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五反田タキゲン製造株式会社で受けた集団リンチについて〜壊れた世界が許せなかった〜

長すぎるので要約を追記しておきます。

これは、錠前会社「タキゲン製造」の社長を祖父に持つ私の自伝です。

世間体を気にした祖父母は、知的障害を持つ息子(筆者の父・一秀)を施設に入れませんでした。そこへ遺産目当ての女(筆者の母・美賀子)が現れ、父を縛り付けるために筆者を産み、結婚します。

私は幼少期から、障害を盾に犯罪を繰り返す父と、それをけしかけて楽しむ母から、性的・肉体的な虐待を受け続ける地獄の日々を送りました。親族もまた、金のために暴力や恐喝を繰り返す非道な人間ばかりでした。

この地獄に耐えかねて小学5年生で自殺を図るも、失敗。その死さえも金儲けの道具にしようとする両親を見て、私は絶望の淵に沈みます。やがて私は、父の悪行を祖父母に告発し続け、父は会社を解雇され、遺産も相続できませんでした。

しかし、父は株主として会社への嫌がらせを続け、両親は破滅の原因を私のせいにして憎みます。私は、この全ての元凶は暴力そのものではなく、他者への「無関心」であると結論づけ、壮絶な過去を背負いながらも、鬱病を言い訳にせず生きていくことの決意と、生きることの意義を、今日も皆に語っています。


This is the autobiography of a grandchild of the president of the lock manufacturing company, Takigen Mfg. Co., Ltd.

Concerned with appearances, my grandparents did not institutionalize their intellectually disabled son, my father Kazuhide. A woman, my mother Mikako, appeared with the goal of acquiring their inheritance. She gave birth to me for the sole purpose of tying my father down and then married him.

From a young age, I endured a living hell, subjected to continuous sexual and physical abuse from my father, who used his disability as a shield to commit repeated crimes, and my mother, who incited and reveled in it. My relatives were equally ruthless, constantly resorting to violence and extortion for financial gain.

Unable to bear this hell any longer, I attempted suicide in the fifth grade, but failed. Seeing my parents try to use even my attempted death as a tool to make money, I sank into the depths of despair.

Eventually, I repeatedly reported my father's evil deeds to my grandparents. As a result, he was fired from the company and disinherited. However, my father continued to harass the company as a shareholder, and my parents, blaming me for their ruin, grew to hate me.

I have come to the conclusion that the root of all this is not the violence itself, but a "lack of concern" for others. While shouldering this brutal past, I refuse to use my depression as an excuse. Today, I continue to speak to everyone about my determination to live and the meaning of life.


・・・・・・・・・・


心が止まるというのは、死んでいるのと同じです。私の心は動くのを止めました。私は死んだのです。そうなった原因はひとつではないから、それを語っていこうと思います。大まかにいうと、家庭や会社や勉強や趣味の場において、父から

①成果を出すための継続を妨害され

②成果が出はじめたら全て奪われて

③理由もなく謝罪をさせられ続けた

からです。


【父】

私の父は錠前屋の社長の息子という立場です。父はその立場を利用して、社内や地元の五反田で会社の名前をちらつかせて、ちょっとしたパワハラを繰り返していました。私を朝礼で裸にするとか、居酒屋の製氷器の中に小便をまぜるとか、女性店員を自宅まで付け狙うとか、他人の結婚式を妨害するような、どこにでもあるような、よくある普通のかわいいパワハラです。問題にならなかったのかというと、そうです、問題にはならなかったのです。一体何故なのか。そもそも、私の父は知的障害者なのです。奇形ともいえるような脳の構造をしていて、前頭葉がほとんど備わってないため、目の前の人を殴りたいなあと思ったら、その場で殴ってしまうのです。


画像

他人のものを奪い、奪えない場合は破壊する父。

父は障害を自覚しており、むしろ、障害者だからこそ何をしてもいいだろうと他人に迫ります。障害を武器として用いるのです。もちろん彼は精神異常者なので、自らを天皇だとか、闇の軍団の幹部だとか、神の世界と交信している勇者だとかを自称して、突如として明後日の方向を向き

「アンダラポンキ、アンダラポンキ、アンダラポンキィ」

と奇怪な呪文を唱えます。だから、被害を受けた方々は

「なあんだ、それなら仕方がないね」

と堪えながら耐え忍びます。それでも怒る人はいますが、紙幣を床に撒かれたり名刺を投げつけられると、なぜかみんな、にっこりと涙を浮かべながら黙ってしまうのです。父の暴力はもちろん私にも向けられました。


【母】

私の母は、そんな父に対してもちろん初めから興味はありませんでした。母の興味の対象は、父が相続する予定の遺産です。結婚すればカネが手に入る。カネの成る木を自分から逃げられないようにしたい。そう考えた母は私を産み、父と結婚しました。母は、熱心に、懸命に、父を支えました。母は、社内でリンチが大事になると相続できなくなるかもしれないからと、反抗しなさそうな弱い人を死角で襲うべきだとか、なるべくなら自分の子供を殴るべきと、実践的な虐めの戦法を父に提案したのです。やがて、母も徐々に暴力の喜びに気がつき始めました。殴られている私や父の部下を、カメラで撮影したり、鑑賞するようになったのです。母は、暴力の最前列で父をラジコンにして他人に加害をしながら、あくまでも無関係な観客として居座り、場合によっては被害者の立場をとります。虐めの楽しみ方がとても上手いのです。


【叔母】

私の叔母はアナウンサーでした。従って、言葉で人を追い詰めることが大変上手いのです。叔母の旦那は、叔母から無能さを指摘され続けて首を吊り、亡くなりました。身近な人が亡くなったことを他人からカネを引き出すための武器として用いることができると気がついた叔母は、いつしか親戚に自殺を勧めるようになり、当然ながら、私も標的になりました。叔母はお前が死んだら話のネタになるからと自殺を勧めてきて、私が自殺を拒否すると

「お前が死んだら嬉しいとこの私が言っているのに、お前は私の幸せを奪うのか。自己中心的な考えを捨てなさい」

と迫り来るのです。


【親族】

年齢が上の親族どもに共通することですが、奴らケダモノたちは、仕事は転売と恐喝の二種類しかないと思っていました。儲かったぞと言って目立ちさえすれば自分の広告になるだろうと考えて、わざと周りに見えるところで

「こいつをぶん殴って商品を安く仕入れて高く売り飛ばしたよ」

とアピールします。もちろん本当に物理的に殴るのです。そして、

「最初に殴ろうと思ってはいなかったから、殴ったけど罪にはならない」

と、主張します。嘘とは過去の捏造のみを指し、未来にデタラメな予定を立てることを嘘とは思っていないのです。


【私】

私はそのころ、会社の宇都宮支店で両親から毎日四肢に針を刺されたり首を絞められて弄ばれていたので、うんざりして、ふと、ビルから飛び降りました。小学5年生の冬の日でした。運悪く私は生き延びていました。骨盤や腕がへし折れてもなお息をしている私の前で、両親は怒りもせず、悲しみもせず、喜んでいました。よく聞いてみると、私が死を選んだことに喜んでいるのではありません。やりようによってはカネが手に入るかもしれないからと、死にかけている私を見て、皮算用をしていたのです。母は、父が勤めている会社の宇都宮支店に子供が殺されかけたという理屈で祖父からカネを引き出そうとしました。父も母に倣い、宇都宮支店の防災対策が悪いから子供が落下したという理屈で祖父からカネを引き出そうとしました。私の死の覚悟は、両親の手で、タカリの口実にされたのです。私はようやく、いよいよ、絶望を理解しました。過激な方々が主張しがちな「私が死んだら世界は多分変わるだろう」という物言いが嘘だとわかったのです。そうして、私の精神や感性の成長は、小学5年生の冬で止まりました。つまり、鬱病を患ったのです。


【会社】

ケダモノの社会では、暴力とは、自分の意志を通す行動です。自分を前へと進める衝動です。自分の可能性を求める行動です。


暴力とは、実は希望そのものです。

ですから、程度の低い社会では、暴力的な人は必要とされます。人を殴る人が会社からも異性からもモテるのです。私の親族は、ケダモノです。しかし、親族のお友達は、高等なケダモノでした。親族のお友達のお友達は、人間まがいでした。そいつらが集まる仲良しクラブが、会社でした。つまり、会社はケダモノよりも、人間の比率が高かったのです。


人間社会では、ケダモノの掟は通用しません。

よって、父は会社での立場が徐々に悪くなり、ストレスからますます私の人生を妨害するようになりました。私は、何をしても無駄だから何もするなと勉強を「開始」させてもらえず、あと数ページで宿題がおわるといった時の「継続」を中断させられ、引っ越しの際にクラスメイトに別れの言葉を告げる際の「区切り」を曖昧にされてきました。父は低学歴だから、頭を使うことにコンプレックスがあり、学びに関する一切を妨害するのです。私がペンを持つ際に今でも一瞬躊躇してしまうのは、この頃の記憶が原因です。


父は、私が英語を勉強してると

「ふーまいほう」

と言って私を殴ります。また、父は会社で部下を殴る時にも「ふーまいほう」と叫びます。全く意味がわからなかったのですが、先ほど謎が解けました。会社は父にとっては自宅です。父は

「ちきちーっ(敷地)」

と言って会社の部下を殴る場合もありました。そして、キーワードは英語。つまり

"Whose? My home.(誰の?ぼくの敷地)"

という意味でした。長年の謎がようやく解けました。解けたところで嬉しくも何ともありませんが。


ところで。祖父の死後、相続は父に対しては行われませんでした。私が定期的に、社内や街での父の日々の悪行を、祖父と祖母に対して報告していたからです。父は

「子供が投身自殺を図ったから、ぼくの立場が悪くなったに違いない」

といった主張と共に、私を恨みはじめました。母はカネを手に入れられなかったため、「産み損」として私を憎みはじめました。叔母は

「両親の人生を破滅させたのだから、両親の介護を今から行い罪を償え」

と私を責めました。


両親は、相続が行われる前提で散財していたため、赤字の未来が見えてきて恐怖します。だから両親は、今のうちに良い思いをしておこうと、会社の名義を使って急いで恐喝を行い、急いで詐欺を行い、急いで万引きを繰り返し、命令に従わないとこうなっちゃうぞと私を社員の前で盛んに殴るようになったのです。なぜ私の両親はそんなことをしたのか。それはもちろん、特に父に限ってですが、父が所持していたお金や家や会社や信用や嫁は、父が自らの力で手に入れたものではないからです。祖父に駄々をこねてプレゼントされたあぶく銭と、そのあぶく銭をチラつかせて金で買った売春婦です。はじめから他人のものという意識だから、もちろん熱意もなく乱雑に扱います。そして、なおさら、父は、祖父よりも頭が悪いという自覚はあります。そのコンプレックスは、恨みに変換され、祖父から貰ったお金や、家や、会社や、嫁に向かいました。だから、私に対して殊更に憎しみを向けるのは、当然なのであります。だから、父は私に対して「ぼくのパパはすごいのに、ぼくがすごくないって、お前はゆいたいのか。ぼくのほうがすごいって、ゆえ」と殴るわけであります。


自分で手に入れたお金や経験がなにひとつない父。父は、パパ(祖父)からもらった地位を用いて会社の部下を強姦して、パパから貰ったカネで嫁を買った。そして、地位とカネがなくなり次第、会社や親族や売女(母)から絶縁を突きつけられた。


「カネの切れ目が縁の切れ目」と言う者は、自分自身がカネに執着しつつ、カネのない者を見下しているから、そう言ってしまうのだろう。どうせ、普段から自分より強い者を「こき使える人」と見下してヘコヘコして、自分より弱い者が頼ってきたら邪険にしているのだろう。真っ当な人じゃないよ。どんなつながりでも、真っ当な人ならカネごときで縁は絶対に切れないよ。

両親は「使える金持ちが好き」と言うけど、その使える金持ちからしたら、使えない貧乏人は両親なんだよ。つまり、使えない貧乏人である両親から「お前のことをカネズルとしてこき使ってやるよ」と言われている、その当の「使える金持ち」たちは、はたして何と思っているだろうか。そう、「外道」の二文字だよ。


父よ、母よ。あんたらは、闇の政府の陰謀で会社と地域から居場所がなくなったと語るが、違うんだよ。単純に、ただ単純に、純粋に、ただ純粋に、ただ、ただただ外道だから、てめえらの立場が自動的に悪くなった。ただ、それだけなんだよ……



やがて、私の告発は、祖父と祖母に届き、父は解雇されました。


……しかし、悪夢は続きます。運の悪いことに、父は会社の株式を所持しているのです。祖父は父にカネだけ渡しておけばいいものを、権利を渡したのです。これは祖父の最大のミスでした。父は、株主総会で謎の演説をしたり、茶封筒で奇怪な手紙を親戚や、同業他社や、近隣住民や、居酒屋で知り合ったゲロ臭い酔っ払いのおっさんにまで送りつけるなどといった、わけのわからない営業妨害を始めたのです。


「どうしてもと、ゆうなら、社長になってやってもいいし、お金も、貰ってやっても、いいよ」

「ぼくわ、どうしたら良いか、分からないけれど、ぼくわ、どうしたらいいか、これから分かるかも、しれません」

「これから、お仕事お、頑張ろおと、思っているから、これから、頑張ります」

「ぼくわ、天皇家の、三代将軍の、徳川のかまたりだから、会社の、真の、社長だよ」


もう、ありえないんですよ。

無様を通り越して、不気味。

小学生でも書かないような意味不明なお便りを新橋の弁護士を通じて会社に送りつけ続ける、たったひとりの総会屋。

知恵が遅れている上に悪意しかなく、しかも己を天才と信じて疑わないような、身の程というか、身分や立場というか、我々人間とケダモノの間にある壁というか、常識をわきまえられない空気の読めない家畜ほど厄介なものはありません。

私は、父が生きていることに怒りは覚えません。自分に大切なものがないからって、他人の大切な人間関係や持ち物やカネや趣味や仕事をさんざん妨害してきたのだから、「申し訳ないことをしてきたから、そろそろ謝罪の気持ちを込めて自殺をすべきだな」と自覚して、自ら腹を切るくらいの人間性をまだ持ち合わせていない父を、私は悲しく思っているのです。父が死なない限り、私の悲しみは続きます。早めに死んでもらわないと、私の人生の旬が先に終わってしまいます。


【発音】

ここまで、私は両親の言葉を翻訳して記述しております。実際は父は言葉を話すのが苦手なのです。例えば、会社の部下や私を殴る際の父の発言を実際の発音に近づけて書いてみます。

「一番前に来たのはブググググ、チュパカリ。しまちたか、おタバコないの。ないのミ。ミ、おみみがないのですかーっ、さんぜんはっぴゃくきゅうじゅうきゅう、さんぜんはっぴゃくきゅうじゅうきゅう、お前知らないだろ。ぼくは天皇家、お酒ある?買ってこい、お前ばか、だか。え?見える、だから謝れ、あ。うんちしてくる、あえ?タバコは?ねえタバコ。ないよーッ、なくなっちゃったッ、ぼくのタバコがないんなっちゃっぱ。チンパルキ?」

このような感じです。だから、私は騒ぐ人を好きになれません。やがて私は、人そのものを好きになれなくなりました。


【教育】

祖父の会社に勤めていた親族たちは無能でした。しかも、プライドが高いため、自分の地位が脅かされまいかと怯えていました。親族たちは仕事をすると無能さがバレてしまうからと仕事をせず、部下が成果を出したら自分の無能さがバレてしまうため、部下にも仕事をさせないため部下に対して「虐め」を真剣に頑張っていました。能力の高い者は自分より偉くなる可能性があるから、虐める。新人からなめられたら気分が良くないから、虐める。専門家には専門性の高い仕事をさせずに、本筋と無関係な仕事をやらせて、虐める。いつしかこれは会社のルールとなり、グループの成長ではなく、部下の監理のしやすさにのみに重きを置くような「本筋と関係のないことをやらせて目的を見失わせてやる気を奪い、ひいては未来の可能性まで先に摘みとり、無気力な奴隷に仕立て上げる」という教育方針が社内に確立したのです。パパの名前と、パパの肩書きと、パパの会社名を言えば、部下や取引先がボクにひれ伏す。ということは、おそらくボクも偉いはずだ。偉い人とはパパのような管理職のことだ。管理とは、手下に対して難癖をつけて大きな声を出すことだろう。そう考えた父は、ことあるごとに「手下」である部下や子供を取引先や飲食店に連れて行き、皆の前で殴ります。

「お前は何をやっても無駄だからやめろ。今やっていることも無駄だからやめろ。ぼくはお前よりも頭が良いから、すべてお見通しだぞ」

と、身内に対しても忖度せず毅然とした態度を取れる管理職の男と示すのでした。


【当事者】

父は自らの力で仕事や勉強や趣味を行ったことが一度もないため「ぼくのパパは社長だからボクも偉いんだぞ」と、親の実績だけをただひたすらにひけらかして恐喝を繰り返します。父は、己の首にくくりつけられた「ぼくはパパのペット」と書かれた首輪を誇り続けているのです。


母も、リンチの参加者でありながら直接の実行犯ではないからと観客を装い責任逃れをします。人を集めて強制的にゲームに参加させて、それでいて自分は別の部屋からゲームに苦しめられる者たちを鑑賞しているのです。自分の人生の当事者は自分自身です。あなたも私も、ペットや観客ではありません。


【母方の祖父】

母方の祖父は、殴られる私を父から庇っていました。その度に父は

「殴り合ったらぼくの方が勝つ。勝ってから口を聞け」

と祖父の前で己の方が強いぞと自慢をします。祖父は、私のくだらないギャグにも付き合ってくれるほどには私の理解者でした。しかし、私はあまり祖父を大事にしていませんでした。

ある日、寝たきりになった祖父に私は言いました。

「今度なんか食べに行こう。まあ今は忙しいから、10年後かな。絶対だよ」


しかし、母はやはり母方であっても、相続しか考えておらず、祖父を長生きさせるようなことを言うなと私を叱りました。

しかし、祖父は前後の文脈から、10年後までも長生きしてくれという私の意図を読み取り、私に感謝を伝え、やがて、亡くなりました。

本当に、母に対しては、「ふざけるな」の一言です。父からの凄惨な暴力に対しては、暴れるケダモノへの恐怖と怒りしか感じません。


母が行ってきたことは、ケダモノですらやらないような、人間ならなおさら、最もやってはいけない、義理も情けも涙もない、悪魔の所業です。【命を弄んでいる】のです。金のために私を産み、いじめ、自らを産んだ親(祖父母)すら、金のために、いじめた。私を延々と悩ませているのは、この一点です。私は母から愛されたかったけど、そもそも母は、命をいたずらにいたぶるのが趣味なのです!!!私は、私は……母から愛されたかったけど、人間として、道徳的に、人としてのプライドがあるから、とても母の行いと存在を許容できない!!!

……私を、助けてください……


お金ってやつは、そんなに大事なのか。何かにつかう目的もなく、ただ他人の金を対価を与えずに奪って、その奪った金を、ただ、浪費するために浪費して。それで楽しいのか。母よ。心は、愛は、感情は、ないのか。

私は愛というものを信じないし、私自身も擦り切れてしまって、もう、愛のない人間なのかもしれないが、だが、これだけは、はっきりと分かる。【母には愛が無い】、と。


【比較】

たいていの人は、気を抜くと、上と比較をして不幸を感じて成長を止めてしまうし、下と比較をして幸せを感じて成長を止めてしまうのではないでしょうか。比較して安価だから好きだとか、比較して外見が良いから好きだとか、比較して有名だから好きだとか、そういう発想は、対象を見ておらず、世間の視線を見ているのではないでしょうか。比較ではなく、なんとなく好きだとか、なんとなく楽しいとかいった言語化しづらい「なんとなく」が本当の感情のはずです。私は、両親から「その時期を逃したら二度とできない経験」を悉く潰されてきました。私は「ありきたりな幼少期」を送りたかったのです。


長いこと苦しんできました。幸せを奪う両親が許せなかった。普通の幸せを得ている他人が許せなかった。

家の中で縁のある身内の私の髪をむしりながら私の顔に爪を突き立てて楽しんでいるのに、家の外で縁のない他人の異国の子供に募金をしたりボランティアをする父が許せなかった。


「世界には水も飲めなくて苦しんでいる人もいるんだから、理由もなくパイプ椅子で殴られたくらいで泣くな」

と言いながら殴ってくる幼稚な父と

「イライラしているなら子供を殴れ」

と確かに父に指示をした母が許せなかった。


血まみれになるまで殴ってきて

「お前は多分何か悪いことをしたから殴られたんだ。お前がどんな悪いことをしたのかわからないから何か悪いことをしたなら自分で説明しなさい」

と主張する父が許せなかった。


おもちゃを壊してから

「悪いと思ってないけど壊したのは謝るから、じゃあ先にお前が何でもいいから何か謝って」

と主張する母が許せなかった。


「毎日殴られて鬱になったのはお前の問題だから。鬱になったのは私のせいみたいに言われたら辛いから、まず『ごめんなさい』と言え」

と主張する母が許せなかった。


「毎日殴られたことでくだらない御託を語れるくらいに成長できたのだから、殴っていただいて『ありがとう』と言え」

と主張する父が許せなかった。


イラストを下らないと言いつつ、私に無料でイラストを描かせて自分だけはしっかり中抜きをしようとする父が許せなかった。


私をいたぶってきたのに、いざ就職したらすかさず自分が育てたから自分の手柄だと言い出す母が許せなかった。


「あなたのお父さんは人を殴ったことは一度もないと言っているじゃない」

などと言って加害者側の意見しか聞かない教師が許せなかった。


「ぼくからリンチを受けても死ななかったということはお前は強いということじゃないか。良い話だ。感動した」

と言う父が許せなかった。


「本当に辛いなら自殺をするはずなのにまだ死んでいないから辛いと嘘をついているだけだ」

と言う叔母が許せなかった。


「叔母の自殺教唆のせいで子供がおかしくなった」と他責する母が許せなかった。


父は母から、母は父から、何かを奪うときには私の話を真実と認めて、互いに「私の子供が傷つけられたから賠償して」と責め立てるくせに、本人の私から責められている時には「何年何月何日何曜日に殴られたか言えないんだから妄想じゃないか」と幼稚な反論をしてきた両親が許せなかった。


未公開の映画や未発売のお菓子をテレビで見るたびに

「ぼくもう見た。ぼくもう知ってる。オラ。ぼくもう全部知ってる。ぼくはもう全部知ってるのか?ぼく全部知ってるんだよなあ?知ってるって言え。あ。あああああ。お前は今ぼくが全部知ってるってウソついた。お前の方が嘘つきじゃないか。謝れ。そうだ。謝らないなら全部捨てる」

と教科書を投げつけてくる父が許せなかった。


おもちゃを壊し、本を破き、壊したものを指差しながら

「モノを大切にしない精神性をお父さんは怒っているんだよ。まだ使えるから良いじゃないか。ほら。もっと壊しても、ほら、ほら、まだ使える。ほら、もっとこう、もっと壊してもまだ使える。大切にするという気持ちがお前には欠けている。だからチーズとつまみ買ってこい。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ」

と責めてくる父が許せなかった。


集めた持ち物や学問やスポーツや交友関係や服やおもちゃを必ず父に破壊されるから私は継続や所有を恐れているのに

「お前はバカだな。何かを積み上げるとか大切にするとかしろよ。バーカ。無駄。バカ。うるるるる……あ、そうか。継続は力なり※。ぼくは会社にいっぱいいるから偉いから頭いいもん。ポン。はい、ポン、ほーいほいほいハチマイメ、はいまいからば、デイマシタ。ウイマチタラバ、ホイホイホイ。いやー感動した。本当に本当にいい話だ、継続は力なり。お父さんは継続の大切さを今知った、お前より賢くなった。ポン」

と勝手に納得する父が許せなかった。


(※私が、継続の量そのものには意味がないと主張する動機の一つです。量を誇るな、質さえ高ければ量を奪われても生き残ることはできる……と言いたい。)


「全部捨てろ。お前が下らないイラストをやりたいとかは関係ない。お前の意思は意味がない、お父さんがお前のイラストに飽きたからお前にイラストを書くのを止めろと言っているんだよ、それと今していること。音楽、勉強、全てやめろ。無駄。今の友達とも縁を切れ。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ」

と迫ってくる父が許せなかった。


会社事務所で

「ホイ、ホイ、ホホホイ。ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ポン。ホイ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ポン。ったら、アルアッ探検隊ったらアルアッ探検隊。アルアッタッケッタッタラ、アルアッタッケッタ。お前わかってんのか?言ってみろ。ブチカリって何のことだ?」

と突然尋ねてきて、知らないと答えると

「ドリマチタ。ブミキ。ダ?分かんないのにお前ウチカビって今言っていたのか。分からないのにウビガビって言ったのか。ううがりましたか?ポ?何の意味があるんだ。ウミカピって何だ。答えろ。はい5秒はいごーよんさんにーいち。はいごーよんさんにーいち。はい答えられない。こたいらりないでしたにい。会社のちきたりは。人材育成の。あ。お昼ご飯たべる。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ」

と、造語クイズをしてくる父が許せなかった。


ホテルで家族と食事をしていた際に母と会話をしたら

「うるちゃい。うるちゃいんだよーっ、ボリカリマキタ。ぼくの許可なしに会話をするな。女子供は犬以下だから。お前らは許可が出るまで何かを一生話すな。ブーリカポン。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ、ブーミカポン。ブーミカポン」

と殴ってくる父が許せなかった。


ボコボコに私を殴った上で

「はい、気持ち切り替えーっ。きもちー。きもちいい。ちもきいなー。ちもちいときは笑顔。はい、スマイル。ニッ、スマイルスマイル、はっぴい。あー、目が笑ってない。お父さんは楽しいんだから、お前も楽しくないとおかしいぞ。お父さんは生まれてから辛いと思ったことはないぞ。ホイ。はっぴいーっ、ポン」

と責めてくる父が許せなかった。


「バカだから騙せると思ったのに、録音を取る頭はあるんだな」

とナメてくる父が許せなかった。


自分だって製造業に勤めているくせに、自分の部下や他社の技術屋を

「くだらないものを作る朝鮮人の集まり」

と、見下す父が許せなかった。


他社の金属製品を売ると宣言して無理やり恩を売り、許可を取らずに勝手に溶接して改造して、結局金属製品を破壊して持ち主に返し、破壊したことを悪いとも思わず、むしろ、売れなかったことを持ち主に責め立てて、責め立てたことを私に自慢する父が許せなかった。


私のイラストを勝手に印刷して無理やり恩を売り、印刷屋の前で私に土下座をさせて

「頼まれたからわざわざぼくが印刷屋を探してやったんだからごめんなさいだろ、ありがとうはないのか※」

と脇腹を蹴り上げてきた父が許せなかった。


(※チンピラは「ありがとう」と「ごめんなさい」の区別がついていません。ありがとうとは「お前から何かをしてもらったが、俺に落ち度があると言いたいのか。いずれ復讐してやる」という意味です。ごめんなさいとは「お前から指摘をうけたが、俺に落ち度があると言いたいのか。いずれ復讐してやる」という意味です。チンピラたちは普段からこの認識だから、「ありがとうかごめんなさいのどちらかを言え」という不可解なことを叫ぶのです。)


【毎日】殴られていた私が警察を呼ぼうとしたら「他人の力を使うな、自分の力で解決しろ」と主張をしていたくせに、成長した私から【一回】殴り返されたら、警察に「何もしていないのに殴られました」と助けを求めた父が許せなかった。卑怯者め。棚に上げるな。

私が殴られているのを鑑賞して、子供をもっと殴れと旦那に命令をしていたくせに、私にカメラまで向けてニヤニヤしてたくせに、「【じゃあ】私も傷ついたから被害者だし、実行犯じゃないなら罪には問えませーん」と言い、あくまでも観客として私を最後まで冷笑し続けた母が許せなかった。卑怯者め。棚に上げるな。

余裕のない私が辛さを話しても、理解しようともしない余裕のある人たちが許せなかった。


鬱ならば他人に嫌がらせをしてもいいと言い張る鬱の人たちが許せなかった。


何もかもを許せないまま時が経ち、「故郷が戦場になったから辛い」という海外の私のファンに圧倒されたり、「ブランドバッグを買えないから辛い」という下町の売女を見下す私がいることに段々と気がつきはじめたのです。私は辛さの比較をしていたのです。辛さに苦しんでいたのに、いつの間にか辛さの度合いで優劣を感じるくらいに、「辛さに苦しむ自分」という型に自分をあてはめていたのです。比較から離れたことにより、私の苦しみは改善されました。比較をしないというのはよくある解答だし、これが解答だとも理解はできていましたが、負けた気になるから、納得ができていなかったのです。


【弟】

弟たちは両親から成果を見下されながら成果を横取りされるという、私と似たような苦しみを味わいながらも様々な分野で活躍しているし、私より頭の回転が良くて知識と経験もあり、学問や芸術の才能もあるので、実は私の励みになっています。生き地獄の中にいたのにそこまで優秀になれるんですかという驚愕の気持ちがあります。だからこそ、壊れてしまった私の存在は彼らの人生の迷惑になるので、今後も私は弟には関わらないつもりです。


【ネコ】

完全に鬱のどん底にいた頃の私の元に、ネコがやってきました。弟が飼い出したネコなのですが、初めから弟をおもちゃだと思っており、何をされたわけでもないのに両親に憎しみを向け、私だけをずっと心配していました。言葉が通じなくても理解してくれていたのでしょう。しかし、私の理解者であるネコは、先日亡くなりました。私を肯定して見守ってくれていた身内の理解者があの世に行ったのです。この出来事は、私の心を強烈に突き動かしました。


【関心】

これまで語った私の話の原因は、すべてが「無関心」からきています。暴力ではなく、暴力を受けた相手がどう思うかと考えない無関心さが原因です。他人の幸せを見て、自分の幸せを見ようとしない無関心さが原因です。孤独を叫ぶくせに、気遣ってくれる人を見ようとしない無関心さが原因です。それでいて、都合の悪いゴシップを、身内や他人から必死に見出して、必死に見続けているからおかしくなったのです。関心を持つ対象を間違えていたのです。観客として自分と他人を比較するから鬱になるのです。当事者の立場で自分の正しい関心の対象を探していけば、この文章を読んでいるあなたの悩みもいつかきっと治るかもしれません。


【追記】

たとえ私の両親がこの記事を読んでも、彼らには文章の真意は理解できません。特に父は、文盲のため言葉を読めないし、私の発言には条件反射で悪意を返してくるからです。父は

「リンチをされて悩めたということは、リンチをされて頭が良くなったのだから、リンチをしてあげたぼくに感謝をしろ」

と嫌らしい主張をします。父は

「ぼくがお前を殴って楽しいのに他人のお前が殴られて楽しがってないのはおかしい」

と最近まで言っていました。

「ぼくが酔っている時に他人のお前が酔ってないのはおかしい」

と正月にも攻め立ててきました。他人という言葉を理解しているのに、他人という概念を理解できていなかったり、もしくは、悪意から意図的に障害者のふりをして他人という言葉を理解できていないと偽るのです。まいにちまいにちまいにちまいにち私は生まれた時から最近まで社内で、暇つぶしの見せしめとして、殴られて裸にされてきたから、私の眉間には深い皺が入ったというのに

「あー、眉間に皺が入ってる。はっぴい、楽しい、お父さんは毎日楽しいのに、何でお前は悩んでいるの。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。社長のご子息のカズヒデさんって呼べ。ボーディカプ。ボーディカプ。ヴァン、ダラキ、ウルパチ、ダリポ。アアアアア。これ美味しいなあ。うん、この酒は身体に合う。甲種はだ、ハジマッタバキガナ。ブウビ。ナアアアア。ノリコを許さねえ。ヒデキとヒデタダはぼくはぼくが倒すシツヨウがあるビ。グギギ。いいから何か謝れ。何でも良いから何か謝れ。謝れって言ってんだよ。タバコ買ってこい、ダガピイ、絵なんか描くな、勉強なんかするな、下らない。お前はまず何もするな。まーず。まずまずまず謝れ。あ、や、ま、れ。え、今光った。今外で光った。ランプ光った。救急車かな、う、ウルパチームジョンソン。ブガチ、ダアアアアア、はい、気持ち切り替えーっ。気持ち切り替えましょーっ。はい。おし。まい。謝れよ。何を謝るのか今決めろ。何でも良いから何か謝れ」

とまいにちまいにちまいにちまいにち手紙や電話や口頭などあらゆる手段で意味不明に私をなじり、殴り、謝らせてくる父のことです。父は先日、私の引っ越し先にまで現れて私に謝らせてきました。後に母も現れ、私に謝らせてきました。他人の手柄を自分の手柄のように語り「俺が教えた」とホラを吹き、興味のある人に対しては誰かから奪ってきたガラクタや無関係な人間関係を押し付けたり、根拠を調べずにエセ健康食品やカルト宗教にハマり、詐欺師たちに対し「俺が本当の宗教を教えてやる」と迫ったり、ボコボコに凹んで今にも爆発寸前としか思えない見た目の自動車に乗り、己の腐敗した大便やネコの吐瀉物をたっぷりと背広にこびりつけて先日の社葬にも出向いたりしたため、街の犯罪者たちからも嫌がられているという、まさしく、生まれてから今まで60年もの長い間、自分と他人と会社と地域との信頼関係を毎日コツコツと破壊しかしてこなかったことに気が付かないくらい心がない父のことです。そして父は、教師や警察や医者など家の外の人の前となると何故か日本語が話せるようになり

「ぼくはね、児童虐待などしたことがないよ。何かの、間違いじゃないかな。──この子は、何か嫌なことがあって話を作っているんだろう。第一、証拠はあるのだろうか。なにせ、ぼくは今後、社長になる立場だから、そんな虐待なんて、馬鹿なことをするわけないじゃないか」

と平然とひとを欺きます。私は、父からのリンチを家の外の人に告げ口しても埒が空かなかったし、一方で、社内で父からリンチに遭っている人も、私と同じ目に遭っていました。父は叫びます。


「敷地ーっ、しきちっ。ちちちっ。ちきちーっ。ぼくのちきちーっ、しきちーっ、ぼくの敷地ーっ」

敷地。その敷地は、よく考えたらば、父のものではない。父は、家を持っていない。父は、会社という名の別荘に幽閉されているに過ぎない。両方、家だ。家は子供からしたら親のものだ。父が答えを言っていた。「敷地」なのだ。そこでは、家主の意向が優先される。そのことに気がついた私はあの日、社内のリンチ被害者と共に、父が刃向かえない親であり社長であり家主、つまり、祖父に助けを求めたのです。余談ですが、この「家」という現象が今後の私の作品のテーマとなります。


この記事を前にしても、両親は潰れたモグラのような顔をして口を開けて首をかしげるだけのはずです。知能のレベルが違いすぎると「話しあえば人は分かり合えるかもしれない」と夢をみることすらできません。私はかなり切なく感じます。私は父から

「お前が何もできないならお父さんに引け目を一生感じ続ければいいし、お前が成果を出したなら、それはこれまでしっかりお前を男手ひとつで育ててきたお父さんのおかげってことだな。もう先に謝っちゃえ。それか、ありがとうだろ」

となじられ続けていましたが、私はこれまでもこれからも、鬱を頑張らない理由にはしません。


今日まで必死に生きてきたプライドがあるからです。

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