受け止められるあなたに」
紗亜良は黙ってうなずいた。そして右手を突き出す。あかりはためらいながらその手を握った。
「・・・これも誰かの筋書き通りなのかな」
ぽつりと紗亜良はつぶやいた。
「なに、なにか言った?」
「なんでもない」
そして力を込めてあかりの手をぎゅっと握る。あかりは顔をしかめた。
「ちょっと、痛いじゃないの!」
あかりと別れてから紗亜良は柚香の家へと向かった。
その途中、車道に停まっている大きな車に気づいた。イギリス製の超高級車。運転席には制服の運転手の姿が見える。
(あれ、この車って)
紗亜良が近づくと、運転手がさっと車を降り立ち、後部座席のドアを開いた。中から現われたのは、いつかのおじいさんだった。
「や、これはこれは」
老紳士は紗亜良を見てエメラルドグリーンの瞳で優しく笑った。
「今日はお元気そうですな」
「はあ」
どういう態度を取ったものか、とっさに判断できなかった。
「その節は、お気遣いいただきまして」
「いやいや、かわいい女の子が辛そうにしていたので、ついお節介をしてしまいました。ご迷惑でしたかな」
「そんなことは」
おじいさんはその印象的な目を細めて、
「ふむ。君はなかなかよい星を背負っているね」
「星、ですか」
「そう。水瓶座だね、君は」
「ど、どうして分かるんですか」
「いやなに」
いたずらっぽく笑って、
「こう見えてね魔法の心得がありまして」
「魔法使い?」
「それほどのものではありませんがね」
あやしい。誘拐犯とか変質者とかとは別の意味で。
それにしても魔女に幽霊に今度は魔法使い? どうしてわたしの周りには怪しげなのが寄ってくるんだろう。紗亜良は真剣にこれは何かの祟りでは、と思い始めていた。
「あの、なにか御用でしょうか」
「いやなに、たまたまお見かけしたのでね。お元気そうでなにより」
ははは、と笑い、
「ではまた」
「はあ」
車が走り去ったあと、紗亜良はあることに気づいた。
「あのおじいさん、誰かに似ていたような」
若い頃はハンサムだったらしい整った顔立ち。優しそうな物腰。そして思わせぶりな話し方。身近に会ったことがあるような気がしてならなかった。
深夜、柚香はいつものようにベッドの中で目を開いていた。
昼間ぐっすりと眠っているのだ。夜眠れるわけがない。けれど、柚香はあかりを消して、じっと闇を見つめてた。
こうしているとユウに会えるのだ。まず闇のなかにユウの顔が浮かぶ。そしてぼんやりした体が。耳を澄ませば、キーンという無音の彼方から声が聞えるのだった。
「ユウ。今夜も来てくれたんだね」
柚香はささやき、弟の声に耳を澄ませる。
「そうなの、紗亜良とデートなんだ。なに、妬けるの? なら一緒に来る? いいよ、ユウは特別だもの」
「憶えてる? あかりからデートのお誘いがあった時のこと。あの時、ユウったらわたしに一緒に来て欲しい、だなんて言って。結局、あかりのお誘いは断ってしまったんだよね」
「あかりもかわいそうに。ユウに嫌われたと思ったのかもね。でもね、あの子はいい子だよ。あなたのお葬式の時、わんわん泣いてた。ほんと、涙が出すぎて干からびちゃうんじゃないかと思ったくらい」
「わたし? わたしは泣かなかったよ、もちろん。だってわかっていたもの。ユウの肉体はなくなったけど、魂はいまでもここにあるって。わたしたち、もともと一つの魂に体が二つあっただけだもの」
「まわりの人たち、おかしかったね。ユウはいつでもわたしと一緒なのに。すごく悲しんで。お父さんとお母さんもユウがここにいることに気づかないの。それでわたしが教えてあげたら、お母さん泣き出しちゃって。みんなももっと悲しい顔をして」
「まったく、どうして分からないんだろう。ユウはここにいるのに。ずっとずっといるのに」
「そういえば紗亜良には見えてるみたいだった」
「どうなの。ユウ、あの子に見られた?」
「ああ、そうなんだ。おかしいの。現実主義者だって言っていたのにね」
「そうだよ、ユウ。もちろんじゃない。わたしたち、ずっと一緒だよ。決まってるじゃない。生まれる前からの付き合いじゃない」
「憶えてるでしょ。母さんのお腹のなかで、わたしはいつもユウ――その頃は名前なんて無かったけれど――とぴったり寄り添っていた。どこまでが自分で、どこからがユウなのか分からないくらい」
「そうだよ。わたしは覚えてる。カウンセラーのお姉さんはあり得ないって言ってたけど」
「生まれたとき、悲しかったの憶えてる。いままで寄り添っていたユウがいなくなって、一人になってしまった気がしたから」
「だからわたしたち、いつも一緒だったよね。食事も、お風呂も、寝るときも。お母さんには別々のベッドで寝なさい、て言われたけど。お母さんがいなくなると、わたしたちいつも同じベッドで寝ていたものね。ふとんにくるまって、しっかり抱き合っているとまるでお母さんのお腹の中にいる頃みたいで安心して眠れた」
「だから、今眠れないのも無理はないよね。だってユウの体はもう」
「でもいいんだ。魂はいつも一緒だから」
「ユウ。一緒に寝ようね」
窓の外がぼんやりと明るくなってくる。もうすぐ夜明けだった。
「あと少ししたら紗亜良にモーニングコールしよう。そうしたら寝ようね」
柚香はそうつぶやいて、カーテン越しに少しづつ明るくなってゆく窓を見つめていた。




