誰かと暮らすの、面倒くさい。
土曜の朝。
寝ぼけたまま、キッチンにお湯を沸かす。
目をこすりながら冷蔵庫を開けて、冷えたヨーグルトを取り出す。
それを無言で食べながら、スマホをぼんやり眺める。
テレビもつけてない。
音楽もかけてない。
でも、なんだかこの“無音”がちょうどいい。
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ベッドの片側は、綺麗なまま。
ソファにかけたブランケットは、私が畳まない限りそのまま。
洗面所には歯ブラシが一本。
お風呂上がりに脱いだ服をそのまま置いても、誰にも何も言われない。
誰かと一緒に暮らすって、
この“全部自分のルール”が崩れるってことだよな、と思った。
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別に、一人暮らしが好きなわけじゃない。
最初は寂しかったし、慣れるまでに時間もかかった。
帰ってきて、電気をつけて、「ただいま」と言っても返事がないあの感じ。
でも、気づいたら、その寂しさすら愛せるようになってた。
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最近、結婚した友達が言っていた。
「もう誰かと暮らすなんて、無理だと思ってたけど、意外とすぐ慣れるもんだよ」
その“意外と”が、怖い。
慣れることに、どこか妥協みたいなニュアンスを感じてしまう。
“慣れる”って、“我慢する”の少し手前にある気がして。
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私、たぶん、誰かに合わせるのが下手だ。
相手が悪いとかじゃなくて、
どこに自分の線を引けばいいのか、よくわからなくなる。
「遠慮しないでね」って言われても、
“しないでいい遠慮”と“したほうがいい遠慮”の区別がつかない。
それなら最初から、全部自分でやるほうが楽だと思ってしまう。
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以前、付き合ってた人と半同棲みたいなことをした時期があった。
最初は楽しかった。
料理を一緒にしたり、夜中に映画を見たり。
でも、気づけば私は毎朝キッチンに立って、
彼はテレビを見ていて、
その光景が3日続いたとき、「あ、もう無理かも」と思った。
「疲れてるんだから、休んでていいよ」と言われたけど、
そういう問題じゃない。
それ以降、“誰かと暮らす未来”を考えるたび、
胃のあたりが少し重たくなる。
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誰かと一緒にいたい。
でも、誰かと暮らしたいかって言われると、よくわからない。
もしかして私は、恋人は欲しいけど、
生活を共有するのは無理なタイプなんじゃないか。
そう思うと、結婚のハードルがまた一段上がっていく。
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部屋の掃除を終えて、
買ってきた花を一輪だけ花瓶に挿す。
洗濯物は私のぶんだけ。
冷蔵庫の中には、食べかけのキムチと、半分残ったワイン。
なんにもないけど、
なんでもあるような気もする。
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誰かと暮らすって、
生活の細部をすべて共有することだ。
それって、たぶんすごく尊いことだけど、
私にとっては、ちょっと怖い。
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“自分だけのスペース”を守りたい。
でも、“誰かと一緒の空間”にも憧れてる。
そんな矛盾を抱えながら、今日もまた、
ひとり分の夕飯をレンジで温める。
誰かと暮らすのが「幸せ」って、
本当にみんな、そう思ってるんですかね?
一人暮らしの快適さを知ってしまったら、
生活のペースも、空気の流れも、
誰かのために乱されるのが、正直こわい。
……でも、だからって、ずっと一人もイヤなんです。